26 王妃の謝罪・公爵視点
ジャネットの優しさに、どれほど救われてきただろう。
アベラールだけではない。俺もまた、あの優しい眼差しに、あの思いやりのこもった言葉に――どれだけ癒やされてきたか。
最初に言った俺の失言さえなければ……
――いや、もう言い訳はやめよう。
彼女を“妻”として迎えたい。
その覚悟を、決める時だ。
そう思った矢先、王宮から一通の招待状が届いた。
宛先は『キーリー公爵夫妻』。差出人は――王妃殿下。
『このたびの妹が起こした件に際し、誠に遺憾に思っております。バルバラはしかるべきところに向かわせまして、二度とキーリー公爵家にご迷惑をおかけすることはありません。つきましては、心ばかりながら夜会を催しますので、ご夫妻でお越しいただけますと幸いです』
それは、王妃殿下からの“謝意”であると同時に――ジャネットを“正式なキーリー公爵夫人”として、社交界にお披露目するいい機会だと思った。もちろん、俺は出席することを先方に伝えた。
しかるべきところ――修道院か……。俺の予想通りの展開だった。王妃はバルバラの姉にも拘わらず、かなりしっかりした価値観と倫理観を持った女性だ。こうなったからには、厳しい選択肢を選ぶだろうことはわかっていた。王妃にとっては辛い決断だったろう。なにしろ、年の離れた妹を溺愛していた方だ。しかし、あれだけ多くの者達の噂になっては、かばいきれないと判断したのだろう。
俺が王妃からの手紙を見せると、ジャネットは一瞬戸惑ったが、すぐに「公爵様と一緒に参りますわ」と言ってくれた。肝が据わっている女だ。気が強そうに見えないのに、ここぞというときに決して逃げない。ただその一言を口にし、静かにほほえんだ。
「王族とは初めて話すか?」
「はい。デビュタントの折に、同じく参加した方々とともに陛下へご挨拶はいたしましたが、それだけです。私は男爵家の出でしたから、個別にお声をかけていただける立場ではありませんでしたので」
「そうか。……怖くはないか?」
「いいえ。だって、公爵様がいらっしゃいます。それに、私はキーリー公爵夫人であり、アベラールの母ですから。成長したあの子に、少しでも誇ってもらえるような母でありたいです」
「そうか。君は、強いな」
ジャネットは優しいだけではない。肝心な場面では驚くほどの強さを見せる。……すごいよ、君は――。
夜会当日。
彼女がサロンに姿を現した瞬間、思わず息をのんだ。
今日のドレスは紫。といっても、鮮やかではない。それはまるで、夜空にかかる薄雲のような色で、ジャネットの白い肌をいっそう際立たせていた。パールの上品なネックレスが鎖骨の上で光り、ふんわりとまとめられた髪の隙間からのぞくうなじが、妙に目を惹いた。
もともと整った顔立ちの彼女は、今日の装いでいつも以上に華やかに見える。清らかで、凛として、そして――誰よりも綺麗だ。
俺に似合うかどうかなんて、初めから決まっていたんだ。
彼女ほど、思いやりと優しさを持つ女性なんて、他にいない。
綺麗だな、そんなひと言も言えずに、ただどぎまぎして顔を赤くする俺は、十代の少年か? ジャネットをほめたいのに、ちょうどいい言葉が思いつかない。
「ジャネ、すっごくきれーー。おとーしゃまもかっこいい! おやしきはぼくがまもってるから、たのしんできてね」
アベラールの方がだいぶ口が達者で、自分の不甲斐なさに小さなため息が漏れた。
「まぁ、頼もしい! アベラール様、頼みましたよ」
ジャネットは子供の扱いがとてもうまい。妹や弟を面倒見てきたからだし、子供は大好きだからと言っていたが、そんな母性愛が溢れているところも彼女の魅力だった。アベラールを使用人たちに任せると、俺たちは馬車に乗り王宮へと向かった。
荘厳な王宮の広間に響く音楽と、宝石のように輝く魔導灯のシャンデリアの中、会場の中央に設けられた階段を、俺たちは並んで降りていく。そして、王妃の前に進み出た。
「お招きに預かりありがとうございます。王妃殿下」
俺が頭を下げると、ジャネットも美しい所作でカーテシーをした。
王妃は穏やかに微笑み、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「お顔を拝見できて嬉しいです、キーリー公爵夫人。……今回の件は妹の軽率な行動により、ご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げますわ」
「もったいないお言葉です。……殿下が謝罪なさることではございません」
ジャネットはそう答えたが、その声にはおびえも卑屈さもなかった。
柔らかく、だが芯のある声だった。
これが、俺の妻だ。男爵家出身とはいえ、毅然とした品格に完璧なマナー。
夫として誇らしい気持ちでいっぱいになる。
王妃はふっと目を細めた。
「キーリー公爵。とても品のある素晴らしい奥方を迎えましたね。このような方なら、アベラールも懐くのは当然。キーリー公爵夫人、アベラールは、私にとっても大切な甥です。どうか、これからもあの子をよろしく頼みます」
ジャネットはもちろん完璧な所作でそれに答えていたのだが……
そのとき、広間の奥からひときわ大きな声が響いた。
「キーリー公爵夫人か。その声、確かに記憶しておこう」
俺は、その声に思わず眉をひそめた。




