24-2 アベラール誘拐事件
私の胸の奥で何かがブチ、と音を立てて切れた。私は猛然とバルバラに近づき、自分の掌がヒリヒリするくらいに、その頬を思いっきり叩いた。後悔なんてまったくない。
王妃殿下の妹だからってなに?
高貴な生まれでも、人としての品格がなければ何の意味もないわ。
悪いことをしたら、きっちり叱るべきなのよ。
「あなた、それでも『母親』なのですか? 人間嫌いになるほど傷つけておいて、『可愛げがない』ですって? アベラールが、どれだけあなたの言葉に小さな心を痛めてきたか、少しは考えたことがあるんですか? 二度と近づいたら許さないわ」
自分でも驚くほどに、声が出ていた。怒りよりも、アベラールを心配する気持ちのほうが大きかった。あの子がどれほどつらい思いをしていたかを思うと、涙が出そうだった。
そのとき、公爵がそっと私の肩に手を置いた。
「アベラールを連れて帰る。二度と俺たちの前に姿を見せるな。次は――公の裁判の場で話すことになるぞ」
「なによ! 私の顔を叩いたなんて信じられない! その女、地下牢に閉じ込めてやるわ。お姉様に言って罰してもらうんだから!」
「……王妃に言って妻を罰するだと? やれるものならやってみろ。こちらも黙ってはいない。キーリー公爵家の力を、舐めてもらっては困る」
「……っ」
ぞっとするほどの公爵の冷たい口調に、さすがのバルバラも顔を引きつらせていた。
私と公爵は地下の貯蔵室に瞬間移動。そこは暗くてひんやりしていた。ワイン樽が並ぶ隅に、アベラールがうずくまるようにして床に座っている。チーズや穀物なども奥の棚には見えた。
「アベラール!」
呼びかけると、私に向かってまっすぐ走ってくる幼子を抱きしめた。小さな手は震えていたけれど、私の胸に顔をうずめたときのアベラールは、泣いてはいなかった。魔力の暴走もなかったみたい。
「ぼくね、ジャネとおとーしゃまがきてくれるってしんじてたから、おとなしくまっていたんだ。だって、ジャネがきてくれないはずないもん」
その言葉を聞いてますます私の目から涙があふれ出た。
アベラールは私のために花を摘んでいたところを、無理やりここに連れてこられたと言った。『いきたくない』と何度も言ったし『いっしょにいたくない』とも、ちゃんと伝えたらしい。それでも、むりやり馬車に連れ込まれたと。
「許せないわ……公爵様。私、今回のことは、到底バルバラ様を許すことはできません」
「世論を操るか……俺に任せろ。こんなことは二度とさせない」
公爵は毅然としてそうおっしゃった。その後、この噂は瞬く間に広まった。
「ずっとキーリー公爵家を見張ってたんですって。わざわざ魔導高速馬車で毎日レニエ伯爵家からキーリー公爵領まで出向いて、待ち構えていたらしいわよ……ほんと異常ですわ……」
「キーリー公爵家に、いきなり押しかけたこともあるんですってね。前妻が婚家に無理やり、よ? しかもその抗議文が届いた後に、誘拐事件まで起こすとは」
「しかも、公子様は継母のために花を摘みに行ったと聞いていますわ。……あの坊ちゃまは、なんて健気なのかしら。それを……ひとりでいるところを、むりやり連れ去って、なんと地下貯蔵庫に隠していたのですって。薄暗くて寒い場所によくも幼い子を――ひどい女性ですわね」
社交界では貴族達が集まってはこの話題に終始し、バルバラの悪評は止まらず燃え広がる火のように、彼女の名誉を焼き尽くしていった。
「ほんっとにさぁ、王妃様の妹だかなんだか知らないけど、やることが下衆すぎるのよぉ」
「ねー、しかもその子を、地下に閉じ込めたんだって? うちの子なら絶対泣き叫ぶわよ。怖かったろうねぇ……鬼母だよ」
路地裏の洗濯場では洗い物を両手で揉みながら、女たちがペチャクチャと噂をしているらしい。――どこへ行っても、バルバラの名が話題に上っていて、口々に批判されているようだった。
そんな噂が広がる一方で、アベラールと心を通わせている私の評判は、思いがけず良いものになっていた。
“継子を実の子のように慈しむ、理想の良妻賢母”――そんなふうに言われているらしい。
……私は、ただ当たり前のことをしているだけなのだけれど。
⟡┅┅┅━─━┅┄ ┄┅━─━┅┅┅⟡
※次回、バルバラはお姉様から……お叱りと処分が……さすがのお姉様も怒ったようで……




