23 犯人は……
「まさか、誘拐? この屋敷で不審者を見た人はいない? 直前まで一緒にいたのは誰なの?」
「私です。アベラールお坊ちゃんは、いつものように虫を観察しておりました。ほんの少し目を離した隙に、その場からいなくなっていたんです。けっして怠けていたわけではないんです。朝から少しお腹の調子が悪くて……申し訳ありません」
侍女のひとりが泣きだしてしまった。私は慌てて彼女を慰めた。
「奥様。私のせいです。アベラール様には侍女を複数つけておくべきでした」
侍女長までが涙ぐんで私にひたすら詫びる。
「あなたたちを責めたわけじゃないのよ。ただ手がかりが欲しかっただけなの。不審な人物が連れ去ったというわけでもないのなら、いったいどこに? 自分で公爵家の敷地から出て行ったのかしら? そんなことあるわけないけど」
私はその可能性を否定した。だって、ひとりでお屋敷を出て行くなんて考えられない。やがて公爵様も帰られて、ふたりで話し合った結果、やはり自分でどこかに出かけたのだろう、ということになった。
公爵が門番に尋ねると、気まずそうに目を逸らした。
「実は坊ちゃんがどうしても行きたいところがあるから、通して欲しいと。皆には秘密だよ、とおっしゃったんで、申し上げていいものかどうか……」
「そういうことは迷わずジャネットに報告しろ! 五歳の子供だぞ。なにかあったらどうするんだ?」
公爵は門番を怒鳴りつけた。
そんななか、私はアベラールと先日の湖で交わした会話を思い出していた。
「ここに咲いているお花、大好きですわ。よく家族でピクニックに行くと必ず出会える花でしたからね。優しい思い出がたくさん詰まっていますのよ」
「そうなんだ……ぼく、いつもジャネにあげたいな。ジャネにね、いつもうれしいとか、たのしいっておもってほしいんだ」
「まぁ、ありがとう。アベラール様がいるから、いつも私は楽しいですよ。とっても優しいのね」
「うん。ぼくね、ジャネにはいつもやさしくしたい」
もしかしたら、あの湖に花を摘みに行ったのでは?
あぁ、そうよ、きっとそうだわ。
だって、ほんとうに優しい子なんですもの!
「公爵様、湖に行ったのではないでしょうか? 私が湖の畔に咲く花を好きだと言った時に、いつもあげたい、とアベラールは言っていました。もしかしたら――」
「あり得るな。あの子はジャネットが大好きだ。きっと喜ばせたくて湖に花を摘みに行ったんだ。すぐに行こう」
公爵は瞬間移転魔法で、先日サンドイッチを食べた場所まであっという間に移動する。でも、アベラールの姿はなかった。私たちは湖の畔を散歩していたカップルや家族連れに、それとなくアベラールの特長を説明し、聞いて回った。すると、驚くべき証言が得られた。
「あぁ、その男の子なら、深紅の派手なドレスを着た女性が連れていたよ。顔がそっくりだったから、親子だと思っていたが違うのかい?」
たまたま湖の畔で絵を描いていた画家が見かけたと言うのだ。
「確かに、今考えれば子供のほうは、嫌がっているようにも見えたかな。でも、ちょっとした親子げんかなのかと思っていたよ。あのぐらいの子供はすねたり、わがままを言って、泣く子もいるしね」
「……泣いていたのですか?」
「いや、泣いてはいなかったな。ただ、なんとなく嫌そうな雰囲気だったような……最後には抱きかかえられて立派な馬車に乗せられていたけど……」
「それはきっとバルバラ様だわ。公爵様、早くアベラール様を助けなければ。だって、あの子は魔力が暴走するほど、バルバラ様が苦手なんですよ。思い出すだけでも火魔法が暴走するんです」
「くそっ。抗議文を送ったぐらいでは、反省もできないのか! バルバラめ。とにかくレニエ伯爵家に行こう」
公爵がバルバラに対して、激しい怒りを露わにしながらさらに言葉を続けた。
「申しわけないが、君も一緒に証人として来てくれないか? その子はキーリー公爵家の跡継ぎ、俺の息子アベラールだ。連れて行った女は前妻で、子供は母親を嫌っている」
公爵は簡単に事件性を説明した。
「前妻の誘拐事件ですか? そりゃ、大変だ。もちろん、一緒に行きますよ」
画家の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、あっという間にレニエ伯爵家の門前に着いた。
「ここを開けろ! なかに俺の子供がいる」
「申し訳ありません。バルバラ様から誰も通すな、と言われていまして」
門番がおびえながらも抵抗したが、公爵は平然と言ってのけた。
「なら、無理やり入るまでだな」
さらに、公爵は屋敷のなか、サロンと思われる部屋にまで瞬間移転した。
「うわっ。こ、これはキーリー公爵殿。いったい、なにごとだね? このような無礼な振る舞い、いかに公爵家であろうとも許さんぞ。我が家は王妃を輩出した栄誉ある……」
「王妃殿下の実家であることは百も承知。だが、キーリー公爵家の跡継ぎを誘拐した罪は免れないだろう? 以前、抗議文を送ったが、それぐらいではまったく効果がないようだ」
「何を言っているんだね? 君の息子など私達は知らんぞ。抗議文は受け取ったが、バルバラは夕食に招待されただけだ、と言っていた。わしの娘が嘘つきだとでも言うのか?」
「悪いが、あなたの娘は嘘しか言わない」
「公爵様、この方たちでは話しになりませんわ。片っ端から探しましょう」
その時、何食わぬ顔でサロンに現れたのは、艶やかな深紅のドレスをまとったバルバラだった。髪を高々と結い上げ、まるで自分がこの屋敷の女主人であるかのように、傲慢な目で私たちを見渡している。
――そういえば、ドーハティ伯爵夫人も同じような雰囲気だったわね。妙に似ているものだわ、こういう人たちは。
「あらあら、まあまあ。そんなに慌ててどうなさったの、キーリー公爵? まるで誘拐事件の犯人でも見るかのような剣幕ですわ」
「そのとおりだ。誘拐犯を追ってここへ来た。アベラールを今すぐ返せ、バルバラ」
公爵の声には怒りがこもっていたが、冷静さは失っていない。その鋭い視線が、バルバラの暢気な表情を刺すように貫いていた。
「知らないわよ。人を誘拐犯呼ばわりするなんて、どこにそんな証拠があるのよ?」




