89:ハヤ○先生に訊いてみよう
孫達のペースに合わせて動き回るなどと、実に無謀なことをした。
午後3時過ぎ。
真夏ほどではないにしろ日差しは厳しいし、どこも大勢の人で混み合っている。すっかり疲労感を覚えた聡介は、子供たちを娘夫婦に任せ、近くにあったベンチに1人で腰かけた。
はぁ……と、深く溜め息をついた時。
小さな子供の黄色い声が近くで聞こえた。
顔をあげると『せらやん』が幼子達に囲まれている。
噂には聞いていたが、本当に大人気のようだ。
親達は写真を撮るのに余念がない。
何がそんなにいいのだろうかと疑問に思ったが、孫達も喜んでいたし、あの家族連れが過ぎ去ったら一緒に写真を撮ってもらうよう頼んでおこうか。
もちろん、孫達とだ。
自分とツーショットで撮ってもらってどうする。
ふと、長野課長の顔が浮かんだ。
せらやんと一緒に写真を撮ったと聞けば羨ましがるだろうか。
そんなことを考えて聡介はつい、独りで微笑んでしまった。
その時。
「だ~れだっ?!」
急に背後から声をかけられ、肩に誰かの両手が触れる。
咄嗟に和泉だろうと思った。こんなことをするのはあいつしかいない。しかし、少し声が違う。息子はもっと声が低めだ。
手が離れたので聡介が振り返ると、
「……リョウ」
猫のような吊り目を細めて笑っていたのは、リョウだった。
「聡介さん、1人? そんな訳ないよね……あ、わかった。あの時デートしてた金髪碧眼美女が一緒なんでしょ?」
誰のことだ?
一瞬悩んだが、すぐにビアンカのことだと気がついた。
「違う。娘夫婦と孫達だよ。そういうリョウこそ……」
リョウはしなやかな動作で前に出て来ると、聡介の隣に腰かける。
「僕は仕事で、今は休憩中。聡介さんを見つけたから、思わず声かけちゃったんだ」
「仕事?」
確かに彼は作業着にジャンパーを羽織った、仕事着姿だった。
「お掃除とか、頼まれたら何だっていろいろやるからね」
「もしかして、着ぐるみの中身も……か?」
聡介としては何気なく問いかけたつもりだった。しかし。
リョウはなぜか顔を強張らせる。
「ああいう仕事って、意外に厳しい条件があるんだよ? 身長や体型もそうだし、実は歌って踊れないとダメだったりとか」
「そ、そうか……」
知らなかった。
「ねぇ、そう言えば。猫ちゃんは元気?」
リョウは無邪気に問いかけてくる。
さばのことを思い出して、聡介は思わず俯いてしまった。
「……どうしたの?」
あれだけいろいろ猫の飼い方を教えてくれた彼の顔を見ることができず、地面の方を向いて答える。
「いなくなったんだ、突然……」
結局、まだ見つかっていない。
「もしかして、どこかで迷子になってるんじゃないかと思ったら……まだ子供だし、上手く餌が獲れなくてお腹を空かせていないかとか、他の野良猫にイジメられたりしていないかとか、そう考えたら……」
抱いていた危惧を口に出したら、本気で悲しくなってきてしまった。
「きっと大丈夫だよ」
気休めだろうが、それでもなぜか彼が言うと本当にそんな気がしてきたから不思議だ。
それから、
「……ごめんね」
「え?」
「ううん……なんでもない。でもさ、短い時間だったかもしれないけど、聡介さんに会えて、猫ちゃんも幸せだったと思うよ?」
「そうだろうか?」
「そうだよ。だって世の中には、軽い気持ちで猫を虐待する人間がいるんだよ?」
リョウはその猫に似た瞳に怒りをたぎらせ、語りだした。
「前にネットで見たんだけどさ、野良猫を餌でおびき寄せて檻に閉じ込めた挙げ句に、何度も熱湯を浴びせて殺した奴がいるんだって。おまけにその子、お腹に子猫がいたんだよ?!」
「……ひどいな……」
動物の虐待に始まり、その内、人間に危害を加えるようになった犯罪者を何人か知っている。
そして聡介は、見たこともないその野良猫に同情を覚えた。
「野良猫だからっていうのと……聡介さんみたいな法律に詳しい人にこんなこと言うのは釈迦に説法だろうけど、動物って器物扱いじゃない。だから、たいした罪にもならなかったんだよ!? そんな奴、極刑にしちゃえばいいのに!!」
確かに猫は【器物】だ。
ふと、聡介には引っかかることがあった。
【聡介さんみたいな法律に詳しい人】
警察官である以上、法律を理解していなければ話にならない。
彼に自分の職業を明かしたことはない……はずだ。何かのはずみでポロっと漏らしたことがあっただろうか?
こちらがじっと彼の横顔を見ていることに気づいたのか、
「……僕、何かおかしなこと言った……?」
「いや、そうじゃない」
少しだけ2人の間に沈黙が降りた。
「リョウは猫が、本当に好きなんだな……」
すると彼は笑って、
「うん、大好きだよ。もしかしたら人間よりも好きかもね」
「……そんなことはないだろう。人が好きじゃなければ、そんな仕事はできない」
聡介は彼の背中に書いてある【猫の手】とロゴを指差した。
そうかなぁ? と彼は首を傾げる。
「元はと言えばね、忙しい時に【猫の手も借りたい】っていうじゃない。それって、要するに猫は人間にとって何の役にも立たないって言ってるようなもんだよね。そんなことないって言う意味を込めて、この屋号にしたんだ。そもそも猫に関する慣用句って、ネガティブなのが多すぎるよね。猫の額とか、泥棒猫とかさ」
「……確かにな」
その成り立ちと言うか、由来については深くは知らないが。
そして聡介はふと、思い出した。
山西亜斗夢の事件が発覚した翌日のこと。
聡介がリョウに再会したのは、被害者に対して強い殺害動機を持っているであろう、熊谷少年の自宅の前だったことを。
家の中から飛び出してきた子猫を捕まえ、母親に手渡していたことも。
「なぁ、そう言えば前に……熊谷さんっていう家の前でも出会ったよな?」
「……え? 誰それ」
「尾道の、海岸沿いに文房具店があって、そこの自宅の方で」
リョウは無表情になった。
「なんでそんなこと訊くの?」
「すまんな、深くは考えないでくれ。とにかく……」
それからしばらくして、
「子供の勉強を見て欲しいって」
「……子供の勉強?」
「小学校低学年ぐらいなら、たいした学のない僕だって教えられるよ。頼まれたら何でも引き受けるって言うのがウチの店のウリだからね」
その話を疑う理由はない。
そもそも、どうしてそんなことを急に思い出したのかも、今のところは謎だ。
ただ。
どことなく感じる【違和感】というのだろうか。
説明できないモヤモヤしたものは感じる。
何度もこうして出会うのが偶然ではなく、むしろ作為的なものなのではないのかと……。
こちらの行動を見張られている?
だが、仮にそうだったとしても理由がわからない。
彼がそんなことをする動機が。
「よいしょ、っと」
リョウが立ち上がってポケットから小銭入れを出す。
聡介はそれを留めて、
「何が良い? 買ってくるぞ」
「ホント?! 僕、オレンジソーダがいい」
自動販売機はすぐ目の前にある。
オレンジのイラストが書かれたジュースと、麦茶を購入する。
嬉しそうにジュースを受け取ったリョウは、
「僕も、聡介さんの家の子供に生まれたかったなぁ。こんなに優しいお父さんだもん」
聡介は思わず彼の横顔を見た。
「お父さんは、そんなに厳しい人だったのか?」
「職業軍人だったから」
「……軍人? お父さんは外国人だったのか?」
「日本人だよ。自衛隊だよ、自衛隊員」
「ああ、だからなのか」
ジュースの缶を口元に近付けていたリョウは、動きを止める。
「え、どういうこと?」
「リョウは元々、海上自衛隊にいたんだろう? やっぱり自衛隊でも2世は歓迎されるのか?」
「……なんで? 僕が昔、海自にいたって……」




