79:諭される隊長さん
富士原のことを思い出したら気分が悪くなった。
北条が顔をしかめると、聖が怪訝そうに訊ねてくる。
「……いかがなさいました? 北条警視」
「何でもないわ、ごめんなさい」
「ひょっとして学校の方で何かありましたか?」
何かあったかといえばいろいろだ。
特定の学生に対する虐待とも言える仕打ち。
ムカつくような怒りを覚えた回数は、両手だけでは数えるに足りない。
この際だ、打ち明けてしまおう。
「そうよ。ねぇ、聖。富士原って聞いたことある? 今は警学で教官やってるけど、確かその前は、どこかの所轄で地域課にいたっていう」
県警職員が何千人といる中、ピンポイントで名前を出したところですぐにわかってもらえるかどうかという杞憂は、まったくの無意味だった。
「……はい。富士原巡査長ですね、わかります」
もしかしてこの男の頭の中には、全職員の名簿がインプットされているのではないだろうか。
そんなこちらの驚愕などには気付いた様子もなく、聖は淡々と続ける。
「ここだけの話ですが、我々の間では限りなく黒に近いグレーとして、要注意人物として挙げられています」
「何をやらかしたの?」
「人事1課に届いた告発文によれば、地域課の前にいた生活安全課で……違法就労者を雇っているバーや、違法ドラッグを取り扱っている店舗に対し、事前に監査の日程を漏らしていたと」
あいつならいかにもやりそうだわ、と思ったが、口に出して言うのも品がない気がしてやめておいた。
「また」
「また……って、まだ何かあるの?」
「地域課での話ですが。若い事務員に対し、本来ならば複数人で扱うべき件を1人でやらせたり、日々罵声を浴びせたり、時には手をあげることもあったそうです」
「……上は黙っていたの?」
「地域課長が握りつぶしていたそうです。そして何より、決定的な証拠が見つかりませんでした」
「見つからなかったというより、隠ぺいしたんじゃないの?」
「その可能性は高いと思われます」
ふと北条は思った。
「その事務員、今はどうしているの?」
「既に退職して、別の職に就いています」
良かった。思わずほっと安堵の息をつく。
もしその男が問題の闇サイトにアクセスし、富士原の殺害を依頼していたら? 咄嗟に頭に浮かんだのはそんな懸念だった。
その依頼が受領され、実行されていたら……。
「お疲れのご様子ですね、北条警視」
聖の声に北条ははっ、と我に帰る。
「……ちょっとね」
「ご無理をなさいませんように。後はお任せいただければ、私1人でも」
「ううん。やっぱり、自分の目と耳で確かめたいの」
「……もしかして昨日、何か大きなことがありましたか?」
そう言えば。相馬が尾道東署にあらわれたのは、聖が広島に帰ってから後の話だ。
「姿をあらわしたのよ、相馬が」
「えっ……?!」
めずらしい。
何にも動じないタイプの彼が、こうも驚愕を表に出すなんて。
「逮捕された長門って言う奴の身元引受人だって言うのは聞いてるでしょ? それで昨日、署に自らやって来たわけ……」
話していなかっただろうか?
相馬が姿をあらわした途端、それまでずっと黙秘していた容疑者が突然、供述を始めたことは。
「……どうしたの?」
「北条警視。マルAとマルB……相馬要と半田遼太郎の件について、どなたにお話しされましたか?」
「今のところ謙ちゃんだけよ」
本当は和泉と聡介にも話そうと思っていたのだが、タイミングがつかめていない。
「まさか……」
北条には聖がやや焦っているように見えた。
「我々の動きを察知して、相馬自らが偵察に……?」
いつの間にかスピードが落ちていたらしい。高速道路の上、後ろを走っていた車が次々と追い越して行く。
「察知って、そんなバカな。この件を把握しているのはごく一部の人間だけよ? それにあんたが盗聴に警戒しろって言うから、備えは万全だったはずだわ」
情報と言うのは、と聖は呟く。
「思わぬところから漏れるものです。そして、信じたくはありませんが……」
内部にスパイがいる?
北条は黙りこみ、そして2人とも無言になった。
とにかく、この件に関しては今以上に慎重に動かなければなるまい。
※※※
世羅の地に到着した。まず、どこから着手すべきだろうか?
ここでは知りたいこと、訊きたいことがたくさんある。
長門のこともそうだが、2年前にあった反対運動の際、亡くなったという地主の話。事故として処理されたが、所轄では殺人を疑う声もあったと。
黄島が最初に言ったことを思い出す。
『血と硝煙の匂いがしました』
「町役場へ行きましょう。地元のことに詳しい人物を紹介してもらえるかもしれません」
聖が言い、北条も頷いた。
そこで紹介してもらったのは、郷土史を研究しているという地元の名士だ。かつては高校で歴史を教えていた教師だと聞く。
教えてもらった住所に到着した。
太田垣と表札に書かれていたが、このあたりではメジャーな名字なのだろうか。
チャイムを押して出てきたのは和服姿の古風な老人であった。
「ああ、あの開発騒動か……もう何年前になるかのぅ?」
「当時、この男性がここを訪れたりしませんでしたか」
北条が相馬の顔写真を見せると、
「……知らんな」
老人はパッと写真を見ただけで、即座に否定してしまった。
嘘をついている。
直感的にそう思った。
「ご主人は、反対派でしたか? それとも賛成派でしたか」
「……何がじゃ?」
「世羅高原の開発事業についてですよ」
ふん、と老人は鼻を鳴らす。
「あんなもん、公にしていないだけで裏では既に認可が下りて、決まっとったもんじゃろう。高速道路だってほうじゃ。結局、反対したところで勝手に工事は始まるし、現場に座りこんだところで力ずくで排除されるのがオチじゃ。あんた、3、4年前に山口であったあの事件のこと、覚えとるじゃろうか?」
「……何ですか?」
今から3年前。
やはり高速道路建設を巡り、隣の山口県でトラブルがあったのは知っている。既に着工の準備が進みつつあった時、地元の反対派市民が集まり、座り込みを始めた。
機動隊員と反対派住民が衝突し、死者こそ出なかったものの、怪我人が多数出た。
その際、機動隊員の1人が反対派住民に向かって差別的発言をしたということで、随分と話題になったそうだ。
その頃、北条は日本にいなかったので詳しいことは知らない。
「あの時と同じじゃ。賛成派はヤクザみたいな奴らを連れて、このあたりの家の住人を脅しにきよった。県の方も既に許可を下ろしとって、警察を遣わしてきおった。あいつらも県とあしたかグループの手先じゃった。ほんまに、どいつもこいつもワシらのことをバカにしおって……!! 特に警察は、あれは国家の犬じゃ、税金泥棒じゃ!!」
ぐっ、と背後から肩をつかまれ、北条は我知らず怒りに震えていたのだということに気がついた。
「お忙しいところ、ありがとうございました」
それから車に戻った途端、聖は言った。
「あの町での聞き込み、情報収集は私におまかせください」
確かに彼なら、それこそ忍者のように手際よくこなしてしまうことだろう。そして、と彼は続ける。
「北条警視は、学校へお帰りになった方がよろしいかと思います」
「別にあんたの能力を疑ったりしていないわよ。ただ……」
「何ごとにも【時】というものがあります。今は、焦ってはいけません」
焦っているのだろうか?
北条は自問自答した。
そうかもしれない。実際に相馬の姿を見て、その声を聞き、何とも言えない複雑な気持ちになったのは確かだ。
「学生達も北条教官のお帰りを心待ちにしているのではありませんか? 今は、目の前のできることを少しずつこなしていくのが大切なのではないかと思います」
ああ、そうだ。
これと言って大きな問題は起きていないと冴子は言っていたが。それでも、あの富士原のようなクズをのさばらせておくわけにもいかない。
「……あんたの言う通りね。学校に戻るわ」
聖はほっとしたようだった。




