69:隊長さんがやってきた
尾道東署捜査本部。
刑事達は既に聞き込みに出かけており、残っているのは自分と署長および管理官など、幹部クラスぐらいだ。
相棒であるはずの和泉はまだ姿を見せない。
いったいどこで何をしているのか。少しいらだった頃、部屋の入り口に思いがけない人物の顔を見て、聡介はつい「えっ?」と声を出してしまった。
「おはよ、聡ちゃん」
「……北条警視……? どうして」
「顔が見たくなったから、って言うのは冗談で。今回の事件について少し……思うところがあってね」
聡さん!! と、続けて入って来た和泉がなぜか身を縮めて背後に隠れる。
きっと警察学校からこちらまで彼を一緒に連れてきたのだろう。だからか、他の捜査員に比べて遅れてきたのは。
しかし北条は印刷された資料をめくるでも、ホワイトボードの記述を読むでもなく、なぜかじっとこちらを見つめている。
「聡ちゃん、大丈夫?」
「……なぜです?」
「ああ、うん……それは、そんな顔してるように見えたから」
確かに『何か』は、いろいろあった。
不意に北条の手が伸びてきて、聡介のジャケットの襟に触れる。
「猫の毛……」
そう言えば昨日も同じジャケットを着ていた。
すみません、と聡介はそそくさと身体の向きを変えた。
「事件の概要は聞いているわ。ところでガイシャ宅に届いた例の脅迫状……黒い葉書って言うのを見せてもらえるかしら?」
「黒い葉書……なぜです?」
「気になるのよ」
そこで聡介は写真を見せた。現物は鑑識が保管している。
彼はしばらく無言で写真を眺めていたが、何も言わずに返した後はこちらに背を向けた。
「あ、ゆっきー!!」
そこへ、いつもの呑気な口調でやってきたのは長野課長である。
「謙ちゃん。アタシにも少し、手伝わせてほしいんだけど……かまわないかしら」
「そりゃ、ゆっきーが手伝ってくれるんならありがたいけど、学校とHRTの方は大丈夫なん?」
「……何かあったらすぐに離脱するから」
なぜだろう?
かく言う彼こそ、いつもの快活な表情はなりを潜め、どことなく暗い顔をしているように見える。
聡介は不思議な気持ちで特殊捜査班を率いる隊長の横顔を見つめた。
「聡ちゃん、ほんなら頼むで」
課長に声をかけられ我に帰る。
今日は被害者の両親に会って話を聞くよう命じられていた。
本音を言えば気が進まないが、命令であれば従わない訳にはいかない。
和泉に声をかけて、聡介は捜査本部を出た。
尾道市内にも高級住宅地と言うのがあるらしいが、聡介はそれがどこなのかを知らない。
あの見栄張りな一族はきっと不便な山の中になど住んではいまい。
そこで住所を調べたところ、被害者、山西亜斗夢の自宅は十四日元町という言わば市の中心部にあった。そこは駅前から続く商店街の一番街とセンター街の間を縦に走る道路沿いに位置し、希少な平地でもある。
新築間もないであろう、洋館を思わせる瀟洒な建物はおそらく母親の趣味だと思われる。
インターフォンを押すとすぐに扉が開いた。
そして出てきたのは被害者の母親ではなく、気まずいことに曾祖母の方だった。
「あら、あなたなの?」
山西信子……聡介にとってかつての義母は眉をひそめ、和服の袂で口元を覆う。
その表情にははっきりと嫌悪感があらわれていた。
「……瑠璃子さんは御在宅ですか?」
一応、聡介も儀礼で手帳を示す。
なるべく目を合わせないようにして。
「事件のことでしたら、私がお話しします」
居丈高な調子で信子が答える。
冗談じゃない。
「亜斗夢君のお母さんから直接、話を聞かせてください」
すると、
「あなたまさか、自分に都合の良いように話を書き換えるんじゃないでしょうね?!」
「仕事に私情を挟むような真似はしません!!」
思わず大きな声が出てしまった。
「まぁ、下品な……」
野良犬でも追い払うような仕草を見せる彼女を見て苛立ちを覚えたのは一瞬のことだった。
それというのも、
「下品っていうのはこういうのを言うんですよ? 引っ込んでろよ、クソババア」
ね? と隣に立っていた和泉がにっこり笑ったからだ。
そうなると思ったしどこかで期待してもいた。
聡介はつい、笑い出しそうになるのを堪えた。
「何なの、何なのあなた!?」
「警察ですが」
「名前は、階級は?!」
「さきほど手帳をお見せしましたが? ご老眼のせいでよくお見えできませんか? だからといって口でお答えしても、お耳に届くかどうかとても不安です」
聡介は思わず和泉の太腿を手の甲で叩いた。どうでもいいが敬語がおかしいぞ。
「ぶ、ぶ、無礼な……っ!! 私を誰だと……?!」
「お祖母さま」
後ろからあらわれたのは被害者の母親、山西瑠璃子だった。
「私が応対します、中へどうぞ」
いいのだろうかと思いながら、2人揃って靴を脱いだ。
通された天井の高いリビングには被害者の父親がソファに座っていた。手にはスマホ。何を見ているのか知らないが、熱心に顔を近付けている。
瑠璃子は夫の手からスマホを取り上げた。
すると彼はまるで子供のようにキョロキョロと落ち着かない様子を見せた。
「あなた、しっかりしてよ!! 警察の人よ?!」
「警察……何だっけ?」
「ふざけないで!! 亜斗夢の、私達の子供のことよ?!」
何だこの男は?
聡介は思わず和泉の顔を見た。彼もまた、理解に苦しむという表情をしている。
「改めてお訊ねしますが」
聡介が質問を切り出すと、
「瑠璃ちゃん、言葉には気をつけなさいよ!? まるであなたの落ち度か何かみたいに記録される危険性があるのだから!!」
台所から彼女の祖母が野次を飛ばしてくる。
「ご子息の、亜斗夢君の亡くなられた前の晩の行動を教えてください」
瑠璃子ははい、と答えて真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
やはり遺伝子だ。その眼差しがかつての妻を思いださせる。
目を逸らしそうになったのは一瞬のことで。
今日は、真っ直ぐに見つめ返すことができた。
「あの日は……家庭教師が来られる日でした。時間は午後6時から8時まで。時間通りに到着なさって、終わったのは……8時ぐらい……です」
「その時、何か変わった様子は?」
「何もありませんでした」
「その家庭教師はそのまま、帰って行ったのですね?」
「はい」
「お子さんがいなくなったのに気が付いたのは……?」
するとなぜか、瑠璃子は返答に迷っている様子を見せた。
「どうしました?」
「……正直に答えればいいだろ」
それまでずっと黙っていた夫であり、父親が口を開いた。「友達と飲みに出かけて、帰ったら午前様で、朝まで気がつかなかったってさ」
青ざめ、無言でいる母親を見ていて事実だと聡介は思った。
「政義さん、あなたは黙っていなさいよ!!」
またも外野から余計な口が挟まれる。
すると、和泉が急に立ち上がった。彼は台所の方に向かうと、
「事情聴取の最中です。ジャマをなさるのなら、公務執行妨害に当たりますよ?」
これには、かつての義母も黙らざるを得なかったようだ。胸のすく思いだ。
「家庭教師のことをもう少し伺えますか? どんな人物ですか」
「広大を卒業したっていう若い男性で……お名前は、確か鈴木さん」
「どこから派遣されているのですか?」
「あの、テレビでよくCMしてる【家庭教師のドライ】っていう会社の……福山に支部があると聞いています」
「いつから来ているんです?」
「あの子が3年生に上がった頃……今年の春からです」
「外見は?」
「背が高くて、顔は……一度か二度しか見たことがありません。あなた覚えてる?」
瑠璃子は夫の膝を揺すったが彼は無言で首を横に振る。
頼りにならないわね、と言いたいのだろう。ぱしん、と強く叩く音が響いた。
「ところで。お子さんの、学校での日頃の様子はいかがでしたか?」
実を言うと昨日の時点で、他の刑事……友永と駿河のコンビが担任教師から話を聞いてきている。
教師曰く、活発で率先してリーダーシップを取ってくれる元気の良い子……だそうだが。
友永に言わせれば『落ち着きがなくて、何でも自分の思い通りに進めたいワガママな、手に負えないクソガキ、って言うのを綺麗な単語で飾り立てた』だけなのだそうだ。
なるほど。
聡介も深く納得したものだ。




