53:休みやすみいこー!
いつもなら『上に立つ人間はじっと部下からの報告を待て』と諭す課長が、今日は外に出ることを許してくれた。
それでいて指名された相棒はやはり和泉である。課長の心遣いに感謝した。
もっとも他の刑事では面倒見切れない、と言うのもあるだろうが。
揃って現場周辺の聞き込みに出かける。忙しく動き回っている方がよほど気楽だ。
久しぶりだ、2人でこの地を歩き回るのは。あれこれと懐かしい思い出が甦るが、今はそれどころではない。
祇園橋バス停から山陽本線尾道駅に向かう地域には、線路沿いにところどころ背の高いマンションが建っている。昔、この辺りは一軒家ばかりだったのにな……と聡介は思いながら、目撃情報を探して回る。
駅から近くわりと新しい、とある一軒家を訪ねた時、思いがけない返答があった。
「関係あるかどうかわかりませんけど、実は今朝、うちの子が妙なことを言ってたんですよ……」
「妙なこと?」
「ゆうべ『せらやん』が、外を歩いてるのを見た、って」
せらやん?
聡介は和泉の顔を見た。彼はさっそくスマホの画面に指を滑らせる。
「夢でも見たんじゃないかと思うんですけどね」
「お子さんが目撃したというのは、何時頃のことですか?」
「昨夜って言っていましたけど……何時でしょうね? 夜10時には寝るように言いつけてあるんですけど」
「他に何かおっしゃっていましたか?」
「さぁ……なんだかせらやんがスキップしてたとか、踊ってたとかなんとか。でもほら、子供の見たことだからあてにはなりませんよ」
聡介たちは礼を述べてそこを辞した。
「せらやんっていうのは、これです」
和泉が差し出したスマホの画面をのぞきこむ。花をモチーフにしたキャラクターが映っていた。
「本当の話なんだろうか?」
聡介は息子の顔を見つめる。
「……死亡推定時刻がまだはっきりしていませんので何とも言えませんが、もし夜遅くに外で殺害されたのだとしたら、小学3年生の子供が外出するには遅すぎる時間帯……ということになります」
「塾の帰り道かもしれんぞ」
「だとしたらきっと親が送迎するはずですよ。今の時代、子供の安全はかつてなく脅かされていますからね」
「確かにな」
「あるいは……仮に塾の帰り道だったとして。考えられる可能性としては、何らかの事情で親の迎えが遅れたとして、その隙に連れ去られた……もしくは自ら犯人について行ってしまった」
さっきの家の主婦が言っていたことが真実なら。
頭の中にイメージが浮かぶ。
着ぐるみをまとった犯人が被害者を外へおびき出し、誘われるままについてきたその子の手を引き、暗闇の中に消えて行く。
背筋がゾっとした。
「……聡さん?」
「え? あ、何か言ったか……?」
「車に戻って休憩しましょう、顔色が悪いです」
まだ大丈夫だ、と反論したいところだったが軽い眩暈を覚えた。
駅前に加えて狭い道路なので、路上駐車はできず、コインパーキングに和泉の車は停めてある。そこまで歩くことを考えたら少し気が重い。
それほどに体調に不具合をきたしているのか、と聡介は愕然とした。
今朝は何ともなかったのに。
前を向いて歩こうと、決めたばかりなのに、
すると、
「……おんぶと抱っこ、どっちがいいですか?」
などと和泉が訊いてくる。
「どっちもいらん」
「じゃあ、そこで待っててください。車をとってきます」
そう言ってくれるのが正直ありがたい。聡介は近くにあった壁にもたれ、ボンヤリと宙を見据えた。
車はすぐにやってきた。助手席に座り、シートベルトを締めた時、
「聡さんは、周君とよく似ていますね」
「……どこがだ?」
「いつも他人の心配しているくせに、自分の調子が悪い時は、誰にも頼ろうとしない」
聡介はつい苦笑してしまった。
「それ、こないだビアンカさんにも言われたぞ……」
「ビアンカさん? いつの話です……?」
「つい昨日の夕方だ」
すると、なぜか和泉は苦い顔になった。
「……彰彦?」
「聡さんは……イノシシに襲われる運命かもしれませんね」
「……???」
※※※※※※※※※
「とりあえず、休憩したら……次はどこ行きましょうか」
和泉は少しだけ回復した様子の父の横顔に話しかける。
「そうだな……」
ふとその時、急に車の前に飛び出してきた人影があった。
スピードは出していなかったが、和泉は驚き、急いでブレーキを踏んだ。
「大丈夫ですか?!」
窓を開けて声をかける。
すると、こちらを振り向いたのは見知らぬ顔の中年女性だった。
「あなたは……」
聡介が呟き、シートベルトを外して車から降りていく。
近所の主婦だろう。ところどころにシミのついたエプロンに、すっかり色あせたジーパンと、足元はサンダル。
和泉は黙って様子を見ていた。
「あなた、有村さん所の奥さんの……お父さんでしょう? 警察の方だっていう」
『有村さん所の奥さん』というのは、さくらのことだろう。
知り合いだろうか?
「おかげ様で問題は解決しました。お礼を言います、ありがとうございました」
父は困惑している。
「いや、あの……」
「やっぱり、世の中にちゃんと『正義』ってあるんですねぇ……」
主婦は笑って頭を下げ、それから去って行く。
その笑顔はどちらかというと不気味だった。
「……なんだったんですか? 今のは」
「それが、俺にもさっぱりわからないんだ。今朝も祇園橋で彼女を見かけ……」
言いかけて聡介は口をつぐんでしまう。
まぁいい。今はどうやら、いろいろな意味で本当に具合が悪そうだ。
こんな時に即効性のある薬と言えば……。
「僕、さくらちゃんと伊織君に会いたいです」
「え……?」
「行きましょう」
返事を待たずに和泉は車を走らせた。
「お父さん……何か忘れ物? あ、和泉さん!! お久しぶりです」
何年経過してもあまり姿形の変わらない聡介の長女は、今年2歳になる息子を腕に玄関へ出て来てくれた。
「ちょっとだけ休憩させてもらっていい?」
「もちろん。どうぞ中へ」
最近、片言ではあるが少しずつしゃべるようになってきた聡介の孫は、随分と和泉に懐いてくれる。伸ばしてくる小さな手を握り返してから腕に抱く。すると彼は嬉しそうに微笑んでくれた。
基本的に和泉は子供が大の苦手だ。
が、この子だけはなぜか生まれて間もない頃から懐いてくれるので可愛がっている。
居間に通され、ソファに腰を下ろすと、隣の和室から子猫が走ってきた。
子猫は聡介の足元にまとわりつく。すっかり飼い主として認識しているらしい。
「いい子にしてたか? さば」
結局、名前を【さば】に決めたのか。
「ねぇ、お仕事のことを聞いちゃいけないのはわかってるけど……お父さんも和泉さんも、しばらくはこっちにいらっしゃるんでしょう?」
温かい緑茶を人数分淹れて運びつつ、さくらが訊ねる。
「……ああ、そうだな……」
「じゃあお父さん達、ここに泊まってよ。着替えも用意するわ。サイズ、変わっていないでしょう?」
そう言えば聡介は、若い頃から少しも体型が変わっていない。
「優作には……?」
優作とは彼女の夫であり、聡介の義理の息子である。
「その可能性があるかもしれないからって、事前に言っておいたの。もちろん了承してくれているわよ」
「さくらちゃんはほんと、デキる人妻だねぇ~」
和泉が笑って言うと、さくらも笑う。
「そう言えばさくらちゃんは【せらやん】って知ってる?」
「ええ、知っています。この子も大好きなんですよ」
すると。聡介の孫はたたっ、とテレビの下の台から何やら絵本のようなものを取り出してきて、見せてくれる。ファンブックまで出ているようだ。
「この辺りの子供に人気みたいで……幼稚園や小学校の交通安全指導にも、せらやんの着ぐるみが来るんだそうですけど……あちこちから引っ張りダコなんだそうです」
「ふーん……ところでさくらちゃん、昨夜……この近くで【せらやん】が歩いているのを見なかった?」
「え?」さくらは目を丸くしている。「私は見ていません……」




