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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
96/126

96、ほぼ露天風呂

 

 よく見ると、タオルには『初瀬屋旅館』と刺繍されていた。


「百合! いくわよ!」

「は、はーい!」


 広い脱衣所は、夕暮れの気配と湯けむりの匂いに包まれている。綺麗子は着替え用のカゴを頭に被って遊んでいたが、百合が裸になったのを見計らって浴場へと手招きした。


 月美と一緒にお風呂に入ることにならなくて百合はひと安心だったが、綺麗子やキャロリンと一緒の入浴は別の意味で少し緊張する。彼女たちは鹿野里でも屈指の元気っ子なので、どんな感じの入浴になるかさっぱり分からないからだ。


(な、なんかドキドキするなぁ・・・)


 百合は旅館のタオルをしっかり抱きしめ、胸などを隠しながら綺麗子についていった。浴場への入り口付近にある足ふきマットはふわふわと柔らかくて、足の裏がくすぐったい。



 西向きと南向きの大きなガラス窓から、金色の夕陽が差し込んでいた。

 湯舟の水面みなも黄昏たそがれ時の大海原のように静かに揺れており、その輝きが湯けむりの中にぼんやりとにじんでいて幻想的である。百合は外がまだ明るいうちに初瀬屋のお風呂に入るのは初めてだ。

 まずは体を洗うのがマナーらしいので、百合は洗い場へ向かった。


「百合ぃ! シャンプーしてあげるデース!」

「えっ! いや、じ、自分でできますけど・・・」

「ほらほら、遠慮しちゃだめデース」


 中学3年生のキャロリンは、笠馬駅前のお洒落な美容院に通っているようで、美容師さんの真似にハマっているのだ。裸の時くらい落ち着いた過ごし方をして欲しいものであるが、キャロリンたちは遊びたくて仕方がないのだ。


 百合はなんだか気恥ずかしかったが、キャロリンが置いた小さなひのきの椅子に座った。鏡越しにキャロリンの綺麗なおっぱいが見えてしまうことに気付いた百合は、視線を斜め下に移した。ハイビスカスの香りのシャンプーが置いてある。


「じゃあ、仰向けに倒しマース」

「あ、いや! 今の感じで、普通に座った状態でお願いします!」

「え~、それじゃ美容師っぽくないデース」

「きょ、今日のところはこの状態でお願いしますっ」

「そこまで言うならオッケーデース」


 お互い裸の状態で色々と動くのは恥ずかしかったのである。


(キャロリンさんって、あんまり照れたりしない人なんだなぁ)


 百合は照れ笑いしてしまった。


 キャロリンがごしごしと髪を洗ってくれたおかげで、百合はとてもサッパリした。体も洗ってくれようとしたのだが、百合は「キャロリンさんが遅くなっちゃうので、どうぞお気遣いなく~」などと言ってのがれた。



「百合ぃー! 来て来て!」


 先に湯舟に飛び込んだ綺麗子が、大声で百合を呼んだ。綺麗子の声は浴場いっぱいに響く。

 タオルを絞りながら「は~い」と返事し、振り返った百合は、窓の向こうに広がる夕焼けの里山を目にして少しうっとりしてしまった。

 影絵のように暗くなった西の山から、オレンジとブルーのグラデーションが滑らかに広がっており、その中に燃えるような赤い雲がいくつも漂っている。


「いくわよ百合、見ててね!」

「どうしたの?」


 百合が湯舟に入るのを待ってから、綺麗子は窓の隅にあるレバーをいくつか引き上げ、窓枠の左端に指を掛けた。


「どりゃ!」

「え!」


 カラカラ~っという音が右へ滑っていったかと思うと、百合の頬に爽やかな夕風が吹き抜けたのだ。


「わぁ・・・!」


 百合は全く想定していなかったのだが、浴場の大きな窓は全て、横にスライドするのだ。綺麗子は初瀬屋のお風呂を何度も使ったことがあるので、百合よりもこの施設に詳しいのだ。


「どう、百合。涼しいでしょ!」

「うん!」


 窓を開けるともうここは屋根付きの露天風呂みたいなものである。湯けむりは宙に大きな渦を描いて、澄んだ外気と混ざり合い、広大な田園へと飛び立っていった。肩から下はポカポカ温かいのに、首から上は新鮮な緑の香りに包まれているので、とてもいい心地である。百合は思わず、涼しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「綺麗子さん、この窓っていつでも開けていいのかな?」

「ん~、いいと思うけど、夜に開けると虫が入ってくるわよ」

「え!」

「中が明るいから飛び込んでくるデース♪」

「なるほどぉ・・・」


 この窓には専用の大型網戸が存在しているらしく、それを取り付けて貰えば開けても平気なのだが、普段は景色を見るために外しているのだ。


「百合は虫苦手~?」

「うーん、ちょっと苦手かも」


 百合は蟻もほとんど見かけないような都会で育ったから、そもそも虫が苦手かどうかもよく分からないのだが、とりあえずそう答えた。


「なるほど、百合は虫が苦手なのね~?」

「な、なぁにその目」

「別にぃ♪」


 綺麗子は何かを企んでいるような目を百合に向けた。ちなみに、綺麗子はそこそこ日焼けをしているから、裸になると肩の辺りにタンクトップの形がはっきり見える。


「綺麗子さんは苦手なものないの?」

「綺麗子は勉強が苦手デース!」


 綺麗子の代わりにキャロリンが答えた。ちなみにキャロリンは美しいブロンドヘアーなのだが、濡れると髪色が濃く見えるようで、いつもと雰囲気が違っている。


「ちょっとキャロリン。私は算数だけが苦手なのぉ。7の段とぉ、余りのある割り算」

「それ低学年の範囲デ~ス」

「分かんないんだもーん!」


 算数の時間の綺麗子はいつも、夏バテ中の子犬みたいな顔をしているのだ。


「じゃあ、キャロリンさんは苦手なものあるんですか?」

「私デース? ん~私の苦手なものはぁ~」

「キャロリンは注射が嫌いなんでしょ!」

「オ~、注射はダメデース・・・」

「注射なんて保育園児でもやってるわよ」

「注射はヴァンパイアの道具デース」

「チクッ♪」

「あ、注射はやめるデース!」


 綺麗子がふざけてキャロリンの腕を人差し指でつっついたのだ。それを見た百合も、キャロリンの肩の辺りに指先でそ~っと触れてみることにした。


「チクッ♪」

「あ、百合もやってくるデース? じゃあ、仕返しデース!」


 三人で腕をつっつき合って笑っているうちに、百合はあることに気付いた。

 先程から恥ずかしがっているのは百合一人であり、綺麗子もキャロリンも、裸の付き合いに慣れている様子なのだ。


 子供たちが一緒にお風呂に入ることは、何も恥ずかしいことではないし、爽やかな風を浴びながら湯舟に浸かり、自分たちの苦手なところを面白おかしく話し合うのは、とても楽しい時間である。意識しすぎている自分がおかしいのかも知れないと百合は思った。


(もう少し、リラックスしよう♪)


 百合は温かい湯舟の中でグーッと足を伸ばして天井を見上げ、深呼吸してみた。自分の体がちょっぴり大きくなったような感じがした。


 百合は少しずつ、鹿野里での過ごし方を理解してきたのかも知れない。




 さて、苦手なものの話で盛り上がってくると、百合は月美の事についても尋ねたくなってくるのである。


「ねえ、月美ちゃんには何か苦手なものってあるの?」

「え、月美? 月美はスーパーお嬢様だから苦手なものなんてないわよ!」

「そうなの?」

「そうよ!」


 綺麗子はお湯をかき分けるようにして歩きながら、楽しげに答えた。

 綺麗子は月美より一つ年下だが、幼馴染みたいなものなので、月美の事には詳しいのである。月美は小学6年生にしては非常に優秀な女であり、旅館業務や家事をそつなくこなす手際の良さと、学校生活で一切弱さを見せない強靭な精神力を持っているのだ。


「あ! 一個あるデース!!」

「あったっけ?」

「ほら、あれデース!」


 キャロリンは綺麗子に何やらジェスチャーした。


「たしかに! 月美の弱点、ひとつあるわ!」

「ほんと?」

「教えて欲しい~?」

「う、うん。教えて欲しい、かも」


 百合は月美に興味津々なのだが、それを綺麗子たちに悟られるのが少し恥ずかしかったので、なるべく何気ない感じで尋ねた。


「月美の弱点はね」

「うん」


 三人は顔を寄せ合って内緒話をした。百合のひざが綺麗子のすべすべの太ももに当たった。


「え! そうなの?」

「そうよ! 月美はお嬢様だから、そういうの慣れてないのよ!」

「へー」

「百合もお風呂上りに試してみなさい!」

「でも、そんなことして月美ちゃんに怒られないかなぁ」

「大丈夫よ! そういう小さなサプライズを乗り越えていけば、今よりもっと凄いお嬢様になれるってわけでしょ。月美のためになるのよ」

「なるほど~」


 するとその時、キャロリンが何かに気付いたようで、窓に顔を寄せた。


「お! さっきの鹿デース!」

「え?」


 窓の外を見ると、先程まで初瀬屋の玄関付近にいた小鹿が、ご機嫌なステップで小川の橋を渡っていた。あの小鹿は月美にたくさんブラッシングしてもらってとてもハッピーなわけである。


「あずきー! やっほー!」


 なんと、綺麗子は窓から身を乗り出して、小鹿にそう叫んだのだ。小鹿ちゃんは「ん? 誰か呼んでる?」みたいな顔で辺りをキョロキョロ見回した。

 それを見たキャロリンも、上半身を湯舟から出して叫んだ。


「ヤッホー!」


 こうなると、百合はいても立ってもいられないわけである。鹿野里の空気に馴染み、ちょっぴり開放的な気分になっていた百合は、キャロリンの隣へいって、湯舟の底にひざをつくようにして少しだけ体を乗り出してみた。そして二人と同じように、叫んでみたのである。


「やっほー!」


 意外と大きな声が出たので、百合は自分でも驚いてしまった。夕暮れの風と一つになって、里を吹き抜けていくような、爽快な気分である。





 さて、小鹿をブラッシングしてあげた月美お嬢様は、ため息をつきながら手を洗っていた。

 百合たちと一緒にお風呂に入るというイベントを回避してしまい、孤独感にさいなまれた月美は、せめて夕食作りの手伝いくらいはしないと落ち着かない気分なのだ。


「手伝いますわ」

「あら月美、ありがとう。でももうすぐ百合たちがお風呂から出てくるから、テーブルを拭いて、椅子の準備をしてくれる?」

「分かりましたわ」


 もうほとんど夕食は出来ていたようなので、月美はダイニングの準備へ向かった。綺麗子やキャロリンの分の椅子を増やす必要があるのだ。脱衣所のほうからキャロリンたちの声が聞こえてくるので、早めに済ませたほうがいい。


(んー・・・)


 月美はとにかく、百合がどこに座るのかが気になった。いつもみたいに斜め前に座ってくれれば助かるのだが、隣になってしまったら緊張して夕食の味が分からなくなるし、ひじがぶつかったりしたら動揺して箸を落としてしまうかも知れない。

 なので、月美は全ての椅子を少しずつ離すことにした。


(よし。これならわたくしのお嬢様っぷりがおびやかされることはありませんわね)


 ひと安心した月美が顔を上げると、エントランスの奥の窓には薄紫色の夕空が広がっており、星が瞬いていた。足元を吹き抜ける涼しい風が、月美のスカートをふわっと揺らした。これくらいの時間が、月美は大好きである。


「いい湯だったデ~ス!」


 キャロリンたちの声で我に返った月美は、前髪を整えながら早歩きで厨房へ戻った。


「百合さんたちが出てきましたわ」

「ありがとう。じゃあ、さっそくお料理運んでくれる?」

「はい」


 月美は全員分のサラダをトレーに乗せて持っていくことにした。


 すると、トントントンッという靴下を履いた足音が真っ直ぐに月美に迫ってきた。驚いた月美は横目でその足音の主を確認したのだが、なんと百合だったのだ。お風呂上りの百合が、なぜか笑顔で月美に近づいてくるのである。


(い、一体何の用ですの・・・?)


 月美は内心非常に焦りながらも、なんとかクールなお嬢様フェイスを保ってテーブルまで行き、敢えてゆっくりとサラダの器をテーブルに並べていった。


「月美ちゃんっ」


 百合はそう言いながら月美に駆け寄ったかと思うと、キスでもするんじゃないかというほどの近距離まで、自分の唇を月美の耳元に寄せたのだ。そして優しくこうささやいたのである。


「ただいま♪」

「ひゃっ!」


 月美はその瞬間、全身がゾクゾクして、頭の中が真っ白になった。

 猛烈に激しくなった鼓動に意識がかき消され、自分が今何をしているのかも忘れてしまった。


(と、と、突然何なんですのぉおおお!!!)


 本当に動揺した時の月美は、クールなお嬢様フェイスのまま赤面し、硬直してしまうのだ。

 実は月美は耳元が非常に敏感であり、湯上りの百合の香りに包まれたと同時に感じた優しいささやき声は、月美のハートをすっかりとりこにしてしまったわけである。



(あ、月美ちゃんが固まってる♪)


 綺麗子のアドバイス通り、百合は月美を動揺させる作戦に成功した。


(月美ちゃんはお嬢様だから、本当にこういう触れ合いに慣れてないんだなぁ♪)


 百合は月美の動揺が恋愛感情によるものであるとは全く気づいておらず、単純な照れだと思ったわけだ。


「百合~ご飯運ぶの手伝うデース」

「はーい!」


 百合は月美に小さく手を振ってから厨房へ駆けていった。


 取り残された月美は、耳に残っている百合のささやきにまだ体をゾクゾクさせており、やがて力無く床に座り込み、両耳を押さえて悶えた。


(は、恥ずかしいですわぁああああ!!!)


 石像のように固まってしまった自分が情けなかったのである。あれでは、耳が弱点であることがバレバレだ。


 百合が少しずつ鹿野里の雰囲気に馴染んでいき、無邪気なコミュニケーションを覚えていくと、月美はこのような状況を頻繁に経験していくことになるわけである。それが月美にとって災難なのか幸福なのか、本人にも判別できないくらいなので、恋愛というのは難しいものである。


 

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