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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
94/126

94、雨の体育館

 

 朝の鹿野里が、優しい雨音に包まれていた。


 初瀬屋の瓦屋根にさらさらと降り注ぐ雨水は、雨樋あまどいを伝って庭園の土に染み込んでいく。その清らかな潤いに根をくすぐられた紫陽花たちは、少しずつつぼみをほころばせ、季節の香りを漂わせていくのだ。


 風はないので、ダイニングの窓はいつも通り開放されおり、静かな雨の雰囲気の中で、百合たちは朝食を楽しんでいる。


「百合は、お吸い物が好きなの?」


 花麩はなふが浮かんだお吸い物を美味しそうに味わっていた百合に、銀花がそう話しかけた。


「え、あ、そうですね。すごく温まります」

「嬉しいわ」

「は、はい・・・」


 少し照れてしまった百合は、ご飯の茶碗を持って顔を隠した。ほんのり立ち上るご飯の湯気が、初瀬屋のダイニングの朝に優しく香った。

 銀花は顔立ちが月美に似ている大人のお姉さんなので、見つめられると百合はドキドキしてしまうのだ。


 そんな百合の様子に気付いた月美が、斜め前の席で小さく咳払いをした。


「百合さん、今日は替えの靴下を持っていったほうがいいですわ」

「え、靴下?」

「雨の日は何があるか分かりませんからね」

「なるほど。わかりました!」

「はい」


 月美は今日もとってもクールで、しっかり者である。



 月美と銀花が親子であるかどうか、百合ははっきりと尋ねたことはない。

 もしかしたら、幼い頃に両親を亡くした月美を、叔母おばである銀花が引き取って大事に育てているというケースかも知れない、と百合は思っている。

 真相が気にならないといえば嘘になるが、月美と銀花が家族であるという事は確かであり、その食卓を一緒に囲っている自分のことを、百合は幸せ者だと感じている。このささやかな真実があれば、百合は満足だ。



「それじゃあ行ってきます!」

「いってらっしゃい。気を付けてね」

「はいっ」


 学校に行く支度を終えた百合は、銀花に挨拶して初瀬屋のエントランスを出た。月美は先に外へ出ており、傘を差して空を見上げている。


「行こうっ! 月美ちゃん」

「・・・ま、まあ、そうですわね。はい」


 近頃、百合は自然に月美と一緒に登校できるようになってきた。話し方も、少しずつ同級生らしくなってきたかも知れない。



 東の山へ向かう緩やかな坂道を歩きながら、百合は鹿野里を見回してみた。


 立体的な奥行きのある雨音が畑の遥か向こうまで続いており、カエルたちはいつも以上に元気な大合唱を披露している。里を囲う山々は、霧のように見える雨に優しく覆われてかすんでおり、正面に見える東の山も、山頂付近は白くぼやけて空の色と馴染んでいた。


 通学路はしっかり舗装されているが、水たまりがあちこちにできているので、足元に気を付けなければならい。百合は、前をいく月美のスカートが雨にギリギリ濡れない様子を何となく眺めながら歩いた。


(んー、ちょっとずつ仲良くなってるけど、まだまだ距離を感じるなぁ・・・)


 もっと気軽に触れ合えるような友達になりたいと百合は思っている。今の百合にとっては、お互いの傘がぶつからないくらいの距離感が精一杯だ。




 さて、今日は体育の授業があるのだが、当然屋外ではできないので、体育館で行われることになる。


「へー! あの怪しい喫茶店の住人、ローザさんって言う女性なのね!? オバケじゃなくて良かったわ!」


 教室で体操服に着替える綺麗子が、昨日の桃園商店に現れた女性の話を聞いて目を輝かせた。ちなみに、中等部と高等部の先輩たちは、体育ではなく別の授業があるので、二階の教室へ移動した。ここにいるのは小学生メンバーの5人だけだ。


「よーし! 今度みんなであの喫茶店に遊びに行きましょ!!」

「あら、でもその喫茶店、オープン直前って噂だから、お邪魔だと思いますわよ」


 月美はいつも教壇の裏にしゃがんで着替えをする。黒板付近は月美の縄張りなので、着替えタイムの時は近づいてはならない。


「大丈夫大丈夫ぅ~! 今のうちから、仲良くなっておけば、クッキーとかくれるかも知れないわ! 百合たちも行きたいでしょ?」

「そ、そうだね。でも、お店がオープンしてからでいいんじゃないかな」

「え~。オープン前から知り合いになってるのがカッコイイのよ。ルネはどう思う~?」


 ルネは返事をせず、自分が脱いだシャツを畳みながら、ぼ~っと天井を見上げていた。ちなみに、ルネは車椅子で暮らしているが、基本的に体育には参加するので、一緒に着替えているわけだ。


「ルネ? 聞いてる?」

「あ! ・・・えーと、そうね。そのうちね。一緒に行くわ」


ルネは少しよそよそしくそう答え、髪をヘアゴムで一つに結んだ。


(ローザさんのお店か。あの人に、また会いたいな・・・)


 ルネは昨日初めて会ったローザという女性が頭から離れないのだ。


 反応が鈍いルネとの会話を諦めた綺麗子は、体操服をわざと前後ろ逆に着て、アテナに近づいた。


「アテナー! な、なんか首がキツイぃい!!」

「シャツが逆」

「助けてぇえ!!!」

「無理」


 アテナはこの学校で最年少の、小学1年生の女の子だ。天使のようなピュアな見た目とは裏腹に、冷静で現実的な性格の持ち主で、綺麗子やキャロリンのような元気な先輩たちからのイタズラに対し、極めて合理的な対処をしている大物だ。


 そんなアテナに、百合は話しかけた。


「ねえアテナちゃん。アテナちゃんも、ローザさんのお店行ってみたい?」

「うん」

「じゃあ今度、皆で一緒に行こうね♪」

「うん」


 百合はアテナと仲良くなりたいと思っており、チャンスがあればこんな風に積極的にしゃべりかけている。自分より5つ年下のアテナに対し、百合はお姉ちゃんのような気分になってしまうのだ。


(ゆ、百合さんとアテナさんが、仲良さそうですわ・・・!)


 月美は教壇の側面から顔を半分だけ覗かせて二人の様子をうかがっていた。ジェラシーが行動に現れるタイプのお嬢様である。




 着替えを終えた小学生5人は体育館へ向かった。


「お、来た来た~」


 ジャージ姿の美菜先生が渡り廊下におり、アキレス腱を伸ばしていた。


「ほら、百合ちゃん。でんでんむし~」

「え・・・?」

「さ、レッツゴ~」


 渡り廊下の柱についていたカタツムリを指差して笑った美菜先生は、スキップしながら体育館の扉へ向かった。


(おー、カタツムリだ~)


 百合は動いているカタツムリをほとんど見たことが無かったので、思わずまじまじと観察してしまった。渡り廊下に響く雨音が、耳に心地いい。


「もうすぐ梅雨だから、元気がいいですわね」

「そうだね。雨が嬉しいんだね」


 カタツムリに意識を向けていた百合は、ふと、自分のすぐ隣に月美がいることに気付いて顔を上げた。


「え」

「ん? 何ですの?」


 渡り廊下を見回すと、綺麗子はルネの車椅子をびゅ~んと押して先におり、アテナも体操服のすそをズボンの中に入れるか入れないかで迷いながらスタスタと前へ進んでいた。カタツムリの前にいるのは、百合と月美だけだったのだ。

 月美は少しだけ百合と目を合わせたが、何かを察したように、慌ててクルッと背を向けた。


「さ、先に行ってますわっ・・・!」

「あ・・・私も行く」


 歩き出した百合は、胸の中がぽーっと温かくなった。本当に何気ない一瞬の出来事ではあったが、百合が足を止めると、月美も当然のように一緒に立ち止まり、寄り添ってくれたのだ。


(月美ちゃんって、いつも私のこと気に掛けてくれるなぁ・・・!)


 少し速足で歩いていく月美の背中を、百合はこっそり、スキップしながら追いかけた。誰にも見られていないので少しふざけてみたのである。




 しっとりした森の香りに包まれた体育館の中は、意外と明るかった。


 児童5人と先生1人だけなので、館内が妙に広く感じられた百合は、月美と綺麗子の間に座ることにした。百合は初めて体育館に入ったので、ツヤのある床や天井のはりの様子まで、まじまじと見回してしまった。


 ステージの横に校歌が彫られた古びた木版が飾ってあり、倉庫の木製扉には、児童たちの卒業制作と思われるゆるいタッチの鹿の絵が描かれていた。花の冠を頭に乗せた鹿がとても可愛い。


「じゃあ今日は体力テストをやっていきま~す!」

「はーい!」


 この学校はなぜか授業開始のチャイムが鳴らないので、美菜先生はいつも意識的に大きな声で号令を掛ける。


 体力テストとは、50メートル走やソフトボール投げなどの記録をとる、例のあれだ。小学生は大抵の場合、去年の春の自分の記録を超えるので、成長を実感できるイベントの一つといえる。


「今日は体育館でできる種目だけになるよ~。じゃあとりあえず、二人組作って下さ~い」


 車椅子のルネはこういう時いつも美菜先生とペアになるので、残りは4人だ。百合が転校してきたことで小学生メンバーは奇数になったのだが、体育の授業においてはむしろ二人組が作りやすくなったといえる。


(つ、月美ちゃんとペアになりたい・・・!!)


 百合は胸をドッキンドッキンさせながら、自分のすぐ左側にいる月美のことばかり考えた。だが、自分から「一緒にやろう!」と言う勇気が出ず、周りが動き出すのを待つしかなかった。


 一方の月美も、ぜーったいに百合とペアになりたいと思っていた。しかし、硬派な月美が自分から声を掛けることなどできないし、つい先程の渡り廊下で、自分が百合のことを常に気に掛けている事実を百合本人に少し勘付かれてしまった気もしたので、ますます動けなかった。


 すると、5年生の綺麗子が1年生のアテナの小さな背中に抱き着いた。


「アテナぁ~、一緒に組もう~」

「百合か月美がいい」

「そんな事言わないでさ~、私と組もうよ~」


 アテナは少しの間イヤそうな顔をしていたが、しぶしぶオファーを受け入れたようで、綺麗子の隣にちょこんと座り直していた。


 となると、必然的に百合と月美はペアになるわけである。


 百合は照れ隠しのためにわざとコミカルな感じで月美のほうに首をパッと向けてみたが、月美は同じ速度でパッと反対側に顔を向けた。その様子が可笑しくて、百合は少し笑ってしまった。


(月美ちゃんも、少し照れてるのかな)


 そう思うと、急に月美ちゃんが可愛く見えてきたのだが、硬派なお嬢様に対して「可愛い」だなんて思ってたら失礼かもしれないので忘れることにした。百合はとりあえず、月美とペアになれてとっても幸せだ。



 が、実はここからが問題だったのだ。


「えーと、じゃあ今日はねぇ。マットを敷いて、上体起こしやろうか」


 あれ、と百合は思った。

 てっきり握力測定や反復横跳びをやると思っていたのに、意外な種目だったからだ。


(ん? 上体起こしって・・・腹筋ってこと?)


 百合の記憶が正しければ、上体起こしとは腹筋を使って体を起こす種目であり、測定される人の両足を補助者が抱きかかえるようにして支えるのだ。相手の足先におしりを軽く乗っけて支える場合もある。


(え!? す、すっごく密着しちゃうじゃん!)


 百合がそう気づいた瞬間、隣の月美も全く同じ結論を導き出したようで、二人とも大慌てで声を上げた。


「や、やっぱり綺麗子さんわたくしと組みません!?」

「きゅ、急にどうしたのよ月美!」

「アテナちゃん、私とペアにならない!?」

「え、うん・・・いいけど」


 綺麗子が目を丸くするような怒涛の勢いでペアが変更されたのだった。月美がこんなに慌てるのは、非常に珍しいのだ。




 1年生のアテナの華奢な足を抱きかかえるように支えながら、百合はまだ胸をドキドキさせていた。一歩間違えたら、今頃月美の足をぎゅっと抱いていることになっていたのだ。


(いやぁ、焦ったなぁ・・・)


 この調子では、月美ちゃんと気軽に触れ合えるようになるのは、ずーっと先のことになるだろうなと百合は思ったが、とにかく一安心である。

 百合はアテナのすべすべのひざに温かい頬を押し当て、ほっと溜息をついた。


「百合、くすぐったい」

「あ、ごめんごめん♪」


 いよいよ上体起こしのスタートかと思ったが、まだ準備体操をしていないことに美菜先生が気付き「皆まず体操するから広がって~」と指示した。


(もう充分、体はポカポカなんだよねぇ・・・)


 月美を意識しすぎて、体の芯までホットになってしまっている百合は、その照れを振り払うように、綺麗子の号令に合わせて大きく腕を回して体操を始めた。

 しっとり濡れた雨の体育館に、少女たちの元気な声が響いたのだった。


 

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