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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
88/126

88、案内人

 

 淡い光が差し始めた障子しょうじの向こうで、小鳥たちが歌っている。


 桜の木の葉が擦れるサラサラという音が、小川のせせらぎと溶け合い、百合の小さな耳を心地よく撫でた。


 畳の香りの中で夢からゆっくり覚めた百合は、水色の薄明りに浮かぶ天井の木目を見上げながら、徐々に昨日の出来事を思い出してきた。


(そうだ・・・私、鹿野里にいるんだった)


 そして百合の胸は、急に高鳴ったのである。


(月美ちゃん、今何してるんだろっ!)


 百合は布団を跳ね除けて、ガバッと飛び起きた。


「あれ、美菜さん?」

 美菜の布団はまだそこにあったが、彼女の姿がない。もう朝食の準備をしてるのかも知れないと思った百合は、慌てて立ち上がった。


「うわっ!」

 百合は何かにつまずいて転んでしまった。よく見ると、美菜は百合の布団の足元辺りに寝転がって、まだ熟睡していたのだ。とんでもない寝相の悪さである。


 美菜はまだ寝ぼけているので、百合は一人で先に一階へ向かった。美菜は普段小学校の先生をしているから、ゴールデンウィークの朝くらいゆっくり寝てもらおうと百合は思ったのだ。



「え! 月美ちゃん、もうお出掛けしちゃったんですか!?」

 朝食は黒糖が香るデニッシュと、謎野菜のポタージュスープだった。

「そうよ。学校に用事があるの」

 今日の銀花さんも、とっても綺麗である。

「今日って学校お休みですよね」

「ええ、もちろん。けれどあの子、水やり当番だから」

「え?」


 学校の花壇や畑に休日はないのである。水やりや草むしりは、学校の近くに住む児童たちが当番制で行うのだ。

(うー! 私もお手伝いしたかったなぁ・・・!)

 百合は非常にもどかしい気分になった。小学校に行ってみたかったし、何より月美と仲良くなれるチャンスだった。残念である。


「百合、今日は荷物の整理?」

「はい。でも、初瀬屋のお手伝いもさせてください」

「それは助かるわ」


 銀花の髪はつやつやサラサラで、エントランスの西の窓から吹いてくる爽やかな風に時折ふわっと揺れていて素敵である。銀花さんが通っている美容院を教えて欲しいなぁと百合は思った。


 銀花は百合と一緒にデニッシュを食べながらしばらく何か考えていたが、やがてこんな提案をしてきた。

「じゃあ、後でお使いを頼もうかしら」

「お買い物ですか?」

「ええ。一人でいける?」

「も、もちろんです」

「不安そうね」

「ちょ、ちょっとだけ」

 百合は照れ笑いした。

 百合は6年生なので一人で買い物することは当然平気なのだが、何しろ鹿野里のことをほとんど知らないし、買い物できる場所がどこにあるのかも分かっていないから、少し不安である。


「かなり近所だから大丈夫だと思うわ。桃園ももぞの商店さんっていうお店があるの。目の前の道路を渡って、そこの坂を少し上がって・・・あら?」

 銀花がそう説明していると、玄関のほうから可愛いサンダルの音が聞こえてきた。


「つっきみー! この私が遊びに来てあげたわよー!」

 太陽みたいに眩しい声が、初瀬屋のエントランスに響き渡ったのだ。


「月美の友達が来たわ」

 銀花はそう言って席を立ち、玄関へ向かった。


(え! 月美ちゃんの友達ってことは、小学生!? わ、私のこと知ってるかな・・・?)


 百合は凄まじく緊張した。こんな形であっさりと鹿野里の子供たちと対面するとは思っていなかったのだ。


「銀花さんおはよっ! 月美いますか?」

 玄関に入ってきたのは、二本のおさげ髪が可愛い小柄な少女だった。百合よりちょっぴり年下かも知れない。

「申し訳ないけれど、月美は今朝、水やり当番で学校行ってるわ」

「ん・・・?」

 少女はエントランスの奥にいる見慣れない人影をすぐに察知したようで、その眼差しをゆっくりと百合のほうに向けた。


「え! ええ!?」

 少女はサンダルをぽ~んと脱ぎ捨ててエントランスに上がり込み、百合に駆け寄った。

「あなただぁれ!? ピアノ教室の生徒?」

「え?」

 実は初瀬屋のエントランススペースでは時々ピアノの教室が開かれているので、この少女は百合のことを、ピアノの合宿か何かで鹿野里に来た子だと思ったようだ。


 銀花はクスクス笑いながら少女のサンダルをそろえた。

「違うわ。その子は百合。美菜先生の親戚の子で、鹿野里に引っ越してきたのよ」

「ええ!! 引っ越してきたの!?」

 少女の日焼けした顔がぐいっと百合に迫った。目がキラキラしていて可愛い子である。

「は、はい。百合です・・・」

「百合ぃ! よろしく! 私、綺麗子きれいこよ!」

 ずいぶん変わった名前だなと百合は思った。


 山田綺麗子は、鹿野里に暮らす小学5年生である。

 クールな月美とは真逆の性格の持ち主で、いつも明るく、泥だらけになって里を駆けまわっている元気な女の子だ。そのくせお嬢様への憧れもあるらしく、月美をちょっぴりライバル視している。


 初瀬屋の二階の一室でこれから暮らすことや、東京からやってきたことなどを説明された綺麗子は、ますます百合に興味津々になった。


「そういう事なら百合! この私が桃園商店まで案内してあげるわ!」

「え、一緒に来てくれるんですか?」

「もちろんよ! 朝ごはん早く食べちゃいなさい!」

 綺麗子はエントランスの床の上で側転したり、銀花の背中に抱き着いたりしながら百合を待ってくれた。綺麗子がどんな人かまだよく分からないが、今の百合にとってはかなり心強い味方である。




 外に出ると、百合の全身を太陽の温もりが包み込んだ。


 飛行機雲の先で輝く白い太陽がまぶしくて百合がそっと目を閉じると、桜並木の青葉を駆け抜けた五月の風が百合の髪を優しく撫でていった。吸い込んだ緑の香りが、胸の中で弾むようだった。


(月美ちゃん、やっぱりいないよね・・・)


 もしかしたら月美がその辺を歩いているのではないかと思い、百合は初瀬屋の前の交差点をキョロキョロ見回してみたが、クールなお嬢様の姿はどこにもなかった。

 交差点には信号が無かったので、妙に空が広く感じられた。日光を浴びる東の山の緑が、とっても長閑のどかである。


 銀花から預かったお買い物のメモには、コーヒー用のミルク、洗濯に使う柔軟剤、そして音楽用のノートなどが記されていた。桃園商店は色んなものを扱ってる店らしい。


「ねえ百合! 百合ってどんな街に住んでたの!?」

「えっと、普通の感じの街です」

「東京タワー、いっぱいあった?」

「え? いや、ひとつしか無かったですね・・・」

「地下鉄って何分待ちなの!?」

「ん~、いつもちょこっと待つ感じですね」

「へ~!」


 綺麗子は目をキラキラさせながら、微妙にとんちんかんなことを、百合にたくさん尋ねた。


「百合って変なしゃべり方するのね。月美に似てる」

「そ、そうですか?」

「今日から私と百合は友達なんだから、『そうですか?』じゃなくて『そうなのぉ?』でいいのよ」

「そ、そうなの~・・・?」

「いい感じ! やればできるじゃない!」

 子供同士で敬語や丁寧語を使うのは、やはり違和感があるらしい。

(なんか照れるなぁ・・・)

 百合は良くも悪くもお行儀が良い少女だから、親し気なコミュニケーションへの躊躇ためらいがあるのだが、綺麗子相手にそんな気遣いは不要なようだ。いわゆるタメ口というやつにも、しばらくしたら慣れるだろう。


「綺麗子さん。桃園商店ってこっちなの?」

「違うわよ!」

「え!?」

 綺麗子は笑顔で百合を先導する。いったいどこへ連れていくつもりなのか。

「百合に見せたいものがいっぱいあるのよ! なんて言ったって、私は生まれた時からこの町に住んでるんだからね!」

「へー、生まれた時からかぁ。じゃあ、大先輩だね」

「大先輩!? そうなのよ! 私は百合の大先輩よ!」

 綺麗子はほっぺをちょっぴり染めながら喜んだ。


 ちなみに、桃園商店は、初瀬屋の前の交差点を東に渡って小学校方面に続く緩い坂道を上がったすぐのところにあるのだが、綺麗子は真逆に向かっていた。


「この川はね、鏡川かがみがわって言うのよ!」

「鏡川かぁ・・・」

 初瀬屋の裏手に流れる小川の名前が判明した。

 鏡川に掛かる10メートルほどの石橋にやってきた二人は、ザラザラした欄干らんかんに手をついて小川を見下ろした。


「わぁ・・・」


 眼下3メートルほどのところに、白く乾いた丸石が無数に散らばった川原があり、美しい水面みなもがちょっぴり蛇行して流れていた。浅くて透き通った鏡川は、子供たちの水遊び場所にぴったりである。


「この川、綺麗な石がよく見つかるのよ。探してみましょ!」

「あ、うん!」


 少し楽しくなってきた百合は、寄り道と分かっていながらも、綺麗子に続いて川原に下りることにした。


 近寄ってみると、辺りには大きな岩も転がっているし、川幅もそこそこあるように感じられた。土手の上の桜の枝や、その向こうの青空がほんのり川面に映っており、静かに流れるせせらぎの輝きに百合はワクワクした。


「綺麗な石を見つけたら舞鶴まいづる先生にプレゼントするのよ!」

「舞鶴先生?」

「保健の先生! この町にいるたった一人のお医者さんだから、偉いのよ!」

「へ~」


 そのうち百合もお世話になるかも知れない。

 百合はほとんど病気をしない健康的な少女なのだが、怪我はかなり心配である。

 例えば、今も綺麗子はウサギのようにぴょんぴょんと川原の岩を渡り歩いて水面みなもを覗き込んでいるが、百合は石に足を取られてなかなか水辺に辿り着けない。自然がいっぱいの鹿野里では、ちょっと油断すると足首をひねってしまうことだろう。都会育ちの百合にとっては、毎日が冒険になるわけだ。


「あ!」

「綺麗子さん、なにかあった?」

「ヤマメよ!」

「ヤマメって?」

「お魚よ!」

 綺麗子はそっと水面に片足を突っ込み、慎重に姿勢を低くすると、一気に両手を川面に突っ込んだ。

「とりゃ!」

 綺麗子が上げたダイヤモンドのような水しぶきが、一瞬だけ小さな虹を作った。


「うぅー! 逃げられたぁ・・・」

「綺麗子さん! 今、虹ができてたよ!」

「え!? どこ!?」

 綺麗子は青空を見上げた。

「そっちじゃなくて、綺麗子さんの目の前! すぐ消えちゃったけど、今の水しぶきで、キラキラ~って」

「おお! じゃあもう一回見せてあげるわ!」


 綺麗子は再び虹を出そうと、何度も川面かわもをバシャバシャと叩いた。百合がいるところまで冷たい水のしずくが飛んできたので、百合がキャッと言って笑いながら飛び退くと、綺麗子はわざと百合に向かって水しぶきを上げるようになった。


 どうやら、二人はすっかり仲良くなれたようだ。


「ふー、これくらいで勘弁してあげるわ!」

 上半身が水浸しになった綺麗子は、満足気にそう言うと、パステルオレンジのシャツを突然脱ぎ、ゆるゆるのタンクトップ一枚になってしまった。


「あ、あの、脱いじゃって大丈夫?」

「ん、なんで?」

「誰かに見られちゃうけど」

「あぁ、大丈夫よ。鹿野里は女の人しかいないもん」

「そ、そういう問題じゃなくて」

 百合は苦笑いした。


 が、綺麗子の今の発言が妙に百合の頭の中で響いた。


「え・・・この町、女の人が多いの?」

「多いっていうか、あれ? 新野菜の話知らない?」

 綺麗子は、シャツの水を搾りながら、キョトンとしている。

「新野菜・・・? 鹿野里で育てられてる野菜だよね。それが何か、関係あるの?」

「ふ~ん、なるほど♪」

 百合の反応を見てなぜか嬉しそうにニヤけた綺麗子は、ウミガメみたいな形をした岩の上で仁王立ちした。

「百合はまだ知らないみたいね。しょうがないわ。この私が特別に、鹿野里のヒミツ、教えてあげる!」

「ヒミツ?」



 秘密というほどではないのだが、今の鹿野里は、まるで女学校のように、女性ばかりが集まっている不思議な雰囲気の地域なのだ。



 鹿野里で育てられている新野菜というのは、どれも「みかづき新野菜」と呼ばれるもので、偶然にも百合の両親が研究のために出かけた三日月島を原産地とするものである。そしてこれが、非常に珍しい特徴を持った植物だったのだ。


 「みかづき新野菜」は、栄養価の異様な高さから注目を集め、数十年前から日本各地で栽培方法が研究されるようになったのだが、これがかなり難航した。三日月島の環境を、土壌を含めて完璧に再現しても、上手くいかないケースが多かったのだ。


 また、ほぼ完全に同じ条件のはずなのに、ある農業大学の研究室では大豊作になり、別の研究所では1割程度しか実らなかったりと、成功する場合と失敗する場合の明確な規則性が、長年分からなかったのである。


「で、ようやく判明したのよ。三日月島の野菜の栽培は、なるべく女の人が担当したほうが良く育つってね!」

「え・・・そ、そんなこと本当にあるんですか?」

「あるのよ! 女の人が毎日やさし~く声掛けて、いいこいいこ~って育てた時だけ、豊作になるんだから!」


 嘘みたいな話だが、実際にあるのだ。

 例えば、猫科の動物は高音のほうが良く聞き取れるので、声が高い女性に懐きやすくリラックスもしやすい、というように、生物は意外と、周囲にいる人間の特徴からたくさん影響を受けている。解明は進んでいないが、三日月島の植物にもそれと似たような性質があるようだ。


 世の中の農業マニアの男性諸君には申し訳ないが、三日月島の野菜や果物たちは、女の子が大好きな、わがままちゃんなのである。なので、残念ながら栽培や研究は今のところ女性が担当することとなっている。男女平等の精神を思いっきり無視する超生意気な植物たちを、どうか広い心でお許しいただきたい。収穫した新野菜は笠馬市の直売センターで自由に購入できるので、そちらを楽しんで欲しい。



「ふーん。・・・どうしてこの町で、その新野菜っていうのが育てられるようになったの?」

「お、それも気になるのね! 教えてあげるわ!」



 鹿野里が、みかづき新野菜の栽培に力を入れるようになったのは十数年前からである。


 鹿野里は人口がほとんどゼロの限界集落だったが、思い切った村おこしとして、『手が空いている女性の農業家を集め、新野菜の一大産地を築こう』という実験的栽培方法に着手したのである。都市部からそれほど離れていないにも関わらず自然が豊かで、四方を山に囲まれた地形だったから、特別な農業にチャレンジするにはぴったりだったのだ。


「そしたら大成功しちゃったのよ。今じゃあここは、みかづき新野菜の名産地よ!」

「へー・・・!」


 綺麗子はまるで学校の先生であるかのように胸を張り、得意になって百合に解説した。ちなみに、綺麗子ちゃんの胸はかなり小さめである。


「里に人がどんどん増えてって、廃校になってた古い学校が、私が生まれる頃には再開してたのよ」

「すごーい、社会科の先生みたいだよ綺麗子さん」

「ぐへへ♪」


 都会から引っ越してきた美少女に褒められて、綺麗子はすっかり上機嫌だ。


「鹿野里のことなら、大先輩であるこの綺麗子になんでもきなさいね」

「はーい!」


 シャツを脱ぐ流れから、思いがけず大講義になってしまった。


 鹿野里はもちろん男性も立ち入ってオーケーなのだが、世界的にも有名な新野菜の研究を邪魔しては悪いと思い、ほとんど立ち入る人がいないから、結果的にここは女学校みたいな雰囲気の里になっているのである。平気でタンクトップ一枚になれる綺麗子の心理は、こんな感じで説明できるわけだ。


 正直百合は、綺麗子の話を半分くらいしか理解できなかったが、これから先、自分がこの町で出会うのは、ほとんどが女の人なんだということだけは分かった。本当に不思議な町である。




「ん~、今日は綺麗な石が見つからなかったけど、虹が見られたから良しとするわ!」

「うんっ」

「橋に戻るわよ!」

「はーい」

 百合と綺麗子は、草の匂いがいっぱいの土手を駆け上がった。


「それじゃあ次はぁ!」

「桃園商店だね!」

「あっちに行くわよ!」

「え」


 綺麗子は、しだれ柳が並ぶ川沿いの小道を指差してスキップし始めた。どう考えてもあっちに桃園商店はない。


(面白い人だなぁ~)


 綺麗子と月美が友人であるという事実に、百合は結構驚いている。あの二人が普段どんなことをしゃべっているのか、想像できないからだ。


(・・・月美ちゃん、今どこにいるんだろう)


 百合は、柳の木の下で東の山を振り返り、ふもとに見える白い木造校舎に目をやった。太陽に照らされた学校は、銀色のハーモニカみたいに輝いて見えた。早く学校にも行ってみたいものである。





 さてその頃、鹿野里で一番クールなお嬢様を自称する月美は、意外な場所にいた。


(き、綺麗子さん・・・もうあんなに百合さんと仲良くなってますのっ!?)


 水やり当番を終えて初瀬屋に戻ってきた月美は、石橋付近にいる百合たちを偶然見つけたのだ。今は桜の木の幹から顔を半分だけ出して二人の様子を窺っている。


(鹿野里の案内は、わたくしがするつもりでしたのに・・・!)


 ジェラシーに胸を焦がす月美は、百合たちと合流する勇気も出なかったので、こっそり二人の後をつけていくことにしたのである。


 

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