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51、整備場

 

 機馬の整備場にはココナッツオイルに香りが漂っている。


 ここは昔、ゴンドラを格納するための倉庫だったため内海に隣接しており、おまけに上の階はアコースティックギタークラブの部室になっているから、波音とギターの響きでいつも賑やかである。


「百合ちゃん、わざわざ持って来てくれてありがとう」

「いえいえ♪ 一度ここに来てみたかったですから」


 百合は整備場の赤レンガの壁に飾られたサーフボードに見とれていたが、翼の声で我に返った。


「私のほうから寮へ出向くのがすじだったよ」

「お安い御用ですよ♪ 木工用のニスはうちの寮にいっぱい余ってますし」

「助かったよ」


 高い天井ではシーリングファンが回っており、壁付けタイプの飾り棚には、ガラス細工のイルカがたくさん並んでいた。


「なんかここ、不思議な建物ですね。南国の美術館って感じです」

「そうだねぇ。オアフ島のちょっとマイナーなビーチにこういう美術館がありそうだ。まあ私ハワイ行ったことないんだけどね」

 翼は巨大なコンパスのようなものを使いながら機馬の車輪に歪みが無いかチェックしている。彼女は色んな部活を掛け持ちしているが、体育祭の直前である今は、主に機馬部のメンバーとしての活動が中心となっている。機馬レースがあるからだ。


「ストラーシャの馬は白いのが多いんですか?」

「うん。あ、あの、そのー、敬語じゃなくていいよ。私たち、同級生じゃん?」

 ちょっと照れている翼は、水色のタオルで汗を拭うフリをしながら言った。

 そういえばどうして私は翼さんに敬語使ってるんだろうと、百合は不思議に思った。

「そ、そうだね。じゃあ、こんな感じで♪」

「うん。いい感じ」

 百合と翼は今年に入ってから急に親しくなったので、まだ距離感を掴めていなかったようだ。


 今日、古い機馬の修理をするのに、珍しい木製部品を直す必要があった翼は、美術クラブのルネに材料の一部を分けて貰う約束をしていたのだ。百合はわざわざ翼の作業場までその材料を持って来てくれたのである。


「待たせたね! コーヒーを淹れるから、少しくつろいでいってくれ」

「ありがとうございます。じゃなくて・・・ありがとう♪」

 ギタークラブと共用のキッチンパントリーへ向かった翼は、コーヒー豆を挽き始めた。賑やかな修理場に、コーヒーミルのガラガラという音色が加わった。


 何台か機馬が並んでいるのだが、その中には背中に羽が生えたペガサスみたいなものもあった。

 翼という生徒はかなり変わり者で、実は空を飛べる機馬を本気で開発しているのだが、ほとんど滑空することも出来ず、試作機ごとよく内海にザブンと落ちている。そのお陰で翼はだんだん水泳が得意になり、ついでに機馬の防水加工技術が向上してきたらしい。

(面白い場所だなぁ。月美ちゃんも連れてくれば良かった)

 百合はなんとなくそう思った。


 

「あれは・・・翼先輩の作業場かしら」

 意外にも月美は百合のすぐ近くにいた。

 月美は百合の後をこそこそと追いかけ、ストラーシャ学区の東部まで来ていたのだ。途中で中等部や高等部の先輩から声を掛けられまくっていた月美は、やがて物陰に隠れながら進むことを覚えた。初等部メンバーは学園の癒しとして多くの生徒たちの関心を集めており、こっそり月美のファンクラブなどが作られているくらいだ。

「きっと翼先輩から何か頼まれましたのね」

「ピヨー」

「ピヨーじゃないですわ・・・」

 いつの間にか月美に合流してきたヒマ鳥のピヨは、月美の足元でキリッとした顔をしながら周囲を警戒している。実に頼もしいパートナーだ。


 月美は、自分の正体や去年の記憶について百合に打ち明ける覚悟を決めた。

 しかしよく考えてみると、寮にいる時の月美は大抵初等部メンバーと一緒におり、百合と二人きりになって大事な話をするチャンスがないのだ。なので今日は、学舎から寮に帰った時に入れ違いでどこかへ出かけた百合を追いかけて様子を見ているのだ。

(まあ、今日打ち明けられるかどうかは分かりませんけど、チャンスはうかがっていきましょう)

 月美は高校生のお姉さんたちの人通りが途切れた瞬間にレストラン傘立ての陰から飛び出し、次の隠れ場所を探りながら整備場に近づいていった。



 一方、百合はコーヒーを飲みながら、翼が整備を再開した機馬を眺めていた。

 古いメリーゴーランドの木馬のようなレトロな体のあちこちに、高耐食性ステンレスの銀色が輝いていて、ちょっと不思議な見た目である。

「よし、動かしてみよう」

 翼が起動のスイッチを回すと、機馬のお腹のあたりからカラカラと音がして、背中と脇腹の排気パイプから白い煙が噴き出した。壊れたように見えるが、これで正常である。

 高温の水蒸気に見える白煙は気化したウツクシウムガスなので、手をかざしても火傷する事はないが、誤って吸い込んでしまった場合、パーティー用のヘリウムを吸った時みたいなハムスター系の声になっちゃうので注意が必要である。


 ちなみに機馬はガスの上昇する力でタービンを回して動力にしている。ウツクシウム鉱石に食塩水を掛けるとガスが発生するという謎のルールが発見されて以来、プロペラを立てての風力発電は動力の補助程度になった。これらは全て、卒業生である山田綺麗子博士の熱心な研究のお陰、ということになっている。

「よしよし、完璧だ。私もコーヒーを飲もうかな」

「お疲れ様です。体育祭の準備は順調ですか?」

「まだまだだけど、それはまた後で。あと敬語になってるよ」

「あ、そうだった」

 百合と翼は笑ってしまった。くせというのは簡単には直らない。



「初等部の子たちとはどうだい? うまくいってる?」

 百合の隣りに木椅子を持ってきた翼は、コーヒーにミルクを二つ入れてかき混ぜながらそう尋ねた。翼の髪はレモングラスみたいな爽やかな香りがする。

「うん、楽しそうにしてるよ。私たちも楽しいし」

「そうか。キミたちに任せた判断は正しかったようだね」

 初等部のメンバーが暮らす寮はローザ会長を含めたクラス委員たちの会議で決まった。意外と姉御あねご肌のルネと、女神のような優しさに定評のある百合の二人にお世話をしてもらうという少人数制が功を奏しているようだ。

「銀花ちゃんはどうだい? ホームシックになってない?」

「うん、大丈夫みたい。月美ちゃんと仲良しだよ」

 二階の窓からこぼれてくるギターの音色にコーヒーの香りを泳がせながら、百合は宙を見つめた。

「ねえ翼さん」

「なんだい?」

「月美ちゃんのこと、どう思う?」

「え?」

 百合は近ごろ自分の頭の中をずっと満たしている月美について話し出した。

「面白い子だね。可愛いし」

「うん。私もそう思う。だけど、可愛いだけじゃなくて、なんか・・・不思議な感じがするの」

「不思議な感じ?」

「懐かしくて、切ないような・・・でも、一緒にいるとわくわくするような、とにかく変な感じ♪」

「ふーん」

 百合と翼はコーヒーの湯気の向こうに月美を思い浮かべながら、キリマンジャロの香りを味わった。


 すると突然、開きっぱなしになっている整備場の入り口に、子供たちの影が現れた。

「こんにちはデース!!」

 キャロリンと桃香と銀花、そして月美がやってきたのである。

「皆どうしたの? こんなところまでお散歩?」

「月美を追いかけてたらここに着いたデース♪」

 月美は恥ずかしそうに頬を染めながらじっとりとキャロリンを睨んだ。

 なんと月美は、こっそり百合を追いかけているつもりだったのに、キャロリンたちからしっかり追跡されていたのだ。ザリガニャンごっこみたいな楽しい遊びを、また内緒でやるつもりかも知れないとキャロリンが思ったからだ。

「ギタークラブの見学がしたいみたいデース!」

「で、ですから別にわたくしはギター部に興味があって来たわけじゃないですわ」

「じゃあ何しに来たデース?」

「う・・・それは・・・」

「翼先輩に会いに来たデース?」

「違います」

「じゃあ百合デース?」

「う・・・それは・・・」

 分かりやすい女である。

 百合は思わず椅子から腰を上げ月美に歩み寄った。「私に何か話があるの?」と百合は言いかけたが、その言葉はぎりぎりのところで飲み込んだ。以前にも似たような場面があった事を思い出したのだ。

(そういえばこの前も、月美ちゃんが何か話したいことがあるみたいよって、ローザ会長が・・・)

 百合はなんとなく察した。

(月美ちゃん、何か大事な話があるんだ・・・私だけに話したいことが・・・)

 一緒にお風呂に入ってくれない照れ屋な月美ちゃんが、二人きりで内緒話をしたいというのなら相当な内容に違いない。百合は月美の可愛い瞳を覗き込みながら言った。

「よく来てくれたね♪ ストラーシャ探検してたんだよね。そういえば月美ちゃんさ、後でお手伝いして欲しいことがあるから、協力してくれる?」

「え・・・」

「お願い♪」

 百合はこっそり月美にウインクした。

「私たちも手伝うデース!」

 空気の読めないキャロリンが飛び跳ねて名乗り出た。

「あ、キミたちは私のお手伝いをしてくれないかい? 新しいゴンドラを内海に浮かべてみようと思うんだ」

 翼は百合の意図を何となく理解できたので、咄嗟にキャロリンたちをゴンドラツアーへ誘った。

「ゴンドラってなんデース?」

「小舟だよ。私が漕いであげる」

「やったー!」

 銀花は月美と一緒に行きたそうだったが、キャロリンがあまりにも喜ぶので、その勢いに流されて翼について行くことになった。



 整備場の横には、浜辺が見える公園ある。

 月美を連れて公園にやってきた百合は、8の字になったラバー舗装の遊歩道を駆けてヤシの木の幹つかまり、笑顔で振り返った。

 あっという間に二人きりになってしまったため、月美は異常にドキドキしてしまった。

「あ、あの・・・お手伝いというのは・・・?」

「ふふっ。実は特にないの。お話しよう♪」

「やっぱり、そんな事だろうと思いましたわ」

 ちなみにヤシの木と言えば、非常に硬いヤシの実が頭上から降ってくる可能性がある割と危険な樹木なのだが、この島のヤシの実は表面がバナナの皮と大差ない柔らかさなので頭に落ちてきても無事であるから、安心してもたれ掛かっていい。落ちてきたら寮に持って帰ってジュースにしていいのでむしろラッキーと言える。

「月美ちゃん、鉄棒できる?」

 百合は遊歩道の近くの鉄棒に駆け寄って軽やかに跳び、腕を使って鉄棒の上で体を支えた。

「これ、ピヨちゃんのポーズ♪」

「それくらいできますわ・・・わたくし四年生ですのよ」

 ちなみに本物のピヨはというと、さっきまで月美を見守るような目をしながらついてきていたのだが、広い砂浜にときめいたらしく、今は白砂に小さな足跡をつけて波打ち際を元気に走り回っている。実に頼もしい相棒だ。

「久々だけど、私まだ逆上がりできるかなぁ」

「ん・・・」

 百合はそのままくるっと逆上がりに挑戦しようとしているので、百合のパンツを見てしまわないように月美はヤシの木に小さなおでこをつけてもたれかかった。制服のまま鉄棒はしないで欲しいものである。

 ユリの花のように白い制服のスカートを青空に咲かせて、午後の日差しを軽やかに駆け上がった百合は、見事に逆上がりを成功させた。

「やった!」

「お、おめでとうございますわ・・・」

 百合のほうを見ず、ヤシの木に顔を付けたまま祝ってくれる月美の様子が面白くて、百合は笑ってしまった。

「ふふっ♪」

 そして百合は鉄棒から下り、月美にゆっくり歩み寄った。

「月美ちゃんって、恥ずかしがり屋なの?」

「うぅ・・・! ち、違いますわ!! ちょっとこの、木を観察してたんですのよ!」

「ごめんごめん♪ 冗談だよ」

 とんでもない図星をつかれた月美は激しく動揺してしまった。顔が一気に熱くなる。

「でも、二人きりの時はいつもよりずっと無口だね。緊張しなくていいんだよ。高等部も初等部も大して変わらないから」

「あ・・・はい」

「私はもっと月美ちゃんと仲良くなりたいんだ♪」

「そ、そうですのね・・・」

 そして百合は、月美の横顔を覗き込みながらいよいよ核心に迫る。

「ねえ月美ちゃん」

「なんですの・・・」

「もしかしてさ、私に何か、大事な話でもあるの?」

 ギターの音色がこぼれてくる公園で、ついに月美はこの瞬間を迎えてしまった。

(どどどどうしましょう・・・! いざとなったら、勇気が出ませんわぁあ!!)

 月美はヤシの木と向かい合ったまま石のように固まってしまった。

(どうも~、わたくし本当は高校生でーす! 私と百合さんは去年ルームメイトでしたのよ~。9か月くらい一緒に過ごして、ある日突然私だけ小学生にされましたの! あ、山田綺麗子さんっていう卒業生の博士いますでしょ? あの人、隣の部屋に住んでた同級生ですわ~)

 これは絶対やばい奴である。百合のことは信頼しているが、上手く説明できる自信と、打ち明ける勇気が出なくなってしまった。ほぼ100%安全だと分かってても、プールの飛び込み台からなかなかジャンプ出来ないのと同じ現象である。恐怖と緊張で体がこわばってしまうのだ。


「今じゃないほうがいい?」

「え・・・いや・・・」

「ピヨちゃんが聞いてるもんね」

「え?」

 ピヨはいつの間にか月美の足元に戻って来ており、波に濡れた体をプルプル振って月美を見上げていた。月美はピヨの瞳を見てなんだかホッとしてしまった。

「じゃあ明日話してくれる?」

「あ、明日ですの・・・?」

「明後日でもいいよ♪ 明後日って、体育祭の日だけど」

「体育祭・・・」

 確かに体育祭の当日というタイミングは良い切っ掛けになると月美は直感した。

「じゃあ・・・あの・・・体育祭の日に話しますわ・・・」

「約束ね♪ こういう、二人きりの時間見つけるから」

「は、はい」

 こそこそしながら二人きりになるタイミングを見計らっていた月美にとって、この約束は救いでもあった。誰かに舞台を整えて貰えるのなら、女優は台詞に集中できるわけである。

「じゃあ、ゴンドラ見に行こっか♪」

「はい・・・」

 月美は絶好の機会に打ち明けられなかった自分を情けなく思ったが、大事な話があることを事前に百合に知って貰えたことは良かった。突然しゃべったら刺激が強い複雑な話題なので、心の準備をしてくれたほうが助かるわけだ。


 砂浜を歩きながら、百合は月美に尋ねた。

「月美ちゃん」

「なんですの」

「今日は一緒にお風呂入ってくれる?」

「うええええ!? い、いやです! いやです!」

 月美は反射的にとんでもない勢いで拒絶をしてしまった。

「やっぱり♪ 私がお風呂屋行く日にすぐに寮のシャワー室行くの、わざとだったんだ♪」

「ぐ、偶然です・・・」

「ねえ、どうして一緒に入ってくれないの? 高校生のお姉さんと一緒じゃ恥ずかしい? 私、銀花ちゃんの髪は拭いてあげたりするけど、月美ちゃんはしっかり者だからそういうお節介しないよ♪」

「そういうのはまあ、別にいいんですけど・・・」

「じゃあどうして一緒にお風呂入ってくれないの?」

 月美が返事をするより先に、内海に浮かぶゴンドラからキャロリンたちが手を振ってきたのに気付いた百合は、舟に向かって大きく手を振り返した。

 

 そんな百合の眩しい笑顔の傍らで月美は「百合さんの事が好きだからですわよ・・・」と心の中で返事をした。

 

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