35、ローザの休日
これは去年の出来事である。
まだまだ暑い9月の昼下がり・・・月美や百合が三日月女学園に入学してくる、半年以上前のことだ。
ローザは窓辺の座席に腰かけ、外を眺めていた。
この大教室は窓が多いので、内海の方から良い風が入ってくるが、出来れば冷房をつけて欲しかったところである。
「それでは、ローザさんが保健委員、やっていただけますか?」
「残ってるのはそれだけ?」
「は、はい」
「じゃあ、構いませんわよ」
「ありがとうございます」
蝉の声のほうが頻繁に聞こえた委員決定会議も、これでようやく終わりである。
(保健委員って何するのかしら。面倒だわ)
この時、ローザはまだ二年生であり、ストラーシャの生徒会長になる前である。
三日月女学園は孤島なので、お医者様の存在はとても重要だ。
学園にいるのはほとんどが高校生であり、授業も世界各国の先生たちによるリアルタイム映像授業になっているから、大人はたった三人しかいない。その三人がお医者様であり、各学区に一人ずつ、保健体育の先生を兼任して、毎日生徒たちの健康を支えてくれているのだ。
保健委員になったローザは、ストラーシャ学区の保健の先生に呼ばれ、放課後、保健室へ向かった。ローザが保健室を訪れるのはこれが初めてである。
「この島の夏は、じめじめしいひんから、過ごしやすかったなぁ~♪」
「え?」
保健室は、女子力の高い生徒の寮部屋のようないい香りがしており、想像していたような消毒液みたいな匂いはしなかった。
「・・・そうでしょうか。今日もかなり湿度を感じますわ」
「え~? カラッとしとるやん♪ 東京とか大阪に比べるとほんま快適やわぁ。ローザちゃんは東京あんま行ったことないのん?」
ストラーシャ学区の保健の先生は、舞鶴京子先生である。いつもにこにこしていて、何を考えているのか分からないが、お医者様としては超一流であり、頼れる女性だ。
「東京は、初めて日本へ来た時に少しだけ寄ってみましたけど、湿度までは覚えてませんわ」
「そうなんやぁ。ローザちゃんって、どこ出身なん?」
「マドリードですわ。スペインです」
「あらぁ~! 地中海のカラッとした風が爽やかやったんやない?」
「いや・・・どうでしょう。マドリードは海から遠いですから」
「行ってみたいわぁ♪ 情熱の国やんなぁ♪ フラメンコとか、かっこええわぁ♪」
「ええ、まあ・・・」
ローザは保健通信という毎月発行の掲示物に載せる、新しい保健委員の挨拶という項目を今書いているわけだが、先生が話しかけまくってくるので今いち文章が浮かんでこない。
「ローザちゃんは、日本にはよく遊びに来てたん?」
「いえ、この学園に入学するまで、来たことありませんでしたわ」
「あれぇ、そうなぁん? それにしては、日本語上手やなぁ♪」
「あ、ありがとうございますわ・・・」
「今度うちにも日本語教えてぇ~なぁ♪」
「ど、どういうことですか・・・」
舞鶴先生は人懐っこい笑顔で、ローザの隣の椅子に腰かけた。
ローザは幼い頃から、日本語のテキストやそれに付属している音声データで日本語を勉強していたため、舞鶴先生の話す関西弁の聞き取りがかなり難しい。
「ローザちゃん、ええ匂いするなぁ。シャンプー、何使うてはるん? ボディークリームとか塗ってはるのぉ? 日焼け止めはぁ?」
「これ、一応書けましたけど・・・」
「あらぁ、おおきに♪」
挨拶文をなんとか仕上げたローザは、舞鶴先生に用紙を渡し、グッと伸びをした。
冷蔵庫の小さな音と、近くのコートで部活をしているテニス部の掛け声だけが、静かな午後を満たしている。この部屋にいるとなんだかちょっと心が落ち着くのは、さすがは保健室といったところである。
「なかなかええ挨拶やなぁ。字ぃもかわいいから、スキャンしてこのまま載せるわ♪」
「え・・・」
「おおきに、ありがとう♪」
「ど、どういたしまして」
普段ローザはかなりマイペースで自由な女なのだが、舞鶴先生のほうがマイペースなので、相対的にローザがしっかり者みたいになっている。
「あの、保健委員って、具体的にどんなお仕事をすればいいんですか?」
「んー、別に。時々うちとおしゃべりしに来てくれればええでぇ♪」
「お、おしゃべり・・・ですか?」
「せやぁ♪」
保健室が暇なのはいいことであるが、あまりにもやることがなくてちょっと拍子抜けである。ローザが困ったような顔で保健室を見回していると、舞鶴先生は自分のおでこに聴診器を当てる謎のポーズで、何かを考え始めた。
「ローザちゃんって、絵に興味ある?」
「え?」
今のはダジャレではない。
「いや、あまり興味はないですわ・・・」
「なぁなぁ、今夜暇やったら、一緒にお出かけしいひん?」
「お、お出かけですか」
ローザはとても女好きであり、普段から色んな少女をデートに誘っているアホウなのだが、いざ自分がお出掛けに誘われるとどうしていいか分からない。
(・・・年下相手ならグイグイいけるけど、相手が先生じゃいつもの調子が出ないわ・・・)
さすがのローザも先生に対しては頭が上がらないし、なんだか緊張してしまう。
「・・・それって保健委員のお仕事なんですか?」
「せやなぁ♪ 大事なお仕事やなぁ♪」
「それなら・・・行きますけど」
「うんうん♪ ほんなら6時半に馬車のロータリーで待ち合わせや♪ ごはんは食べずに来てなぁ♪」
「は、はい」
なんだか裏がありそうだったが、保健委員の仕事と言われてしまったら断るわけにいかなかった。
ストラーシャ学区の学舎前のロータリーには、ココナッツの香りの夜風が吹き抜けている。
浜は近いが、内海はとても穏やかな海なので波音は聞こえず、近くのレストランから洩れるカシャンカシャンという食器の音が、生徒たちの笑い声と一緒にローザの耳をくすぐってくるのみである。
「おまたせ♪」
「あっ」
ロータリーの掲示板にもたれて立っていたローザは、先生の声を聞いて慌てて姿勢を正した。
「こんばんは」
「こんばんは♪」
舞鶴先生の「こんばんは」は、一回目の「ん」と最後の「は」が強調されるイントネーションである。
「ほな、馬車乗ろか♪」
「は、はい」
白衣を着ていない時の先生は、なんだか近所のお姉さんみたいである。
(私服で来ればよかったかしら・・・)
ローザは仕事だと思って真面目に制服を着て来たのだが、もっとゆるい格好で良かったかも知れない。
二人は機馬車に乗るべく、ロータリーの行列に並んだ。
レストラン街が近いため、外食後に寮に帰るため機馬車に乗ろうとする生徒が多かった。
(んー・・・)
先にロータリーに着いていたのだから、並んでおいてあげれば良かったと、ローザはちょっぴり申し訳ない気持ちになったが、すぐ近くにいいものを見つけた。
「あ、先生」
「なんやぁ?」
「共用の機馬があります。単体のやつです。あれに乗りましょう」
ローザは翼ほどではないが、機馬を上手に操縦できる。一年生の時に講習を受けた際は、学年で二番目に上手かったくらいなので、機馬部に勧誘されたが、なんだか面倒だったので入部はしなかったのである。ローザは自由な時間が好きなのだ。
「うちこれ乗ったことないんやけど」
「大丈夫ですわ。ほら、私の後ろに」
ローザは馬にまたがり、舞鶴先生に手を差し出してエスコートした。
「あらぁ、なんか照れるなぁ♪」
「生徒に照れないで下さいよ・・・」
「せやろか♪」
「はい・・・」
ローザがまともな人間に見える。
機馬は一部の特殊な型を除いて、後ろ脚の部分に大きな車輪が二つ付いているため、バランスはいいのだが、安全運転を心掛ける必要がある。ローザは先生にもちゃんとヘルメットを渡し、優しく手綱を引いた。
月夜のストラーシャ学区は、陶器のようにすべすべに輝く。
機馬は前脚の蹄の音と後ろ脚の車輪の音を響かせながら、少しずつ郊外へ進んでいった。
「こっちの道ですか?」
「そうやぁ。このずっと先や」
「ビドゥ学区へ行くんですか?」
「ちゃうでぇ。丘の上や」
「お、丘の上ですか?」
「そうやぁ♪」
左側にかぼちゃ畑、右手に森がある砂道には、秋の虫と謎の野鳥たちの声が降り注いでおり、テーマパークのアトラクションの序盤みたいな非日常感があって、ローザをちょっぴりワクワクさせた。月に照らされた森を吹き抜けてくる夜風は涼しくて快適である。
丘を登っていき、やがて視界が開けると、ローザは気になるものを見つけた。
(あれは何かしら・・・)
ローザの疑問を察したらしく、舞鶴先生はローザの体に後ろからぎゅっと抱き着きながら耳元で囁いてくれた。
「あれな、風車やで♪」
「え・・・?」
「うちも知らんかったけど、風車らしいわ♪」
岬のようになった丘の隅にそびえ立つ古い遺跡のみたいなものは風車らしい。使われなくなって久しいようで、回転するはずの羽が一切無かった。
「前見て操縦せんとあかんよ♪」
「は、はい」
機馬は月明かりの眩しい丘の道を、さらに登っていった。
少女は、ベッドの上で上半身だけ起こしたまま、スケッチブックに鉛筆を走らせていたが、やがて手を止め、小さく咳をした。
「舞鶴先生、まだかな・・・」
消えたロウソクのような瞳で、少女は窓の外を見た。部屋が明るいとあまり星が見えないが、電気を消すと絵が描けないので難儀である。
「あっ」
近づいて来る機馬の足音を聞いた少女は笑顔になり、スケッチブックを閉じた。
馬小屋の辺りで物音がしており、なかなか先生は入ってこなかったが、しばらくしてようやく玄関前に靴音がやってきた。
「いいですよ、入って下さい」
ベッドの縁に腰かけたまま少女がそう呼びかけると、まもなく玄関ドアが開いた。
「こんばんはぁ♪」
大きなカバンを持った舞鶴先生が、いつも通りの笑顔で登場した。
「こんばんは、先生」
「調子良さそうやなぁ。今日はルネちゃんにお友達を連れてきたでぇ♪」
「え?」
先生の後ろにはもう一人、背の高いお姉さんがいた。
お友達、などと紹介されてしまったローザは少々困ってしまったが、とりあえず部屋の中に入ることにした。
「こんばんは、お邪魔しますわ」
ほんのり漂うシャボンと絵の具の匂いの向こう側に、ローザは少女の姿を見つけた。
「あ・・・」
「あっ・・・」
湿った暗褐色の地面に舞い下りた一枚の純白の花びらのような存在感に、ローザは言葉を失ってしまった。
運命の出会いというのは、本当に何気ないタイミングで訪れる場合が多い。
ささやかな風に紛れ、花に隠れ、気が向いた時に音もなく少女の肩にとまり、青春を囁くカナリアみたいなものである。
「こ、こんばんはっ・・・」
少女は上ずった声でローザに挨拶をした。
「こんばんは・・・」
ローザもまた、瞬きを忘れ、立ち尽くしたまま小さく挨拶を返した。
二人の肩に運命のカナリアがとまったのは、この瞬間だったのである。
「ねえ、ローザは絵を描かないの?」
ルネはローザより一つ年下の、一年生である。
「描かないわ。色塗るのがあまり得意じゃないのよ」
「え、そうなの? なんか意外。何でも出来そうなのに♪」
年下だが、今はすっかりローザと打ち解け、友達みたいにしゃべってくれるようになった。
「にじんだり、はみ出たりして失敗して、あんまり面白くないのよ」
「水彩のことかしら。それなら、ローザが考えている短所は、きっと長所よ」
今日は初雪が降るらしく、朝から街じゅうが積雪への備えに大忙しであり、舞鶴先生が作ってくれるお昼ご飯も、アツアツのパンプキンスープだ。
「アクリル絵の具と違って、何が起こるか分からないドキドキを楽しめるのが、水彩の魅力だわ」
「そんなものかしら」
「そうよ」
ルネは窓の外の風車を見ながら、そっと微笑んだ。
「同じ風は吹かないのよ。だから楽しいの。あの風車をずっと見ていたら、そんな風に思えてきたわ」
ルネは朽ちてしまったあの風車をとても気に入っていた。
窓から見えるものと言えばあれくらいだったわけだが、風車を包む季節の香りと、無限の広がりを見せる空と雲、そして昼夜に降り注ぎ毎秒移ろう光の世界は、闘病しているルネの心の支えだった。
「ルネはあの風車が好きなのね」
「好きよ。何枚描いても飽きないわ」
ローザに出会う前のルネはいつも一人ぼっちだったわけだが、あの風車の持つ哀愁は彼女のハートと深く共鳴したのである。おかげで療養所の壁は風車の絵でいっぱいだ。
「あの風車は、私の宝物よ」
「あらあら」
ボロボロの風車を見ながら微笑むルネの清らかさに、ローザの心まで澄んでいくようだった。
ルネの病気は難病だが、この島の風土に触れている限りほとんど進行しないという不思議な特徴を持っていた。
この島は様々な分野の専門家たちから、もはや別の惑星であると言われるほど特別な自然環境を持っている。ただの土から育ったとは思えないほど、栄養豊富な野菜や果物が自生しており、紙や布の原料になる繊維なども容易に調達でき、危険な動物や昆虫が一匹も生息していない。この島が無人島だったとして、たった一人で流れ着いた人間がいたとしても、何の苦もなく快適に何十年も暮らせるような奇跡の島なのだ。
ルネは当初、東京の病院に入院し、この島で採れた食べ物だけを摂る療養を受けていたのだが、高校生なるにあたり、いっそのこと三日月女学園に入学しちゃおうということでここを受験し、引っ越ししてきたのだ。一般の生徒と同じように生活することは難しかったため、このように丘の上に療養所を設け、保健の舞鶴先生のお世話になりながら暮らしているのだ。
ローザはそんなルネの療養所に、土日は必ず顔を出した。
「ローザ! 見せたいものがあるの!」
年末休みもローザはマドリードに帰省しなかったが、それはルネのそばにいてあげたかったからである。
「そんなにはしゃいで、どうしたのよ」
普段は女好きで軽薄な言動が目立つローザも、ルネの前では、彼女の姉のように優しく振舞った。今もローザはルネのために布団を干してあげている。
「いいから、ほら来て♪」
「わかったわよ」
ルネに袖を引っ張られ、ローザは彼女のアトリエになっているベッドサイドのデスクへ向かった。
「ローザに内緒で描いてたのよ。ほら!」
「えっ」
イーゼルに掛けられた白いベールを取ると、そこには真珠のように繊細な色づかいで描かれた油絵のキャンバスが立てられていた。その絵はなんと、ローザをモデルにした人魚の絵だった。
「これ・・・私?」
「そうよ。人魚伝説資料館が新しい作品を募集しているのを聞いたから、最初は普通に描き始めたんだけど、なんとなく・・・あなたをモデルにしたくなったのよ」
ローザの秘めたる優しさを表現した、素晴らしい絵画である。
「私・・・こんな聖母みたいな表情しないわよ」
「あらローザ、自分で気付いてないの?」
恥ずかしそうに笑ったルネは、ローザに背を向けて、「いつもあなたは・・・私にこんな感じよ」と小さな声で言った。
ルネはその後も相変わらず風車の絵ばかり描き続けたが、時折このように、ローザの肖像も描くようになった。ルネが描くローザの絵は、いつも優しそうに微笑んでいて、とても幸せそうだった。
そんな二人の幸せな日々がずっと続くと思われた、ある日のことである。
お正月の雰囲気が抜けない1月のアヤギメ学区で、ローザは聞き捨てならない話を耳にしてしまった。
「風力発電機の・・・増設?」
「そうじゃ」
ローザは、愛用の機馬の修理を手伝って貰うため、よく浄令院千夜子のもとを訪れていた。それなりに親交はあったのだが、ルネのことは一切内緒にしていた。
「アテナの発案じゃが、私も賛成じゃ。今度の選挙でアテナはビドゥの生徒会長になるじゃろう。この学園を文字通り明るくする素晴らしい案じゃなぁ」
千夜子は車輪のボルトを手際よく締めながら笑った。
「お前は生活態度がユルいと噂じゃが、それでもストラーシャ学区で人気ナンバーワンの女じゃ。お前が賛成の署名をしてくれるなら、世論もだいぶ良い方向へ向かうじゃろう。どうじゃ、協力してくれんか」
ローザは、心臓が冷たくなるようなイヤな緊張感を覚えた。
「・・・発電機ねぇ、それって、そんなに重要なことかしら」
「ん? 消灯時間が早すぎて困っとると、お前も言うとったじゃろう」
「今日はもう帰るわ。下着を干しっぱなしなの忘れてたの♪」
ローザはさっさと機馬にまたがり、千夜子の作業場から去ってしまった。
「なんじゃあ? 付き合いの悪いやつじゃのう」
ローザの予感は当たっていた。
郵便委員の翼を通じ、アテナの計画書を見せてもらったところ、ルネが毎日のように描き続け、宝物だとすら言っていた風車は、取り壊しの対象となっていたのだ。あの場所は常に適度な強風が吹き続けている絶好の立地だったため、古い風車を壊し、最新の巨大な風力発電機を新たに建てる計画である。
(こんなの・・・絶対ダメだわ・・・)
電気スタンドの明かりだけを頼りに、ローザは深夜まで考え事をした。
(・・・ルネの生き甲斐であるあの風車を破壊するなんて計画、賛成するわけにはいかないわ)
ローザはカーテンの隙間の星空を見上げた。
(あの風車は・・・私が守る。アテナたちに抵抗するわ)
ローザはこの時、ストラーシャ学区の生徒会長に立候補することを決意したのである。
素直にアテナたちに相談し、風車の保存をお願いすればいいのだが、どうしてもその理由を人に言いたくなかったのである。ローザは本気でルネを愛しているが、それゆえに、正直になる勇気がなかったのだ。本当に好きな人のことを、他人にしゃべったり相談したりできる乙女は、それほど多くない。
幸い、ローザはその美貌と明晰な頭脳のお陰で人気者だったため、生徒会長になることは難しくなかった。おまけにルネの前以外では、自由で軽薄な態度で暮らしていたため、アテナの計画に反対する理由を明確に語らず、単なる嫌がらせであるかのように見せかけることもできた。カモフラージュのために、発電関係以外に物流改善計画などについても、ルネの生活に支障がない程度に反対していくことにした。
当然アテナからは呆れられ、千夜子からも軽蔑されるようになったが、ローザは平気である。ルネのためなら、何だって出来た。
「なぁなぁルネちゃん♪」
「何ですか、舞鶴先生」
「ルネちゃんって、ローザちゃんのこと好きなん?」
「え!?」
昼食を作りながら、唐突にそう尋ねてきた舞鶴先生に、ルネは真っ赤になって首を横に振った。
「そ、そ、そんなことは・・・な、ないです!」
「ふふ♪ ほっぺがリンゴ飴みたいやぁ」
ルネはしばらく恥ずかしがっていたが、やがてふと寂しそうな顔になり、つぶやいた。
「私なんかじゃ・・・ローザと釣り合い取れませんから」
「あれ、まぁ」
不器用な子やなぁと舞鶴先生は思った。
「そんな顔しとったらあかんで♪」
「あ・・・」
先生はルネの小さな口に、島で採れた甘~いミカンのかけらをひとつ入れてあげた。
生徒会寮の自室で、ローザ会長は新一年生のリストを徹底的に読み込んでいた。
(誰にも気づかれずに、ルネのささやかな幸せを守っていく・・・それが私の青春よ)
窓の外には、咲きかけの桜の枝が風にそっと揺れている。
(ストラーシャ学区の力を維持して、さらに強大にするために必要なのは・・・圧倒的人気を集めるヒロインだわ)
ローザは、ある少女のページに赤い星マークを描いた。
(この子よ。どんなに内気な子だったとしても、ストラーシャ学区の生徒会に入れてみせる。いかなる手段を使ってもね・・・)
素直に誰かに相談することは出来ないくせに、それ以外なら何だってできる・・・ローザもなかなかに不器用な女であるが、その決意は本物だ。
青空を桜の花びらが泳ぐその日、ローザはマロン色の美しい髪をふんわりカールさせ、制服を完璧に着こなし、長い脚でソックスを履いた。今日からローザは三年生である。
ローザはルネの優しい微笑みを思い浮かべ、決意を新たにしてから、寮部屋を出発した。
「あなたもしかして、百合ちゃん?」
こうしてローザは、最高の美少女だと話題の新一年生、百合に接近したのだった。
それからおよそ8か月の後、また初雪の日がやってきた。
ルネはスケッチブックを開いたまま、窓の外の風車が夜風に吹かれる様を眺めている。
「朝降っただけで、もうすっかり雲はなくなっちゃいましたね」
今夜も療養所に来てくれた舞鶴先生に、ルネはつぶやくようにそう言った。
「そうやなぁ♪ でも今日から冬用の車輪以外禁止になってしもたわ」
もう舞鶴先生はすっかり機馬の操縦が上手くなり、自動運転の馬車を使わずに一人でここまで来られるようになっていた。
「今日の晩御飯は何ですか?」
「鍋にしたいところやけど、ローザちゃんが来る日までおあずけにしよか?」
「そうですね。鍋は皆で食べたほうが美味しいですから。休日が恋しいです」
「せやなぁ~♪」
ローザは毎週必ず顔を見せてくれるが、忙しいため土日しか来られない。だからルネはいつも指折り休日が来るのを待っているのだ。
舞鶴先生がキッチンで謎野菜のグラタンを作り始めると、玄関のほうから物音が聞こえてきた。ローザが来てくれたと思ったルネは、嬉しくて飛び上がった。
「ローザ? ローザなの?」
ルネは慌てて髪と服を整えた。
「いいわよ、入って!」
本当は玄関のドアを開けに行ってあげたいのだが、ルネの体はそこまで元気ではない。
「珍しいわね、平日の夜に来てくれるなんて!」
ビドゥ学区に用事があった日は、帰りに寄ってくれる場合があったので、今日もきっとそうだなとルネは思った。
しかし、姿を現したのは、完全に予想外の、見知らぬお嬢様だったわけである。
「こ、こんばんは、お邪魔しますわ」
「あっ・・・」
このような経緯で、ルネの運命と、月美たちの運命が交差したわけである。
ローザが青春の全てを懸けて守ると誓ったルネの温かい生活と、古びた風車は、今夜も星明りに照らされ、ささやかに輝いていたのだった。




