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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第1章 ルームメイト
22/126

22、デートのようなもの


「よし。廊下、誰もいないよ♪」

 静かな朝の気配に、百合のささやき声は良く馴染む。


「準備できた? 月美ちゃん」

「ええ、まあ・・・」

「じゃあ、行こう♪」

 南側の窓から斜めに差し込む朝日により、寮の廊下には美しいしま模様が出来ている。耳を澄ましても、まだ寮生たちの声は聞こえて来ず、新しい朝を祝う鳥たちの歌だけが月美の耳をくすぐってきた。

「ほら、早く♪」

「わ、分かってますから・・・そんなにはしゃがないで下さい。恥ずかしいですわ」

「ふふっ♪」

 月美は『今朝はやる事がありますので朝食前から出かけます。夕食前には帰ります』というメモをドアの外にぶら下げた。お隣の綺麗子と桃香が心配して捜索を始めないようにするためである。


 月美と百合は今日、二人だけで内緒のお出かけをするのだ。

 アテナ様の計らいにより清掃活動の二日目を休みにして貰えた二人は、この夏最後の思い出を作りに行くわけである。


 寮の階段にも朝日が差し込んでいた。

 抜き足差し足で歩くと、赤い絨毯のふわふわとした感触がいつもより新鮮に感じられる。

「とりあえず学舎に行こう。学舎の広場に、アテナ様が機馬車を用意してくれてるはずだよっ」

「え! 機馬車ですの!?」

「うん♪」

「いつの間にそんな手配を・・・」

「昨日のお昼に♪」

「早すぎません? わたくしが誘いを断ってたらどうするつもりでしたの・・・」

「え?」

 階段を下りてエントランスまでやってきた百合は、振り返ってにっこり微笑んだ。

「月美ちゃんならオーケーしてくれるって信じてたから♪」

「うっ・・・」

 なぜこんな恥ずかしい台詞を本人に向かって堂々と言えるのか、月美には分からない。心が綺麗すぎる上に月美のことを全面的に信頼している今の百合は、爽やかな天然小悪魔となっている。



 さて、機馬車の手配を頼まれたアテナ会長は、百合の希望よりももっと気を利かせてくれていた。

「あれ?」

「機馬車ですわっ。こんなところに・・・!」

 なんと寮の昇降口のすぐ前に、機馬車が一台停まっていたのだ。座席にはメモが置かれてあり、そこには『百合さんと月美さんへ。今日はこの馬車を自由に使ってね。それから、大きめの麦わら帽子を二つ貸してあげるから、これで顔を隠しなさい』と書かれてあった。夜明け前にわざわざここまで機馬車を持って来てくれたらしい。月美たちは学舎まで歩いて行かずに済んだわけである。

「やったね! さっそく乗ろう!」

「そ、そうですわね」

 ロボット馬はポニーくらいの小柄なサイズだったが、二人乗りの馬車を引くのには丁度いい子かも知れない。馬車の座席はふわふわで座り心地が良く、シートベルトと手すりがしっかり備わった安全設計だった。

 ちなみに、アテナが貸してくれた二つの麦わら帽子には、それぞれ「アテナ・ウェリントン」「とどろきつばさ」と名前が書いてあった。あの仲良しコンビも、かつてこの帽子を被って遊びに行ったに違いない。

「月美ちゃん、運転できる?」

「いや・・・できませんわよ。これは自動運転ですわ。えーと」

 月美はラミネート加工された乗員向けの案内プリント確認した。どうやらこの馬車は行きたい場所の番号を入力するだけで連れていってくれるすぐれものらしい。

「どこに行きましょうか」

「あ! 私なんとなく考えてきたの! 私にやらせて♪」

 百合は地図を確認し、真鍮しんちゅう製のレトロな操作盤で番号を入力した。

「Vの60、ですの?」

「うん! 今日はさ、この島ぐるっと一周しようよ!」

 百合がまず入力したのはビドゥ学区の北西部の海辺である。二人が全く訪れた事がないエリアだ。

「じゃあ、出発しよう♪」

「あ、あんまりくっつかないで下さい・・・」

 月美は体をちょっと斜めにして百合の美貌から逃げながら、発車ボタンを押した。機馬車はパシューッと軽やかな音を立てた後、ひづめをパカポコいわせながらゆっくりと進み始めた。月美が何気なく馬車の窓から後ろを振り返ると、寮はまだ朝日の中でひっそりと静まっていたのだった。

(ほ、ほんとに出発しちゃいましたわぁ・・・)

 月美はもう引き返せないのである。学園一の美少女と言われる百合に誘われ、二人きりで丸一日遊びに出かけるなんて、ほとんどデートのようなものだ。月美は、自分の緊張とドキドキが百合に伝わってしまわないように、いつも以上に硬派な表情を心掛けた。

(月美ちゃん、今日もクールだなぁ~・・・)

 楽しげに微笑む百合は、カッコイイ月美の横顔を見て、頬をちょっぴり桜色に染めるのだった。


 水色に輝く朝の風と、寝起きの蝉たちの声を潜り抜け、馬車は大通りへたどり着き、港へ下っていった。

 街にはまだ人影がほとんどなく、通りに打ち水をするパジャマ姿の先輩を時々見かけるくらいである。今日で8月が終わってしまうとは思えないほど元気なアサガオたちが道にいろどりを添え、クチナシの芳香が二人の鼻をくすぐってきた。


「海だぁ!」

 フェリーが停泊していなければ、港からの眺めは一層壮観である。海辺に自生している小さな花たちがレンガの隙間からちょこちょこ顔を出しているのだが、機馬車はそれらを器用にかわしながら進んでいった。

 ここから南進すれば海賊レストランなどがあるエリアだが、北へ行くのは初めてである。馬車が右に進路を変えると、二人の胸はますます高まったのだった。



 北側の海辺と聞くと、どこか寒々とした印象を受けるが、そもそもこの島は緯度が低いので、どこもかしこも海辺はトロピカルな雰囲気である。遠浅な内海うちうみほどではないが、輝くブルーが透き通る美しい海原に、二人はうっとりしてしまった。


 その北浜の近くでささやかに営まれる、小さなホットサンド屋がある。

「今日も暇ねぇ」

「清掃活動の日の朝からこんなところに来てくれるお客さんなんていないわよねぇ」

 キッチンカウンターで少女たちが退屈そうにしている。ちなみにホットサンドというのは表面を専用の調理器具で焼きながらぎゅっと挟んだサンドイッチのことだ。

「ウッドデッキに鹿とウサギが集まってきたよ」

「人間のためのレストランなのになぁ・・・」

「まあいいわ。動物たちにごはんあげて、私たちも早く清掃活動の準備しましょう」

「そうだね」

 少女の一人が、パンのミミがたっぷり入った袋を持ってカウンターを出ようとした、その時である。チリンチリーンと涼し気な音を立てて、入口のドアが開いたのだ。

「お、おはようございます。今って営業してますか?」

「いらっしゃいませー! もちろんです!!!」

 麦わら帽子を目深まぶかに被った百合と月美が来店したわけである。少女たちはそれが百合たちであるとは気づかないまま接客を始めた。

「お持ち帰りですか! 店内でお召し上がりですか!」

「あら、持ち帰りもできますの?」

「もちろんです!」

 浜辺で食べるのも悪くないと思った月美が、百合の顔を覗き見ると、彼女はにっこり笑いながらそっと頷いた。こういう場合、二人は言葉がなくとも通じ合う。

「では持ち帰りでお願いしますわ。オススメのホットサンドを二人分下さい」

「かしこまりました!」


 ホットサンドが焼きあがるまで、月美たちは外のウッドデッキで動物たちと戯れた。この島の生き物たちは天敵となる肉食獣がいない環境で進化してきたせいか、人間を警戒するという発想がなく、実に馴れ馴れしい態度で接してくるのである。

「わぁ、かわいい~♪」

「この後ちゃんと手を洗いますわよ・・・」

「分かってるって♪ あ、来て来て月美ちゃん!」

「しーっ! 名前を呼ばないで下さい!」

 二人は外にいるのだが、あまり大きな声で名を呼ぶと正体がバレる可能性があるので気をつけなくてはならない。今日のお出かけは、多数いる百合や月美のファンたちに見つからないように行動する必要があるのだ。

「ちょ、ちょっと鹿たち・・・何ですの。あんまりこっちに集まらないで下さい」

「ふふっ♪ 月美ちゃんって、すっごく動物に好かれるよね」

「そ、そんなことないですわ! ほら、百合さんのほうに行って下さい!」

 月美はクールなフリをしているだけのポンコツ変人お嬢様なので、好奇心旺盛な生き物からは人気なのである。

「お待たせいたしましたー!」

 やがて、焼き立てのホットサンドのいい香りと一緒に、少女が笑顔で飛び出してきたのである。


 少しずつ日差しが強くなってきた。

 二人は木陰でホットサンドを頬張ることにした。最初は鹿どもがうじゃうじゃ集まってきていたのだが、ホットサンド屋の少女の「おーい鹿たちー! 朝ごはんだぞぉー!」という声を聞いて店に戻っていった。もはや野生とは呼べない暮らしである。

「おいしいねぇ!」

「んー、悪くないですわね。これ、隠し味でショウガが効いてますわ」

「すごい、そんなこと分かるんだ」

わたくしは何でも分かりますのよ」

「ふふっ♪」

 好きな人と並んで食べる朝食はとても幸福であるが、それゆえに味覚に意識を集中させることは困難である。この店のホットサンドにショウガなど使われていない。

「あ、月美ちゃん、ほっぺにケチャップついてるよ」

「え!?」

「ウソだよぉ♪」

「・・・もう!!」

 月美が顔を赤くすると、百合はヒマワリみたいに眩しく笑った。今日の百合はいつも以上によく笑う。



 朝食を終えて再び機馬車に乗った二人は、北岸に沿ってこのまま東に向かってみることにした。

「アヤギメ学区に行ってみよう!!」

「はい。初めてですわね」

 そう、二人はアヤギメに一度も行ったことがないのである。

「えーと、Aの8って感じかな」

 百合は地図を見ながら操作盤で番号を入力した。

「日本風って噂だから、懐かしい感じの街並みかもね」

「そうですわね。まあでも、わたくしは日本家屋で暮らしたことなんてないですけどね」

 月美は自分のお嬢様のイメージを大切にしている。


 機馬車は、海に向かって注ぐ小川に掛けられた小さな石橋を渡った。その先には大きな朱色の楼門があり、それをくぐると背が高い銀杏いちょう並木が二人の前に現れた。雰囲気が変わったので、きっとここからがアヤギメ学区である。

 すぐ右手にはずっと丘陵地帯が続いているのだが、アヤギメに入ってからは雑木林が多く、ところどころ黄色く色づき始めた落葉樹が素敵であった。

「この辺はあんまり建物がないみたいだね」

「あ、でも人はいますわよ」

「どこどこっ?」

「う・・・! 百合さん、あんまりこっちに寄らないで下さい・・・馴れ馴れしいですわ」

「はーい♪」

「こ、こっち来ないで下さい!!」

「ふふっ♪」

 百合はわざと月美に寄りかかり、困らせてくるのだ。

 夏の海の絵の最後の仕上げをするためか、海辺にはキャンバスをイーゼルに立てた和服姿の少女たちが何人かおり、筆をふるっていた。アヤギメの生徒の制服は何種類かあるが、大正ロマンが結集された袴姿が主流である。


 しばらく進むと、蝉しぐれの降り注ぐ並木道の向こうから、一騎の機馬が走って来た。そこそこスピードを出しているようなので月美たちは少々危険を感じたが、二人の乗る機馬車はそれを自動で検知して道のすみに避けてくれた。

 しかし、走ってきた機馬は月美たちの馬車の近くで急停車したのである。

「そこの御仁ごじん、手を貸してくれぬかっ」

「え!?」

 機馬でやってきたのはなんとアヤギメの生徒会長、浄令院じょうれいいん千夜子ちやこ様だった。月美と百合は麦わら帽子を深く被り直し、機馬車の停車ボタンを押した。

「な、なにかあったんですの?」

「緊急事態じゃ! 私ではどうにもならぬかも知れん! ついてきてくれ!」

「どうやってついていけばいいんですの? 自動運転しかできないですわ」

「こうじゃ!」

 千夜子は小柄な体を機馬からグッと乗り出して月美たちの馬車の操作盤をちょこっといじった。

「ついて来てくれ!」

「は、はい」

 何事かサッパリ分からないが、とにかく従うしかない。機馬車は千夜子の馬の後ろを自動で走行し始めた。



「よいしょ・・・ほら、もう大丈夫ですわよ」

「ミィ~」

 子猫は月美の腕の中で元気に鳴いた。

「気を付けて下りるのじゃ! 地面に足をつけるまで気を抜かんでくれ!」

「わ、わかりましたわ」

 月美は木の幹に片手をしっかりついて、慎重に梯子はしごを下りていった。

「上手くいきましたわっ」

「助かったぞ!」

「ミィ~」

 月美は大勢の生徒の拍手の渦に包まれた。

 どうやら木の上に登った子猫が降りられなくなって鳴いていたらしく、生徒会長の千夜子に助けを求める電話があったらしいのだが、今日に限って身長の高い生徒が生徒会寮におらず、千夜子自ら機馬を飛ばしてやってきたのだ。月美と百合はどちらもスラッと脚が長く、そこそこ高身長だったため救出の役に立てたのだ。

「ありがとう。感謝するぞ。お前たちはビドゥの生徒じゃな」

「え、ええまあ・・・」

「名をなんと言う」

「いや、それはヒミツですのよ・・・」

「照らなくてもよい。せめて顔を見せてくれ」

「あっ」

 千夜子は月美の帽子をひょいっと持ち上げた。

「あ・・・」

 月美の顔を見た彼女は何かを察し、すぐに帽子を元の深さに戻してくれた。

「お、お前か・・・」

「はい・・・アテナ様にお願いして、今日は二人で自由に過ごさして頂いてるんですわ」

「んー・・・」

 千夜子はとても頭が良い先輩なので、月美の隣にいる少女が誰であるかもすぐに理解し、この場を上手く収める手段を考え出してくれた。

「皆! 彼女たちはビドゥの郵便委員らしい。配達の邪魔をしてすまなかったのう」

「い、いえいえ! 問題ないですわよ」

 月美の隣で百合はクスクス笑った。

「礼をしたい。ついて来てくれ」

「いや、お礼なんて・・・」

「いいから来るのじゃ」

 千夜子は梯子を畳んで機馬の側面に戻すと、さっさと走り出してしまった。月美たちは子猫の飼い主とその友人たちの感謝の言葉をたっぷり浴びながら、機馬車に乗り込んだのだった。


「そうか、アヤギメは初めてなのじゃな」

「はい、そうなんです」

 千夜子は月美たちの馬車に機馬を並走させている。

「薄汚い帽子を被っていると思ったら、そうか、アテナたちの帽子だったんじゃな」

「お、お借りしましたわ」

 千夜子は普段から結構毒舌なのだが、今は笑顔なのであまり怖くない。子猫を助けてくれた二人に彼女は心から感謝しているのだ。

「アヤギメ学区を案内してやる」

「え、案内ですのっ?」

「そうじゃ。ビドゥやストラーシャとは違った魅力に溢れておるぞ」

 月美が百合の顔をうかがうと、彼女は目を輝かせて頷いてきた。月美は百合と二人きりの緊張感にだいぶハートをやられてきたので、ここらで少し休憩をするのもいいかも知れない。

「では、お願いしますわっ」

「よし」

 千夜子はそう言ってから少し口をつぐみ、月美たちの様子を窺っていたが、やがて小さく微笑み、独り言のように続けた。

「大丈夫じゃ。邪魔はせんから」

「え?」

「何でもない。とにかくついて参れ。ここはスピードを出すぞ!」

「は、はい!」

 千夜子は機馬を飛ばして銀杏並木を進んでいった。ちなみに、機馬というのは後ろ足が大きな車輪になっているロボット馬なのだが、千夜子が乗っている機馬はその車輪が一つしかついていない珍しいタイプである。自転車のような後ろ姿なのだが、あれでよく転ばないなぁと月美たちは思った。


 アヤギメ学区は島の東側にあるわけだが、その半分くらいは広大な田園地帯である。

「わぁ・・・!」

 並木道は山に沿って右へ曲がっていくが、それにつれて浜までの距離が開いていき、やがて馬車の左手には青々とした稲穂の海が現れたのである。

「これだけ広いと壮観ですわね」

「そうだね♪ アヤギメの子たちは、お米いっぱい食べられるんだね」

 栽培されているのは米だけではなく、この島特有の栄養満点な謎の穀物も多くある。

「あら、あれは何かしら」

「どれどれ~?」

「ゆ、百合さん! 近いですわ・・・!」

「ふふっ♪」

 誰にも見られていない時の百合はグイグイ月美に迫る。

 このとき月美が見つけていたのは、田園の中にポツンと建つ、近代美術館のような銀色の建物だった。

「あれは海上発電を管理する施設じゃ」

「わっ!」

 いつの間にか千夜子の機馬はすぐ隣を走っていたようで、百合は慌てて月美から離れた。仲良くしているところを見られてしまって百合はかなり恥ずかしかった。百合がこんな気持ちになるのはとても珍しいことである。



 田園地帯を見ながら南下していくと、辺りはだいぶ賑やかになってきた。

 日本風の学区という話を聞いていた月美たちは、日本列島で見かけるような普通の街並みか、せいぜい観光地くらいの見た目を想像していたのだが、アヤギメ学区はもっと大胆な世界だった。

「なんだか、幻想的ですわね・・・」

「そうだねぇ!」

 瓦屋根とステンドグラスが夏の日差しの中で仲良く輝き、最新の発電システムのすぐ手前で何百もの風鈴が波打つように揺れている。ロボット馬の馬車に乗った着物姿の少女たちが、映画クラブの作成した短編ラブストーリーを小さなモニターで観ながらアイスを食べているし、三階建ての木造の家々の窓からは『機馬充電機あります』とか『新元素研究会員募集中!』などと墨汁で描かれた垂れ幕が下がっていた。明治、大正時代の和洋折衷の世界を独自の感性で洗練していったような変わった街並みである。

「あの石段を上がっていけばアヤギメ神宮じゃ」

「アヤギメ神宮・・・聞いたことがありますわ」

 この街にいると千夜子の赤い着物に全然違和感を覚えない。

「じゃが今日は生徒会寮へ案内しようかの。こっちじゃ」

「は、はい」

 下駄の音が賑やかに行き交う石畳いしだたみの交差点を、機馬車はゆっくり右折した。



 アヤギメには生徒会メンバーが暮らす寮があり、アヤギメ城などと呼ばれることもあるが、それほど大きな建物ではない。しかし、山の中腹にあるためとても眺めが良く、毎朝美しい日の出が拝める素敵な寮だ。


「え、猫が苦手だったんですか!?」

 月美と百合は、生徒会寮の三階の和室で、お昼ご飯の天ぷらをご馳走になった。

「そうじゃ。だからお前たちに救われたのは、子猫だけじゃない。私もじゃ」

「そうだったんですのね・・・」

 見たこともない野菜が天ぷらにされており、好奇心の強い百合は目をきらきらさせて箸を進めた。白いご飯もピカピカ光って湯気を立てている。

「私は三毛猫でも飼っていそうな身なりをしておるが、どうも猫は昔から得意ではないのじゃ。この不安感が子猫に伝わってしまったら安全な救出作業はできなかったかも知れぬ」

 こうして話していると、千夜子の正義感の強さが窺い知れる。自分が猫に触るのがイヤだ、というのは論点にしておらず、猫の救出のためには猫を苦手にしていない人物の手が必要であったと彼女は言っているのだ。普段は毒舌だが、優しいお姉様なのだ。

「ところで月美、百合。今日はどのような趣旨で旅をしておるのじゃ。この部屋には誰も近づけぬから安心して話せ」

 千夜子は日本人形のような美しい髪を揺らして身を乗り出した。



「・・・なるほど、夏の思い出作りじゃな。どうしようもないほど陳腐な目的じゃが、お前らの境遇は特殊じゃからな。そのダサい帽子で顔を隠して、ヒミツの旅行というわけか」

「ハイ・・・」

 毒舌である。

「百合、お前がビドゥの生徒でいられるのは今年の大晦日までじゃったな」

 千夜子もこの件はよく知っているわけである。

「そ、そうなんです」

「しかもストラーシャの生徒会寮に編入させられると聞いている。あの節操無しのローザと共に生活せねばならぬとは、不憫極まりない」

 そう言ってから千夜子は、楽しい旅の最中に編入のことなど話題にするのは可哀想だと気づき、違う話を探した。

「時計回りに島を一周しておるようじゃが、次の行き先は決めておるのか」

「いえ。でも順番通りいけば、この後はストラーシャ学区かなと思ってますわ」

「ならば面白い場所を紹介してやる。人が少なくて、デートに最適な場所をな」

「デ!?」

「デートとかじゃないです! 二人でお出かけです!」

 千夜子は笑いながら書棚の引き出しを開け、パンフレットを持ってきた。

「ストラーシャに伝わる人魚伝説の資料館じゃ」

「に、人魚ですの?」

「ああ。人魚など架空の生き物じゃが、資料館ではなく美術館と割り切って観覧すると面白い場所じゃ」

「なるほどぉ・・・」

「しかもこの資料館を管理しているのはストラーシャの美術部なんじゃが、あいつらは裏で百合のファンクラブを運営しており、今日はほとんどのメンバーがビドゥに出かけているはずじゃ。だから館内はガラガラじゃな」

 百合や月美のファンは今日、清掃活動をする二人を応援するためにビドゥに集まっているのだ。アヤギメに来ているとは知らず、ご苦労なことである。

「ではここに行ってみますわ!」

「ああ。普段は混雑しているが、今日はゆっくりできるはずじゃ」

 美味しい天ぷらを食べ終えた月美たちは、千夜子にお礼を言って生徒会寮を去ることにした。

「気を付けて旅を続けるんじゃぞ」

「はい!」

「晩飯までにはちゃんとビドゥに帰れよ」

「わかりましたっ」

 二人は浄令院会長とあまりしゃべったことがなかったので今日はいい経験になった。意外と優しい人だったので月美たちの心はポカポカである。



 ビドゥには海賊伝説があり、アヤギメには島流しにされて来た姫の伝承がある。そしてストラーシャには人魚の言い伝えがあるのだ。

 たぶん、快適な内海に住み着いたイルカたちがモデルになっているのだろうが、腰から下が魚みたいになっている美しい女性の姿は絵の題材として人気であり、今も多くの生徒が人魚にまつわる美術作品を作り続けている。

 その作品を集め、それっぽい解説を付けて展示しているのが、ストラーシャにある人魚伝説資料館なのだ。


「ここだね!」

「そ、そうですわね」

 エントランスはまるで高級な映画館のような趣であり、魚や貝の形をしたライトが、高い天井や壁、そして月美たちの足元などで踊っている。

「ええと、一年生、二人ですわ」

「はい、6ダリアになります」

 一人およそ300円の入館料である。たっぷり見て回らなければならない。

「行こう! 月美ちゃん!」

「だから、名前呼ばないで下さいぃ!」

「ふふっ♪」

 百合は周りの先輩たちにギリギリ聞こえないくらいの声量でわざと月美の名を呼んだ。百合は美しすぎるがゆえに幼い頃から友人がいなかった子なので、高校生になった今も、まるで小学生のようないたずらっ子な面を月美に見せるのである。

 はしゃぐ百合の背中を追って、月美も小走りで入場ゲートを通った。


 照明によってオシャレに演出された館内は、海の中がテーマであるようだ。

 スティールパンというカリブ海の雰囲気たっぷりの楽器を用いたBGMが優しく流れており、そこに並んだ数々の人魚像や絵画を活き活きと輝かせた。ほんのり暗くて人影もまばらな館内は、百合の胸をますますワクワクさせる。

「いっぱいあるね♪」

「そうですわね。かなり古い作品も置いてあるみたいですわ」

「大事に保管されてるんだねぇ」

「・・・ちょっと、あんまりくっついて歩かないで下さい」

「えへへ♪ バレたか」

 どさくさに紛れて百合は月美に肩をくっつけてきた。二人とも半袖なのでこういう軽いスキンシップも月美には刺激が強い。

 さてそんな中、今年に入って作られたばかりの新作の絵画が並んでいるスペースがあった。吹き抜けになっている場所に設置された、大きな大きなクジラ型のパネルの両面がそれである。

「う・・・」

 パネルの前で百合は硬直してしまった。

 なんと新作の人魚の絵が、どう見ても百合をモデルにしたとしか思えないものばかりだったのだ。美しい人魚を描こうとしたら、どうしても百合の姿が思い浮かんでしまったに違いない。

「あらまあ・・・本人に見つかるとは思ってなかったでしょうね」

「あはは・・・」

 百合は苦笑いである。この程度のことでいちいち動揺していたら美少女はやってられない。

 しかし、パネルの一番奥に飾られた人魚の絵だけは百合がモデルではなかったようだ。

「月美ちゃん、これって・・・!」

「ロ、ローザ様ですわね」

 ストラーシャの生徒が描いたに違いないその絵の中では、ローザ様そっくりな人魚が海中を泳ぎながら、貝殻を髪飾りにして無邪気に遊んでいたのだ。とても緻密で美しく、見ているだけで優しい心持ちになれる絵である。

「・・・顔は似てますけど、ローザ様本人とは似ても似つかない雰囲気ですわね」 

「そ、そうかもね」

「本物もこれくらい清らかな人物だったら良かったですのに」

「あ! 月美ちゃんがモデルの人魚の絵もあるよ!」

「え!?」

「ほらほら、これ! かわいい~♪」

「な、なんですのこれは! 勝手にこんな絵を描いたりして! わたくしはもっと大人っぽい顔をしていますわよ! こんなネコみたいな顔してませんわ!」

「ふふっ♪ すごく似てるけどなぁ~・・・」

「似てないですわ!」

 月美の人魚姿もなかなかに可愛いものであった。

 

 

 正体さえバレなければ堂々と街中を歩くことも出来た。

 人魚伝説資料館を出た月美たちは、馬車に戻る前にストラーシャのショッピングモールへ歩いて行くことにした。ビドゥでは食べられない美味しいソフトクリーム屋があるのだ。

「私、こういうところでアイス食べるの夢だったんだ♪」

「え?」

「まるで放課後に寄り道しているみたいでしょ♪」

「わ、悪い人ですわね・・・」

「うん。私、悪い子だもん♪」

 百合はにこにこ笑いながらストロベリー味のソフトクリームを味わっている。

 周りにはたくさん生徒がいるが、百合たちの存在に気付かず普通にショッピングを楽しんでいる。

「ねえ、月美ちゃんのそれ、何味? チョコ?」

「チョコクッキーですわ。バニラも混ぜました」

「一口くれない?」

 月美は一瞬、百合が何を言っているのか理解できず、ポカンとした顔をしてしまったが、やがて事態を把握し、顔を赤くして百合に背を向けた。

「ふふっ♪ 冗談だよ」

「じょ、冗談!?」

「うん。だって、間接キスになっちゃうもんね♪」

 まさか百合の口から「キス」などという言葉が出てくると思ってなかった月美はひどく動揺してしまった。心を落ち着かせるため、あるいは落ち着いているフリをするために、月美は自分のソフトクリームを味わうことにした。しかし味など楽しむ余裕がない。

「あ、月美ちゃん、ほっぺにチョコついてるよ」

「え!?」

「ウソだよぉ♪」

「・・・もう!!」

「ふふっ♪」

 アイスを食べながら、百合はずーっと、楽しそうに笑っていたのだ。


 ショッピングモールで良い香りのせっけんや新しいバスマットなどを見ていたら、いつの間にか時間が経っていた。女学園島に夕暮れが迫ってきたのである。



 二人を乗せた機馬車は丘の道をゆっくりと登り、ビドゥ学区に向かっていた。島一周旅行ももうすぐ終わりである。

「ねえ月美ちゃん」

「なんですの」

「今日は楽しかったね♪」

「・・・はい・・・まあ、その・・・楽しかったですわ」

 月美はもじもじしながらも、ちゃんと気持ちを伝えておいた。

 すれ違った機馬車からは、明日の天気予報を知らせるラジオ音声がこぼれていた。もう生徒たちの関心は明日に向いている、そんな時間帯なのかも知れない。

 丘の頂上まで来た時、百合は機馬車の停車ボタンを押した。

「この道下って行けば、すぐに私たちの寮だよね」

「そうですわね」

「じゃあ、もうちょっとだけ・・・お話しよ♪」

 このまま流れるようにいつもの生活に戻るのが寂しかったのである。名残惜しい気持ちは月美も同じであった。



 夏休み最後の夕日が、海の向こうに沈んでいく。

 この美しい輝きを残して水平線の彼方へ姿を消した太陽は、やがてまた東の海から顔を出すわけだが、もうその時、学園は秋になっているわけである。同じ日は二度と来ないのだと、月美はこの時強く実感した。

 今日二人で見た全ての景色と、感じた全ての気持ちが、鮮やかな夕空の輝きの中に次々と蘇ってきた。とても幸せで、そして切ない感覚が、二人の胸を焦がした。

「月美ちゃん・・・」

「な、なんですの」

「ずっと・・・」

 珍しく、百合の声が震えていた。

「ずっと・・・友達でいようね」

 いつもの月美なら適当に誤魔化したり、突き放すような態度をとったりして照れ隠しをするのだが、今はそんなことしてはいけないと月美は感じた。百合は今、本当に寂しい気持ちなのだ。

「も、もちろんですわ。・・・わたくしは百合さんとお友達になれて・・・その、凄く嬉しいです」

「・・・私もだよ、月美ちゃん」

「ですから・・・来年もずーっと、仲良しですわ」

「・・・うん! ありがとう、月美ちゃん♪」

 百合は明るくそう返事をして、また夕日を見つめた。

 月美はしばらく言葉を探していたが、気の利いた台詞を思いつかず、黙ったままそっと百合の横顔を見てみることにした。

(あ・・・)

 月美の心臓はドキリと飛び跳ねた。

 百合がちょっぴり、泣いていたのである。


(月美ちゃんとお別れしたくない・・・来年も、ずっと一緒にいたいよ・・・)


 そんな百合の想いが、彼女の目から溢れていたのだ。

 百合の頬を伝う涙の中で、まぶしく輝く小さな赤い夕日が、月美の脳裏に強く焼き付いたのだった。


 百合はうつむき加減に、小さく鼻をすすって涙を拭った後、急に「えへっ」と笑って座席に座り直した。

「また、一緒に旅しようね♪」

「・・・はい」

「今度はさ、サーフィンとかしようよ! 私応援係ね♪」

「・・・なんでわたくしだけ波に乗りますの」

「ふふっ♪ 見たいなぁ、月美ちゃんのサーフィン。サングラスとかして」

「しませんわよ」

 百合がクスクス笑うと、丘の下から聞き覚えのある声が近づいてきた。

「あれ? もしかしてそこにいるの、月美たちー!? ようやく帰ってきたのね!」

 清掃活動を終えて寮に帰る途中の綺麗子と桃香だった。

「ただいまー!」

 百合はハンカチでしっかり涙を拭いてから二人に手を振り、機馬車の発進ボタンを押した。

「月美ちゃん、お腹空いたね!」

 この時の百合はもう、いつもの明るい笑顔に戻っていたのである。


 

 その後も百合は普段通りであり、少しも寂しさを感じさせない様子で綺麗子たちと談笑し、部屋に戻ってからも至って平然とシャワーを浴びて、明日の準備などをした。

「それじゃあ、おやすみなさい♪」

「お、おやすみなさい・・・ですわ」

 明日からは授業なので、今夜は早く眠ることにした二人は、消灯時間を迎えるとすぐに電気を消したのである。



 暗闇と静寂の中に、月美は先ほど見てしまった百合の涙を思い浮かべていた。

(百合さん・・・私のことを、心から信頼してくれてますのね・・・)

 きっとこれが友情というやつなのである。

わたくしだって・・・百合さんとお別れしたくないですわ・・・! ずっとずっと・・・ずーっと一緒にいたいです!)

 月美は目頭がきゅっと熱くなった。お嬢様特有の、時間差タイプのもらい泣きである。二人の関係は、沈んでいく夕日のようにやがて消えてしまうものなのだろうかと考えると、悲しくて仕方が無くなった。いや、自分のことはいい、自分の恋心など叶わなくていいから、せめて百合さんだけは幸せになって欲しい、もう泣かないで欲しい・・・そんな月美の純粋な想いが、暗闇にゆっくり募っていった。



『あなたと百合ちゃんが一緒にいられるのは12月までよ♪』



「うっ!」

 月美は、掛け布団を跳ね除けるように、急に上半身を起こした。隣のベッドに目をると、百合は月美のほうに体を向けたまま、子ウサギのように丸くなって眠っていた。月美は布団の端をぎゅっと握りしめて、暗闇の先をにらんだ。

(なるほど・・・わかりましたわ・・・)

 月美の胸に熱い感情が湧き上がってきた。

(それなら・・・それならわたくしが・・・未来を変えてみせますわ・・・!)

 思えば月美は、自分に与えられた運命の波を、サーフィンのように格好良く乗りこなす事ばかりに必死になり、それに逆らうという発想を持たなかった。

(百合さんがストラーシャの生徒会に編入しなくていい道を・・・なんとかして見つけてみせますわ! 自分のために・・・そして、百合さんのために・・・!)

 それが非常に険しい道のりになるであろうことは、今の月美にもよく分かった。おそらくローザと個人的に交渉して解決するような簡単な問題ではないし、正直ローザという人物自体が恐ろしくもある。

 しかし月美はもう百合の悲しむ姿を見たくないのである。百合の笑顔のためならば、どんな困難にでもぶつかっていけるという気概が月美の胸に今、満ちたのである。

(年末なんてあっという間ですわ。明日から動き出しますわよ・・・!)

 月美は火照った手のひらをぎゅっと握りしめたのだった。


 クールなフリばかりしてきたポンコツお嬢様が、愛する人のために運命に立ち向かおうとする、その切っ掛けになった一日がこうして幕を下ろした。


 恋する乙女たちを空から見守る星々は、もう秋の星座である。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 尊い…これは人を萌え殺す兵器か何かでしょうか…
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