120、盾
「ローザさん!! イタリアの曲弾いて!!」
秋の木漏れ日が差し込む車内は、とても賑やかである。
「皆が歌える曲のほうがよくなぁい? それに、私はスペイン出身よ♪」
「じゃあ何でもいいから! 弾いて弾いて!」
「おっけー♪」
「やった!」
綺麗子はローザの肩にもたれ掛かり、目を輝かせながら、ギターの弦が震えるのを見つめた。
鹿野里の子供たちは、美菜先生と柳生先生が運転する2台の車に分かれ、笠馬市街地のスーパー銭湯に向かっている。
なぜ、喫茶店オーナー兼図工教室の先生であるローザが一緒にいるのかというと、彼女は今日偶然、初瀬屋のお風呂を使いに来る予定であり、皆がスーパー銭湯に行く話を聞いて、迷わず参加してきたのだ。桃香ちゃんの家のお風呂場の窓が割れた一件がこんなに大きなイベントになるなんて、誰も予想していなかった。
(ルネちゃんと一緒にお風呂、楽しみだわ~♪)
ローザは小学5年生のルネちゃんが大好きな変態なので、彼女との入浴を楽しみにしている。自慢のナイスバディをルネちゃんに直接見せて、メロメロにさせちゃおうと思っているわけだ。どうしようもない女である。
「ローザさんギターも上手いんやなぁ♪」
「あら、どうも~♪」
ローザの曲の合間に、後方の座席から関西弁が聞こえてきた。声の主は保健医の舞鶴先生であり、今日はルネの付き添いということで乗車している。
(舞鶴先生も来るなんて、ちょっと意外ねぇ・・・)
ルネは確かに病弱だが、近頃かなり元気であり、車椅子無しでローザの図工教室に歩いてくる日があるくらいなので、銭湯に行くくらい平気なのだが、念のためついてきてくれたようだ。
ちなみに、ローザと舞鶴先生は既にそれなりの親交がある。舞鶴先生が、喫茶店を度々訪れてくれるからだ。
彼女は、ローザが淹れたアイスティーなどを幸せそうに味わいながら、鹿野里やその住人に関する色々な話をしてくれるし、宇宙や時間に関する哲学めいた科学の話題にも強いので、ローザにとって彼女は、話していて飽きない、面白い保健医だ。
(でも、診療所空けてお風呂屋さんなんて行っちゃって、いいのかしら)
意外と真面目なところがあるローザは、一瞬そんな風に思ったが、気にせずギターを弾き続けた。ローザはリズム感が抜群であり、カッティングと呼ばれるキレのある音の出し方で、敢えてゆったりした曲を弾くのが得意である。
さて、隠れラブラブカップルである百合と月美はというと、柳生先生が運転する車に乗っていた。
「じゃあ、アテナちゃん、次は指こうして♪」
「うん」
「毛糸をこう通しま~す」
「うん」
「最後にこの指、放してごらん♪」
「お~」
百合と月美の間には小学一年生のアテナちゃんがおり、彼女は百合が教えてくれるあやとりを楽しんでいる。
今日もクールな月美は、先程からずっと窓の外の秋景色に目を向けているが、心は百合に関することでいっぱいだ。
(ア、アテナさん・・・そんなに百合さんにくっついちゃって・・・!)
月美は窓ガラスにほんのり映る二人の様子を見ながら、嫉妬中である。
(アテナさんがいるから、私は百合さんの隣に座れなかったですわ・・・! あ・・・でも、隣だと困りますから、やっぱりいてくれて良かったです・・・。そうですわね、いてくれて良かったですわ・・・)
月美はこんな時でも無表情だ。
(・・・それにしても、どうして私が皆さんと仲良くお風呂屋さんになんか行かないといけませんのよ・・・。百合さんに裸を見られたら、わ、私、恥ずかしくて、め、目を回して倒れてしまいますわ・・・!!!)
初恋中の乙女の恥じらいというのはこれくらい激しいものである。
(あまり私の体は見ない、と約束してくれましたら・・・大丈夫だと思いますけど・・・恥ずかしいものは恥ずかしいんですのよ・・・)
無口でクールに見える人に限って、心の中ではおしゃべりであることが多い。
三日月野菜の直売所を過ぎ、笠馬の住宅地を進んで国道に入る頃、月美は名案を思い付いた。
(そ、そうですわ・・・! 今みたいに、アテナさんを挟んで行動しましょう! 着替える時も、入浴する時も!!)
アテナちゃんを盾に使う作戦である。
アテナちゃんは綺麗子やキャロリンと違ってとても大人しい性格だから、動きがゆっくりなので、アテナちゃん本人に気付かれずに盾役になってもらえそうである。なかなか名案だ。
一方、あやとりを教えてもらった幼いアテナちゃんは今何を考えているのかというと、意外にも月美を意識していた。
(月美とも、もっと遊びたい)
百合お姉さんはいつも優しく話しかけてくれるので、アテナは百合のことが大好きであるが、クールな月美お姉さんのことも尊敬している。こういう遠足気分のイベントの時に、ぜひとも仲良く遊んでみたいのだが、今のところそのようなチャンスには恵まれていない。アテナは少しだけ顔を上げて月美の横顔を盗み見て、すぐに手元のあやとりに視線を戻した。
月美の瞳に、うっとりするような笠馬の街並みが映っている。
夕日が似合うプラタナス並木には、コート姿の女性たちも見えた。季節の移ろいは、田舎にも都会にも平等に訪れているようだ。
ちなみに去年の秋冬の月美は、腰の辺りがきゅっと締まった最高に格好いいシルエットの子供用トレンチコートを愛用していたのだが、あれからかなり身長が伸びてしまったので、今年は着られないかも知れない。近いうちに買い物のために笠馬のショッピングモールに行きたいところである。
さて、少女たちがやってきたのは、『文倉の湯』というスーパー銭湯である。
百合たちが以前プールを借りに来た花菱女学園と、陸上競技場の近くにその銭湯はあるのだが、経営者が花菱の出身である関係で、花菱女学園の生徒なら半額で入浴できるシステムである。
ちなみに、百合たちは花菱女学園の分校の生徒であるため、しっかり半額にしてもらえる。おまけに小学生は子供料金だ。もっと近所にあれば毎日だって来たい銭湯である。
「と、到着です・・・! 足元にお気をつけてお降りください!」
「はい。ありがとうございまーす!」
超真面目な柳生先生による慎重な駐車は10分もかかったが、そのお陰で無事に到着できた。
駐車場に下り立つと、太平洋の海風が月美たちの鼻をくすぐった。駐車場のシュロの木のすぐ向こう側に、もみじ色の夕焼けに染まる秋の浜があるのだ。笠馬は都会だが、海も山も近いため、一年中いろいろなレジャーが楽しめる素敵な街だ。
「月美ぃ!」
「ひ!!」
「海が見えるデースよぉ!!」
「あ、は、はい・・・」
「でも寒そうデース! 泳ぐならお風呂がいいデース」
「お、お風呂で泳いじゃダメですわよ・・・」
銭湯に緊張している月美は、ちょっとキャロリンに声を掛けられるだけでビクッとしてしまった。過敏になっているようである。
文倉の湯は、長い工期を経て昨年リニューアルオープンしたばかりなので、あらゆる設備がピカピカだ。
館内の飲食を含めた全ての金額を後払いするシステムであり、最初にリストバンドを貰って、駅の改札口のような機械を通り抜ける。その先はシャンパン色の光でいっぱいの、広いエントランスだ。
そこには、創業当時の銭湯の様子を再現した瓦屋根の建物があり、屋内であるにも関わらず、明治期の笠馬の街並みが広がっているため、お洒落な歴史博物館のようであった。
「すごーい! 晩ご飯もここで食べていきましょ!!」
「そうじゃなぁ。風呂あがりにいい店を探そう」
綺麗子も千夜子も、リニューアル後にここへ来たのは初めてだったから、ハイテンションである。飲食店も明治時代の雰囲気で営業中なので、せっかくここまでやってきたのなら、夕食も楽しんでいくべきかも知れない。
「まずはお風呂デースよ! お風呂はどこデース!?」
「えーと、あっちだね」
桃香が遠慮がちに指差した先には、京都の二条城の唐門に似た、高さ6、7メートルのゲートがあり、『ゆ』と書かれた赤い暖簾が見えた。あの向こうがメインのお風呂場エリアである。百合たちはスキップするように喜び勇んでワインレッドのカーペットの上を進んでいった。
(ア、アテナさんと離れないようにしないと・・・!!)
月美はアテナにぴったりくっつくようにして小走りでついていった。アテナの髪についている水色のリボンが揺れていてとても可愛い。
暖簾を通り抜けた先の脱衣所は、楕円形をしており、かなり広かった。初瀬屋のお風呂の脱衣所もそこそこ広いのだが、ここはその10倍くらいある。
「皆、どこのロッカーにするー!?」
綺麗子は目を輝かせて飛び跳ねた。
脱衣所のロッカー選びは、月美とっては重要である。
これだけ脱衣所の通路が広いと、アテナから少しでも離れたロッカーを選んでしまうと百合に裸を見られてしまいそうだからだ。自分と百合の間に常にアテナを挟みながら行動するためには、もうアテナの背中に張り付くようにして着替えるしかない。
「ア、アテナさん」
「ん?」
「アテナさんは、ど、どこのロッカーにしますの?」
「んー」
「こ、この辺とかですの?」
「んー」
やたら尋ねてくる月美をアテナは不思議に思ったが、話しかけ貰えてちょっと嬉しかった。
そんな月美たちの会話が耳に入ってきた百合は、月美の思惑に気付いてついつい笑ってしまった。
(なるほど♪ アテナちゃんの後ろに隠れる作戦なんだね)
百合は、恥ずかしがり屋の月美ちゃんのほうをなるべく見ないようにすると約束しているから、そんな作戦必要ないというのに、お嬢様は心配性である。
「私はここにしよっかなー♪」
わざと月美にも聞こえるような声を出しながら、百合は自分が使うロッカーを宣言した。すると、百合に懐いているアテナちゃんが、吸い寄せられるようにすぐ右隣のロッカーにやってきた。
(で、では私はここで!!)
月美は素早く駆け寄り、アテナの右隣りに陣取ることに成功した。
結果として百合のかなり近くで脱ぐことになるのに、喜んでいる月美はかなりのポンコツである。
さて、綺麗子やキャロリンは平気でどんどん裸になっていくのだが、ほとんどの少女たちは照れてしまって、なかなか脱げないわけである。
その筆頭が月美であるが、幼いアテナちゃんが水色のワンピースをサラッと脱いでしまったのを見て焦った。
(お、置いていかれたらまずいですわ!!!)
月美は意を決してシャツのボタンを外していった。耳が熱くて、ほっぺが赤くなるのが自分でもよく分かったが、月美は進むしかなかった。
(は、恥ずかしい・・・! でも脱がないと・・・!)
月美は半年ほど前に下着を本格的なブラジャータイプに変えたのだが、それを見られるのも恥ずかしかった。いっそのこと早くお風呂場へ行って湯舟に浸かってしまったほうがマシである。
(というか、どうして世の中の銭湯の脱衣所ってどこもこんなに明るいんですのよぉお・・・!!!)
月美はロッカーを覗き込むフリをして深呼吸し、平静な顔を作ってから再び顔を上げ、その勢いで、ブラジャーをパッと外した。そしてすぐにタオルを体に巻きつけたのである。このタオルは月美が持参したアイテムであり、通常のタオルよりもバスタオルに近い、大きめサイズのものだ。これなら体を隠せちゃうので恥ずかしくないのである。
(よ、よし! 巻けましたわ・・・!)
だが、あくまでもお風呂場に持ち込める程度の大きさなので、丈の長さが不安である。
(こ、これ・・・もしかして、縦と横入れ替えたほうがいいかしら・・・!?)
巻き直すならなるべく早くやったほうがいい。月美は周囲の視線が自分に注がれていないことを確認してから、タオルを緩めた。
するとその時、お洒落な洗面台が並んだ一角から、意外な声が聞こえた。
「あ! 鹿野里の子ー!?」
「百合ちゃんたちだー!!」
お風呂上りの女子高生たちである。どうやら、花菱女学園の生徒たちらしい。
この『文倉の湯』には、毎日たくさんの花菱女学園生徒が来ているから、夏祭りで交流があった百合たちの存在に誰かが気付いて声を掛けてくるのは時間の問題であった。
「あ、どうもこんにちは~!」
まだ服を完全に脱ぎきっていなかった百合が、笑顔で挨拶した。
「よく見たら皆いるじゃーん!」
「はい、そうなんです。今日はここのお風呂目当てで笠馬まで来ました♪」
百合が楽しそうに喋り出したのを見たアテナは、高校生のお姉さんたちの表情を見てみようと思い、何気なく一歩動いた。
(うっ・・・!!)
タオルを巻き直そうとしていた月美は、アテナが急に動いたのでとても焦った。すぐにアテナの背中に張り付くように移動したのだが、足がもつれてバタバタと物音を立ててしまった。
「ん?」
そして、アテナちゃんに気付かれてしまったのである。
月美は、アテナちゃんと自分の間に生じる身長差によって、肩から上が百合から丸見えであることに気付き、無意識のうちに少し腰をかがめていたわけだが、このせいで、振り向いたアテナちゃんの顔のすぐ前に月美の顔があったのである。
「あっ・・・」
二人は顔を見合わせたまま固まってしまった。
しかしこれは、アテナにとっては胸躍る瞬間だったと言わざるを得ない。
いつもクールな月美が中腰になって自分の背後に迫っていた事実が、たまらなく面白かったのだ。
「あ、あの・・・これは・・・・その・・・!」
慌てて言い訳を考えている月美の目の前で、アテナはわざと体を傾けてみた。すると、月美も真似をして上半身を斜めにしたのである。
「ちょ、ちょっとアテナさん・・・! じっとして下さい!!! お願いします・・・!」
月美はそう囁いたのだが、アテナは嬉しそうに目を輝かせたままだった。
何しろ、アテナはずっと月美お姉さんがこんな風に遊んでくれるのを待っていたからだ。
嬉しくなったアテナはとうとう、楽しそうにペタペタと歩き回り始めてしまったのである。
「アテナさん! ちょ、ちょっと待って・・・! 待って下さいぃ!! ま、待ってぇ・・・!!」
月美はタオルがずり落ちないように必死で胸元を押さえながら、アテナを追いかけてロッカーの間を行ったり来たりした。恥ずかしくって、顔から火が出そうであった。お風呂に入る前からこの調子では、先が思いやられる。
月美とアテナの様子を横目で見ながら、敢えてゆっくり服を脱いでいる百合は、もう笑いが止まらなかった。
(月美ちゃんって、ホントに面白い人♪)
ちょっと珍しい二人組による追いかけっこは、百合が入浴の準備を済ませるまで、ずっと続いたのである。




