114、恋花火
夏祭りと言えば、かき氷である。
「いらっしゃいませぇ~♪」
「いらっしゃいませー! かき氷、美味しいですよー!!」
神社の石段の下にあるローザとルネのかき氷屋は、大繁盛だ。
スペイン出身のローザは、かき氷と呼ばれる食べ物を最近まで知りもしなかったわけだが、そのお手軽さと美味しさにメロメロである。製氷の際に砂糖を混ぜるとフワフワのかき氷になるというコツを知ってからは、毎日のように食べていたので、夏祭りの出店の話を聞いた時、絶対かき氷屋をやりたいと思ったのだ。
「ルネちゃん、あちらのお客さんにこれお願い♪」
「はいっ」
一方のルネは、図工を教えてくれるローザお姉さんと一緒にお店ができるだけでとっても幸せだった。ローザは普段、三日月農業の研究のために、あちこちの畑で農作業をしているのだが、体が弱いルネはそれをお手伝いできず、悔しい思いをしていたのである。かき氷屋の出店くらいなら、力になれるわけだ。
(ローザさん、カッコイイなぁ)
かき氷器は刃があってちょっと危ないので、大人であるローザがレバーを回転させているのだが、そんなローザの様子を、ルネは横目で何度も眺めてしまった。
生まれつき病弱で体がほっそりしているルネは、ローザの健康的なナイスバディーに憧れてしまうのだ。
大繁盛のかき氷屋も、ふとした瞬間に、客足が途切れる瞬間がある。浴衣にサングラスという陽気な格好の女子高生たちの一団が去った時、ルネはようやく一息つくことができた。
「ふー・・・」
心地よい疲労感で火照るルネの頬に、神社の山から吹き下ろしてくる風がそよそよと当たった。蝉たちの声が深い森の中にこだましている。
「あ」
気付いてみると、屋台の横に出た作業台は削られた氷の欠片でいっぱいだった。ルネはそれが溶けてしまう前に小さな小さな雪だるまを作り、ローザを呼んだ。
「ローザさん、見て~」
「ん? なぁに?」
何気ない一瞬であったが、これはルネにとっては衝撃の瞬間だった。
なぜなら、ローザは作業台を覗き込みながら、わざとルネの肩の辺りにおっぱいを押し当てたからだ。ローザは悪女なので、ルネにセクシー攻撃を仕掛けるタイミングをずっと見計らっていたのだ。
ルネはピタッと固まってしまった。
(いや~~ん! ルネちゃんったら、絶対ドキドキしてるぅ~!!)
ローザは内心大喜びである。
(私を呼んだのに、無言になっちゃうなんて、可愛い~!)
ローザは「ん~? なぁに?」などと言いながらしばらくルネの横顔を覗き込んでいたが、やがて「わぁ、雪だるま~♪ 可愛いわぁ♪」と言って笑った。
ローザが離れた後も、ルネはしばらくのあいだ赤面して立ち尽くしていた。
(セ、セクシーすぎるよ、ローザさん・・・)
清楚なルネは、ローザが乙女心を弄ぶ悪女であると全く気付いておらず、親切で面倒見のいいお姉さんだと思っているから、偶然胸が当たったと勘違いしているのだ。ローザは実に罪深い女である。
するとそこへ、小学一年生のアテナちゃんが、下駄を鳴らして一人で駆けてきた。赤い浴衣を着ているアテナちゃんは、帯紐の結び目が金魚の尻尾のように揺れていてとても可愛い。
「不審者が出た」
「え!?」
「私を追ってくる・・・。ほら」
アテナは提灯が並ぶ農道を指差した後、何かに気付き、慌てて神社のほうへ逃げていった。
入れ替わるようにルネたちの前にやってきたのは、花菱女学園の生徒会長、翼さんである。彼女は肩で息をしていた。
「や、やあ、ルネちゃん・・・。さっきここを通った子って・・・」
「アテナちゃんです」
「あぁ・・・そのアテナちゃんが、さっき10円玉を落としたんだよ、お財布から・・・」
「あ、落とし物ですか」
「うん。渡そうとしてるんだけど・・・はぁ、はぁ・・・なんか知らないけど、逃げられちゃうんだよね・・・」
翼は落とし物を届けるためにアテナを追っていたのだ。全然不審者ではないのだが、プールの授業の時に誤解されたきり、アテナからすっかり警戒されている。
翼はヘトヘトになりながら、アテナを追って石段を上っていった。気苦労の多い生徒会長さんである。
このように、今日の鹿野里夏祭りは、多くの者たちにとって忘れられない思い出の日となるわけだが、その中でも特に、この日を境に人生が一変することになる少女たちがいる。
それは他でもない、百合と月美だ。
「月美ちゃん、足元気を付けてね」
「い、言われなくても、分かってますわ・・・」
「暗くなってきたからね♪」
「知ってます・・・」
「あ! 月美ちゃん足元に!」
「え! な、なんですの!?」
「なんにもな~い♪」
「・・・もう!」
百合たちは、自分らを待ち受ける運命的な一幕が、もう目前まで迫っていることに気付かず、いつも通り冗談を言ったりしながら、花火が見やすい場所を探して神社の境内を歩いていた。日が長い季節とはいえ、19時近くになると、辺りは暗闇に包まれる。
(ゆ、百合さんが・・・ぴったりくっついて来ますわ・・・!)
花火の件を里じゅうに知らせて回る、という仕事を終えた二人は、二人だけで歩く大義名分を再び失ったわけだが、日が暮れてきたせいで、周りのお姉様たちは百合たちの様子を気にしなくなっていた。なので、百合は少しずつ月美との距離をつめ、今ではすっかり寄り添うようにして歩いているのだ。夏の夜空に翼を広げる白鳥座に、アルビレオという二重星があるのだが、今の二人はそれにそっくりなわけである。
「わぁ、もうたくさん人がいるね!」
神社の北側は、緩やかな下りの斜面になっているのだが、ここは梅の木がたくさん植えられた庭園なのである。この場所が一番よく花火が見えるはずなので、女子高生たちが大勢集まっていた。
「やっぱり、星が綺麗だねぇ」
梅の木の葉の向こうに、満天の星空が広がっていた。
鹿野里は夜空がとても澄んでいることで有名だから、高校生たちは花火が上がる前から空を見上げている。青白い月明かりに照らされた砂丘のようなものが遠くに見えるが、あれが花火の打ち上げ場所の白馬山だ。
「もっと人が少ないところないですかね」
「んー、そうだねぇ~」
百合は辺りを見回しながら、あれ、どうして人が少ないところに行きたいんだろう、とちょっぴり疑問に思った。
(月美ちゃんも・・・二人だけの時間を過ごしたいってことかな・・・)
二人だけで花火を見るのは、きっとロマンチックな時間である。
(いやいや、絶対考えすぎだよ、私・・・!!)
百合は月美のことを意識しすぎている自分が恥ずかしくって俯いた。歩くたびに、夏の草が足首の辺りをサラサラとくすぐってくる。
「じゃあ、ここにしましょう」
「う、うん」
庭園のベンチはどれも満席だったが、斜面に並ぶ段々の石垣に腰かけている少女たちも大勢おり、月美が目を付けたのは、やや離れたところにある小さな石垣だった。境内の明かりからかなり離れていて暗いが、その分、花火が綺麗に見えるはずだ。
「なんか、ドキドキするね」
「べ、別に・・・」
学校の学芸会や芸術鑑賞会などで、会場が暗転した時に子供たちが歓声を上げることがあるが、あんな感じのドキドキである。
ただし、二人が胸を高鳴らせている理由は、花火が始まることへのドキドキのみでないことは言うまでもない。
(二人っきりだ~・・・)
そう思いながら、百合は少し離れた石段に腰かけている高校生のお姉さんたちを見回した。なんと、女子高生たちの中には、ラブラブな感じのカップルも多かった。
(私たちも今、恋人同士みたいだなぁ・・・)
二人だけで並んで座っているのだから、客観的に見れば百合たちもラブラブだと思われても仕方がないのである。ただし、暗闇のベールに包まれている限り、ここにいるのが誰なのか判別されないので、百合はあまり恥ずかしくなかった。
百合は、隣に腰かけている月美と、周りのカップルたちをなんとなく見比べながら、考え事をした。
(いいなぁ、あの人たち、手つないでる・・・)
百合は星明りに浮かぶカップルたちのシルエットをじろじろと観察してしまった。自分も月美ちゃんと手をつなげたらいいのになぁと百合は思った。
(でも、そんな事したら、恋人みたいになっちゃうもんね・・・)
百合は、隣の月美に目をやった。星明かりに照らされて、月美の美しい横顔が見えたので、百合は胸の奥がキュンとなった。浴衣姿の月美は、桔梗の花によく似ている。
(このまま、月美ちゃんの肩にもたれ掛かってみたいなぁ・・・)
月美ちゃんの浴衣にそっと頬をくっつけて、夏の虫の声を聞きながら花火を見られたら、きっと最高に幸せなのだ。
(で、でも、そんな事したら、ラブラブみたいになっちゃうよね・・・)
実現不可能な願いに、百合はガックリと肩を落とした。
そんな百合の気持ちを知らない月美は、とにかくクールな表情を作ることに必死だった。
(ぬぬ・・・なんか、カップルが多いところに来てしまいましたわ。でも大丈夫。優雅に花火を眺めて、颯爽とここから去るだけですわ・・・)
月美は大好きな百合と一日中一緒にいるから、そろそろ気力の限界を迎えつつある。しかし、ここはお嬢様根性を見せ、クールに花火鑑賞を楽しむことにした。
(な、なんか、百合さんから視線を感じますわ・・・)
月美の直感は当たっている。百合は先程から、月美の横顔をじっと見つめているのだ。
「月美ちゃん」
「な、なんですの・・・?」
「花火、楽しみだね・・・」
「それは、まあ・・・はい」
照れたように俯く月美を見て、百合は心がほっこり温まるのを感じた。
春に鹿野里へ来て以来、百合は月美と様々な思い出を共有してきた。
一緒にお風呂に入るというビッグイベントはまだだが、親友と言っても過言でない強い絆で結ばれているのだ。百合はクールな月美の色んな表情が見たいので、敢えて非常にフレンドリーに接しており、初瀬屋のダイニングで朝食を食べる時間から、二階の廊下でおやすみを言って別れ、眠りにつくまで、ず~っと月美のことを考えているくらいだ。
そして最近の百合は、それまで以上に、月美の表情のひとつひとつを愛おしいと思うようになった。
月美ともっとスキンシップをとったり、二人だけの特別な時間を過ごしたりすることが、今の百合の願いなのだ。
例えば、高校生のお姉さんたちのカップルのように、手を繋いだり、見つめ合ったり、寄り添い合ったり・・・。
「・・・え」
百合が、ある非常に重要な事実に気付いてしまった瞬間と、一発目の花火が夜空に打ち上がったのは、ほとんど同時だった。
「・・・あ」
百合は、近頃ずっと不思議に思っていた自分の心境の変化の理由と、自分が置かれている状況を、この瞬間、一気に理解してしまったのだ。
知恵の輪のパズルが解けた時のスッキリ感と、テレビ番組に突然自分の家の近所が映った時のような衝撃を同時に感じた。
(う、うそ・・・! もしかして私・・・!!!)
自分の願いを簡潔に表現すれば『月美ちゃんと恋人同士になりたい』というものになる。そのことに、百合はとうとう気付いてしまったのだ。
(こ、これって、これって・・・! こ、恋してるってことじゃん・・・!!!)
その通りなのである。
全身がメラメラと燃え上がるように熱くなり、激しくなった心臓の鼓動に乗って、恥ずかしさが体中を駆け巡っていった。
映画や漫画や小説の向こう側で演じられていた恋愛の世界に、いつの間にか自分が足を踏み入れ、どっぷり浸かっていたことに百合は衝撃を受けたのである。
幸福にも恐怖にも似た不思議な感情によって、眠っていた百合の感覚は一気に研ぎ澄まされ、花火の色に染まる山々も、そこに響く少女たちの歓声も、草木が火照る夏の匂いも、全てが鮮明に感じられ、時間の流れに自分の全身が包まれているような感覚になった。
(そ、そっかぁ・・・そうなのかぁ・・・私・・・私・・・)
振り返ってみれば、百合は自分の言動に妙に納得してしまった。
一日中月美のことを考えたり、彼女の様々な表情が見たくてイタズラをしたり、月美と一緒にいられない時間を寂しく思ったり、後ろから抱きしめたくてたまらなくなったり・・・。すべては恋愛感情によるものだったのだ。
論理的には納得できても、それを受け入れるだけの心の平静を、百合は取り戻せなかった。
すっかり動転していた百合は、夜空になんて目もくれず、ただただ、月美の横顔と自分の人生を見つめた。
この時の百合は、自分が絵本の世界に入ってしまったような幻想的な感覚に陥っていた。
「つ、月美ちゃん・・・」
だから、こんなとんでもないミスをしてしまったのだ。
「私・・・月美ちゃんに恋してるかも・・・」
心の中で呟けばいいものを、思わず声に出してしまったのである。
その言葉を聞いた月美は、花火が咲いた瞬間のまま時間が止まったような錯覚に陥った。
月美は、百合が言った言葉の意味がサッパリ分からなかった。
いや、正確に表現すれば、言葉の意味は分かったのだが、それに全く現実感がなく、空っぽのまま自分の胸の中を通り過ぎていこうとしたのである。だが、看過するには、あまりに重大な発言だったから、月美は思考が追いつかないまま、リアクションをした。
「ふぇ?」
お嬢様らしからぬ間抜けな声を出しながら、月美は百合に向き直ったのだ。
お互い、初めて目を合わせた時と同じような表情をしている。
やがて、花火の明滅の中に浮かび上がる確かな現実に、二人の意識が追いつくこととなった。
「ふぇえええええ!?!?」
「あああああああっ!! いや、その・・・あの!!!」
とんでもないことになった。
百合はうっかり、本当にうっかり、愛の告白をしてしまったのである。




