Coffee Break : 王の竜
Coffee Breakは本編ではありませんが、
その時々の物語の背景となる為、若干ネタバレ要素が含まれる場合があります。
気になる方は飛ばして読んで下さい。
ズィリ・カハ・ロッハがドラゴンの長、王の竜となって数百年の時が経った。
人間には馴染みのない発音の名前は、正しく聞き取るこちも、発音することも困難だろう。
だから人々は敬意を払って"王の竜"とズィリ・カハ・ロッハをそう呼ぶ。
しかし彼にとって呼び名などどうでもよかった。滅びようとしている一族を立て直すことが、なにより大事なことなのだ。
三五〇年前にハイニアの危機を乗り越えるべく、竜の国の王に力を貸したその代償はあまりにも大きく、あの時人間を見捨てるべきだったのではないかと考えてしまうほど、ズィリ・カハ・ロッハは後悔していた。
個体数も、メスの数も、圧倒的に少ない。
ズィリ・カハ・ロッハが生まれる前は、もっと多くのドラゴン達が竜の山脈を支配していたと聞いている。
荘厳な風景を想像し、せめて次代ではその夢を叶えたいとズィリ・カハ・ロッハは竜の国を訪れた。
同族のメスを長として娶る道は選ばず、人間の繁殖力に掛けて、クロンヴァールに助力を求めた。
生まれたと聞いた子供は男児で、ズィリ・カハ・ロッハは酷く落胆したが、女児が生まれた際は貰い受けるという約束を取り付け、満足してその時は帰って行った。
その後のクロンヴァール王の裏切りに、ズィリ・カハ・ロッハはかなり落胆した。
戦争といい、反故といい、人間とは自分本位で、何と愚かなな生き物なのだろうか。
神がなぜ彼らを創造したのか理解できない。
繁殖力が優れているという点以外は、よいと思える点はまるでないではないか。
いつかハイニアに仇為す生き物となるのではないか?
千雀万鳩と侮っていたが、目にした戦場で、その考えに疑問を抱くようにもなった。
この先、良好な関係を続けて行くことが得策なのか否か、我ら一族は利用されるばかりで、滅びるだけではないのか?
その答えは、女王となってしまったエイラが握っているような気がしていた。
父王の裏切りを詫び、花嫁としてその身を捧げるのであれば、まだ信じられるかもしれない。
ズィリ・カハ・ロッハはライマールと対峙するまで、そう考えていた。
結果としては誠実な詫びはあったものの、先延ばしにされただけだった。
あの女王はドラゴンよりもおぞましい気配を纏った、得体の知れない王子を伴侶に選んだのだ。
彼らを城へと送り届けた後、竜の山脈にある同胞の住む都へと戻る。
人の足で踏み入る事が適わない、断崖絶壁の山肌の中腹にある氷の洞窟の中へ入ると、中には岩を削って作った先鋭な城が現れた。
天井に空いた空洞から、斜めに日の光が差し込むと、その城の影はまるで一頭の巨大なドラゴンのようだ。
ズィリ・カハ・ロッハは人の姿に成ると、疲れた様子で城の中の居住区へと入っていく。
かつては賑わっていたであろう住居の殆どは空き部屋になっていて、最近では風化が激しくなっている。
城の内部には人間のそれと同じように様々な施設があったらしいが、同胞の減少によりその文化もかなり規模が小さくなり、遺されている道具や部屋も、今や使い方や目的が解らない物がほとん どだ。
再奥の居住区の扉を開けると、ズィリ・カハ・ロッハは入ってすぐの居間へ目を向ける。
暖炉近くの大きなテーブルの前では、先程ライマールの気配に驚き、逃げてしまった同胞達が、バツが悪そうにビクビクと重厚な岩で出来た椅子の上で縮こまっていた。
皆一様に長身の人間の姿を模ってはいるが、間違いなく皆同胞のドラゴン族である。
「大事はないようだな」
くるりと視線を巡らせ、同胞の無事を確認すると、ズィリ・カハ・ロッハは逃げてしまった同胞達を咎めることなく、空いている椅子へと座り込む。
それに続いて、逃げることなくズィリ・カハ・ロッハに付いていたドラゴン達も部屋の中へ入り、空いている椅子へ腰掛けた。
「ズィリ・カハ・ロッハ。置き去りにしてすみません」
「いや、賢明な判断だ。長など所詮人間と交渉する為の代表に過ぎない。個体数の僅かな我らは種の存続がかかっているのだ。他者よりもまず己の命を大事にしろ」
尊大な態度でズィリ・カハ・ロッハが言えば、一緒に残った同胞達がそれに同意し、頷く。
人間と違い、本来なら常に群れを成して行動する事はなく、必要な時のみ集まり、必要でない場合は、個々自由に過ごすのがドラゴン本来の姿であり、理想なのだ。
「それで、どうだったんですか? 番は……」
「あの娘は我が伴侶とはならない。アレの血を引いた男が手放さなかった。雪狐が仲介に入り、次代にあの二人の娘を貰い受けるという話に落ち着いた」
アレというのは無論ユニコーンのゼイルのことで、ユニコーンのユの字も口にしたくない程、ドラゴン達はゼイルを本能的に恐れている。
故に、ズィリ・カハ・ロッハの言葉に誰もが顔を青くし、どよめき出した。
「あの2人の間に生まれた娘を娶られるのですか?! アレの血を引いた……おお……なんと恐ろしい……!!」
「クロンヴァールにあのような者が深く関わる日が来ようとは……始末したくとも、下手に手出しできぬ。おぞましい気配であったな……あの男、本当に人間なのか?」
「半分は神獣と雪狐が言ってたな……いや、でもそれにしては妙に近寄り難かったような……」
「あの男が何者かなんてどうでもいいじゃないか。ズィリ・カハ・ロッハ、今からでも遅くはない。やはり同族から伴侶を選ぶべきだ。幸い繁殖期はまだ来ていない。子を何度か産んだことのあるメスがまだ何頭かいたはずだ」
切迫詰まった様子で若い男が提案すれば、皆真剣な面持ちでそれに賛同し頷いて、ズィリ・カハ・ロッハの顔色を伺う。
ズィリ・カハ・ロッハは渋面して、首を横に振った。
「人間という生き物がたとえ不義理だとしても、もう我はあの二人と約束を交わした。我は一族の誇りにかけて、人間のように約束を違えることはしたくない。それに人間の繁殖力の可能性に、我は賭けると決めたのだ」
人と交わり、生まれた子が更にドラゴンと交われば、人間の様に強い繁殖力をもったドラゴンが生まれるようになるかもしれない。
これはもう賭けでしかないが、どうせ賭けるなら、長である自分が柱となって行うべきだと、ズィリ・カハ・ロッハは考えていた。
「それでまた裏切られたらどうなさる? クロンヴァールを……今度こそ人間を滅するか?」
「我らはいく代も人間に使役されるのみ。そもそも何故このような盟約が交わされたのか理解できん」
「先々代の同胞達ならば何か知っていたかもしれないが、もはや失われてしまった歴史。悔いても仕方ないだろう」
「それ以前に今の我らに人間を滅する力があるのか? あの力を見ただろう。よもや人間は我々の預かり知らぬ未知の存在となってしまったのではないか? クロンヴァールがまた裏切ったとして、あの男がいる限り我らに勝ち目はないのではないか?」
問い掛けに答えられるドラゴンは一頭もいなかった。
皆頭を垂れて、重い沈黙だけが室内を支配する。
「雪狐は、愛があれば繁殖できると言っていたな」
ボソリと一頭のドラゴンが呟く。
その言葉に皆頭を上げ、一斉に彼に注目した。
「愛……愛か。理解できんな。我らの代は生まれてから必死で生きてきた。遠い先祖はその愛とやらでクロンヴァールと交わったらしいが……」
「ふーむ……あの男がいる限り、人間を滅ぼす事はおそらく不可能。となればその愛とやらを研究する事に時間を費やした方が生産的だな」
「だがどうする? 研究するにしても雌の数は限られている。人間を攫ってくるわけにもいくまい」
「ならば麓にある"村"とやらに行って、人間に混じって生活をすればいいのではないか? 観察していればなにか判るかもしれない」
「名案ではあるが、我らがドラゴンと知れれば後々面倒なことになるぞ。人間のルールとは至極複雑。他国の領域に無断で入ったとなると、責務は我らではなくクロンヴァールに問われる。そうなれば後々クロンヴァールから我らが咎を受けることになる。伴侶の盟約に支障が出るやもしれん」
「ではどうするのだ?」
「うーん……」と、皆、真剣な面持ちで頭を抱えていると、ずっと黙っていたズィリ・カハ・ロッハが口を開く。
「観察をすれば本当に判るのか?」
「確証はありませんが、見える物はあるのではないでしょうか?」
「……ふむ。ならばあの二人を観察することにしよう」
頷きながら、ズィリ・カハ・ロッハが決断すれば、皆、「おお〜〜!!」と、感心したように声を上げる。
「なるほど。確かにあの男は愛とやらがなんなのかを解っている様子だった。あの二人から娘が産まれるまでの過程を観察すれば、必ず何らかの成果が得られるでしょうな」
「違いない。あの男、片時もクロンヴァールの娘を離そうとはしなかった。その理由を知れば愛とやらが解明できる筈だ」
「我々もまだハイニアに見離されてはいないのだな。して、出立は何時にする?」
「今は城で騒動が起こっていると聞く。定期的に赴き、落ち着いた頃を見計らって最終的にかの城で暮らせばよいのではないか?」
「うむ。それがいいな」
一族の意思は統一された。と、互いに視線を交わし、頷き合う。
至極真面目に交わされた議論の結果が、ライマールとエイラにとって多大な迷惑になるなどとは、ドラゴン達の思考では思い至るわけも無く……。
半年後、それを実行したドラゴン達は当然ライマールを激怒させ、一匹残らず城から追い出される羽目となったのだった。




