傍迷惑な前哨戦 5
得体の知れぬ存在の気配に、王の竜の後ろで控えていたドラゴン達はパニックを起こし、何頭かはその恐怖に耐えきれず逃げ出す。
更にその内の何頭かが無差別に炎を吐き出せば、ライマールは鬱陶しそうに片手を振り上げ、火事になりかけた箇所に大量の雪と氷の壁を召喚した。
幸い人の居る場所に炎が吐き出されることはなかったが、造作もないようにやってのけるライマールに、ドラゴン達はますます怯え、王の竜はライマールを睨みつけながらもその動揺を隠しきれず、額からはジワリと汗を滲ませていた。
「貴様、その身にどれだけの力を宿している。今のは雪狐。それから眠虎に、ヤツの気配……はまだ判る。しかしこの気配は……」
ドラゴンは長命であっても神獣の様に永続的な命を持っているわけではない。
王の竜といえど、今の時代のドラゴンの中には神の生きていた時代を知る者など既にいなかった。
それでも本能的に、逆らってはいけない存在の気配を本能的に感知しているようだった。
目の前にいるのは確かに人間の筈なのに、得体の知れない恐怖がジリジリと王の竜を追い詰めていく。
一方で、その力が神獣の力ではなく、魂の番人の力だとエイラだけが気づいた。
姿を完全に青白く揺らいだものへと変えたライマールは、夢の中で見たライマールそのものだった。
皆が怯える中、エイラただ一人が不思議な事に畏れを抱いていなかった。
どちらかと言えばその気高い横顔に目を奪われるほどに、胸が高鳴っていたくらいだ。
無意識にエイラは胸を押さえ、そこであることを思い出す。
エイラが夢の中で、生涯の誓いのような契約を神の肉片の力を借りて行っていたことに。
意識すれば、ライマールはおそらくまだ気づいていない、互いの胸の内にある青いブルースターの花がほんのりと暖かみを帯び始める。
(そう……あの時から私はもう選んで……)
一触即発の空気がピリピリと漂う中、エイラはそっと目を伏せて胸を押さえ、その存在を確認する。
目を開けると、同じ様にライマールの胸に手を当てて、そこにエイラと同じものがあることを確かめる。
「……リータ?」
不可解なエイラの行動に、ライマールは目の前のドラゴンの一瞬存在を忘れ、ドキリと心臓を跳ね上げる。
なにかを確かめるように添えられる柔らかく小さな手の感触に、ライマールの鼓動は自然と早鐘を打ち始めた。
動揺した様子で頬を染めるライマールに、エイラはニコリと微笑んで見せると、意を決してくるりと王の竜へと向き直る。
その顔は儚い娘の顔ではなく、クロンヴァールの最期の王としての覚悟を秘めた、気高い女王の顔となっていた。
「王の竜よ、私はあなたの花嫁にはなれません。両親の死と兄の決意を無駄にしないためにも、そしてなにより、私自身がライマール様のそばに居ることを誓いました。そのことでクロンヴァールの責任を問われるのであれば、私はあなたに命を差し出しましょう。ですが今は国の大事です。貴方が一族を重んじるように、今の私にも守るべき民がいます。どうか全てが終わるまで待っては頂けませんか?」
「リータ!」
前へと歩み出すエイラをライマールは慌てて引き止める。
エイラが振り向けば、なにを言い出すんだと不安そうな顔でライマールがエイラを見つめていた。
「ライマール様……すみません。私を選んで下さったこと、とても感謝しています。できればその気持ちに応えたかったですが、両親や兄が私のために犯した罪を償うのは私しかいないんです。心だけをおいて行くのは反則かもしれませんが……どうか私の力になってはもらえませんか?」
泣きそうな笑顔を浮かべながら、エイラは自分の浅ましさに嫌悪感を抱く。
この提案はどちらにも益はない。詐欺だと罵られても仕方がない。それでも国を救うためにどちらの力も必要不可欠で、エイラはこれ以外に打開案を思いつくことができなかった。
エイラは自分の胸に今一度手を当てると、そっと小さな輝きを胸の奥から取り出して、ライマールに差し出す。
手のひらに浮かび上がった小さなブルースターの花の形をした魔法文字を目にして、ライマールは見たこともない形の文字に眉を顰める。
そしておそるおそるその花に手を伸ばすと、そこで自分の中にも同じものが流れていることに気がついた。
小さな文字に込められたエイラの想いが、指先から流れ込んで、ライマールの胸へと染み込んでくる。
恋情というよりも慈愛に近いその感情に、ライマールはなんとも言えないもどかしさを感じつつも、堪えきれずにエイラを引き寄せ、力一杯抱きしめた。
「リータ! ダメだ! 俺は絶対に手放さない!! ……リータに手出ししてみろ。その時は俺がお前の一族を根絶やしにした上で、その魂の転生も許しはしない」
「ライマール様……」
ライマールは殊更怒りを露わにし、その白い髪は燃える様に怒髪に揺らぎ始める。先程よりも激しい殺気に、王の竜も思わず後ろへ後ずさる。
激情が凍てつく空気を更に極寒へと誘う。
しかしライマールの額には、相反するようにじんわりと汗が滲み始めていた。
どちらか一方に隙が出来れば、無事では済まないかもしれないという緊迫感を、騎士や魔術師達も肌で感じ、トルドヴィンとギリファンは目配せをしながら退路を模索していた。
ライマールも己の限界を感じ始め、エイラを抱きしめたまま後ろへ一歩下がろうとした丁度その時、空中から白い光の玉が、ドラゴンとライマールの間に突如として現れる。
その光の中から、やがてキモノと呼ばれる南東の国の民族衣装に身を包んだ、うら若い女性が姿を現す。
突然なんの前触れもなく現れた女性の頭には狐のような耳と、背後にはふさふさとした白い尻尾が生えていた。
「はいはーい! すとっぷすとーっぷ! 神獣の殺生は行わないルールを忘れたのかしらぁ? だめよぅ? だめだめ! この子は人間だけど、半分以上人間じゃないからアウトなのよぅ!」
場の空気に似合わない、飛び抜けて明るい女性の声が雪山に響き渡る。
皆が唖然としている中、女性は「んー……」と、人差し指を顎に当てて、何やら考えあぐねる。
そしてニッコリと微笑むと、「喧嘩、両・成・敗♪」と、言ってライマールと王の竜の頭上に氷の塊を召喚して、ゴツンと鈍い音を響かせた。
堪らず王の竜は頭を押さえ屈み込み、ライマールは頭上に氷が落ちた瞬間、限界に来ていた意識をふらりと手離す。
「ライマール様っ」
エイラは慌ててライマールを支えようとしたが、重さに耐えきれず一緒に雪の中へと倒れこむ。
ぼすりと積雪の中に仰向けに倒れたライマールは、意識を手離してもエイラだけはしっかりと抱きとめていた。




