運命の歯車 2
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朝食を終えると、エイラはイルミナと共に城下の街を観て過ごした。
意外なことにこの国では、王族が街の中を歩くことはさほど珍しいことではないらしく、ごく少数の兵士が護衛に付くだけで、市民と同じ目線で街の中を自由に視て回ることが出来た。
デール帝国の城下町は、森に囲まれている割にはとても明るく、灰色の石畳に、木やレンガで出来た様々な形の小さな家が、競い合うように軒を連ねている。
商店街の中を歩き回るのももちろん初めてだったが、なによりも屋根のついた家を見るのがエイラにとっては新鮮だった。
公園へ赴けば、日の光の下でブランチを楽しむ人や、ベンチで眠る人、無邪気に走り回る子供達の姿があり、大地の上で生きる人々の、生き生きとした姿にエイラは眩しそうに目を細める。
「今日は比較的暖かいですから、外で昼食を取る人もちらほらいますね。春になれば花も増えますし、私も良よくここで昼食をとることがあるんですよ」
「ここでですか? クロドゥルフ様は何も仰らないのですか?」
元は平民だったとしても、イルミナは今では立派な皇太子妃だ。
街を自由に歩き回るのもだけでも信じられないことなのに、公衆の場所で食事などすれば、エイラならば確実にマウリに大目玉を食らっているところだろう。
瞠目するエイラに、イルミナはクスリと笑い、楽しそうに返事を返す。
「もちろん、クロドゥルフ様も一緒にここへ来ることが多いですよ。草地に座って食べるサンドウィッチは特別美味しいんです。時には見知らぬ人と食べ物を交換したりして……そうやって臣民の皆さんと交流するのがなによりも大事なことだって、バルフ・ラスキン家の古い教えらしいです」
デールに住む人は皆家族。というのが、この国の王家の考え方らしい。
それはウイニー王家の生き方に強く感銘を持った初代皇帝の考えで、この国の礎でもあるという。
その考えが根付いているかのように、公園で走り回っていた子供の一人が、もの珍しそうにこちらへ駆け寄ってくると、それに気づいた他の子供達も同じようにエイラ達に駆け寄ってきた。
引っ切りなしに質問攻めにあったかと思えば、徐にポケットから小さな飴玉を取り出し、エイラに渡してくる子までいた。
無警戒に見知らぬ人と接するというのは始めてのことだったが、悪い気はしなかった。
立ち止まっている人がいれば、誰からともなく声を掛ける様子や、店でのんびりと一人でお茶を飲んでいる老人に話しかける若者達、また、明らかに身分の高い紳士が、みすぼらしい中年のおばさんに叱られているなんて場面にまで遭遇した。
「あ、エイラ様! 少し寄りたいところがあるのですが、お付き合い頂いてもいいですか?」
「はい、もちろんです。どちらに行かれるのですか?」
突然思い出したようにイルミナは手を叩きそう言うと、「つくまでの秘密です」と言って、にこにこと楽しそうにエイラの手を引いた。
なすがままにエイラはイルミナについていくと、街の外壁近くの、少々寂れた一画へと辿り着いた。
貧民街という程ではないが、街の中心街よりも古い建物が多く、煤で汚れた土壁や、所々レンガが抜け落ちた塀、錆びた鉄柵等々、街の中でもかなり年季の入った区画である事が傍目でも判る。
その区画の中でも一際大きな建物へとイルミナは進んでいく。
城とまではいかないが、教会よりも大きく、シンメトリーの造りになっている赤いレンガ造りのその建物には、中央上部にユニコーンの頭を象った、大きなステンドグラスがはめ込まれていた。
不思議な事に、建物の周りには人気はなく、かといって全く利用されていない建物という印象はまるで受けない。
誰か王族の縁戚となる方が住まわれている屋敷なのでしょうか?
エイラは不思議そうに首を傾げた。
それを見たイルミナは楽しそうにクスクスと笑い、「こちらですよ」と、建物の中へと入って行く。
中へは誰でも入れるようになっているらしく、エントランスの扉は開いたまま固定されていた。
門番らしき人も、家令らしき人も見当たらず、その代わり中では、色取り取りの騎士服やローブに身を包む若者達が、本を片手に忙しそうに歩き回っている。
「あの、ここは一体どういう施設なのですか?」
「帝国が運営している学校ですよ。一階の東側の区画が初等部、西側が中等部、二階と三階は高等部で、一階の廊下から南へと進んだ区画は、上級学校の区画になってます。この学校はお金のない人でも国の援助で通うことができるんですよ」
「はぁ……」
どこか誇らしげに説明するイルミナに、エイラはやはり首を傾げながら曖昧な返事を返す。
そんなエイラの反応が意外なものだったのか、イルミナは慌ててエイラに頭を下げた。
「す、すみません! もっと楽しい施設を案内するべきでした。学校なんて見学する様な所ではないですし……急いで用をすませますから、もう少し付き合ってもらってもいいですか?」
「あ、いえ、そうではないんです。その……ガッコウというのは、どのような場所なのでしょうか? 幼い子供や若い人が多いみたいですが、大人の方は利用できない施設なのですか?」
「えっ!?」
キョトンと首を傾げるエイラに、イルミナは思わず声をあげ、しばし硬直する。
もしかして自分はとんでもないことえお聞いてしまったんだろうかと、ジワジワとエイラが不安を感じ始めた頃、イルミナはおずおずとエイラに質問を返した。
「もしかして……竜の国には学校はないんですか? 教育を行う場所なんですが……」
「教育を……ここにいる人達皆ですか? 私の国にはありませんね。とても興味深いです。どのような仕組みなのでしょうか?」
「ええと……そうですね、この学校の場合は、主に騎士や魔術師を目指す子供達が入学することになっていてーー」
イルミナは歩きながらも学校の成り立ちや目的、どういった内容の学問を教えて居るのか等々、懇切丁寧に学校の仕組みを説明していく。
エイラは頷きながら、徐々にその目を輝かせていき、とても素晴らしいです!と、恍惚の笑みを浮かべた。
「この国では臣民の誰もが将来の可能性を秘めているのですね。学問を共有することで知識を広め、また新たな発見があり、知識を増やしていく……ぜひ我が国にも学校を導入したいです。このように素晴らしい施設を紹介して頂き、本当にありがとうございます。イルミナ様」
イルミナの手を力強く握りエイラが感謝の意を表せば、イルミナはにっこりと微笑んで嬉しそうに「いいえ、気に入っていただけた様で良かったです」と、答えた。
二人が廊下の真ん中で立ち止まり、そんなやり取りをしていれば「姉さん?」と、怪訝な声が聞こえてくる。
そちらを振り向けば、灰色のローブを身に纏った、十四、五歳位の赤毛の少年が、半信半疑といった顔でこちらに歩いてきていた。
その姿を確認するなり、イルミナは嬉しそうに少年に手を振り、「テオ!」と、声を掛ける。
テオと呼ばれた少年は、少しだけ眉間にシワを寄せながらイルミナの前で立ち止まった。
「声が大きいよ姉さん。皆に迷惑だ。なにか用でもあるの?」
「たまには一緒にどうかと思ってお弁当を持ってきたのよ。あなた、全然お城に顔を出さないから」
「実習がなければお城へ行く理由がないよ。ライム先生もクロドゥルフ様も気にせず来いって言うけど、いずれ部下になるのに、あの扱いはすごく居心地が悪いんだよ……そちらは?」
「竜の国の女王陛下で、ライマール様のご婚約者のエイラ様よ。街を案内して居るところなの。エイラ様、私の弟のテオです。ここの学生なんですよ」
「テオです。姉がご迷惑をおかけしているようですみません。……って、ライム先生が女王陛下とご婚約!?」
エイラに握手を求めようとしていたテオは、ワンテンポ遅れて叫ぶと慌てて口を両手で押さえた。
その叫び声が廊下に響き渡ったせいか、廊下を歩いていた生徒や教員が、一斉にこちらに注目し、興味津々とばかりにどよめきが走った。
イルミナは慌ててテオを窘めると、テオも慌てて、「すみません!」と、エイラに深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんエイラ様! 弟が大変失礼を……」
「いえ、いずれ皆知ることですし、気になさらないで下さい。ところでライム先生とは……?」
「あぁ、ライマール様は時折こちらで講義をされるんですよ。魔術専攻の生徒は皆親しみを込めて、ライム先生って呼んでます。もっとも歳もあまり変わらないので、先生って呼ぶのもなんか奇妙な感じがするんですけど」
「まぁ! ライマール様自ら皆さんに魔術を教えているんですか?」
キラキラと目を輝かせて、エイラはテオに聞き返す。
どこか嬉しそうな女王の様子に、テオは少しだけ驚いた表情をした後、こくりと頷き返事を返した。
「はい。えーと、ライム先生は飛び級でこの学校を卒業されて、確か八年前から教壇に立たれるようになって、魔術師を目指す人はそれまでかなり少なかったんですが、ライム先生が教えるようになってから課外活動も増えたお陰か、生徒の数も少しずつ増えてきてるって聞いてます」




