理の外に生きる者 4
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澄んだ空気の中に三人の男と一人の女性の声が、ハーモニーを奏でるが如く響き渡る。
中央にいるライマールは、袖口から例の薔薇の実の入った瓶を取り出し蓋を開ける。
瓶を逆さにして実を取り出せば、同時にトゲもボロボロと手の平の中に零れ落ちた。
それに構わずライマールは実を握りしめ、眠りについたエイラの喉元にゆっくりと押さえつける。
「うっ…」と、小さな声がエイラの口から漏れれば、ライマールは苦い表情を浮かべ、少し怯んで手に入っていた力を緩めてしまう。
目を伏せて、自分を叱咤しながらライマールは呪文を紡ぎ、再びエイラの喉元に押し当てた手に力を込める。
実がずるりと喉の中へと沈み込み、エイラの中へ全て収まると、ジワリとエイラの額に汗が浮かび上がる。その表情は徐々に苦しそうなものへと変化して行った。
ライマールはエイラの喉元から手を離すと、彼女の両手を握りしめ、深く息を吐き出し目を伏せる。
神経を両手に集中させ、全身を巡る血を意識し、これまでとは違う言語を口にする。
その場にいた誰もが耳にしたことがないであろう言語に、壁際でジッと様子を伺っていたアダルベルトが驚きの表情で身を乗り出した。
(何だ? 奴が口にしているのは。これまで検閲や監視で様々な魔法を目にしてきたが、この様な言葉は聞いた事がない。一体奴は女王陛下になにしようとしているんだ?)
困惑するアダルベルトを他所に、魔法陣を囲むギリファン、メル、ガランの三人は、顔色一つ変えずに各々の呪文を口にしている。
時折座り込み、魔法陣の一部に触れ魔法文字を送り込むといった行動から、その魔法が大規模なものであることがアダルベルトにも理解ができた。
やがて、三人は互いの方向へ両手を広げると、ピタリと動きを止める。
その瞬間、ライマールとエイラを囲む様に三角柱の形をした膜のようなものが現れる。
互いの手からは小さな小石の形をした魔法文字が、互いを行き来するように送り出されていた。
「ライム! 長くはもたんぞ!」
ギリファンが叫ぶように言えば、ライマールは額に汗を浮かべながら小さく呟く。
『神聖なる写し身を』
ライマールの黒髪が風に煽られるかの様にふわりと浮かび上がったところで、アダルベルトは息をするのも忘れたかのように硬直した。
ライマールが身にまとっていた黒いローブは、足先から徐々に白く変色し、ライマールの黒髪も銀色の光を放ち出す。
額には本来あるはずのない螺旋にねじれた小さな角が生え、そっと開かれた目は夕日が放つ光の様な金色を讃えていた。
『……心底の希望』
人とは思えないほど澄んだ声が、部屋にいた者の体を突き抜けて行く。
心に刺さるかのような響きにアダルベルトは威圧され、気がつけばその場に座り込んでいた。
ライマールは呟いた後、全身から強い光を発し、やがてその姿は小さな宝玉の形を成して、エイラの胸元へと吸い込まれていく。
「…………奴は……何処へ消えた……?」
誰に問いかけるでもなく、アダルベルトは目の前で起きた事象に、ただただ唖然として、横たわったエイラを見つめながら漠然と呟いた。
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黒く淀んだ空気が纏わり付く感覚と、胸の辺りに感じる不快感にエイラは身を縮めていた。
ここ暫く忘れかけていたこの不快感に眉根を寄せれば、また耳元にあの女の声が往復する様な幻覚に襲われる。
『何処へ…………たの……やく……かえっ…………』
「止めて!!」
堪えられず思わず叫び耳を塞ぐ。脳に直接響き渡る声にその様なことをしても無駄だとは分かっているものの、塞がずにはいられなかった。
やがて間もおかずに、エイラのなかで抗い切れない衝動がジワリと浮かび上がって来る。
(帰らなくては……叔母さまが…………心配して……)
思いかけてエイラは必死に首を振る。
(違う! 帰るのはマウリや城に残った兵達を救う為、国民を守る為です!! あの者達の言いなりになどならない! なってはいけません!!)
目尻に浮かび上がる涙をこらえる様にギュッと目を瞑り、必死にただ堪え忍んだ。
(ライマール様が必ず助けてくださるはずです。私はそれを信じて待てばいいだけ……)
自分に言い聞かせ、呪文のように、同じ言葉を繰り返す。
その思いが届いたのか、ライマールに初めて会った時のような暖かな感覚が、エイラの身を包み込んだ。
ハッとして目を開ければ、全身が白い霧の様なものに包まれていることに気が付く。
また、パチパチと不快な声を攻撃するかのような、光が弾ける音がエイラの周りで響き渡っていた。
「ライマール様……?」
真っ暗な空間で、何処にいるかもわからない王子の名をポツリとエイラは呟く。
すると天上からすぅーっと音も立てずに、白い光の玉がエイラの目の前に降り立ってきた。
光は目の前で二つに分かれ、やがて二人の人の形を成した。
エイラはキョトンとして二つの人型を見つめていれば、その人型は全く同じ姿を成し、一人は楽しげに微笑み、一人は口をへの字に曲げていた。
「ライ、マール様……?」
エイラは再びその名を呟いて、二人を交互に見比べ困惑する。
二つの人型はエイラも見知った人物の姿だったが、二人とも全く同じ容姿ーーライマールの姿をとっていたのだった。




