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忘れられた影の国 4

「ま、待て、そうなるとアディは何らかの想いを、妃殿下に向けて真名を口にしてしまったと言う事か?」


 てっきり今回の演習の中にこそ何かキッカケがあった筈だと考え込んでいたギリファンが、思いもよらないところから思いもよらない事件が発生したと聞かされ、目眩を覚える。

 よろよろと額を抑えよろめきそうになるギリファンを、トルドヴィンが慌てて支え、何故そんな事になったのかと元番人に視線を巡らせる。

 元番人はその視線を受けてニコリとまた頷く。


「あの娘は自分の身に起きた不幸に悩んでいた。相談に乗って欲しい人間がいなかった事、毎日の様に夢の中で顔を合わせていたのがあの妃だった事が彼女に親近感を与えたんだろうね。それに、あの娘に刻まれた真名は妃と対になる物だったから尚更運が悪かったんだよ。巡り合わせという奇跡が生んでしまった不幸だとしか言いようがないね」

「妃と対になる真名……?ど、どういう事ですか?」


 なんとなく嫌な予感がして、メルの心臓がドキリと跳ね上がる。

 アディと出会ってから、ケット・シーを見送るまでの事をゆっくりと思い出しては、そんな事は無い、あり得ない!と、頭の中ではまりかけているパズルのピースをグチャグチャにひっくり返す。

 そんなメルの心理を見透かす様な目で元番人は目を細め、若干同情めいた眼差しをメルに向けた。


「お前はもう気づいているんだろう?前世で一番あの二人に近しい存在だったのはお前だ。時折見ていた夢を無かった事にしてしまうのは愚かしい事ですよ。なかなか体験できる奇跡じゃない。それだけ強い絆を持っていて無下にしてしまっては、あの二人が悲しむだろうね」

「ボ、ボクは……ち、違います!知らない!!知りませんっ!!ボクは確かにメルですが、アディはアディで、あ……あの人はあの人です!!」

「メル?何か知ってるのか?突然どうしたっていうんだ?」


 青い顔で半泣きになりながら後ずさる弟に、ギリファンは心配になって手を伸ばす。

 メルは混乱してその手を振り払うと、頭を抱えてその場に蹲り、カタカタと小さく震え出してしまった。


 トルドヴィンは突然怯えだしたメルを見て、それからすぐに元番人を睨め付ける。

 何故メルが怯えだしたのかは判らなかったが、その原因は明らかに目の前の人物が原因だという事だけは理解した。


 まるで悪者扱いされてしまった元番人は、やはり気にする風でもなく、ヒョイっと肩を竦める。

「そんなに睨まないで欲しいね。メルが受け入れられない気持ちも判らないではないけどね。でも事実は曲げられない。だから私は告げるよ。アディは妃の真名と対となる真名を持っている。それはあの娘が前世で、生涯の伴侶であり、未来永劫の伴侶として彼女を求めた結果です。そして妃はそれを受け入れ、()に真名を与えた。真名に込められた願いは誰にも覆せない。つまりはそういう事だよ」


 元番人は明確な答えを示さない。だが、その意味深な言い回し自体が答えだった。

 周りで話を聞いていた者達も話の全てを理解していないものの、誰もが思い至った結論にザワリとざわめく。


「つまり……アディは、初代皇帝の……」

 震える声でギリファンが呆然と呟く。

 "生まれ変わり"と最後まで言えなかったのは、騒ぎ立てない方がアディの為だろうと微かに残った理性でそう判断したからだ。


 ただでさえアディは今傷心の中にいるのに、本人が預かり知らぬ話を無闇に騒ぎ立てて、余計な不安を掻き立てたくはない。

 幸いこの場にいる部下達もその意図を察した様で、それ以上騒ぎ立てる事は無かった。


 それを黙って聞いていたトルドヴィンが険しい顔で思案する。

「あの少女が……というのは解ったけど……それなら初代皇帝の妃殿下も生まれ変わっているという事になりますよね?貴方は対と仰ったし、本人が割と近くにいたとも仰った。……初代皇帝の妃殿下はウイニーの出身。あの少女が真名を呼んで、シャドウを目覚めさせてしまったなら、その呼ばれた本人(・・)は……どうなったんだ?」


 トルドヴィンの指摘に、ギリファンとメルがサッと顔を強張らせる。

 皇帝広場でアディが真名を口にし、その近くに居たという事は、高確率で一般人だった可能性が高い。

 自分達が置かれている状況を考えれば、無事だと断言出来る程楽観的にはなれなかった。


「勿論、その者も此処にいるよ。お前達よりずっと前にここに連れて来られて、この地に縛り付けられているだろうね。さながらウイニーの新しい女王……いや、王様かな?」

「ずっと前……そうか、私達がアスベルグを発った頃だから、もう数日経過してるのか?それはかなりマズいな……」


 こんな何も無い地で食事がまともに取れているとは思えない。ましてや一般人だとしたら、魔法で明かりを灯すなんて芸当は出来ない可能性の方が格段に高い。

 肉体的にも精神的にも危険な状態だと言わざるを得ない。


「そんな……ベルンハルトさんが……」


 不意に、青い顔で蹲っていたメルが震える声でポツリと呟く。

 久しぶりに聞いた思いもよらない人物の名に、ギリファンとトルドヴィンが目を見開いた。


「ハル?なんで急にハルなんだ?」

「まさか彼が、妃殿下の……という事かい?」

「「何!?」」


 驚愕の声が二つ重なり、そちらに注目する。

 ギリファンと同じ様に驚いたのは、いつの間にか覚醒していたベルンハルトの実兄のデーゲン・オ・ガ・ジャミルだった。


 まさか自分の弟がとは思いもよらなかったであろうデーゲンは、青ざめた顔で立ち上がると、物凄い勢いでメルに駆け寄り、両肩を力一杯掴んで喰いかかった。


「貴様!!うちの弟を侮辱する気か?!あいつは確かに人形職人などとふざけた職に就いたが、男まで捨てる程軟弱なヤツではない!!ましてや初代皇帝の妃殿下などあり得ない!!」

「おい、落ち着け!メルに喰ってかかっても仕方ないだろうが。メルも、何の根拠があってハルがそうだと断言出来るんだ?」


 憤慨するデーゲンを何とかメルから引き剥がそうと、ギリファンがグイグイとデーゲンの腕を引っ張っていると、ほんの少しムッとしたトルドヴィンがギリファンを退けて、それを手伝う。

 メルは真っ青なままぼんやりと三人を見上げ「判りません……」と、小さく呟く。


「上手く説明出来ません……でも、ボクには判るんです。悔しいですけど、あの人は間違いなくそうだって……初めて姉さんから名前を聞いた時から違和感はあったんです。それがなんなのかよく判らなかったですが……元番人様の話を聞いてたら……み、みと、みとめたくないですがっ!!納得出来る自分がいるんです!!」


 徐々に声を荒げて、メルは真っ赤になって力の限り叫ぶ。

 口にすれば、失恋が確定したと認めてしまった様で、自分が惨めで仕方が無かった。


 アピールも仕切れずに、告白だってまだしてないのに、こんな風に終わってしまうのかと目頭が熱くなる。

 それでも元番人が言った様に、アディが初めてベルンハルトに会った時から惹かれている気は薄々していたのだ。


 それに目を瞑っていたのは、自分にもまだチャンスがあるかもしれないと、何処かで信じていたからだ。

 それと同時に、いつかベルンハルトがアディの魅力に気づいてしまうのではないかという恐れも、ずっと付きまとっていた。

 初めてアディに会って、そのまま会えなくなってしまった時とは違う、今度は本当の意味で、完璧に失恋してしまったのだ。


「メル……」


 弟の気持ちに気付かない程愚かな姉ではないギリファンは、その気持ちを察して複雑な表情を浮かべる。

 そのやり取りを黙って見ていた元番人は、愛しい者でも見る様な目で、やはり優しげな笑みを讃えたままゆっくりと口を開く。


「いいね。お前達は。悩んで苦しんで、それでも見捨てようとはしないんだろうね。メル、お前が感じたその感情こそ奇跡なんだよ。魂の門を潜り、こちらの世界に戻って来た時、拾い上げた自身の記憶を掘り起こす事が出来る人間はそうそう居ない。想いを超えた先にある絆は大事になさい。メル、お前の勘は間違いなく当たっていますよ」

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