アディの家族 1
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生まれて初めて見た森の外は、日が沈んだ真っ暗な大地に赤茶けた土で出来た小さな山の様な家々が立ち並ぶ、とても寂しく静かな荒野の町だった。
自分が今、デール以外の場所に立っている事が信じられず、メルはその場で何度も瞬きを繰り返した。
同時に教えられていた禁忌を犯してしまった事の重大さに今更ながら気が付いて、真っ青になりながらメルはぶるぶると小刻みに震えていた。
「メルさん、大丈夫ですか?顔色悪いみたいですが…ベルン連邦の夜は冷え込むとは聞いていましたが、本当に寒いですね」
背後からベルンハルトが心配した様子で声をかけて来たが、頷くのがやっとで上手く返事をするコトも出来なかった。
決して寒いからと言うわけではなく、罪悪感と緊張でうまく喋るコトが出来ず、意識を保っているのが奇跡と思えるくらい、メルは恐怖で押しつぶされそうな感覚に苛まれていた。
「メル、疲れたでスか?私ガ家、もう少し歩くでス。ご飯、作ルまス。頑張ルお願いスルまス」
先頭に立っていたアディがメルの様子がおかしい事に気が付いて、黒猫を抱えたまま心配そうに顔を覗き込んで来る。
その顔は少しだけ焦りの色が感じ取れた。
(そうだ、不安なのはアディの方だ。ここまで着いて来てボクが足を引っ張っててどうするんだ!)
「すみません、慣れなくてちょっと驚いただけです。もう大丈夫ですから行きましょう」
表情を改めて、メルは二人に頷いて見せると、気を引き締めて一歩前へ進み出る。
するとベルンハルトの更に後ろから唸る様な声がメルを引き止めた。
「待て……もう少し休ませろ。まだ時間はある」
暗闇の奥から漆黒の髪が月明かりに微かに照らされゆらりと揺らめく。同じ様に真っ黒なローブは闇に溶け、白い腕だけがボンヤリと浮かび上がり、見知らぬ人から見れば不気味な印象しか受けないだろう。
「ライマール様……申し訳ないんですが、もう少し我慢して頂けませんか?それにここで休んでたら野党とか怖いですし、せめてアダルベルトが居れば良かったのに……なんで置いて来ちゃったんですか?」
メルが真っ黒なローブの塊に話し掛ければ、パッと顔を上げたソレが金色の瞳を揺らめかせながら鬼の形相でメルを睨みつけて来た。
その不気味さたるや、森に現れるレイスにも引けを取らない程ゾッとする迫力で、近くにいたベルンハルトとメルは後ずさり、アディはギョッとしてベルンハルトにしがみ付いた。
「俺に、アレを、連れてくる、体力が、残っていると、思うのか?!」
「す、すみません。ボクが間違ってました。私的な用事なのに巻き込んでしまってホント申し訳なく思うと同時に感謝してます!!」
メルがへこへこと頭を下げれば、ライマールはフッと瞳の色を紫色に戻す。
地面に座り込んだまま力無くメルに無言で両手を差し出して来るのを見て、メルはガックリと項垂れた後、何が悲しくて……と思いつつも、休暇中に一国の王子を馬車替わりに使ってしまった負い目が勝り、渋々ながらライマールを背負って歩き出した。
無言で項垂れる主人を気にしつつも、メルは久々に会ったのにいつもと変わらない主人の姿に少しだけホッとして肩の力を抜く。
「本当に、お二人をこんな事に巻き込んでしまって申し訳ないです。まさかグルグネストまで来る事になるとは思ってなかったです」
「気になさらないで下さい。ボクの方こそよく判らないままついて来てしまいましたがご迷惑ではないでしょうか?まさか殿下にまでご迷惑をお掛けする事になるとは……」
「お前達が気にする事ではない。悪いのはゼイルだ。自分じゃ出来ないからと俺を呼び出す位なら初めから提案なんてするな」
メルの背に額を押し付けて、拗ねた様子でライマールが言えば、ライマールのフードの中から手のひらサイズの陽炎の様に揺らめくゼイルがひょっこりと顔を出した。
「しょうがねぇだろ。俺はルフとは相性良くねぇし、ここは森から離れすぎてる上に所縁もほとんどねぇから実体を維持するだけで精一杯なんだよ!今だってお前の魔法文字分けてもらってる状態だし、ライムは一応人間だから生身の体があるし、総合的にもどんな神獣よりも力があるんだから三人死道連れて歩く位わけねぇだろ?」
「えっ!?ラ、ライマール様ってそこまで凄い力を持ってたんですか!?い、いえ、凄いのは知ってたんですが……」
自分達が通って来た不可思議な道が実は死道だったという不吉な言葉は聞かなかった事にして、メルは今まで知らなかった衝撃的な事実に驚愕する。
以前、ゼイルはライマールを神獣に近い存在だと揶揄した事があったが、神獣すらも超えてしまう様な力があるとは流石に思っていなかった。
(全部知ってるつもりだったけど、ライマール様は先視の力の他にも大きな隠し事があったんだ……まぁ、主従だからって全て知ってるっていうのはおかしいのかも知れないけど……やっぱショックだなぁ……)
「……三人はキツい。あっち側とこっち側では訳が違う。お前達みたいに常時思い通りに力を使えるわけでは無い」
「ふぅん。案外不便なもんなんだな。女王が関われば暴れるっつのに。まぁ俺の血入ってっからしょうがねぇんだろうけど」
「えっと……あっちとかこっちとかなんの話ですか?あ、やっぱりイイです。なんか嫌な予感するので聞かないです。忘れて下さい」
隠し事をされるのは寂しいと感じるものの、よくよく考えれば毎回知ってしまってから後悔する事の方が多いのだ。
その点ライマールは自分の小間使いの事をよく理解しているらしく、必要外の事は決して口にしようとはしない。
ライマールはライマールなりに考えてメルに話せる事は打ち明けるし、そうでない事はメルがしつこく聞き出すまで口を開こうとはしないのだ。
自分から秘密を話さないという事は、つまりそういう事なんだろうと長い付き合いだけにメルは直ぐに気が付いた。
「みなさん仲がよろしいんですね。殿下はもっと気難しい方だと思っていました」
メル達のやりとりを黙って見ていたベルンハルトが目を細めて言えば、ライマールはムッと口をへの字に曲げていつもの様に俯いてしまう。
「俺は別に……」
(あ、マズい。凹んでる)
背中でシュンとする気配を察して、メルは慌ててベルンハルトに話しかける。
これ以上こんな場所で落ち込まれては厄介すぎるとジワリと額から汗を流した。
「あー、まぁ、噂って当てになりませんから!気難しい人だと思ってたって事は、今はどうなんです?」
「え?ああ、そうですね。メルさんとはまるでご兄弟の様で失礼ながら親近感が湧いてしまいました」
「……失礼ではない」
それだけ言ってライマールはぷいっとベルンハルトから顔を背ける。
どうやら王子の機嫌を損ねてしまったらしいと、ベルンハルトが不安そうな顔でメルを見てくるので、メルは苦笑してベルンハルトに答えた。
「あー……気になさらないで下さい。照れてるだけですから。ボクにはライマール様が今どんな顔をしているかよぉーく判りますよ。耳まで真っ赤にしてにやけるまいと必死になって奥歯を噛み締めて、眉間にはそれはそれは深いシワが……」
「五月蝿い!!」
パシリと、恥ずかしそうにライマールがメルの後頭部を殴りつければ、メルはくつくつと悪びれもせずに笑い声を上げる。
そんな二人の様子を驚いた顔で見ていたベルンハルトもやがてふんわりと笑みを浮かべて微笑んでみせた。
「あスこでス!あスこ!私ガ家でス!!……アムハ!!」
不安そうに叫んだアディの声にハッとして、和んだ空気も一瞬にしてかき消してメルはベルンハルトと顔を合わせて頷きあう。
ライマールを背負ったまま走り出そうとすれば、まだ少し辛そうなライマールがメルに声をかけて来た。
「ここでいい、先に行け。歩いて行ける」
「えっ?近いとはいえライマール様を残しては行けませんよ」
「いいと言ってる。問題無い。行ってこい」
ぽんぽんと背中を叩きながら訴える主人を一応下ろしたものの、護衛が誰も居ない今、そう言うわけにはいくまいとメルはかなり躊躇する。
すると横からゼイルがメルの背中を後押しした。
「コイツが大丈夫だっつってんだから大丈夫だろ。ウソだったら俺がはっ倒しといてやっから行ってこいよ」
確かにいつもならそうだろうと納得できるのだが、国外というだけでメルはかなり不安があった。
反論しようと口を開きかけたものの、二人がしっしとメルを追い払う仕草をするものだから、流石にもう何も言えず、メルは渋々後ろ髪を惹かれながらベルンハルトと共にアディの後を追った。




