動き出す運命
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一方でメルは最近姉とトルドヴィンが妙に仲がいい事が気になっていた。
いや、姉の態度を見ていれば辟易した様子で逃げ回ってはいるのだが、以前に比べればトルドヴィンに対しての態度はかなり柔和なものになったし、徹底して追い返す事も無ければ、何か思うところがある様なそんな節すら見て取れた。
ベルンハルトとの事があったばかりで傷も癒えていないであろう姉を思えば、何とか手助けしたいとも思うのだが、どうすれば姉にとって一番良いのかが、メルにはもう解らなくなっていた。
声を掛けようとしても、本当は魔術師が嫌いだと言った姉の悲しげな笑みを思い出してしまう。
(きっとあれは全てが本心じゃない……だから姉さんは辛いんだ)
嫌いでもあり好きでもある。だから辛いのだろうとメルは思う。
なぜなら研究で成果が出た時の姉はとても目が輝いているからだ。
基本的に仕事自体は好きな筈だ。だが、一番の望みはその仕事の所為で手に入らない。
魔術師のしがらみの強さはメル自身も嫌という程解ってしまうだけに、姉が魔術師を嫌いだと言った事よりも、その苦悩に気付けなかった自分にショックを受けた。
姉を本当に思うなら、ベルンハルトとの仲を応援するのが正解だったのだと改めて思い知らされた気がした。
もう遅いのかもしれないが、それでもちゃんと謝っておくべきだとギリファンがライマールの元へ出かけている間に、メルは仕事を早めに切り上げ、再びベルンハルトの店へと向かった。
秋口の西陽の強さも裏通りでは大通りに比べれば届きにくく、可愛らしい佇まいのベルンハルトの店ですら薄暗い雰囲気が漂っている気がした。
ショーウィンドウから中を覗けば、ベルンハルトは相変わらず工房の奥にいるのか、店は開店しているにもかかわらず人形以外にひと気は全く感じられなかった。
せめて接客中であれば誤魔化して中に入りやすい様な気がしないでもないのにと、中に入るのを躊躇する。
人形の並ぶ店先で大の男がウロウロと彷徨いていれば、かなりに不審者に見えるであろうが、メルにはそんなことを気にする余裕すら無かった。
それ故、後ろから小さな影が近づいて来た事など全く気付く筈も無かった。
「何見てル?おもしルいでスか?」
「うわぁ!!」
「キャぁ!?」
唐突に背後から声を掛けられ、メルは飛び上がる。
「ち、違うんです!ボクはこの店の店主と知り合いで決して怪しいものでは!!」
振り返って、自分の挙動不審を弁解しようとしてメルは硬直する。
太陽の様な金髪に浅黒い肌、そして海の様に真っ青な瞳が丸々と見開かれた状態でそこにあった。
あろう事かいつぞやの踊り子が片手で胸を押さえて驚いた顔で自分を見上げているではないか。
「お、おどルいた……オニーサンもおどルいてしまった?ゴメんなセい?何見てル?」
片言で不思議そうに首を傾げる少女の言葉が耳に届いているのかも怪しい状態で、メルは声も出さずにパクパクと口を動かす。
てっきりもうこの国から居なくなったものだと諦めていたあの少女が、近所に昔から住んで居たかの様にさも当然とばかりに目の前に現れたのだ。
驚かないわけがないし、言葉だって失うのも当然だった。
(な、なんでここに!?ホ、ホンモノ!?)
「だイじょぶ?ごめんナ?」
放心して動かないメルを心配したのか、少女はメルを見上げたまま手をブンブンと振り、首を傾げる。
その姿がまた何処か魅力的で、メルはドギマギとしながらもなんとか気を取り直してそれに応えた。
「あっ……いっ、いえっ!!きっ気にしないで下さい!!ボ、ボク、ずっと君を探してたんです!!今まで何処に居たんですか?!」
真っ赤になって勢い任せに質問をすれば、今度は少女の方が気圧されて仰け反る。
怖がらせてしまった!?と、メルは慌ててまた彼女から離れれば、少女は不思議そうにまた反対側へと首を傾げた。
「お兄サン何処かデ、会ッタ?チョット待テ、ダサい。思ウ出しデス。むむむー……」
眉を顰めて腕を組み悩み始める少女に、それはそうか……と、メルはガックリと項垂れる。
彼女にしてみれば、自分は客の一人で、しかも一瞬の出会いに過ぎなかったのだろう。
それが普通だろうし、覚えて居なくても当然だ。
それでもこうして自分に声をかけてくれたのだから、偶然にしては出来過ぎているし、何かしら縁があるのかもしれない。と、金貨まで上げたのにと、メルは凹みそうになる自分を何とか奮い立たせた。
「あの、数週間前に広場で君が踊ってるのを見てました……」
「おぅ?そうだった?……ああ!金貨くルたお兄サンね!思ウ出した。たすかたアリガト」
ニコニコと満面の笑みを浮かべて、少女はぺこりとメルに頭を下げる。
途端、メルはパッと瞼を染めて、はち切れんばかりに頷いて肯定した。
「そうです!そうです!ボ、ボク、メルって言います!あれ以来ずっと君を忘れられなくて!!な、名前を聞いても良いですか?」
「……メル?お兄サンが、メルか!?ホントのホントでメルでスか?」
名乗った途端、少女は興奮した様に目を輝かせてメルに詰め寄る。
他国に知れ渡る程、有名になった記憶はないし、国内でもそこまで有名な地位でも名前でも無い筈なのだが、旅をしている間に代々受け継がれる"メル"の噂でも聞いたのかと思えば、少々誇らしげな気持ちになった。
「そうです。ボクがメルです。バルフ・ラスキン王家に代々仕え、影ながら支える誇り高き名を継いだのがボクです!」
えっへんと、メルが胸を張り自慢げに言えば、少女はますます目を見開いてキラキラと青い瞳を瞬かせる。
「…凄イ。おババ言った通りダ。メルに会えタ!!ワタシ、名前、アディ・ラジャ・ウパラ。私、ずっとメル探してたでス」
「ボクを…?」
「はイ!おババ、占い、言ったでス!この国、メル居るでス聞いて探してた。こっち!こっち行こでス!」
「えっ!?ちょ、ちょっと!?」
目を白黒させているメルに構わず、アディと名乗った少女はグイグイとメルの手を引っ張って裏通りから大通りへと駆け抜けて行く。
一目惚れした少女が自分を探していたというだけでも信じられない事なのに、今何故かこうして手を取られ、町の中を二人で駆けている。
自分の手をギュッと握る彼女の小さな手は柔らかく暖かで、自分の身に今起きている事は夢なんじゃないだろうかとメルは心臓を高鳴らせながらアディの背中をぼんやりと見つめ、追いかけた。
「この人!この人、メル判るでスか?私、この人、助けないといけない!おババ、メルが会ウば、メル判る、言ってた!」
「この人、って……」
胸を押さえ、肩で息をしながらメルは漸くアディから視線を外し、指刺された方角を見上げる。
気づけばメルは初めてアディに出会った皇帝広場の中心に立っていた。
見上げた先には広場のシンボルとも言える、初代皇帝とその妃の石像が仲睦まじく佇んでいた。
「初代皇帝様…?もしかして、この国の皇帝陛下に会いたいんですか?」
確かにメルなら立場上不可能ではないかもしれない。が、いくら惚れた相手の頼みとはいえ、他国の踊り子を皇帝陛下に紹介するなんて事は土台無理な話だ。
せめて自分の主人のライマールであればまだ紹介しやすいのに……と、メルはガックリと肩を落とした。
しかし、アディはブンブンと首を横に振って「違うでス」と答えた。
「オンナな方でス。私、毎日、夢見るでス。この人、毎日、泣いてるでス。私、気になって、眠ルできないでス。可哀想でス。どうする、イイですカ?」
「女の方……って、初代皇帝陛様の妃様?この女性が夢に出てくるんですか?えっと……この姿そっくりそのままですか?」
メルの問いかけに困った顔でアディはコクリと頷く。
これは何とも奇妙な話だ。
死んだ人間が枕元に立つなんて話はたまに聞くが、それは身内か身近な人物にのみ起こる事象だ。
この理由は単純で、生者が死者を思う気持ちが具現化した、単なる事象に過ぎないと言われている。
魂の門が存在する限り、その理によって死者本人が枕元に立つなんて事は不可能だからだ。
異国の民であるアディが、二千年以上も前に亡くなっている妃の夢を毎晩見るなどそんな事がありえるのだろうか?
しかし彼女が嘘をついているとも思えないし、よく見れば澄んだ青い瞳の下には、確かにクマが出来てしまっている。
かと言って具体的にどうすればいいか?など、メルにはとんと検討がつかなかった。
「うー……確かにそういう不思議な出来事は魔術師の管轄ですが、ボク幻術系の専門では無いんで聞かれても解らないです……」
「ワカラらナイ?メル、判るでス。おババ言ってた……判らナイ困る……」
がっかりした様子でアディはションボリと項垂れる。
遥々異国から悩みを解決する為に広い帝国を歩き回り、自分を探していたというのだから無理もないだろう。
メルはズキリと胸を痛め、慌ててアディに提案した。
「あ、あの!ボクは解らないですが、もしかしたらライマール様……ボクの主人なら、なにかわかるかもしれません!」
「本当でス?よルしくお願いしたイでス!泣いてる、可哀想でス!」
必死に胸ぐらを掴んで、アディはメルに訴えた。
潤んだ瞳が間近で訴えてくれば、無理とは言えるわけも無く、バクバクと心臓を高鳴らせ、メルは真っ赤になりながら「任せて下さい!」と、両手の所在に困りながら応えざるを得なかった。




