魅惑の踊り子さん
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結局その後の茶会はメルがライマールの事を話すというより、どうやって皇妃がライマールに近づくかというお悩み相談の場になってしまった。
悩んだげくメルは、不本意ながら昨日のベルンハルトの言葉を思い出してしまう。
『そうですねぇ。まぁ家族ですから、いつかそのうち判ってもらえますよ。世間一般では、孫が出来れば変わるとも聞きますし。何とかなるでしょう』
タイミングよく思い出してしまったその言葉によって、「とりあえずエイラ様のご懐妊祝いに何か贈り物をなされば口実になるのでは?」とメルは提案した。
その言葉は皇妃をかなり勇気付ける事が出来たが、メルとしては敵の言葉がヒントになってしまったと、些か複雑な気分だった。
早速とばかりにイルミナを伴ってその場を去る皇妃を見送っていると、隣に居たゼイルがアップルパイを頬張りながらジッとメルを見つめ、最後に意味深な事を言ってその場を去って行った。
『おい、役者が揃ったら俺を呼べよ。呼ばなかったらただじゃおかねえからな』
何の事を……と尋ねる前にゼイルは姿を消してしまった為、メルはモヤモヤとした気分でその場を後にせざるを得なかった。
そのまま研究室に戻り、ライマールが帰城し出迎えに出た際も、ライマールがまた意味深に『次があるから落ち込むな』と声をかけて来て脱力する。
いや、なんの事か本当に意味がわかりませんから。とつっこむ気にもなれなくて、その日の仕事量はたいした事なかったのに、無駄に疲れて帰宅早々食事前にもかかわらずバッタリとベッドに突っ伏した。
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そしてまた次の休日、メルは商業地区へと足を運ぶ。
この日はガランも休みだったので、無理やり引っ張る形でここまで来たのだが、移り気な兄は早々にメルとはぐれてしまった。
もっともあの兄は元々そこまで乗り気では無かった節があったので、店に目移りするフリをしてメルを巻いてしまった可能性もある。
口調も行動も普段のんびりしている癖に、目を離すとすぐに何処かにいなくなっているのだから、普段一緒に働いている姉の苦労が伺える。
兄も小さな子供というわけではないので、置いて行っても良いのだが、とりあえず探すだけ探しておこうと、大通りをぶらぶらと歩き回る。
西の端から皇帝広場の前まで来てその姿を発見する。
人集りに混じって何かに夢中になっているガランを見て、メルはガックリと肩を落とした。
「兄さん〜〜、勝手にどっか行かないで下さいよ」
「あぁ〜。メル君、見て下さい〜。異国の踊り子さんですよ〜。綺麗ですねぇ〜」
「兄さん!目的忘れてませんか!?大道芸を見にここまで来たわけではないんですよ?」
「まぁまぁ〜、そう言わず〜。これが終わったら付き合いますから〜」
これはもう動かないなと、メルはしぶしぶガランに付き合う事にする。
ガランの視線の先へ目を向けると、確かに異国風の衣を身につけた、15〜6歳位の少女が広場の中心で踊っている姿が見えた。
顔には薄手のショールと獣人を模した仮面をつけていたので、その様相は見えなかったが、薄手の生地で出来た上着から伸びるその腕は若い女性特有の曲線を描いており、南西に住む人特有の浅黒い肌をしていた。
両手には曲剣を持ち、軽やかな剣舞を披露している。
少女が動き回る毎に、アンクレットについている無数の鈴が涼やかな音を響かせていた。
メルはその見事な舞に感嘆し、いつの間にかガラン同様夢中になって少女が舞う姿を目で追いかける。
すると少女の仮面の下にある青い瞳と瞬間的に目が合い、メルはドキリと心臓を跳ね上がらせた。
少女の方もそれに気がついた様で、口元に蠱惑的な笑みを浮かべてメルに微笑んでみせる。
それが更にメルの心臓を落ち着かせないものへと変化させた。
(あ、あれ?なんだこれ……)
彼女はあくまで客からおひねりを貰う為に、愛想を良くしたに過ぎない筈だ。
にもかかわらず彼女の踊りの所為なのか、その場の雰囲気なのか、メルはその後もずっとドキドキと胸を高鳴らせ、気が付けば彼女から目を離すことができなくなってしまっていた。
少女の演舞が終わると、珍しい見世物に客が興奮した様に拍手をならす。
ガランも頬を高揚させ、夢中になって手を叩いていた。
しかし少女がおひねりを催促すると、皆そそくさとその場を離れ、自分達の日常へと戻って行ってしまう。
ただ一人、メルだけがポカンと口を開けたまま突っ立っていたので、当然、目をつけられて少女が近づいておひねりを催促して来た。
「お兄サン、今のオドリ、気に行ったカ?」
拙い言葉でニコニコと仮面の下で微笑む少女に、メルはドギマギとしながら、曖昧に頷いて、仕方なしにポケットからコインを何枚か手渡してやる。
「おぉ〜。メル君、気前がいいですねぇ〜」
「えっ?あ……」
ガランが少女の手を覗き込みながらそう言ったので確認してみると、銅貨を渡したつもりが金貨を渡していた事に気がつき、流石に失敗したとメルは顔を顰める。
しかし少女はそれに気付く事なく、金貨を見ながら目を大きく見開いた後、ギュッと金貨を握りしめて、嬉しそうに仮面を取っ払い、あろうことかメルの首に飛びついてきた。
「お兄サン、イイ人!!当分、ふかふかベッド、美味しいメシ、食べらるるネ!アリガト!!」
そう言って飛びついたまま少女はメルの頬にキスをし、その場を離れ、何事もなかったかの様に他の客達にも声を掛ける。
ホクホクと嬉しそうに広場を回る少女は、太陽に煌めく金髪をした、とても可愛らしい顔の美少女だった。
「お〜。メル君もなかなかやりますねぇ〜。私も金貨あげれば良かったです〜羨ましい〜……って〜、メル君〜?大丈夫ですかぁ〜?」
少女の背中を羨ましそうに眺めていたガランがメルへと視線を戻せば、メルは、見た事もない位顔を真っ赤にして、その場で口元を抑えて腰を抜かしていた。
メルもそれなりに年齢を重ねて来ているし、ライマールの小間使いになる前はそれなりに好意を持った女性の一人や二人はいた筈だった。
だが、ここまで衝撃的な感情を抱いたのは初めてで、メルは動揺を隠す事など出来なかった。
キスをした事がないわけではない。それこそキチンとしたキスぐらいした事がある。
今のはたかだか頬に挨拶程度のキスをされただけだ。
なのにメルの身体に電流の様な感覚が走り抜け、情けない事に腰まで抜けてしまったのだ。
これが本当の恋だというのなら、今までの恋は何だったんだろうか?
「メールくーん〜?お〜い。困りましたねぇ〜、今日はもう帰りますか〜?」
首を傾げ、メルの顔の前でブンブンと手をガランが振ってみせると、メルは漸くハッと意識を取り戻し、慌てて立ち上がる。
あの少女は見るからにこの国の人ではなかった。
だったらせめて名前と滞在期間を聞いておかなければ!と、広場の中をキョロキョロと見渡す。
しかしメルが呆然としている間に、少女は店じまいを終えてその場を立ち去ってしまったらしく、どこにもその姿は見当たらなかった。
「兄さん、あの子はどこに行きましたか?!」
「え〜?知りませんよぉ〜。メル君〜、ちょ、ちょっと落ち着いて下さい〜」
ガクガクとガランの肩を揺らしてメルは少女の行方を尋ねたが、弟に気を取られていたガランが知る筈もなく、メルはその返答を聞くと、絶望したとばかりに顔を青ざめさせて兄を見た後、フラフラと大通りの方へ戻っていく。
「メル君〜?どこ行くんですか〜?メールくーん?」
背後でのんびりとしたガランの呼ぶ声が聞こえてくるが、メルにはもうどうでも良かった。
激情に近い感情を初めて抱いた相手は、メルがショックを受けている間に居なくなってしまったのだ。
今追い掛ける事が出来たなら見つかったかもしれないが、どちらの方向へ消えたのかが判らなければ、この広い帝都では人一人見つける事すら容易ではないだろう。
告白どころか話をする事もなく、わずか数分で失恋である。
メルは当初の目的も忘れ、奈落に落ちた様な気分のままベルンハルトの店には行かず、その日はそのまま帰宅したのだった。




