そして日常。
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「朝よーー!!皆起きてーーー!!」
カンカンカンと妹のツィシーがおたまでフライパンを叩く音が廊下から聞こえてくる。メル一家恒例の朝の日常風景だ。
大抵皆これで起きてくる事はないので、ツィシーは一部屋一部屋の扉を開けてそれぞれの部屋をバタバタと駆けて練り歩く。
この音が聞こえて来たら急いで起きないと、耳元でフライパンを叩かれるのだから堪らない。
そして毎度一番最初にその被害に会うのは、階段に一番近い部屋のメルとガランが使う共同の自室だった。
「うぅ〜……私、昨日は遅かったんです〜、もう少し寝かせて下さい〜」
「あ、ダメよガラン兄さん!今日もお仕事なんでしょう?起きて起きて!メル兄さん〜〜!!あーさーよぉーー!!」
「起きてる!起きてるから、それやめてくれ!!」
二段ベッドの上で、枕を頭の上から被ってメルは抵抗する。
お陰で直前まで見ていた奇妙な夢はスッポリと頭の中から消え去ってしまっていた。
メル一家の朝は非常に慌ただしい。
食事はもちろん、トイレの取り合い、歯磨き、洗顔等々全てにおいて戦争である。
ギリファンは大抵夜明け前に家を出てしまうので、戦争を起こすのは大体下の3人なのだが、3人の弟妹だけでこれだけ騒がしいのだから、子供12人を目標にしているライマールに、この惨状を是非見せてみたいものだとメルは思う。
部屋から荷物を持って出ると、メルはまず洗面所に向かう。皆が続々と食堂へ向かうのを確認してから隙をついてトイレを済ませ、その後で急いで食堂へ顔を出す。
一番最後に食堂に入るメルは大抵人気のある惣菜を取られてしまった後なので、食べられる物の選択肢が限られてしまうのだが、のんびりしていると食べ盛りの弟達に全ての朝食を食べ尽くされてしまうので、目についた物から適当に集めて行く。
パンを手に取ると、野菜を挟み、前日の新聞に乱暴に包む。家の朝食で卵やハムを目にしたのはもう随分前の事の様な気がする。
しかし一番大変なのは食後の戦争なので、巻き込まれないうちにと、食堂から逃げる様に馬車へと向かう。
そして馬車の中には大抵兄のガランがメルより先に乗り込んで、不思議な事に毎度朝食をのんびりと食べているのである。
同じ部屋で、いつも自分より遅く起きるのを確認しているのに、卵やソーセージ、ハムだけでなく、お茶まで持参しているのだから、人間業じゃないと毎度毎度メルは首を捻る。
そのコツを是非教えて欲しい物だと思うのだが、ガランは笑って「ふふふ〜。ヒミツですよ〜」といつも教えてくれないのだ。
それでも一緒に出勤する時はメルに少しばかり卵やハムを分けてくれるので、持つべき者は兄である。
城の裏門から中へ入り、メルは途中でガランと別れ、ライマールの研究室へと向かう。
ライマールが結婚する以前は、ライマールを起こす役目から身支度までこなす為に城に住み着いている状態だったが、竜の国で寝起きする今はアダルベルトが一切を任されているらしい。
おかげで以前と比べれば朝は遅くまで寝ていられるし、登城時間も日が昇ってからで済むので、今では研究室の掃除がメルの朝の日課となっている。
ライマールが何か言い出しさえしなければ、その後の仕事もスムーズに行くので穏やかな日々が増えたなぁと、メルはしみじみと思いを巡らせた。
朝の掃除も無事に済み、お茶を入れて一息ついていれば、いつもの様にアダルベルトとライマールが研究室へと到着する。
「おはようございます」といつもの様に挨拶すれば、アダルベルトも軽くメルに挨拶を交わす。
しかし何故かライマールは挨拶もせず、顎に手を当て首を傾げ、メルを立ち止まったまま注視し、何かを考え込む。
メルとアダルベルトが訝しんでいると、ライマールはまた何かを確認するかの様に、徐に目の色を金色に変え、くるくると視線を這わせた。
(転換期がどうのって言ってたけど、最近頻繁にこんな調子だなぁ……)
その回数が一日の内に何度もなので、流石にメルも怖がるどころか慣れ始めてしまっていた。
こんな事は初めてだったが、ライマールが何かを確認した後何か起こるわけでもなかったので、すっかり安心しきってメルは油断していた。
「ふむ。今週……いや、来週か?」
「えっ?な、なにがですか……?」
意味深なライマールの呟きに、メルは久し振りにまた不安を感じる。
最近は何かを視てもこの主人は「まだだな」としか口にしていなかったのだ。
そのセリフが今日、今しがた、ぼんやりとだが具体的な時期を示してきた。そしてやっぱり何の時期なのかはサッパリ意味がわからない。
その目にははたして何が映っているのか。メルもアダルベルトもビクビクと身を固くする。
「メル、俺がお前と契約した時の約束を覚えているか?」
「へっ?えっと……困った人がいたら、仕事よりもそっちを優先しろってアレですか?」
メルの質問を無視して、ライマールはやはり唐突にメルに質問を投げかける。
質問に答える気はないんだろうなぁとは思っていたものの、まさかそんな質問が返ってくるとは思ってもみず、メルは拍子抜けした様に肩を落とした。
しかし会話の流れとしても不自然な程ぶった切った何の脈略の無い質問に、何が言いたいんだろうとメルが首を捻って答えれば、ライマールはムッとして首を横に振る。
「間違ってはいないが、合ってもいない。もう一度言うからよく覚えておけ。ーー"メル"としての役割より、感情を優先させろ。決まり事に囚われすぎず、俺以外の者にも目を向けろ。助けたいと思った者がいたらそいつを優先しろ」
「ええと……違いがよく解らないんですが、なんか違うんですか?」
「違う。今は解らなくてもいい。だが一言一句違えず胸に刻みつけておけ」
「はぁ……」
曖昧に返事を返せば、ライマールは不満そうに「本当にわかっているのか?」と言わんばかりに、メルを睨み付ける。
メルはそんな主人の顔を見て、慌てて今言われた事を復唱する。
「ええっと、"メル"の役目よりボクの感情を優先させて、決まりに囚われすぎず、ライマール様以外の人にも目を向けます。あと、助けたい人がいたらライマール様よりその人を優先します?」
改めて口に出してみて、それって本当に良いんだろうか?とメルは心の中に、何となくしこりを感じる。
しかしライマールはメルの復唱を聞き終わると、満足そうに満面の笑みを浮かべて頷いたので、メルはその疑問を口に出す事は最後まで出来なかった。




