義兄vsメル
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「そんな訳で、姉さん奪還作戦を練りますよ!」
「うん、どういう訳かな?」
そしてまた訪れた次の休日。メルはライマールの警告もすっかり忘れ、クーべ宅に押し入る形で駆け込んだ。
軽いブランチを終え、居間で父親と歓談している所にメルが現れ、開口一番言われた言葉にトルドヴィンは笑顔を貼り付ける。
その目は全く笑っていなかったが、メルは気にせずトルドヴィンに詰め寄った。
「義兄さん!姉さんは別に相手の男を心から好きなわけでは無いんです!たまたま声をかけられて、たまたま付き合ってるだけなんですよ!このまま引き下がって良いんですか!?ああ見えて姉さんは情に厚いですから、情熱的に押しまくれば絶対に義兄さんに靡きます!今ならまだ間に合うんです!!」
「むしろ今、私が押されすぎて椅子と一緒に倒れそうなんだけど、少し落ち着かないかい?」
苦笑しながらトルドヴィンが言えば、メルは渋々ながら体勢を立て直す。
こっちがどれだけヤキモキしてるか知らないで!と、メルがトルドヴィンを睨みつければ、トルドヴィンは怒るわけにもいかず、ヒョイっと肩を竦め、戯けて見せた。
「私がフラれたってファーが話したのかい?事情はどうあれ、ファーは私ではなくその人を選んだんだ。どうしようも無いだろう?」
「息子よ、お前はギリファンちゃんにフラれたのか?父は初耳だぞ」
「ええ、残念ながら。両想いだと思っていたのは勘違いでした。いやぁ、恥ずかしい話です」
「おお…なんと……私もてっきりうちに嫁に来るものだとばかり…」
「お二人とも何言ってるんですか!!姉さんは絶対にクーべ家に嫁ぎます!!ボクが嫁がせてみせます!!」
闘志を露わにして意気込むメルに、トルドヴィンとクーべ侯爵はパチパチと瞬きをする。
この、近所に住む幼馴染の弟君の何がそこまでさせるのか、まるで見当がつかなかったが、これ以上傷口に塩を塗られるのは正直堪ったものではないと、トルドヴィンは深く息を吐き出すと、メルを諭す様に説得に出た。
「あのね、メル。私はファーの気持ちを無視してまで手に入れたいとは思っていないよ?それにね、元より私にはファーを望む資格は無かったんだ。ファーが辛い時期にそれに気づかず、ファーが可愛いからと自分の都合だけでファーを追い詰めていたんだからね。確かにフラれたのはショックだし、まだ立ち直れそうには無いけど、ファーが幸せならそれで良いじゃないか」
「何言ってるんですか!?姉さんの幸せは義兄さんの側にあってこそに決まってるじゃないですか!!姉さんは鈍いですから、自分の気持ちに気が付いてないだけですって!!誰の目から見ても両想いにしか見えてませんでしたから間違いないですよ!義兄さんは押しの強い人だと思ってましたが、まさかここまで臆病者だったとは思ってもいませんでした!正直、姉さんにも義兄さんにも幻滅です!!」
"臆病者"と言われて、トルドヴィンも流石にピクリと片眉を上げる。
一体自分がどんな気持ちで身を引いたと思っているんだ?
出来る事なら相手の男をズタズタに引き裂いて、掻っ攫って、ずっと自分の部屋に閉じ込めておきたいに決まっているじゃないか!
何年想ってきたと思っている?20年近くだぞ!?ライマール殿下の比じゃ無い。
それを横から掻っ攫われて、面白い筈が無いじゃ無いか!
けど、あのギリファンの幸せそうな笑顔を見れば無下に出来るわけが無い。
ーーあの時まで、彼女があんな風に笑う事もあるなんて知らなかった。
トルドヴィンは更にその後の事を思い出して消沈する。
ギリファンはあの日、稽古を終えた後、交際相手の男に会いに行く予定だったのだ。
今にして思えば納得がいく事だった。
普段は見せない女性らしい装いに、よく見れば薄っすらと化粧をしていたのだから。
稽古を終えてあの格好で出てきたギリファンに驚いたが、何のことは無かった。交際相手がいるのなら自分を良く見せたいと思うのは当たり前だ。そしてそれは残念ながらトルドヴィンの為では無いのだ。
トルドヴィンが唐突に青筋を立てて立ち上がったので、殴られるかと身構えていたメルは、トルドヴィンが急激にその怒りを失い、何も言わずにストンとまた椅子に座り込むのを見て拍子抜けする。
拳の一,二発覚悟していたメルは、元気をなくしたトルドヴィンにそのまま眉を顰めた。
「…放っておいてくれないかい?君が臆病者というのなら私は確かに臆病者なのだろう。こうなる迄気づかなかったのだからね。メル、君はファーの相手に会った事があるのかい?私はね、陰から彼を見て、勝てないなと思ったよ。彼なら間違いなくファーを幸せにしてくれるだろうさ」
他の男と仲良くしているギリファンを見たくないと思う気持ちと、もし相手がろくでもない男なら引き剥がす口実になるという邪な気持ちが攻めぎあって、トルドヴィンはギリファンと途中で別れるフリをして、その後をこっそりつけていた。
チラリと見た相手の男は、自分以上に紳士的で、一定の距離を保ってギリファンと楽しそうに会話をしていた。
あそこまで見せつけられて、もう何もかもが遅かったのだと、トルドヴィンはそこですっかり諦めてしまった。
本当に、ギリファンが幸せならそれで良いと思える程に。
しかしメルは、意気消沈し、投げやりに答えるトルドヴィンの言葉を簡単に受け入れる事は出来なかった。
「…本当に、幻滅です。結局、クーべ副団長の想いなんて所詮その程度だったんですね。ボクの見込み違いでした。姉さんは昔から我慢強くて、どんなに苛められても、誰かに助けを求めた事なんて無かったけど、義兄さんなら、きっと側で支えるだけの力を持ってると信じてたんです。それなのに……」
「それは、ご期待に添えられなくて済まなかったね。これからは彼がファーを支えてくれるだろうから安心すると良い」
項垂れて答えるトルドヴィンに、メルはカッとなって、トルドヴィンが座っていた椅子を思い切り横から蹴飛ばした。
派手な音と共に、トルドヴィンはそのまま横に転倒してしまう。
メルは無様に転げ落ちたトルドヴィンを見下ろしながら、屋敷中に響き渡るんじゃ無いかという位大きな声で怒鳴り散らした。
「ええ、ええ!そうですね!!クーべ副団長よりも頼りになる方がいるとは思っていませんでしたから、ボクもこの先はなんの心配もなく安心して仕事に専念出来るってものです!!姉さんの幸せの為にも二度と姉さんに近づかないで下さい!!」
「お邪魔しました!!」と、何処かで聞いた台詞を吐いて、メルがその場を後にすると、トルドヴィンは何も言わずに身体を摩りながらムクリと起き上がる。
終始無言で二人のやりとりを見ていたクーべ侯爵は立ち上がった息子を見上げ、何故か楽しそうに、「お前もまだまだ未熟だねぇ…」と、ニヤリと言葉を漏らした。




