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姉vsメル

 =====



 ライマールに告げられた真実は、メルにとって後頭部を殴られたかの様な錯覚を覚える程、衝撃的な内容だった。

 幼い頃から目にしてきた二人の関係は、どう考えても両想いの照れ隠しで、いつか必ず結婚するものだとばかり思っていた。

 だから、メルは勿論、ガランや、他の弟妹達もトルドヴィンを義兄さんと呼んできたし、皮肉めいた発言はするものの、他の騎士とは違って、一定の尊厳を保ってくれるトルドヴィンを家族皆が受け入れていた。


 それがここに来て、「実は違いました」など、いくら未来が見える主人の言葉とは言え、到底信じられるものでは無かった。


 だからメルは仕事の隙を見計らって、ギリファンのいる大部屋の研究室へと飛んで行った。

「姉さん!話があるんですが!!」

 バタン!と勢いよく扉を開き、メルが息を切らして部屋に入れば、部屋の中にいた魔術師一同含め、ギリファンとガランは驚いた顔でメルへと視線を向けた。


「なんだ?ライムから何か頼まれたか?」

「いえ、個人的な話です」

「なら、仕事が終わった後にしろ。…ああ、その試験体は扱いに気をつけろよ?配分を間違えたら一月かけた今迄のデータが全てパァになるからな」


 部下に指示を出しながら、次々に上げられてくる研究書類にギリファンは目を通し、忙しそうに動き回る。

 その近くでは、ガランがのんびりと自分の研究班と魔法文字の解析について話あっている様子だった。


 メルは待っていられないとばかりにギリファンの後を追いかける。

「無理です!姉さん仕事終わるの遅いじゃないですか。それに家に帰ってからだと二人だけで話すなんて不可能です!絶対エドやツィシーが首突っ込んで来ます!」

「なら今ここでしろ。どうせろくでもない話なんだろう?幸いここの連中は愚弟や愚妹よりは口が堅い。イルモ、そろそろ第三検体に試薬を投与しろ。それが済んだら治癒術科に行ってナハトリーフを分けてもらってこい」


 イルモと呼ばれた若い青年は忙しそうに頷いて、ギリファンの指示に従う。ギリファンはそれを確認もせずに、バラバラと書類を捲りながら、また別の班が固まっている場所まで足早に移動する。

 無論メルも急いで後を追い、先程より少しだけ小声になって、モゴモゴと言い淀む。


「ここでは流石にチョット…姉さんが後悔すると思いますし……でももしライマール様が仰った事が確かなら、ボクや兄さんにも関係してきますし…正直どうして良いか判らなくって混乱してるんですよ!!」

 弟の切羽詰まった叫びに、ギリファンはとうとうピタリと立ち止まり振り返った。

 顔を見れば焦った様子で、ギリファンやガランよりも鮮やかな翠色の瞳を潤ませている。

 要領を得ない物言いに眉を顰めたが、そんな顔をされたら無下にも出来ないと、ギリファンは小さく嘆息をついた。


「三分やろう。下らん話なら張り倒すからな」

 それで構いません。とメルが頷くと、ギリファンはメルを伴い薬材が陳列している隣の部屋へと移動する。

 部屋に入ってすぐ、薬材の並ぶ棚に寄りかかると、「で?」と、ギリファンは腕組みをし、メルを睨みつける。

 姉さんにしてみれば下らない話かもしれないから、殴られるかも…と思いつつも、メルは何度か深呼吸をした後、意を決して口を開いた。


「単刀直入に聞きます。姉さん、義兄さ……クーべ副団長をフッたって本当ですか!?」

「なっ!何故お前がそんな事っ!…………待て、ライムと言ったか?アイツ…下らんことに神獣の力なんぞ使いおって…しょうがない奴だな」

「いえ、なんか転換期がどうのとか、時期がどうの言ってたので、何かしら意味はあるんだと思いますが…ほ、ホントにフッたんですか…?」


 ライマールの言葉はとりあえず置いておいて、顔を青くしておずおずと怯えながらに問う弟を見ながら、ギリファンはやはり下らなかったと、こめかみを押さえる。

 何故こうガランといいメルといい、自分の足を引っ張る事しかしないのか。

 しかもこういう時のメルは大概しつこい。

 小さい頃からそうだが、納得がいかないと意地でも張り付いて離れようとしないのだ。


「お前には関係ないだろうが。なんでそういつもトルの事を気にするんだ?そして今急いで聞く必要は無い話だよな?」

「関係大ありですし、急いで聞く必要がありますよ!!姉さんがフッたのが事実なら、廊下とかでバッタリ義兄さんと会ってしまったら、ボクなんて呼べば良いんですか!?」

「知るかっ!!大体ガランやお前が勝手にトルを"義兄さん"などと呼ぶから、必要以上にあいつが落ち込んで……いや、元を正せば私の所為だな。今のは八つ当たりだ」


 ガシガシと頭を掻いて大きな溜息を吐き出すと、ギリファンはバツが悪そうに項垂れる。

 二人の間に何があったのかは判らないが、少なくともギリファンがトルドヴィンを"トル"と呼ぶ様になった事と、顔を顰める様子から、今までの様な喧嘩とは違い、本当に本気でトルドヴィンをフッたのだと、メルは察した。


「何故ですか?ボクはずっと姉さんは義兄さんの事が好きなんだと思ってきたのに…姉さんは本当に義兄さんが嫌いだったんですか?ボク、ショックですよ…」

「何故お前が落ち込むんだ?好きか嫌いか。と、問われても、な…そういう目でトルを見た事が無い。どちらかと言えば、いかに近づかないかに神経をすり減らしていたし」

「な、ならそういう目で見てから判断して下さいよ!!姉さんはそうだったのかもしれませんが、少なくとも義兄さんは、ずーーーーっと姉さん一筋だったんですよ!?」


 だから何故そう必死なんだ?と、ギリファンは困った様に眉を顰める。

「そうは言ってもだなぁ。交際相手が居るのに、二股をかける訳にはいかんだろう。トルには悪い事をしたとは思っているが、こればかりはなぁ…」

「交際相手…?えっ、誰のですか?」

「うん?勿論私のだが?」


 しばしの沈黙の後、メルは現実味の湧かないギリファンの言葉に首を捻り、問いかけ直す。

「姉さんの、交際相手?」

「ああ」

「どなたかと、おつき合いを、している?」

「ああ」

「……初耳ですよ?」

「騒がれるのが嫌で、誰にも言って無かったからな」


 トルドヴィンがフラれたという事実以上の衝撃を受け、メルは真っ青になって言葉を失う。


(そんな気配、今までの今まで一度も無かったのに、何がどうして?)


「あ、相手はどなたなんですか?ボクも知ってる人です?」

「ん。ベルンハルト・オ・ガ・ジャミル。ジャミル侯の三男坊だ。ノイデールの商業地区で人形職人をやっている」

「ジャミル侯の?ベルンハルトさん…ボクはお会いした事がないですが…」


 その名前の響きに何か引っかかる。と、メルは首を傾げる。

 ジャミル侯と言えば、メルの家やクーべ家に並ぶ古くから続く名門侯爵家だ。

 祖先をたどれば初代皇帝を支えた近衛騎士の家系だが、今は一般の臣民相手に武術を教える名家としての方が有名だった。

 ギリファンが通う道場は、何を隠そうジャミル家の所有する道場の一つだ。


 だが、メルが引っかかりを覚えたのは、名家のご子息だからという理由ではない。

 ただ漠然と、その名前の響き自体に胸騒ぎに似た何か(・・)を、本能的に感じたと表現する他無かった。


「うーん?なんだろうこの感じ。気持ち悪いな」

「は?」

「あ、いえ、こっちの話です。えっと…ジャミル家のご子息って事は、やっぱり道場で出会ったんですか?一体、何時からおつき合いを?」


 不安そうに質問を畳み掛けてくる弟を見ながら、お前は私の父親か?と、ギリファンは内心苦笑する。

 誰と付き合おうと関係ないだろうと、一蹴しても構わなかったが、不安そうな弟をほっとくのもなぁと、安心させる為に一応正直に答える事にした。


「出会ったのは今年最初の舞踏会だな。小さい頃から剣より何かを作る事に興味があったらしくてな。道場には通ってなくて、私も顔を見るのはあの場が初めてだった。師に紹介されて、話してみたら気さくで良いやつでなぁ。どこを気に入ったのか知らんが、割とすぐ告白されたので、とりあえず付き合って見る事にしたんだ」

「とりあえずって…好きになったからとかそういうわけじゃないんですか!?」


 こうなるといよいよトルドヴィンが哀れだと、メルは頭を抱える。

 無論そういう恋愛の始まり方もあるのだろう。その先好きになるか、なにも進展しないかは、きっと本人にだって判らない。

 姉を責めるのはお門違いではあるが、タイミングの差でこうなったのかと思えば何ともやるせないと、トルドヴィンに同情する。


 ギリファンもそれを理解しているのだろう。何とも言えない顔でバツが悪そうに項垂れる。

「よく知らない相手だったし、断ろうかとも思ったんだけどな。私も割といい歳だし、ベルンハルトにもお試しで良いからと説得されてな。そこまで言われたら断る理由はないだろう?まさかトルがあんな風に思っていたとも思わなかったし…色々悪いとは思っている」

「そう思ってるんだったら、もうチョット真剣に義兄さんの事も意識してあげて下さいよ!!お試しだって言うなら、そのベルンハルトさんと付き合いながらでも考える事ぐらい出来るでしょう!?いくらなんでも義兄さんが不憫すぎますよ!」

「そう言われてもだな…私はベルンハルトの事を割と気に入ってるんだ。真っ直ぐだし、誠実だし、付き合うと決めた以上、裏切る様な事はしたくない。お前が何故トルの肩をそこまで持ちたがるのか判らんが、こういうのを、縁が無かったと言うのではないか?」


 そんな一言で片付けられてたまるか!と、メルは我が事の様に憤慨する。

 ベルンハルトさんがどういう人物なのかは判らないが、想いの強さならトルドヴィンも負けてはいない筈だとキッとギリファンを睨みつける。


 今後、トルドヴィンとどう接すれば良いのか、メルの中で答えがはっきりと出た瞬間だった。

「もう良いです!姉さんが意外と流されやすい人だったって解りましたから!!ボクはこの先もクーべ副団長を義兄さんって呼ぶ事にします!!ベルンハルトさんって方がどんなに良い人でも、僕は認めませんからっ!」

「なんで私の交際にお前の許可が…っておい!メル!!」


 独断と偏見しかない捨て台詞を吐いて、メルはプリプリと怒りながら部屋を後にする。

 薬材のあった部屋の扉を勢いよくあけ、肩を怒らせて研究室の中を歩くメルに、誰もがポカンと口を開けて注目した。

 最後に研究室の扉の前でクルリと振り返り、「お邪魔しました!!」と、怒りながらメルが部屋を出て行けば、ギリファンは嘆息を吐きながら、気怠そうに薬材室から出てきたのだった。

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