巣立ちの頃 第六部
台風のような笹峯さんが去っていったその後も、私と修斗くんの面談は続いていた。面接の回数を重ねるにつれて、修斗くんは自分の『未練』を『復讐』ではない『他の何か』へと、変えていっているように思えた。先輩のように劇的に、とはいかないが、笹峯さんの言ったとおり、極めてオーソドックスな手法で、修斗くんの心のドアは少しずつ開きかけていた。
しかしながら、修斗くんは、未だに自分がなすべきことが分からないでいた。それはそうだ。14歳という幼さで、自分自身と向き合う――その困難なことは言わずもがななことだった。
私は、先輩のアドバイスを求め、時には愚痴を漏らし、折れそうになる心を暖かく支えてもらいながら、着実に修斗君との二人三脚を続けていった。
そうした日常を繰り返して、ある日。
私は、ある一つのことを思い立って、再び、修斗くんの通っていた学校を訪れることにした。
どうしてもやらなければならないことがある――私はそう思っていた。
あるいは全く成長を見せずに以前の私に逆戻りしている気もする。
しかし、それは私にとってはどうしようもなく必要な「けじめ」にあたっていたといってもいい。そして私には、修斗くんの未練を晴らすために、私にも修斗くんにも、そのステップが必要であるとしか思えなかった。
学校が終わり、須藤くんたちが下校するまで、校門前で待ち続ける。
――私のしようとしていることは、間違っているかもしれない。理想論を周囲に押し付けて、自己満足に浸りたかっただけなのかもしれない。でも、修斗くんと面接を重ねるにつれて、忘れたくても忘れられない、どす黒く、抑えきれなくなってきた感情が、私の足を、この場所へと突き動かしていた。
どのくらい待っただろう? 黄昏時になった時分に、須藤くんが一人、校門をくぐってきたことに気づき、私は多少慌てて彼を引き止めた。
須藤くんは、私を訝しげに見やると、
「今度は何の用です? また俺達が悪者だと思ってるんですか?」
私は、そんな彼に、努めて冷静に言った。
「いいえ、この間はごめんなさい。ズケズケ物を言うのが、私たちの悪い癖なの。謝っても、許してくれるとは思わないけど――話があるの。近くの公園まで、一緒に来てくれない?」
須藤くんは面倒くさそうに、
「別にいいですよ、ただ、もうこれっきりにして欲しいな。正直に言うと、いい加減、あいつのことで引きずり回されて、だんだんイラついてるんだ」
私は、心の動揺を悟られないように、平静を装って言った。
「ええ――これが最後にするから。本当の最後にね」
夕方の空も夜の闇に変わり、街灯に明かりが灯り始めた頃、昼間遊んでいた子供たちも帰って閑散としている公園に移動した私たちは、公園の中央に立ったままで向かい合った。
「須藤くん、これから話すことを、素直な心で聞いて欲しいの」
「なんですか? もしかして、説教ですか?」
「うん……この前は、ひどいこと言ってごめんなさい。私はね、須藤くん。君にひとつ、考えてもらいたいの」
「はあ?」
須藤君が間の抜けた声を出す。
「――修斗くんが、どんなに辛い気持ちを抱え込んで、死んでいったのか? 修斗くんの心残りはなんだったのか? どんなことを思って、マンションから身投げしたのか。もし自分がそんな状況に追い込まれたら、どんなことを思い、どんな未練を残しているのか、少しでいいから考えて欲しい」
「それはだから、悪かった、と……」
「悪かった、じゃ、済まないのよ。君たちは見逃したみたいだけど、私たちはあの時、教室の外であなたたちの『声』を聞いていたの。あなたたちが、どんな思いでいたのか、もうわかってるのよ」
須藤君はそこまで聞くと、呆気にとられた顔をしたが、すぐに下卑た笑い声を上げた。
「なんだよ、結局この前のあの声と物音はあんたたちのせいだったのか? まったく、ゾッとさせられたよ」
須藤君は自分たちの真意を知られているのを知ると、私と二人きりであったこともあるだろう、『反省している加害者』仮面をかなぐり捨てて、須藤君は豹変した。
「はいはい、反省してますよー、っと。あのキモい害虫が何を考えてたかなんて、人間の俺にはわかりませんよ。あっは、俺が、『カイシュンノジョウ』で罪の重さを感じて、涙のひとつでも流せば、それで満足? 馬鹿じゃねえの? あんなゴミ虫のために流す涙なんて、俺は一ミリリットルすら持ち合わせてないっつーの。この前言わなかったっけ? おねえさん、もう痴呆が始まってるんですかあ?」
私は、その言葉を聞いて、そっとため息をついた。
怒りは、既に通り越していた。
「――そう」
冷たい、無機質な感情が私を満たしていた。この子はただ修斗くんを『いじめていた』のではない。まぎれもなく『殺した』のだ。そして、そのことに、なんの罪悪感も感じていない。なんの感情も感じていない。
アリの巣に水を流し込み、無邪気に殺戮を楽しむ子供のように、修斗くんは、彼らにとっての『遊び道具』でしかなかった。
そのことをもはや渇ききった心で悟って、私は淡々と口を開いた。
「……須藤くん、修斗くんの『未練』――修斗くんが死んでまで想い続けたことって、なんだかわかるかな?」
トーンダウンした私の声に訝しそうに眉をしかめながら、須藤くんは、
「はあ?」
と、聞き返した。
「修斗くんの『未練』、それはね――」
私の声が、人気のない公園に凛と響いた。
「――あなた達への、『復讐』よ……」
私がそう言うと、街灯のガラスがひとつ、淡い光とともに弾け飛んだ。
びっくりして、須藤君が、砕け散った街灯と私の顔を交互に見やる。
ぐにゃり、と空間が歪んでいく。もちろん、私がやっていることだ。――少しでも、ほんの少しでも、彼らに修斗くんが味わった苦しみを――。
「な、なんだ? 何なんだよ、お前……」
狼狽した須藤君が、怯えた悲鳴を上げた。
「あなたみたいな人が、『人間』だというのなら、いいわよね? 『ゴミ虫』は感情を持たない。『人間様』の都合なんて、知ったことではないの。――だから」
私は淡々と言葉を紡いでいく。怒りは既に臨界を超え、すべてが空虚になっていた。
「――いいわよね?」
まだ残っていた街灯が、連鎖的に、「パンッ、パンッ、パンッ」という音を立てて壊れていく。
周囲は闇に包まれ、おぼろげな月明かりが私たちをぼうっと照らし出した。
「――ヒ! 何だ? 何なんだよぉ、お前……!」
須藤くんは、その場にへたり込むと、四つん這いになって、私から距離を置こうとした。
だが、歪曲した空間では、四肢を動かすのも困難なのか、もがいても、もがいても、前方へと進むことはできないでいた。
「修斗くんは、何も悪いことをしたわけでもないのに、猫がねずみを弄ぶように、じわじわと『殺されて』いった。そう、あなたたちのような『人間』にね……」
「ヒ……」
私は、感情を伴わない、冷淡な瞳で彼を見下ろした。
「それが『人間』だというのなら、私はもう、『人間』にはなんの期待もしないわ。私はただ、『未練』に従順な代行者になるだけ。さっきも言ったわよね、修斗くんの『未練』は――」
私は、最終宣告をする死刑執行人のように言った。
「あなた達への、『復讐』」
須藤君は、腰を抜かして、仰向けに私を見上げていた。その目には、汚らしい涙が滲んでいた。
「ご、ごめんなさい。俺たちが……俺が……わるかった! だから、許してください――」
「――」
その言葉を聞いて、私の身体から、ふっと力が抜けた。
何も生み出さない、後悔の念もない、言葉だけの改悛の情であることは分かっている。
――それでも。
私は、力の解放をやめると、無言で踵を返した。
――それでも、私は『人間』を信じていたかったのだ。
――そう、そしてこれこそが私と修斗君にとっての『けじめ』であり、『それでも人間を信じること』が、どうしようもなく身勝手な、『私』という存在を支える、『私』という存在を突き動かす、何かだった。




