第二十二話 約束
『ロクサーヌ、君がなかなか来てくれないから、イザベラ様達に協力してもらって会いに来たよ』
『ルーカス……』
ロクサーヌ様は涙を流しながらも、何かを堪えるように唇を噛み締めた。
『あれから……本当に長い年月が経ったね。ずっと君に会いたかったよ、ロクサーヌ。君は違うの?』
『違わない!!私も……私だって会いたかったわ!!でも、私にそんな資格なんかない……』
『資格?』
ルーカス様に尋ねられたロクサーヌ様は、苦しげに顔を歪めながら頷かれる。
『あなたを守れなかった……自死を選んで救えるはずの多く命を救えなかったわ。そんな私に、あなたに会う資格も、ミスラリア様の御許に行く資格もあるはずがないじゃない……』
ロクサーヌ様の身体から再び黒いモヤが溢れ、私たちを取り囲む黒いモヤがもぞもぞと蠢き闇が一層深くなる。
『それを言うなら、僕にだって資格はないよ。僕が死ななければロクサーヌが死ぬことはなかったし、そうすれば多くの人の命が助かったはずだからね』
『そんな……!!ルーカスは何も悪くないわ!!私があなたを守れなかったから……』
『ロクサーヌ、君は聖女だった。でも聖女だからといって何でもわかる、何でもできるわけじゃなかっただろう?聖女だって1人の人間だよ。僕自身がもっと気をつければよかったんだ。ごめん、ロクサーヌ。悲しい思いをさせて、自死を選ばせてしまって』
私の身体にルーカス様の魂が入っているからだろうか?胸を掻きむしりたくなるほどの後悔の念が伝わってくる。
『ルーカス……でも、ルーカスのせいなんかじゃないわ』
『どうして?』
『どうしてって、馴染みのメイドに殺されるなんて想像できるはずがないじゃない!!』
『じゃあ、君も悪くないじゃないか。僕も君も想像できなかったことが起こった、仕方がないことだったんだよ』
『いいえ、念のためにルーカスに結界を張るとか、手立てはあったはずよ。全く警戒してなかったの……国内に敵がいるだなんて……』
『それは僕もだよ。君が気がつかなくても、僕が気がつければ……。あれから何度後悔したことか……。そうすれば僕たちは……』
ルーカス様は言葉を止め、来るはずだった2人の未来に思いを馳せている。
純白のドレスを纏い美しく微笑むロクサーヌ様。
思い出の場所を、手を繋いで巡る2人の姿。
しゃがみ込み、嬉しそうに花の香りを嗅ぐロクサーヌ様。
はにかみながら、子どもが出来た報告をするロクサーヌ様。
悪阻で苦しむロクサーヌ様。
日に日にお腹が大きくなるロクサーヌ様。
お腹を蹴った、と目を丸くして幸せそうに教えるロクサーヌ様。
お産に苦しむロクサーヌ様をドアの外で不安に苛まれながら待ち続け、産声がきこえて……。
『でも、僕は、僕たちは死んだんだ。どんなに後悔しても、どんなに願っても、その事実を変えることはできない。だから……』
ルーカス様はロクサーヌ様の手を、両手で壊れ物を扱うかのようにそっと、優しく包む。
『来世で幸せになろう。次こそ、約束を守るから』
『来世……約束……?』
ロクサーヌ様はポカンとした表情でルーカス様を見つめ返す。
『忘れちゃった?今世でも、来世でも、何度生まれ変わっても、必ず君を幸せにするって』
『……!!』
大きく見開かれたロクサーヌ様の紫の瞳から、大きな涙がポロリとこぼれ落ちる。
『どうして……どうして忘れていたのかしら……。私も、今世も、来世も……何度生まれ変わっても、あなたがどこにいても必ずあなたを見つけ出して幸せにする、って』
色とりどりの美しい花が咲き乱れる情景で、手を取り合い、約束を交わす2人の姿が浮かぶ。
『ロクサーヌ、来世こそ約束を果たしたいんだ。君は違うの?僕を幸せにしてくれるんだろう?君がいないと僕は幸せになれないよ?』
いたずらっぽく微笑むルーカス様に、それでも何か後ろ髪を引かれている様子のロクサーヌ様は、はいともいいえとも言えず、苦しげに顔を歪ませ涙をただ流し続ける。
『君が気にしている人たち、病で亡くなった人たちだけどね、みんな君を心配していたよ。それに願っていた、君の幸せを』
『……!!そんな、だって私……』
信じられないといった様子で戸惑われているロクサーヌ様を諭すように、ルーカス様は優しい声色で話しかける。
『確かに、なかにはそういうことを言う人もいたよ。でもね、ほとんどの人が君の幸せを願っていたのも事実なんだ。君は、そんな人たちの願いも無碍にするの?』
『……』
『あの時の病で死んでしまった人たちは皆、新しい命として生まれて、新しい人生を歩んでいるよ。今、君を恨む人はどこにもいない。恨んでいるのは君だけだ、ロクサーヌ。君自身だけなんだよ』
『私だけ……』
そう呟いたロクサーヌ様の身体から、温かい優しい光が溢れていく。
『そう、君だけだ。自分を許してあげてくれ、ロクサーヌ。10歳の時の約束を果たして』
『10歳……ばかね、ルーカス……。あんな約束を覚えていたの?』
幼い2人が森に入っていく姿。
ルーカス様の制止を振り切り無茶をしたロクサーヌ様を助けるために怪我を負ったルーカス様。
ベッドに横たわるルーカス様の横で大泣きしながら謝るロクサーヌ様。
「ごめんなさいルーカス!!なんでもひとつ、ルーカスのお願いを叶えるから!!」
『ロクサーヌも覚えててくれたんだ。じゃあ叶えてくれるよね?僕のお願い』
『……わかったわ。約束だもの』
『じゃあ、もうここに留まる理由はないね。さあ、いこう』
まばゆい光が黒いモヤを少しずつ晴らしていく。
あまりの眩しさに目を瞑った瞬間、グンッと勢いよく何かに引っ張られるような感覚がしたかと思うと、ロクサーヌ様と、ブラウンの髪に新緑の瞳を持つ優しげな青年、ルーカス様が寄り添う姿が目に飛び込んできた。
「イザベラ嬢」
肩に感じた温もりに、ハッと後ろを振り返ると、目を真っ赤に潤ませ、頬に涙が伝わっているウィリアム様が私を支えてくれていた。
『聖女イザベラ様、力をお貸しくださり、ありがとうございました』
優しい声に視線を戻すと、ルーカス様が柔らかく微笑まれていた。
『聖女イザベラ様、ありがとうございます。皆様も、温かい思いを届けてくださったこと……本当にありがとうございました』
(ああ、ロクサーヌ様は本来こんな風に笑われる方だったのね)
長年縛られ続けた鎖から解き放たれたような、なんとも言葉にし難い解放感と安堵感に包まれたご様子のロクサーヌ様が、温かく優しく、そして幸せそうに微笑まれている。
「ロクサーヌ様とルーカス様のお幸せを、心からお祈りいたします」
お2人の幸せそうな姿に、声を震わせながら精一杯の言葉を紡ぐ。
『ありがとうございます。聖女イザベラ様、どうかあなたは大切な人を守り抜けますように。どうか、幸せになりますように』
目を瞑り胸の前で手を組んだロクサーヌ様から溢れた温かな光が、ゆっくりと私とウィリアム様を包んでいく。
目を開けたロクサーヌ様は今一度優しく私たちに微笑むと、ルーカス様と見つめ合い、手を取り私たちに背を向け、そして。
2人の姿は光の中へと消えていった。




