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引きこもりのエース  作者: 立花薔薇(ローズ)
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 私はそれまでワアワア泣いていたというのに、あまりにも仰天し過ぎて涙もすっ飛んでしまっていた。


『アホ!すぐに出ろ!見て分からないのか!きちんと整備されているのが!』


私が呆然と声がした暗がりの方に目をやると、グラウンドの外から、長身のうちの学校のユニフォームを着た男の人らしき人影がこちらに向かって走って来るのがぼんやりと見えた。


『お前が今座っているそのマウンド、毎日女子野球部のメンバーが交代で丁寧に整備してるんだぞ。県大に病気で出られなかったエースが戻ってきたら壮行試合するんだって言ってな』


(えっ?)


『あいつら自慢気に言ってたんだ、『うちのエースはすぐに高校のエースになりますよ』ってな。お前、そいつらの気持ちがこもったマウンド滅茶苦茶に踏み躙ってるんだぞ!分かってるのか!!』


そう言うが早いか気づくとその人物は私のすぐ横にやって来ていて、私はあっという間に腕を掴まれて、強引にファールゾーンに引っ張り出されていた。


蒼もその人のあまりの剣幕に恐れをなしたのか(?)、早々に空に舞い上がってしまった。


掴まれていた腕を離されて漸くその人物を見る余裕が出来た私は、見上げて、ちょうどこちらを振り返って私を見たその人物と目が合って、あまりの衝撃にそのまま硬直してしまった。


『か、神崎先輩!』


私は今自分の目の前にいる我が学園のヒーローが、まるでテレビでしか観られない芸能人が目の前にいるようなそんな気分になる程、現実とは思えなかった。


だって神崎先輩といえば、グラウンドの金網越しにチラッと見る事ぐらいしか出来ない超が付く程の有名人で、私のような一般人が近づく事なんか出来ない雲の上の人だったから。


その先輩が今私の目の前にいて、私に話し掛けてくださっている(怒られている事は綺麗さっぱり抜け落ちていた)。


すると何故か神埼先輩の方も一瞬目を見開いて驚いたような顔をしたように見えたのだけど、そんな筈はないので、一瞬だし、多分それは私の思い違いなんだろうなんてドキドキしながら考えて、


(夢じゃないよね?)


私はおもいっきり頬っぺたをつねってみた……、先輩の頬っぺた……だけど……。


『いててててて!何するんだよ!』


『ほ、本物?しゃ、喋った!凄い!』


私は眉が更に吊り上った先輩の様子などお構いなしに、さっき迄の沈んだ気持ちはどこへやら、独り興奮して感動していた。


『お、お前は、俺を何だと思っているんだ!ほらっ、ボウッとしてないで早く来い!』


先輩もまた、そんなテンションMAXな私に構う事なく再び私の腕を掴むと、そのまま私は用具置き場に連れて行かれた。


何が起こっているのか自分が置かれている状況に全然付いて行けてない呆然としている私とは裏腹に、先輩は中に入るなりトンボをおもむろに掴むと無言で私にそれを差し出してきた。


私がそれを受け取ると自分も別のトンボを取って先輩はどんどんマウンドの方に戻って行ってしまったので私も慌てて後を追った。すると先輩は手馴れた様子で私が踏み荒らしてしまったマウンドを綺麗に整えて固めてゆく。それを見た私も慌てて先輩の作業に合わせて一緒にトンボを動かした。



◇◇◇◇


 10分後……。


『よし、まあこんなもんだろう』


先輩は綺麗に盛り土されて形づくられたマウンドに満足気に頷くと、私に向かって、


『よし、片付けるぞ』


と言うなり、さっきと同様に私に背を向けて用具置き場の方にまたさっさと歩いて行ってしまったので私も慌てて後に続いて、きちんと2本のトンボを用具置き場にしまった。


神崎先輩は今、最後の夏の甲子園に向けての地方大会がもうすぐ始まるという大切な時期を迎えていて、それで恐らく中3の私なんかと比べものにならない程もっと凄い練習をしてて、それで多分凄いプレッシャーとか色々あって大変な筈だし、絶対疲れてない筈ないし……、


なのに!それなのに見ず知らずの私なんかの為に……、


私は、嬉しくてありがたくって申し訳なくて、言葉に出来ない感謝の気持ちでいっぱいになって、さっきとは全く違う涙がポロポロポロポロ溢れてきて止められなかった。


『来い!』


先輩はそんな幼な子みたいな私の腕を再び掴むと、グラウンドの隅にある水道のところまでずんずんと歩いて行って、わけが解らずただ引っ張られて来た涙でぐちゃぐちゃの私の顔を、ポケットから取り出したハンカチを濡らして優しい手つきで拭ってくれたのだった。


『またつらくなったら今日を思い出せ』


『それでも自分に負けそうになったら、これで投げ込み練習をして乗り越えろ!』


そう言って先輩が私に手渡してくれたのは、汚れてところどころが染みになっている硬式ボールだった。


『こ……れ?』


『俺のお守り……。俺が初めてフォークを投げられるようになった時のボールだ』


私の体はボールを手渡された状態でフリーズしてしまった。それどころか、びっくりして呼吸をするのも忘れて止まっていたかもしれない。


手を出したまま固まって声も出せずに先輩の顔をまんまるお目目で見つめていた私を見た先輩は、


『ぶっ、スゲー顔!』


とゲラゲラ笑い出した。


『だ、だってそんな大切な物―』


受け取れないと言おうとし私の口を先輩の手が塞いだ。


『ダメ、断りは受け付けない』


『やるんじゃない、これはキャッチボール、お前に投げるんだ。俺はもういいんだ。もう十分これに助けて貰ったからな。今度はお前の番だ、だからいつかまた返して貰うからな、お前の心ごと』


(こころごと?)


(えっ、それってどういう……)


先輩の言っている意味がさっぱり解らずに、答えを教えて欲しくって、ただただ先輩の目を見つめて懇願すると、先輩は意地悪っぽくニヤッと笑って、


『嫌だね、教えてなんかやらない。自分で思い出せ』


そう言って手を離した。


その時……、


『カア!カア!』


すっかり存在を忘れていた蒼が拗ねたように(?)大きな声で鳴きながら水道の上に降り立った。


『うわっ』


それ迄余裕で完璧に振る舞っていたカッコいい先輩が思わず仰け反って水道から離れるのを見て、私はつい噴き出してしまった。


『ぷっ!大丈夫です、家の蒼ですから』


『ああ、知ってる。有名だからな。でも近くで見るとやっぱり大きいなあ、カラスは……』


『はい』


『蒼、神崎先輩よ。ご挨拶して』


私が蒼に声を掛けると、


『コンバンハ』

『ハジメマシテ』


誰に対しても変わらずに穏やかで愛想のいい筈の蒼が、何故だかつまらなそうに通り一遍の挨拶をしたと思ったら、


『ヒマワリ、カエロ』

『カエロ、ヒマワリ』


と騒ぎだした。


ハッとして時計を見ると、もう20時を回っていた。


『やばっ、もうこんな時間か。来い』


それだけ言うと先輩はまたまた私の腕を掴んでもの凄い勢いで駆けだした。


『送るからちょっと待ってろよ』


『えっ、大丈―』


私が大丈夫ですと言う間もなく、高校の部室棟に着くや否や既に人気がなくなっていた部室にそのまま駆け込んで、灯りが点いたと思ったらあっという間にカバンを持って飛び出して来て、てきぱきと戸締まりをした。


『よし、帰るぞ』


そう言うなりまたずんずん先に歩いて行ってしまう先輩……。


『先輩、私一人で帰れますから。蒼がいますし』


疲れているだろう先輩にこれ以上無理させたくなかった。大会前のこの大切な時期に……。


『ダメ。断りは受け付けないってさっき言っただろ。俺がそうしたいんだから黙って送られてろ!』


『ほらっ、早く来い!』と私の腕を掴んで有無を言わさずにずんずん歩いて行ってしまう先輩に、私は戸惑いながらも小走りで付いて行った。


私は、先輩に無理させたくないと思いながら、そのくせ、いつまでも家に着かなければいいのにと思う勝手な気持ちを止められない情けない自分を恨めしく思いながら、先輩のその広く逞しい背中を見つめて、他に行き交う人もいないひっそりとした夜道を、ただただ後に付いて歩いていた……。



◇◇◇◇


 そしてその夜から1週間後……。


あの悪夢の試合で、先輩は2度とマウンドに立てなくなってしまったのだった……。


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