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「「「「ありがとうございました!!!」」」」
重い気持ちを引きずったままの暗い一日が漸く終わった。
空は五月晴れを絵に描いたようにどこまでも真っ青で、初夏を感じさせる日差しが眩しい一日だったのに、私の心が浮き立つ事はなかった。
先輩達も部活中は勿論練習に集中していたけど、終わった途端に集まって何事かヒソヒソ話し込んでいる。
途切れ途切れに漏れ聞こえてくる会話からは、男子野球部の誰とかから何か聞いたとか、神崎先輩とずっと一緒にバッテリーを組んで野球をやってきたキャッチャーの三島先輩すら神崎先輩と連絡が取れなくて苛立っているらしいとか……。
神崎悠先輩、三島健太先輩、そして女子野球部の去年のキャプテン・前田摩季先輩の三人は、リトルリーグ時代からずっと一緒に野球をしてきたライバルであり親友同士。三人共に超高校級選手でその上美男美女ときているからこの界隈では知らない人がいない程の超有名人だった。
そして今……、共に若葉学園大学に進学した摩季先輩と三島先輩は、神埼先輩が姿を見せない事もあって二人きりでいる姿を度々目撃されていて、巷では二人が付き合い始めたのではとの憶測が飛び交っていた。まあその件も色々言っている人はいるけど結局あくまでも噂でしかないので、とどのつまり二人がどういう関係なのかはご本人達のみぞ知るという感じで真相は謎のままだったけど。ただ……、摩季先輩は誰の目から見ても明らかなくらいずっと神崎先輩を好きみたいだったから、今まではみんなその二人が高校を卒業したら付き合うものと思い込んでいたの。だから余計にかもしれないけど、みんな摩季先輩と三島先輩の動向には興味津々という感じだった。
(じゃあ神崎先輩は?)
色んな事が頭の中をぐちゃぐちゃしてて、最低最悪な気分だった。
(独りになりたい)
早く家に帰ってお風呂に入って、ゆっくり独りで考えたかった。
◇◇◇◇
グラウンド整備を終えて用具も片付けて更衣室に戻ると、もう先輩達は帰った後だった。
「向日葵……、あんたのせいじゃないからね!」
誰もいないのを見計らって、開口一番、佳菜が私を気遣ってくれた。
さっきから佳菜が私に向ける心配げな視線には気づいていたし、気遣ってくれる佳菜の気持ちも嬉しく思うのだけど、それでも、今はそれすら煩わしく感じてしまう程イライラした自分が嫌だったし、そんな自分を佳菜には見せたくなかった。
「うん……」
話をするのが面倒で、つい短い素っ気ない返事しか出来ない自分が嫌で嫌でしょうがないけど、明るい気分になんて到底なれないから、感じよく出来る程の余裕も私には残っていなかった。
「たまたまあんな事になっちゃったけど、それは本当に偶然でしょ?神崎先輩だってそんな事気にしちゃいないよ。だからあんたが責任感じる必要なんてないんだよ!」
「でも……、やっぱり私があの時あのボールを貰っちゃったから……、」
◇◇◇◇
あれは去年の夏、私の中学生活最後の県大会が始まったばかりの時だった……。
私は中学最後のその大会に今まで練習してきた全てを賭けていた。
絶対に今年こそ全国大会に!そうみんなで堅く誓い合っていたのに……!
それなのに……、よりにもよってその夜に急性盲腸炎になってしまった私は、結局最後の大会に出場する事すら出来なかった。
チームのみんなは出られない私の分もと一丸となって戦ってくれたけど、それでも結果は2回戦敗退。
苦楽を共にしてきたチームのみんなになんて謝ればいいのか。必ず勝ち上がろうって約束して遅く迄私の投げ込みに付き合ってくれていた大切なバッテリーの佳菜になんて……、そして……、この大会の為に必死に練習して頑張ってきたこれ迄の自分に……。
私にはもう誰にも会わせる顔なんかなかった。いっそこのまま消えてなくなりたい。どこか遠いところに、知ってる人が誰もいない遠くに逃げ出してしまおうと、気づけばあてもなく自転車で家を抜け出していた。
◇◇◇◇
『向日葵!』
途端に私を見つけた蒼が上空から近寄って来た。
『蒼、しー!静かにして。こっそり行くんだから』
『向日葵?』
小首を傾げるような腑に落ちない様子ながら蒼は私に付いて飛んで来た。
(さよなら、私と蒼が生まれ育った街……)
優しい人がいっぱい暮らしているこの街が大好きだった。離れると思うと怖いし無性に人恋しくなってくる。
でももうここにはいられない。応援してくれていたご近所の人達にだって会わす顔なんてないのだから。
でも最後に一つだけ、どうしてもやらなければならない事があった。3年間の汗と涙がしみ込んだグラウンドと3年間共に過ごしてきたみんなの幻影に、せめて最後のお別れとお詫びをしたかった……。なんて言っていいのか言葉なんか見つからないけど、それでもやっぱりどうしても……。
私は独り、日が暮れて灯りもなく真っ暗なグラウンドに入って、マウンドにしゃがみ込んでホームベースに向かって何度も何度も『ごめんなさい』とただただ繰り返し繰り返し謝り続けた。
蒼はそんな私の横に静かに降り立つと、黙って私の傍にいてくれた。
みんなに伝えたい言葉はいっぱいあった。でもやっぱり言葉なんて出てこなかった。『ごめんなさい』それ以上の言葉なんて……。
違う!違う!違う!
ホントはお詫びとかそんなんじゃない!
悔しい!悔しい!悔しい!
ただ悔しいんだ!!!
『ワアー!!!何で!何で!何で!何で!悔しい!悔しい!何で!何で!』
その時だった。
『コラァ誰だ!勝手にマウンドに入っているのは!』
誰もいなかった筈の真っ暗なグラウンドで、物凄い剣幕で突然誰かに怒鳴らたのは……。




