第七話 サラ
「聞きそびれてたけど、君の名前は?」
朝の緩やかな光に照らされる道を町へ向かって歩きながら、少女に問う。
少女は首を横に振った。
「ない、です」
「そっか。両親は?」
「恥ずかしくて、村を出ていった、そうです」
「そっか」
ハード人生過ぎて反応できないや。
「あ、あの――っとわ」
僕に話しかけようとしたところで少女が石に躓いた。
隣にも並ばずにずっと斜め後ろを付いて来ていた少女はバランスを崩してそのまま倒れかけたけれど、地面を軽く蹴って跳ぶと空中で足先を揃えて地面に降り立ち、事なきを得る。
素晴らしい反射神経と運動神経だ。山岳民族と評判のラッガン族だけある。
「す、すみません」
僕の隣に並んだことに気付いた少女が数歩下がる。
僕の横には立ちたくない、と言うよりは遠慮してるのか。遠慮する理由がいまいち分からないけど。
「別にいいよ。それで、何か言いかけなかった?」
「あの、スゲ、スギハ、ラ様、は?」
「名前は杉原巧。言いにくいなら巧でいいよ。両親は存命。子供はアクセサリーだから問題を起こすなってスタンスの人達だよ。生活させてもらった事には感謝してるけどね」
まぁ、あんな親だから学校でのイジメの話をしても「我慢しろ。親が恥ずかしい思いをするんだから問題は起こすな」って一蹴されたし、担任の佐々木経由で親の性格が出回ってクラス内でのイジメが悪化したけど。
孤立無援の獲物だもん。ケダモノ共が遠慮するはずがない。
「そんな事より、呼びにくいから君の名前を決めた方がいいね。どうする?」
「よく、わからないです」
「自分で呼ばれたい名前はない?」
重ねて尋ねると、少女は悩むように視線を彷徨わせ、僕を見た。
「名前、付けてください」
「ネーミングセンスはない方だけど、それでいいなら」
とはいえ、どうしようか。
名は体を表す。因果関係が逆だけど、少女の外見的な特徴から名前を付けよう。
ラッガン族だけあって、獣の耳と尻尾を持つ少女だ。
ピンと凛々しく立った三角耳は僕の手と同じくらいの大きさで、短い毛で覆われている。金色の髪に虎模様の大きな三角耳は違和感なく溶け込んでいた。
虎、タイガー、どちらを取っても目の前のオドオドした少女には似つかわしくない。そのうち立派になることを期待して、と言うのも一つの考え方だけど、こうも自信がなさそうなこの子の場合、プレッシャーで潰れてしまいそうだ。
僕は少女のお尻から伸びている尻尾へ視線を移す。
こちらは耳からは想像もつかないようなフワフワした尻尾だ。手触りの良さそうな赤毛で指が埋まりそうなほど柔らかく長い。穏やかに太陽の光を反射する上品な光沢もある。
気品を感じられるその尻尾も、持ち主である少女の性格とは相反するものだ。こちらも名前の参考には出来そうにない。
なにを参考にしても名前負けしてしまう。この子のオドオドと自信がなさそうなところが改善すればいいんだけど。
あ、そうだ。
「サラでどう? まっさらで、サラ」
これからなりたい自分になればいいよ。これなら名前負けしないし、希望も持てる。
少女は何度か口の中で音を確かめた後、頷いた。
「わかり、ました」
「それじゃあ決定と言う事で。サラ、そろそろ朝食にしようか。食材があまりないからわびしい物になるけどさ」
「はい!」
元気な返事をしてくれたところ悪いけど、本当にわびしい食事になるんだよ。
僕は鞄の中からピクルスと干しエビ、パンを取り出す。
杉原巧の二十秒クッキング、開始。
硬いパンを二つに切ります。もとい、割ります。気分はコッペパン。
ビンから取り出したピクルスと干しエビを挟みます。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ございます」
恭しく受け取ったサラが料理と言うのも申し訳ないパンをしげしげと眺める。
僕は同じように作ったパンを齧る。
がりがりと硬いパンの奥に酸味がドギツイピクルスと大振りでパリパリとした殻の歯ごたえもタノシメル干しエビがいらっしゃる。
あっという間に乾いた口の中を水筒の水で潤して、僕は水筒をサラに手渡す。
「口の中が乾くから飲むと良いよ。昼には近くの川で汲む予定だけど、少し残しておいてね」
「あ、はい」
水筒を見つめてぼんやりしているサラは放置して、僕は手元のパンを見る。
当初の予定では、このガチガチのパンを砕いてクルトン代わりにし、干しエビで出汁を取った根菜のポタージュと付け合せにピクルスだった。
まぁ、仕方がない。
もそもそと味気ないパンを齧っていると、サラがはっとしたように顔を挙げた。
「どうかした?」
「え、あ、あの」
突然声を掛けられて若干パニックを起こしているサラを眺めつつ、僕はパンを齧り――物音を聞きつけた。
反射的に音の方へと目を向ける。
木々の奥から何か大きくて縦に平たいモノが高速で向かってきている。
正体が分からない。生き物なのかな、あれ。目と鼻はある。と言うか、その下にある格子状のあれが口?
意味不明、正体不明、でも――友好的とは思えない。
即座に魔力を展開させ、意味の分からないソレへとぶつける。漢字の三を書くように横に三本線を描いて僕の魔力はソレにぶつかった。
直後、ソレの身体からブチブチと糸が千切れるような音がした。
「ぎゃおあおおあおあおお」
悲鳴らしき物を叫んだソレが縦に平たい体を左右に大きく揺らし、木に衝突して横倒しになる。
ピクピクと痙攣して白目を剥いているけれど、本当に、なんだこれ。
見れば見るほど不思議だ。
流線型で平たいソレはマンボウのようにも見える。表皮はつるんとしていて毛も鱗もない。両目は左右についており、鼻らしき穴が二つ空いている。その下にあるのは格子状の口らしきもので、中からは触手のようなものが見えた。どうやって移動していたのか不思議に思って注意深く見てみると、身体の下部分に何か球状の白いものがびっしりと付いている。
初めて化け物らしい生き物を見た気がする。
「これって、魔物?」
「……え、あ、は、はい」
サラがビクリと身をすくませて何度も頷く。
魔物を不可視の一撃で即死させた僕が怖いのだろう。手の内を晒したくないから詳しくは言わないけど。
サラによれば、ビッカムという魔物らしい。
食べられるらしいけど、食欲をそそらない見た目なので放置した。
食事を終えて、再び町へと歩き出す。
帝都から離れ、ラッガン族の村を過ぎた時点でもう帝国の一等国民が住む領域を越えている。ここから先は帝国軍の警戒範囲外であり、少数民族の寄り合いで守っている領域だ。
だから当然と言うべきか、街道を歩いているのに魔物がぞろぞろやってくる。
たった二人で歩いているから狙い目の獲物だとでも思われているのだろう。
「教えてくれてありがとう」
サラに礼を言う。
虎模様の獣耳は飾りではないらしく、サラの聴覚は僕なんかより圧倒的に優れている。
魔物の気配があればすぐに知らせてくれるおかげで、僕も魔力を魔物に向けて放つ余裕を得られていた。
サラはきょとんとした顔をして、すぐに顔を真っ赤にした。
「は、はい!」
褒められ慣れていないからか、反応が過剰だ。
テンみたいな尻尾が左右に揺れている。イヌみたい。
「――あ、あの」
「なに?」
樹上から襲い掛かってきたテナガザルみたいな魔物の死骸を藪の中に蹴り込んでいると、サラが声を掛けてきた。
「ど、どうやって、その、魔物を倒してるんですか?」
「勝手に死んでるんだよ」
魔物はどいつもこいつも身体強化の魔法を使って襲い掛かってくるから、僕が周囲に張り巡らせている魔力を受けて勝手に自滅する。
魔物がどんな順序で死に至るかまでを教えるつもりはないから、僕は適当にはぐらかした。
「それよりさ、なんでそんなに距離を取ってるの?」
「え、あ、いえ、その」
しどろもどろになりながら視線を彷徨わせるサラに、僕は肩を竦めて見せる。
「ね、僕が教えたいと思うわけがないでしょ?」
ちょっと意地の悪いはぐらかし方だけれど、僕の真意でもある。
僕を信用しない奴は、僕も信用しない。
僕の魔力の特性は切り札であり、極秘事項だ。詳細が知られてしまえば簡単に対策を立てられる代物だ。
そんな魔力が生き残る唯一絶対の手段なんだから、信用できない奴に教えるつもりはない。
「まぁ、君が成長したら教えてもいいよ」
でも、今はダメだ。
この卑屈な子は脅されただけでぽろっと僕の秘密を洩らしかねない。
テナガザルっぽい魔物の死骸の処理を終えて、町へ歩き出す。
何度も魔物の襲撃を受けたせいで時間がかかってしまっているけれど、町まではもう少し。日は暮れてしまうとしても、今日中に辿り着ける距離だ。
地図が正確ならば、と言う但し書きが付くけれど。
サラは相変わらず僕の一歩斜め後ろを歩いている。
いつでも僕から飛び退ける距離を維持しているサラを無視して、道の先へ目を凝らした。




