第六話 出立
翌朝、結局襲撃の類もないまま朝を迎えてしまった。
緊張してほとんど眠れていない。逃亡生活とはいえ、もう少し心にゆとりを持った方がよさそうだ。
僕は荷物を持って家の扉を開けた。
少し霧が出ている。村の周りを囲む森が白く煙るようで、奥の方がよく見えない。空を見上げれば快晴だった。これから徐々に気温が上がれば霧も晴れるだろう。
まだ夜が明けて間もないから人の気配はない。
軽いストレッチをしてから、置かれていた掃除道具を使って空家の中を軽く掃除する。立つ鳥跡を濁さず、物理的にも。
玄関前を箒で掃いていると人の足音が聞こえてきた。
目を向けるが、空家の陰に隠れていて足音の主は見えない。
「あ、あの……」
オドオドした聞き覚えのない声が空家の陰から姿も見せずに話しかけてくる。
「なんですか?」
声の方向から相手の位置を確認しつつ、聞き返す。
「あの、助けていただいたのでお礼を、言いたくて……」
「助けた?」
「昨日、村の外で」
「あぁ」
スロラピオとか言うサソリっぽい魔物に襲われていた女の子か。
けがらわしい忌子が英雄様の前に姿を現すな、とか言われたから空家の陰に隠れているらしい。
それでもお礼を言いに来るのは律儀と言うか、バカ正直と言うか。まぁ、僕は村の人間ではないから忌子だと差別されないと踏んでのことかもしれないけど。
僕は箒を壁に立てかけて、空家の陰を覗き込む。
「……え?」
空家の陰にかがみこんで小さくなっていた少女は僕と目が合うときょとんとした顔をした後、一気に後ずさる。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「お礼を言うなら顔を見せないのは失礼だって教わらなかった?」
謝っている、と言う事は村の外の人間でも忌子を差別すると思ってるのか。道理でこんな村から逃げ出そうとしないわけだ。
僕の指摘に頭の中が真っ白になったらしい少女は顔面蒼白のままただ謝罪を繰り返す。壊れたレコーダー状態。
生い立ちもあってずいぶん卑屈な子だけど、他の連中よりは人間らしい。
とはいえ、謝罪の言葉も聞き飽きたし、そもそも謝罪されるいわれもないので僕は少女の言葉を遮る。
「昨夜、この家に近付いたのも君?」
「あ、はい。お礼を言おうと思って。でも、寝てたら迷惑になるから、それで」
「そう。とりあえず、どういたしまして。助けようと思って助けたわけではないからあまり気にする必要はないよ」
スロラピオとか言うあの魔物の姿を見た瞬間に、僕は魔力を飛ばして自壊させた。その時にはこの少女は藪の陰に隠れていて見えなかった。だから、助けたという感覚がない。
「それよりさ、僕がどうやってスロラピオを殺したか見た?」
「い、いえ、見てないです」
「ならいいんだ」
僕の魔力がどういう性質を持っているのかを、社会的立場が低くて卑屈なこの子に見られていたら後々の不安があったけど、見ていないならそれでいい。
話は終わり、と僕は少女に背を向けて、別の気配に気付いた。
狼の戦士レシパを筆頭に村長などの村人が空家に向かってくる。
少女も気付いたのか、身をすくませて退路を捜して視線をさまよわせた。
けれど、僕が向こうに気付いたくらいだから、レシパたちもすでに少女の存在には気付いているらしい。険しい表情で少女を睨み据えているのが見える。
「なぜ、忌子がここにいる。英雄様に近付くなと言ったはずだ!」
レシパが一喝すると、少女が怯えて後ずさる。
レシパの横で村長が僕を手招いた。
「スギハラ様、どうぞこちらへ。食品の準備ができております。失礼ですが、お手持ちのお金はいか程でございましょう?」
レシパたちが少女を虐めている横で買い物しろと?
場所を変えるとか幾らでもやりようがあるだろうに。まぁ、制裁を加えるのなら被害者である僕の見えるところでって事なんだろうけど、この村の価値観なんて知った事じゃない僕にはいい迷惑なんだよね。
というかさ。
「ねぇ、レシパは何で笑ってるの?」
「――は?」
自覚がなかったらしいレシパは意外そうな顔で僕を振り返った。
忌子を詰っていたレシパやその周りの連中はずいぶんと楽しそうに笑っていたけれど、無自覚だったとは恐れ入る。
「英雄様のお目汚しをした忌子を叱るって場面なんでしょう? 何故君たちは笑っているのかなって思ってさ。笑う場面じゃなくない? いま笑う理由があるとすれば、それは単純に嗜虐心が満たせて嬉しい、楽しいって事だと思うんだ。それってさ、君たちの醜悪な欲求を満たす捌け口として忌子であることを大義名分に理不尽を強いて喜んでるんだよね。はっきり言わせてもらうけど、僕にはレシパたちの行いの方がよっぽど――気持ち悪いよ」
僕と商談を始めようとしていた村長たちも含めて、空気が一気に冷え込んだ。
僕が突きつけた彼ら自身の醜悪な一面をようやく自覚したらしい。
もっとも、この後の反応もおおよそ見当がついている。
「村の事に口出しをしないでいただきたい」
村長が僕に強い口調で言い切る。
「村の事? 何の話をしてるのかな。僕は道徳心や倫理観、人として持ち合わせていて当然の常識について話しているつもりだよ。それとも、この村には人が住んでいないのかな?」
「いくら英雄様と言えど、それ以上の侮辱は看過できかねます」
「へぇ、なんで僕が英雄呼ばわりされているのか、忘れたわけじゃないよね?」
「っ……」
スロラピオとやらを討伐してくれたから英雄呼ばわりしている。つまり、相応の武力があると認めている。
そんな僕に村の中で暴れられたらどうなるか、僕の戦い方を知らない彼らには判断が付かない。
「食べ物を買うって話は無しでいいや。僕はもう村を出るよ。不愉快だからね」
動きだせずにいる村長やレシパを見回してから、僕は忌子の少女を見る。
少女は唖然とした顔で僕を見ていた。
そんな彼女に、僕ははっきりと告げる。
「僕は絶対に君を助けたりしないよ」
なんで見捨てられた、みたいな顔をするかな。
「あのさ、この村に居たって遠からず使い潰されて殺されるだけだって分かっているはずだよね。だというのに、漫然と助けが来るのを待っているだけって消極的に自殺しているようなものでしょ。なんで死にたがりを助けないといけないのさ。勝手に死ねよ」
去年の自分を見ているみたいでイライラするんだよ。
少女の顔を覗き込む。
「敵に囲まれても惰性で生きるな。それは死んでいるのと変わらない。無力な被害者として誰かに助けてもらおうだなんて他力本願な生き方は、生きる気力のなさの表れだよ。――敵に立ち向かえ。信念を持て。決めろ。惰性で生きながら死ぬか、理不尽と不条理に立ち向かい勇敢に生き抜くか」
僕は後者を選んで生きている。
この子が選択の末に惰性で生きながら死ぬのならもう放置だ。手を貸す意味がない。
少女は視線を彷徨わせてレシパたちの方を見る。
悪意と害意、嫌悪、侮蔑、その他諸々の悪感情が宿った視線にびくりと身を震わせた少女は猫背気味になりながら立ち上がる。
「あ、あの、私は――」
「その忌子を連れていくというのなら、我らラッガン族のすべてを敵に回すことを覚悟していただきたい」
少女の声に被せるように村長が大声で最後通牒を突き付けてくる。
僕に向けての言葉ではないのは明らかだった。少女を使い潰すために、村の外に出さないように、一緒に村を出れば僕に迷惑をかけることになると強調したのだ。
少女はオドオドと視線を彷徨わせる。先ほど言いかけた言葉を再度口にしようとはせずに僕をちらちらと見るだけだ。
「あの……」
何も言わない僕に焦れたように、少女が声を掛けてくる。
そろそろ飽きてきた僕は村の出口へと目を向けた。
「くだらない。僕が訊いたのは一人でも生きる覚悟があるかどうかだ。僕が居ないと何もできないなら、この村で死ねばいい。依存されるなんてまっぴらごめんだよ。他力本願で怠惰な生き物は死ね。言ったはずだよ。僕は絶対に君を助けたりしない。助かりたいなら、君が自分自身を助けるんだ」
依存するなら今と状況が変わらない。僕は手駒が欲しいわけじゃないし、足手まといが欲しいわけでもない。死にたい奴は無視する。
少女は信じられない者を見るような目で僕を見ている。
助けてもらえるのが当然だと思っているのなら筋違いだ。
「な、なんで……」
「何?」
「この状況で、平然としてるの?」
「は?」
なにを言ってるんだろうと、周囲を見回してみる。
視線が合うラッガン族たちが皆一様に僕を視線で射殺さんばかりに睨みつけてきている。
それ以外に特筆すべきこともない。
「この状況のどこに怯える要素があるのさ。こいつらに喧嘩を売ったのは僕なんだから、敵意を向けられるのは当然だよ。君を理不尽に差別するような輩に怯えて見せても喜ばせるだけだって君も知ってるはずだ。レシパが笑ってるの見たでしょ?」
皮肉にも、この手の集団への対応は慣れている。二年間いじめられていた僕でさえ気付いた事を、生まれてこの方この村で過ごしたこの子が気付いていないのだとしたら、どれほどの間思考停止して生きてきたんだろう。
死んでるのと変わらないね。
「話を逸らして決断を先延ばしにするのはやめなよ。と言うか、もう僕は行くよ。一人で生きる決断を僕が待ってあげているのもおかしいしね。付いてくるなら勝手にすればいい。多少のお金はあるから、独り立ちのお祝いくらいはできるよ」
さっそく歩き出しつつ、僕は村の出口へ向かう。
レシパたちは僕の道を塞がなかった。武器を構えてはいるものの、それは僕の気が変わって暴れた時の対抗策なんだろう。
実は身体強化もなしに斬りかかられたらあっさり死ぬような奴だなんて思ってもいないだろうね。
それにしても、啖呵を切ってすっきりした。
村の出口に向かって歩いていると、後ろから足音が付いてくる。
「あ、あの、一緒に行っても、いいですか?」
「どうぞご勝手に。町まで急ぐよ」
「はい!」
割と元気な返事をする少女の後ろには武器を構えたままの村人連中がいる。
どうせ帝国に追われる身だし、少し増えただけだ。
村人連中は僕たちを追いかけてくることもなく、ただただ睨みつけてくるばかりだった。




