第五話 ラッガン族の村
湯あみの準備が整いましたと言われて足を運べば、木の香りが充満した小屋の中に湯船があった。
僕は小屋の隅に控えていた狐耳と尻尾の女性に向けて声を掛ける。
「落ち着かないから出ていってください」
丸腰の状況で他人と同席とかぞっとする。失せろ。
僕についてなんと聞かされていたのか分からないけれど、狐獣人の女性は怯えたように一礼して小屋を出ていった。
服を脱いで小屋に入り、掛け湯をして湯船に浸かる。
久しぶりのお風呂だ。いまいち気が休まらないのはこの村にいるせいか。
僕は常に体に纏っている魔力をゆっくり操作する。精霊とやらに食べられないおかげで、僕は魔力を常に維持できる。それどころか、食べられないおかげで魔力そのものは徐々に増えている。
操作できる魔力の量はまだ少ないけど、慣れていけば周囲一帯に僕の魔力を張り巡らせて魔法が使えない空間を作ることも可能だろう。
魔力操作の訓練をしながら、思考を巡らせる。
目的地として考えていた川沿いの町ソットまでまだしばらく距離がある。地図が正確なら、後二日は歩いていかないといけないはずだ。
水はともかく、食料品はそろそろ補充したい。この村で買った方がいいか。
「――失礼します」
浴室の外から掛けられた野太い声に身構える。
「なんですか?」
「お背中を流そうと思いまして」
「いらないです」
狐の女性を追い出したから男性を送り込むって安直過ぎません?
というか、この世界に長居するつもりがないから責任を取らなきゃいけない立場になるつもりもさらさらない。
さっさとこの村をお暇した方がいいかな。
湯船から上がって、脱衣所で服を着る。
魔力は常に纏わせたままの臨戦態勢で小屋から出ると、狼の耳と尻尾を持つ男が待っていた。
「食事の準備ができましたので、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます。それから、明日にはこの村を出るのでいくらか食べ物を買いたいのですが、構いませんか?」
「もちろんです。ですが、今日はもう遅いですから、商談は明日にしませんか?」
「そちらも準備があるでしょうから、それで構いません」
なんだか、ずるずると長居させられそうな気がする。
案内されたのは村の中でもひときわ立派な家だった。
どうやら、村役場みたいなものらしく、生活感はない。植物の茎で組んだ絨毯のようなものが床一面に敷かれている。
部屋の奥に案内された。いわゆる上座なのだろう。隣には村長らしき老人が座っている。
「ようこそおいでくださいました。話は聞いております。かの魔物をお一人で討伐なされたとか。私の世代であなたほどの英雄をお迎えした事はありませぬゆえ、不作法があればなにとぞご容赦のほどを」
「お気になさらずに」
あの魔物ってそんなに強かったのか。近付いたら身体強化が歪に解けて自壊したせいで動いている姿は一秒も見てないんだよね。
僕は目の前の料理を見る。
この村に住んでいるラッガン族とかいう人たちは総じて獣の特徴を持っているけれど、肉食一辺倒とか逆にベジタリアン張りの偏食家とかではないらしく、栄養バランスのとれた食事みたいだ。
客をもてなすという事で小皿に少量の料理が盛りつけられている。二十品くらいはあるだろうか。料理する人は大変だったろうな。
木の匙ですくうとほろりと崩れそうな煮凝りや野草の和え物など、バリエーションにも富んでいる。
「お酒はいらないです」
飲んだことがないのもあるけれど、こんなところで酔って前後不覚になる不用心な真似はしたくない。
代わりに注いでもらった柑橘系の香りがするジュースを飲みつつ、周囲を観察する。
僕一人を殺すためにここまでの用意をするとは考えにくいから、帝国とは全く関係のない人たちだと思う。関係なくても襲われる可能性がなくなったわけではないから警戒はしておこう。
全員が獣の耳と尻尾を持っている。狼、狐などのイヌ科以外にもイタチらしき人もいる。変わったところではハリネズミのような人もいた。耳や尻尾よりも髪が針のように硬そうで気になった。寝るときどうするんだろう。
「ラッガン族が珍しいですか?」
村長らしき人に声を掛けられて、僕は素直に頷いた。
「色々な人がいるものだと思って、感慨深くなってました」
「ラッガン族もずいぶんと数を減らしてしまいました。北西部にはまだまだ大きな集落がありますが、この辺りにいた者達は帝国の施策で追いやられ、いまやこの村を残すのみとなっています」
「道理であまり見かけないわけですね」
少数民族を前線送りにして間引きする、なんてことをカレアラムの奴も言っていたっけ。反乱を起こさないのは魔物と挟み撃ちにされかねないからかな。
「北西部って事は魔物の前線ですよね? 戦況とか聞いてますか?」
「伝手がありますから。まさか、向かうおつもりですか?」
「そのつもりです」
ケダモノ連中が後から来るんだから、今のうちに前線の状況を把握して動きやすくしないといけない。
それに、前線なら魔法使いも多いだろうし、知識の蓄積もあるだろう。現代日本に帰る手がかりがつかめるかもしれない。
村長の話によれば、前線にいるのは少数民族ばかり、ラッガン族の他にもメイリー族などがおり、軍を有する事が帝国法で禁じられている事から冒険者ギルドという形で民族ごとに固まり、情報共有などを行っているという。
「その冒険者ギルドって別の民族でも加入できるんですか?」
「通常は難しいですね。依頼を受ける事は出来るでしょうし、頭角を現せば参加を要請されることもあるでしょう。スギハラ様ほどの実力者であれば、向こうから声を掛けてくるはずです」
僕の名前が言いにくいのか少し噛みそうになりつつ、村長はそう教えてくれる。
「ソットっていう港町に向かうつもりなんですが、メイリー族の拠点ですよね?」
カレアラムが言っていた事を思い出しながら訊ねると、村長は深く頷いた。
「えぇ、ソット冒険者ギルドはメイリー族の管轄です。我らラッガン族とは帝国に最後まで抵抗した、いわば盟友ですね。どうでしょうか、我々が紹介状を書きますので、持参されては?」
「必要ないです」
あまり表舞台に立ってしまうと帝国からの追手が来るかもしれないし、目立つのはよくない。
僕の精霊に疎まれる魔力は多分珍しい部類だ。戦闘ではこの魔力に頼らざるを得ないから、人のいる場所で使うとすぐに情報が拡散しかねない。
ただ、冒険者ギルドで共有される情報はちょっと欲しい。だから、伝手があるという村長から聞いてしまおう。
「前線の魔物はここよりも強力なんですか?」
「比べ物にならないと聞いています。スギハラ様が討伐したスロラピオでも弱い方でして」
あのサソリみたいな魔物ってスロラピオって言うんだ。弱い方も何も自滅してくれたから危険性が分からない。
適当に話を合わせるとしよう。
「それじゃあ、前線の物資とかは大丈夫なんですか? 隊商が魔物に襲われたりもするでしょう?」
奴隷を囮にするって手段もあるけど、帝国人に虐げられる側の少数民族ラッガン族でも同じ手を使うのか気になり、質問してみる。
村長は難しい顔をした。
「魔物が現れるようになって二十年、物資不足は今も叫ばれています。各民族が協調し合ってようやく保っているようなありさまで、前線で食料品を作る村なども自衛のために冒険者を雇う事が多いとか。帝国皇女カティアレン肝煎りの商会が前線で物資の販売もしていますが、あれは奴隷を囮に道中の安全を確保しているようです。それでも、あの商会には助けられているのが複雑なところではありますが」
カティアレン肝煎りの商会なんかあるのか。
まぁ、帝室御用商人くらいいても不思議ではないけど……。
召喚された時に見た高慢女、カティアレンを思い出す。
憐れみで前線に物資を届けさせるとはちょっと考えにくい。奴隷だって維持費その他を考えれば安くはないはずで、それを囮に使えば商品の価格に跳ね返ってくる。
少数民族の人口を減らすための一手段としてみても効率が悪すぎるし、何か裏がありそうだ。
とりあえず商会の名前を聞いて、近付かないようにしよう。
雑談交じりの情報収集を終えた頃、村長が宴のお開きを告げる。
「皆もまだ騒ぎ足りないようだが、スギハラ様は明日この村を出立するそうだ。食料品を買いたいとの事だから、余裕のある者は持ち寄ってほしい」
季節は冬を越したばかりという事で、さほど蓄えはないという。
次の町まで食いつなげればそれでいいから、あまり量は必要ないと伝えて僕は席を立った。
「スギハラ様は静かな方がお好みのようですから、村の空家をお使いください。誰かに案内させましょう」
「お願いします」
宴会場を出ると、狼の戦士に村の空家に案内される。
レシパという名前らしいこの狼の戦士は村でも有数の剣の使い手らしい。
「ラッガン族は身体強化魔法に適性が高い者が多い山岳民族でして、対帝国戦でも山の中で奴らを散々苦しめたものです」
「最近まで帝国と戦ってたんですか?」
「かれこれ五年ほど前までは戦争していましたね。かくいう自分も終戦間際に少しだけ戦働きをしたことがあります。魔物の脅威が無視できなくなり、最終的には後方を魔物に脅かされて対帝国同盟は瓦解しましたが、戦に負けたわけではない」
敗戦したわけではないと強くレシパが言い切る。譲れない一線があるって事なんだろう。
それにしても、と僕は時系列を思い浮かべてみる。
今までの情報を整理してみると、二十年前から魔物が跋扈しはじめ、魔物を作った原因カルト教団はその時期に壊滅、その後も帝国と少数民族の間で戦争をしていたけれど、五年前に魔物を無視できなくなって戦争が終結、魔物に対抗して一致団結。
とここまでなら、いがみ合う人種同士が手を取り合って脅威に立ち向かう王道ストーリーなのに、勇者を召喚して全部押し付けようって言うんだから台無しだ。
「戦続きですね」
「えぇ。おかげで、戦力が足りずに忌子すら使う事に――おっと、すみません、お耳汚しを……」
「お気になさらず。というか、何故忌子と呼ばれているんですか?」
「キメラなんですよ。我らラッガン族は祖先に獣神を持つと伝えられ、肉体にそれぞれ獣の特徴を持つ一族です。獣神は人を含むあらゆる獣の創造主であり、その直系である我々ラッガン族は――と、話が逸れました」
うん、興味ない。
レシパの話を総合すると、あらゆる獣を創造したらしい獣神に逆らったのが、既存の動物を組み合わせて作られたキメラたちであるらしい。ラッガン族は獣の特徴を持つものの、オオカミの耳と尻尾、キツネの耳と尻尾というように各人の特徴は統一されている。
しかし、ラッガン族には二種類以上の動物の特徴を有する者がごくまれに生まれ、それらキメラの特徴を有する赤ん坊は忌子として速やかに処理されてきた。
「――というわけです。もっとも、ラッガン族の祖先が獣神だというのはあくまでも神話の話ですが」
「神話だと割り切っているのに忌子の話は信じるんですか?」
「だって気持ち悪いでしょう?」
あっそ。
空家に到着して、僕は戸締りをしっかりと確かめてからベッドに転がった。
布団はしっかりと日に干したモノらしく、フカフカしている。客人扱いされていることは間違いないようだ。
それでも長居したいとは思えない。
価値観の違いは認めるけれど、それを他者に対して理不尽に振る舞う免罪符として使う輩は大嫌いだ。
つまり、この村の連中が大嫌いだ。
食料品を買ったらすぐに村を出ようと瞼を降ろした時、窓の外から物音が聞こえた。
すぐに身構える。
しかし、身構えたもののその後、外に動きはなく、意を決して窓を開けて外を覗いてみても人っ子一人いなかった。




