エピローグ
「皇子がついに捕まって処刑されたそうなのですよ」
魔法陣を描きながらユオナが振った話題に、サラが「へぇ」とどうでも良さそうな返事をする。
「では、帝国は滅亡したことになるんですね」
「そうなるです。どこの民族も勇者召喚の秘技を探してるのですよ」
「見つかりっこないんですけどね」
「まぁ、ここにあるですが」
サラとユオナは顔を見合わせて苦笑する。
結局、帝国は杉原の要求を呑み、勇者召喚に関連するすべての資料を破棄した。
諸部族の反乱はもはや回避できないと考え、せめて杉原が参戦する理由を失くそうと考えた帝国の思惑に、杉原もあっさり乗った。
取引した以上、約束は守る。そう杉原は言って、表舞台から姿を消している。
とはいえ、防衛力が低下していた帝国はカティアレンが戻った事で勃発した内部抗争と、それに乗じた諸部族の反乱であっさり帝都を失った。
帝都周辺にあった少数民族の村などは、内部抗争の決着をつけてから反乱に対応したかった帝国により奴隷化の上で反乱勢力と潰しあわされたとのことで、サラの生まれ故郷も完全に消滅しているらしい。
村を見限ってよかったと、サラは本のページをめくる。
「帝国への部族反乱が起きて五年ですよね。皇子も良く逃げ続けましたね」
「一年で帝都制圧されていたはずなのです。都合四年、よく逃げたものだとは思うのですよ」
感心したように頷いてはいるが、ユオナもサラも帝国を取り巻くごたごたを他人事として受け取っていた。
「ところで、サラはさっきから何を読んでいるです?」
「グットンさんが書いた備忘録です」
「あのおじさんも上手い事やったものなのです」
サラが読んでいるのは元第二魔法師団長が書き記した最後の勇者たちという題名の備忘録である。
帝国が召喚した勇者である大飯田たちの戦いを記録したこの備忘録は、帝国が勇者召喚を行わないと公表した事もあり、最後の勇者たちの記録として売れに売れている。
そこに記されていたのは、杉原と共に行動していたサラには知りえない情報ばかりだった。
「あくまでも中立的な立場で勇者がむりやり召喚された被害者だと強調してありますよ」
「悪く書くわけにもいかないのですよ。今回の勇者にはコウも含まれているのです。他はともかく、帝国滅亡の一端を担ったコウを悪く書いたら諸部族から袋叩きに遭うですよ」
「コウ様の顔を知りもしない諸部族が出てくるのもおかしな話ですけどね」
帝国への反乱には直接参加していないにもかかわらず、二つの師団を直接壊滅させた杉原は英雄に祭り上げられていた。
「私たちの事も少し書いてありますよ?」
「どうでもいいのです」
「そうですよね」
ユオナの返事に、サラも頷きを返す。
サラはページをめくり、口を開く。
「あと、埋蔵金がどうのっていう話もあるそうですよ」
「あぁ、皇女を人質にして得た身代金を隠しているとか、巨大魔法石を転売して得たお金だとかって奴ですか。ありがちな話だと思うですけど、事実を知っている身からするとなんとも滑稽なのです」
コウと一緒に行動していた事もあり、ユオナもサラも身代金を取っていない事を知っている。巨大魔法石は今も杉原の私物扱いである。
話が独り歩きして英雄譚が作り上げられていく過程をただ眺めている二人としては、もはや演劇の一幕でも見ているようで当事者意識が湧かないくらいだ。
「後は被差別民をまとめ上げて理想郷を築いているって話も聞きますよ」
「コウなら背中に蹴りを入れるくらいで、理想郷つくりなんてしないのです。夢を見過ぎなのですよ」
「ですよね」
くすくす笑っていたユオナは完成した魔法具を専用にあつらえた棚の上に置く。
「結局は遠い国のお話なのです」
「そうですね。今はもう遠い国のお話です」
そう言って、サラも本を閉じる。
ここは旧帝国領土から東に海を渡った小さな島国だ。大陸のごたごたなど遠いお話で、海を隔てているため魔物の被害さえほとんど存在しない。
ラッガン族にとっては忌子であるサラの安住の地を捜して辿り着いた場所だ。
「あ、帰ってきました」
サラがふさふさの尻尾を左右に振りながら立ち上がる。その視線は奥の部屋に向けられていた。
「相変わらずいい耳なのです」
ユオナが立ち上がった時、奥の部屋に通じる扉が開かれる。
「ただいま」
扉を開けたのはスーツ姿の青年だった。二十歳を少し過ぎたばかりだったが、スーツは着慣れている様子だった。
「コウ様、おかえりなさい」
「おかえりなのです。久しぶりの日本はどうだったですか?」
サラとユオナに出迎えられ、杉原はスーツの上着を脱いで椅子の背もたれに掛けながら口を開く。
「ようやく一段落したよ。まぁ、騒ぎを起こしたのは僕だけどね」
椅子に座った杉原は鞄をテーブルに乗せて、中に手を入れる。
「これ、日本土産」
「ひよこ饅頭なのです!」
「なんでそんなに好きかなぁ」
お土産として渡されたひよこ饅頭の箱を両手で捧げ持ってぴょんぴょん跳ねているユオナに、杉原は苦笑する。
ユオナの喜びようをみて嬉しそうに笑いながら、サラが杉原の隣に座った。
「勇者たちはどうなりましたか?」
「何人かは塀の向こうにいったよ。裁判で必死に抵抗してたけど、大量の証拠でゴリ押ししたら終わっちゃった。検事曰く、これで負けたらバッジを返上するしかないだってさ。サラにもこれ、お土産ね」
「ありがとうございます」
サラにお土産を渡しつつ、杉原は日本でのことを語る。
「まぁ、未成年者って事もあって大部分は無罪みたいなものだったけど、注目度の問題もあって大学入学取り消しとか、高校卒業資格の喪失とか、大事になったよ。何人かは引っ越したけど、動画も写真もネットでばら撒いてあるから当分は就職も難しいんじゃないかな」
「すみません、ネットというのはピンとこないです」
「分かりやすく言うと、世界中に手配書をばら撒いたって事」
「なるほど」
「帝国から逃げ切ったコウが言うと軽く聞こえるです」
「もうひよこ饅頭食べ始めてるんだ」
お気に入りの紅茶を用意してひよこ饅頭をぱくついているユオナに、杉原は苦笑する。
サラは杉原が出てきた奥の部屋へ視線を転じる。
魔物の生産に使用されていた巨大魔法石は今、奥の部屋と日本を行き来するための魔力を供給している。
「私も日本に行ってみたいです」
「ほとぼりが冷めたらね。こちらの世界の事はケダモノ連中の妄想って事になってるからサラを連れ歩くわけにはいかないんだ。世間の僕への注目がもう少し落ち着いたら観光とかできるかもね」
耳と尻尾は隠してもらうけど、と杉原は言って、鞄の中から帽子を取り出す。こちらの世界にはないデザインの帽子だ。
「ユオナ、この帽子ってこっちでも売れると思うんだけど、どう思う?」
「売れると思うですよ」
「サラは?」
「可愛いと思います」
「ならこれをいくつか買ってきて転売しようかな」
杉原は帽子を横に置くと鞄の中から次々にアクセサリーやキッチン用品を取り出し始める。
それをいつもの事と受け止めながら、サラは杉原に声を掛ける。
「向こうでもちゃんと売れてるんですか?」
「結構売れてるよ。こっちの世界のカードゲームとかボードゲームとか。敷物とかも」
ほとんど貿易だよね、と杉原は笑う。
杉原は集団失踪事件や虐めの被害者だが、世間の好奇の目に晒されるのを嫌がって大学受験や就職活動をしていない。
代わりに始めたのがサラたちのいる異世界と日本を行き来して物品を転売する個人貿易だった。
「そう言えば、ご両親はどうなったですか?」
「あぁ、この間めでたく勘当されたよ。だから、日本では一人暮らしを始めた」
「一人暮らしなんて味気ないことしてないでこっちで生活するですよ。サラも寂しがってるです」
「私のことを引き合いに出してますけど、ユオナも日めくりカレンダーばっかり見てるんですよ」
「サラ! 言わない約束なのです!」
「ひよこ饅頭一個で手を打ったはずですけど、もう全部食べてしまってるでしょう?」
「……サラも言うようになったのです」
「今のはユオナが悪いと僕は思うけどなぁ」
杉原が口を挟むと、ユオナは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「とにかく、コウはもうこっちに住むのですよ。日本での面倒事も片付いたはずなのです」
「そうだね。まだ僕に注目が集まってるからこちらに移住するのは難しいけど、二、三年したらこっちに生活基盤を移そうかな」
杉原が前向きに検討し始めると、途端にサラの尻尾が左右に振れる。
ちらりと横目でサラの尻尾を見たユオナが意地悪な笑みを浮かべる。
「ほら、サラもコウに責任を取ってもらう立場になってほしがってるのですよ」
「人を無責任男みたいに」
「似たようなものなのです。五年も待ってるですよ」
「それを言われると弱いね」
「ほら、認めたのです」
徐々に距離を詰めてくるユオナに杉原が苦笑を返した時、隣のサラが袖を引っ張った。
「なに?」
杉原が問いかけると、サラはにっこり笑う。
「コウ様はさっき、ただいまって言ったんですよ?」
「……あぁ。もうこっちが家だって認識になってるんだね、僕」
サラの指摘でようやく自覚した杉原は天井を仰いだ。
「うん、そうだね」
一人納得すると、杉原はサラとユオナを見る。
「これからもよろしく」
「はい!」
「はいなのです」
一人でも生きる覚悟を持って、三人で生きる未来を思い描く。
杉原も、サラも、ユオナも、これからの生活に期待を寄せて、幸せそうに笑っていた。
これにて本作は完結です。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。




