第十話 蟻の一穴
「カティアレン様、如何なさいましたか?」
第一魔法師団長、エンズに声を掛けられて、カティアレンは自らが笑みをこぼしている事に気付いた。
「無粋ね。ようやく報われるのですから、少しはお目こぼししなさい」
「はっ、失礼しました」
「それにしても意外。第二魔法師団の集団辞職の件、本当なのかしら?」
「バリエス将軍に提出されたとの事です。グットンなりのささやかな抵抗でしょう」
「第二魔法師団長は役に立つと評判でしたからこの間城で顔を見ましたけれど、話に聞くほどとは思えませんでしたね」
カティアレンは紅茶を飲みながら城で同席したタンデ村失踪事件の報告会を思い出す。
「けれど、騙されたわ。いま辞職するという事は、あの報告会で既に何が起きているのかをある程度掴んでいた事になる」
計画に不安要素を抱きたくないのなら、グットンは処理すべきだったのだ。
とはいえ、辞職届を出したという事は計画に気付いていながらこれ以上は関わりたくない意思表示とも考えられる。
「グットン含め、部隊長や団員がごっそり抜けた事で、バリエス将軍は辞職届を満載した木箱を二つ積荷に加えることになったそうです」
「では、第二魔法師団は事実上の解体ね」
「はい。障害が一つ消えたことになります」
飲み終えた紅茶のカップを置いて、カティアレンは立ち上がる。侍女が差し出してきたコートを羽織り、エンズを見た。
「さぁ、魔法石を奪いに行きましょう。それですべての準備が整う」
「それについて、一件情報が」
「……なに?」
意気揚々と出発しかけた時に水を差されて、カティアレンは不機嫌に聞き返す。
エンズは動じることなく報告した。
「逃亡勇者、スギハラが近辺に潜伏しているとの情報が上がっています」
「精霊に疎まれる勇者ですね。確かな情報ですか?」
「勇者たちを何度も撤退に追い込んでいた鵺と呼ばれる魔物の死骸が森の中で発見されました。解剖の結果、身体強化を無理やり解除された形跡があったとの事です」
「確度の高い情報ですね。この期に及んで、まだ邪魔をする機会をうかがっていると」
「生産施設での戦闘の可能性もあります。お気を付け下さい」
「えぇ、分かっています」
「皇女殿下が前線へ立たれるこの日に状況を整えきれなかった事、誠に遺憾です」
「不安要素の一つである以上、この場で取り除く事が出来ると考えれば悪い報せではないわ」
カティアレンは手駒の勇者たちを頭に思い浮かべながら、部屋を出た。
※
ガッテブーラを出発する一団の中央やや後ろを行く馬車に乗り込んだカティアレンは馬車の外の景色を眺めていた。
勇者たちを先頭にして魔物に対処させつつ、第二騎士団を外側に、第一魔法師団を内側にした本隊で続く。
「エンズ、勇者たちの様子は?」
「苦戦する事もなく順調に進んでいます」
「鵺が特別に強かっただけかしら?」
「おそらくはその通りでしょう。勇者は個人の魔力の保有量も桁違いですから、今日一日戦い続けることも難しくはないはずです」
「そう。でも、あの働きアリ達にあまり無理をさせてはダメよ。決戦戦力でもあるのだから」
「心得ています」
指揮を取るために馬車から離れていくエンズを見送って、カティアレンは座席に体を預ける。
「カティアレン様」
「なにかしら?」
侍女に声を掛けられて返事をする。
侍女は不安そうに馬車の進行方向を見ていた。無理もない。戦う力などないのにカティアレンの身の回りの世話をさせるためだけに連れてきたのだ。計画の概要すら知らない侍女は何故カティアレン自ら魔物の生産施設に向かっているのかすらわからないのだろう。
「勇者たちが騎士様を警戒しているように見えます。あの、あまりうまくいっていないのでしょうか?」
「計画は順調よ」
答えつつ、カティアレンは侍女を見直していた。周りをよく見ている。自分の置かれた状況が分からないからこそ周りを観察して少しでも情報を得ようとする本能的な行動なのかもしれない。
勇者の方を見れば、侍女の指摘通り騎士や魔法師を警戒している様子がうかがえる。
「督戦隊だと思われているのかもしれないわね」
「とくせん?」
「督戦隊よ。士気の低い部隊の後ろに置いて監督する役割を持つ部隊の事」
かなり柔らかい表現で教えながら、カティアレンは内心で勇者を嗤う。実際、第二騎士団や第一魔法師団は督戦隊の役割も持っている。鵺と呼ばれる魔物が死んだとの報告は上がったものの、それに準ずる強さの魔物が出現し、勇者が臆病風に吹かれないとも限らないからだ。
とはいえ、あからさまに督戦隊としての活動をさせるわけにはいかない。勇者を手駒として扱えなくては、たとえ巨大な魔法石を手に入れても帝位簒奪のための反乱は成功しない。
今のうちに勇者たちの警戒を解く必要があるだろう。
「そうね。いがみ合うのはよくないわ。ここは魔物の勢力圏、敵地ですもの。勇者たちは夜の警戒を免除しましょう」
逃亡勇者スギハラの存在がなければもっと話は簡単だったのに、とカティアレンは森へと目を向ける。
八つ当たりで過剰な威力の魔法をぶつけられたのか、原形をとどめていない魔物の死骸がいくつも転がっていた。
「……なんと野蛮な」
やはり、戦うしか能がない輩ね、とカティアレンは侮蔑した。
夜になり、天幕で作戦会議を開く。
勇者側からも数人招いての会議だが、勇者たちは縮こまるばかりで一切発言しない。
それもそのはず、勇者をまとめていた大飯田、戸江原、番川、桃木の四名は鵺を招いて敗退を重ねた原因であり、タンデ村失踪事件を起こした可能性も指摘されているため、まとめ役として会議に呼ぶことができなかったのだ。無論、建前である。
カティアレンは勇者たちを見る。名前を覚える必要もない、実力不足で思慮不足、胆力すらない木端だ。だが、手駒としては十分な上に、彼らはすでに仕事を一つ果たしている。
大飯田たちは勇者の中でも無視できない実力者だった。だが、この会議に呼ばれなかった事で、求心力が大幅に落ちている。大飯田たちが発言力を失えば勇者たちはまとまりを欠き、必然的に指揮権を持つカティアレンに従うしかなくなる。
勇者たちが組織だって反抗するための旗頭を潰すことに、カティアレンは成功したのだ。
タンデ村の事件は元々、カティアレンが勇者や前線の軍の指揮権を得るためにバリエス将軍を更迭させるべく前々から準備していたものである。勇者たちが事件に一切かかわりがない事など、仕掛け人のカティアレンが知らないはずもない。
地図を見ながらの作戦会議は滞りなく進んだ。
「では、明日の内に渓谷へ到着する手はずですね」
「はい、カティアレン様。魔物の生産施設はまだ発見に至っておりませんが、魔眼の勇者がいますのでさほど時間はかからないかと」
「良いでしょう。勇者様方は御退室を。今晩ゆっくりお休みいただいて、明日に備えてください。夜警は第二騎士団が担当しますから、ご安心を」
「は、はい」
結局一度も発言しないまま、すごすごと天幕を出ていく勇者たちを見送る。
第一魔法師団長のエンズが鼻を鳴らした。
「なんとも質が低い。傀儡にするのにはちょうどいいが」
「桃木とか言いましたか。あの小娘のように一々かみついてくる頭の悪さが無いだけ、まともではありませんかな」
第二騎士団長キーランの言葉に、エンズは笑みを浮かべる。
「違いない。あれはきゃんきゃんと煩かった。まるで躾のなっていない犬だ」
「あら、犬は可愛いでしょう?」
「カティアレン様は懐が広くていらっしゃる」
「躾はこれからすればいいのです」
それよりも、とカティアレンは目の前の地図を見る。
「魔眼とはこれほどに有用なのですね」
「いえ、これは勇者のけた外れの魔力量と発想力の合わせ技です。百目と彼は呼んでいますが、複数の魔眼を発現する事も稀だというのに、同時に発動するなど、歴史に残るでしょう」
「腐っても勇者ですな。もっと協力的であればよかったのですが、逃亡勇者を匿っている節もある」
「どういう事ですか?」
聞き捨てならない情報だ。カティアレンが即座に詳細を求めると、エンズは難しい顔で話し出す。
「魔眼の勇者番川は逃亡勇者の殺害に非協力的でして、魔眼で発見しても知らせないと公言しています」
「計画に気付いているのかしら?」
「おそらくそこまでは辿り着いていません。ですが、確信を持てないだけかもしれません。魔眼には千里眼もありますので、奴隷を見た可能性があります」
番川を排除するかと、視線で訊ねてくるエンズたちに、カティアレンは首を横に振る。
「騒動を起こすべきではありません。奴隷化する時の注意事項が増えただけと考えましょう」
有用な手駒である以上、奴隷化して使役したいのが本音だ。千里眼や透視眼は城塞内の配置をつぶさに見てとれる非常に有用な能力だけに、帝位簒奪の戦を前にして失うのは惜しい。
「番川の動きには警戒を。特に生産施設突入の際には魔法石を盾に反抗してくる可能性もあります。第二騎士団は注意して」
「了解しました」
会議はお開きとなり、カティアレンは用意された天幕へ向かった。
※
「勇者番川が千里眼にて魔物の生産施設らしき建物を発見しました」
「すぐに向かいます」
エンズからもたらされた報告に、カティアレンは笑みを堪えて指示を飛ばす。
全部隊がすぐさま動き始める。当然のように勇者たちに露払いを任せる形だが、第二騎士団は先ほどまでよりも勇者たちとの距離を詰めて圧力をかけていた。
「カティアレン様、斥候からの報告では、生産施設と思しき建物がある森に魔物の死骸が多数転がっているようです」
「……逃亡勇者ですね」
「おそらくは」
先回りされていたのか、とカティアレンはしばし黙考し、決断する。
「勇者を前面に立たせて盾にしつつ、第二騎士団が距離を詰めれば殺せるでしょう」
「伝えてまいります」
第二騎士団長へ指示を出しに行くエンズを見送り、カティアレンは目の前に見えてきた森へ視線を転じる。
巨大な森だ。木々も非常に背が高い。
鬱蒼としているが、そこかしこに獣道ができている。木をなぎ倒すような獣がいるはずもないため、魔物の通り道なのだろう。
カティアレンはいつでも剣を抜けるように留め金を外しながら歩き出す。
森の奥へまっすぐ進んでいく。先頭を行く勇者や第二騎士団が枝を払ってくれているため歩きやすいくらいだ。
「見た事のない建築様式ね」
件の建物に到着したカティアレンは見覚えのない不思議な材質の壁を観察する。
「すでに絶滅した少数民族の建築様式です。まだ部隊長だった頃にこんな感じの砦を攻めた事がありますよ」
隣に来ていた第二騎士団長キーランが壁を叩きながら得意げに説明した。
「頑丈なのかしら?」
「そりゃあもう。魔法師団が手こずってましたからね。自分たちも砦に近付けずにいたんで大きな声では言えませんが」
「その砦、どうやって落としのかしら」
「バリエス将軍が第二魔法師団に坑道を掘らせて、砦の中に直接乗り込みました」
「なるほど。雑用師団はそう使うのね」
「面目躍如でしたな!」
豪胆に笑う声が気に障ったのか、勇者たちが顔を顰めてこちらを見てくる。
カティアレンは軽い笑みを浮かべるにとどめて、第二騎士団長との距離間の演出を調整した。
「さぁ、いよいよ中に突入します。勇者の皆様、準備してくださいませ」
全体に指示を飛ばす。
――刹那、勇者たちのいるあたりから悲鳴が上がった。
生産施設の側だ。魔物でも現れたのだろうと目を向けて、カティアレンは絶句する。
勇者たちの足元に巨大な魔法陣が浮かび上がっていたからだ。
「――な、なんだこれ!?」
「おい、退け! 逃げないとまずい!」
「騎士団が邪魔!」
「もしかして奴隷化の魔法!?」
「くっそ、本性表しやがったのかよ、性悪皇女!」
聞くに堪えない罵声の嵐が勇者の間で吹き荒れる。
督戦隊の役割を持つ第二騎士団は勇者を囲んでおり、突発的な事態に反応が遅れている。いや、あの魔法陣が勇者たち自身による狂言ではないかと疑って持ち場を離れられずにいるのだ。
「カティアレン様、お下がりください!」
エンズがカティアレンの腕を取り、後方へと引っ張る。
「何を言っているの。エンズは指揮に戻りなさい」
「カティアレン様が居なくては計画が破綻します」
「勇者が居なくなっても同じことです。騎士団と勇者に下がるよう伝達を――」
カティアレンが指示を飛ばそうとした矢先、勇者たちが何かに飲まれたように静かになった。
反射的に目を向ける。
巨大な魔法陣の上にいた勇者たちがひときわ強い光に飲まれる。
魔法陣の端にどこかの民族衣装を着た黒髪の少年が立ち、笑みを浮かべた。
「――因果応報、開始」
次の瞬間、勇者たちは忽然とその場から消え失せていた。
静寂に包まれる。
誰もが、目の前で何が起きたのか理解できずにいた。
「送還魔法……」
いち早く答えに辿り着いたカティアレンは状況を正確に認識し、横にいたエンズへ鋭く指示を飛ばす。
「魔物の生産施設を今すぐ制圧なさい! 魔法石の確保を最優先! 異論は許しません!」
送還魔法が発動した以上、魔物の生産に使われていた魔法石は空になっていると考えるべきだ。
しかし、勇者が消え失せた今、目の前にある道具だけは確保しなくては計画が致命的に破綻する。
「急ぎなさい。おそらく、まだ施設内部に敵がいます。魔法石を持ち出されないように早く!」
カティアレンの指示を聞いて、エンズも動き出した。
「第四から第七部隊は出入り口を封鎖せよ。カティアレン様を直接狙ってくる可能性もある。防備を固めよ」
目まぐるしく帝国軍が動き始める。
魔物の製造を続けていた魔法石ならば、簡単に持ち出せるような大きさではない。加えて、先ほど送還魔法を使用した以上、魔法石はまだ砕かれてはいないと考えるべきだ。
手に入れなくてはならない。巨大魔法石という戦略兵器まで手に入れられないのでは、計画は破綻してしまう。
帝位に手が届かなくなる。
出入口を固めたとの報告が入ってくる。しかし、魔法石発見の報せはまだない。
焦っても何も解決しないと分かっていても、カティアレンの眼つきは次第にきつくなっていく。
「――報告!」
走ってくる部下の一声に、カティアレンははっとして眼つきを元に戻す。
エンズが部下の前に立ち、報告を促した。
「どうした?」
「施設内部にある広間にて、巨大な魔法石を発見しました!」
よし、と思わず呟きかけたカティアレンは続く報告に眉を顰めた。
「魔法石を守る少数民族の少女二人と交戦中。魔法具の罠がそこかしこに仕掛けられており、攻略は難航しています!」




