第七話 接触と取引
「カティアレンが?」
ガッテブーラの酒場での噂話に聞き耳を立てていたらとんでもない噂話が耳に飛び込んできた。
「勇者と帝国軍の指揮権を掌握して魔物退治ね。それだけで済むとも思えないなぁ」
魔物の生産施設があると思しき渓谷を発見したって話が来てすぐのこのタイミングだし。
「カティアレンと第一魔法師団という組み合わせも気にかかるのです」
「コウ様、タンデ村の集団失踪事件が関係しているようです」
「タンデ村? あぁ、あれか」
スープとか放置していたあの村ね。
香辛料が入った豆のポタージュみたいな料理をスプーンですくいつつ思い返していると、サラが褒めて欲しそうにこちらを見ている事に気が付いた。
スプーンを置いて頭を撫でてあげると、何故か困ったような顔を向けられた。求めていたモノと違うらしい。
「コウ、サラを子ども扱いするのはやめるのです」
「あぁ、こんな人目のあるところじゃ不味かったね。ごめん、ごめん」
「そういう意味ではないのです」
ユオナにまでため息を吐かれた。
ユオナは魔物の肉を薄く切って各種野菜を包んで蒸した、肉包みのシューマイのような物に酸味の利いたソースを掛けながら続ける。
「この際だから言うですが、サラはコウの事を――」
「違います!」
ユオナの言葉を遮って怒鳴ったサラに酒場の客の視線が集まった。
僕は立ち上がって騒がしくした事を詫びる。
申し訳なさそうな顔をしているサラを見て立ち入らない方がよいと判断したらしく、客たちは何も言わずに自分たちの食事に戻っていった。
僕が席に座り直すとサラの怒鳴り声に驚いて固まっていたユオナも再起動した。
「悪かったのです。口出しするような事じゃなかったです」
「それも違うよ、ユオナ」
喧嘩らしい喧嘩をした経験がないせいであたふたして何も言えずにいるサラに変わって、僕は話を引き取る。
「サラが僕に対してどんな感情を抱いていようと、今はそれどころじゃないって事」
「……それでサラは納得してるのですか?」
「私は、その……」
口ごもったサラが僕の事を横目にちらちらと見てくる。
なんで今さらこんな話になっているのかなぁ。
「納得するかどうかの話じゃないよ。僕は日本に帰るんだから。これは最初から言ってる通りだしね」
途中で死ぬ可能性だって高い。たとえ逆恨みだろうと、人から恨まれるのは死のリスクが伴う。
「恋愛なんかにかまけている暇はないんだよ。サラたちに一人で生きていく覚悟を訊ねてから仲間に加えたのもこれが理由なんだから」
「それはそれで勝手だと思うです。ここで伝えるのもそれはそれで勝手だと自重はするですが、思い続けるのも勝手と受け取っていいのですか?」
「それについてはご自由に」
ユオナに言い返してスープを飲む。スープカレーにも似た辛さと旨味が同時に舌を楽しませる。癖になりそう。
サラがきょとんとした顔でユオナを見ていた。
「あの、さっきの言い方だとユオナさんも、その……」
「この流れで言わせるのは酷いと思うのです」
「え、あ、そうですね。……そうなんですか?」
「そうなのです」
「なんだ、この会話」
「八割方コウのせいなのです」
「理不尽だと思うなぁ」
まぁ、甘んじて受けるべきだと僕自身も思うけど。
ちょっと油っぽいパンを手に取った時、僕たちのテーブルに近付いてくる人影があった。
サラが反応し、いつでも短剣を抜けるように右手を自由にする。僕も魔力を臨戦態勢にもっていった。
「ちょっと相席をお願いしたいんだけども、構わないかな。杉原さん」
「……サラ、待って」
「……はい」
声を掛けてきた人物へ僕は目を向ける。最初から視界の端には捉えていたけれど、面と向かってみるとどこにでもいそうなおじさんだった。
左手に持った杖には大振りの魔法石がはめ込まれていて、おじさんが魔法使いであることを表している。そのくせ、腰には細身の直剣が一振り提げられていた。
「あんたは?」
「今は無職だけどね。ちーっと前まで第二魔法師団長なんて肩書が付いてたおっさんだ」
「どこにでもいそうだね」
「本当だよ? 信用されない見た目なのは百も承知だけどね」
苦笑しながら肩を竦めるおじさんはなおも警戒を解かない僕たちを見て、困ったような顔をする。
「情報交換でも、と思ったんだけどね?」
「ユオナ、こっちに来て。サラは周辺の警戒」
「はいです」
「はい!」
「おっかないね」
おじさんはそう言いながらも、僕たちの態度を当然のことと受け入れる度量はあるようだった。
ユオナが座っていた席に腰を下ろしたおじさんは飄々とした態度でメニュー表を開くと、店の人にいくつかの注文をする。
「悪いねぇ。帝都から戻ってきた後辞表を出して、その後はずっと君を探してガッテブーラを二周三周したもんだから、昨日から何も食ってないんだよ」
「名前は?」
「グットン。君が殺したカレアラムの直接の上司になるね」
「あのカレアラムが死んだ?」
「鎌掛けをし返すのはやめておくれ。おじさん、頭良い方じゃないんだ」
嘘はついてなさそう。味方とは判断できないけど、話を聞くくらいなら良いか。
僕はパンをちぎってスープに投入し、スプーンでかき混ぜつつグットンと名乗ったおじさんを観察する。
「交換するに足る情報を持ってるの?」
「皇女殿下が――」
「反乱とかどうでもいいよ」
「わーお。こら捕まらないわけだ」
勝手に納得しているけれど、僕としても驚きだ。帝国の人間でも皇女の反乱は推測されているのか。
なんで指揮権の移譲なんて起こってるんだろう。尻尾を見せた瞬間にお縄とかかな。
考え込んだ僕に、グットンが自嘲気味な笑みを向けてくる。
「帝国人で君ほど状況が見えている者がほとんどいなくてね。だからおっさんも無職になったんだ」
「なるほど。皇帝が皇女に甘いって話もあるし、迂闊に言い出せる空気でもないんだろうね」
「……城に忍び込んだりした?」
「聞き耳を立てていただけだよ」
グットンが頭を掻く。
「参ったね。情報交換をしに来たんだけど、君が何を知らないのか分からない。質問してもらっていいかな?」
「なんで僕を捕えようと思わなかったの?」
「情報交換の後で話したい」
「グットンさんは皇女派?」
「明言を避けたい」
「彼女いる?」
「それ今重要!?」
「彼氏いる?」
「結構愉快な性格してるね!?」
「先達ならいろいろ聞く事もあるかと思ったんだけどね」
「え、君たちってそういう内輪もめ抱えてるのかな?」
僕たち三人を見て、グットンが困惑顔をする。当然だ。今は変装魔法のせいで僕たち三人は全員男に見えているはずだから。
「じゃあ核心を。僕たちの変装をどうやって見破ったの?」
「これだよ」
グットンが差し出してきたのは見覚えのある水晶玉だった。
召喚初日に僕が魔力の質を調べるために触れて、魔力を流し込んだ水晶玉だ。
「体格までは誤魔化せないだろうと踏んで、三人組を見つけてはこっそりと触れさせてみましたん。この水晶玉には君の魔力が篭っているからね。あ、返しとくよ」
「……素直に、盲点だったよ」
このおじさん、見た目はどこにでもいる普通のおじさんの癖にかなりやり手みたいだ。師団長なんてやるだけある。
しかし、僕に水晶玉を触れさせたって事は人混みを歩いている時とかかな。僕の正体を知ってから接触を図ったのなら、本当に僕を捕まえるつもりはないようだ。
「コウ様、ごめんなさい」
「サラのせいじゃないよ。僕の不注意だ」
「かなり頻繁にコウを見ていたはずなのに、変装が解けた瞬間を見なかったのです。この人、見た目に似合わずスリの才能あるですよ」
「ユオナ、人聞きの悪い事言わない」
凹んでるよ、このおじさん。
運ばれてきた注文の品をぼそぼそ食べ始めながら、グットンが口を開く。
「君の事は誰にも言っていないよ。勇者の近況とか知りたくない?」
「大体の事は聞いてるよ。鵺って魔物に追いかけられて撤退続きだって。今日の朝、僕たちで九匹殺しといたから、今日からもう追いかけられることはないだろうけどね」
「勇者全員より君たち三人の方が強いって事にならないかね?」
「相性の問題だよ」
「身体強化崩しは怖いねぇ」
「僕の戦闘方法、どこまで知ってる?」
「お、初めて聞いてくれた」
「彼氏いる?」
「本当に良い性格してるね、君!」
デムグズ仕込みの煽り技能って今まで使い道なかったけど、案外効果があるんだな。
グットンが教えてくれた僕の戦闘方法について広まっている情報は、さほど多くない。
身体強化崩しとグットンが呼んだ強制解除、魔法の打ち消し、投げナイフ。僕が魔法を使えない事。ラッガン族のキメラ個体サラを連れている事までは知られているらしい。もう一人、魔法具職人を連れているとか魔法使いを連れているとか言う話もあったけれど、これはユオナについての情報が部分的に伝わった物だろう。
グットンが指折り数えながら話した後、僕を見る。
「その魔法具職人、シュグラート族の生き残りだったりしないかね?」
「シュグラート族はあんたたち帝国軍人が一人残らず惨殺したって聞いたけど?」
「不躾だった。聞くべきことではなかったね。申し訳ない」
「僕に謝られてもね。墓前で頭を地面にめり込ませながら三日三晩謝罪の言葉を唱え続けて自決したら?」
「それだけのことをしたという自覚はあるさ。後方の待機部隊だったなんて言い訳にもならん。だが、今は目の前の事だ」
僕は何も言わず、目も向けない。それでも、ユオナが口を挟まないという事はこの話を続ける意味もないだろう。
僕はグットンの言う通り、目の前の事を片付けることにした。
「それで、交渉とかしたいんですか?」
「その通りだ。端的にお願いしよう。他の勇者ともども、元の世界に帰ってほしい」
初めからそのつもりでいるけど、帝国人のグットンから何故そんな提案が出るのか。元軍人とはいえ、今は一般人なのだから戦火を逃れる事も出来るだろう。
他力本願で怠惰の塊みたいな帝国人らしく隅っこに縮まって嵐が過ぎるのを待っていればいいのに。
「理由を聞いても?」
問いかけると、グットンは用意していたらしい言葉を話し出す。
「勇者は明らかに異質な戦力だ。このまま反乱が起きて戦場に投入されれば、帝国側の被害は甚大となる。勇者の存在は害にしかならない」
「召喚しておいて身勝手な理由だね」
「百も承知だ。申し訳ないと思っている。だからこそ、魔物の製造施設にあるだろう魔法石の強奪に協力するつもりだ。こんなおっさんではあるが、これでも第二魔法師団を束ねるだけの実力がある。戦力になるはずだ」
「グットンさんに不信感はないよ。でも、信頼はできない」
帝国側のスパイの可能性は未だに残っている。街中で騒ぎを起こしたくないがために交渉の真似事をしている可能性だって否定できない。
グットンと一緒に行動するのはあり得ない選択だ。
とはいえ、向こうが交渉を持ちかけてきている以上、利用しない手はない。
「魔法石、それも魔力が篭っていて可能な限り大きなものを準備して」
「送還魔法用か? とてもじゃないが魔法石をいくつ集めても賄える魔力消費ではないが」
「勇者連中を拘束するのに魔法具を作りたくてね」
「なるほど」
僕が送還魔法を完成させている点は疑っていないらしい。
まぁ、ガッテブーラにいる時点である程度は予測しているか。
ただ、僕と他の勇者の間に確執がある事までは知らないのか、それとも知っていても僕に頼らざるを得ないのか。
まぁ、現状でグットンと利害が一致しているまともな戦力は僕たちだけだから、仕方がないのかな。
「交渉成立だ。大枚叩いて魔法石を準備しよう」
「お願いね。出来るだけ人目に付かないように」
「心得ているさ」
まだ食事をするというグットンの前に僕はいくらかのお金を置く。
「魔法石の購入資金の足しにして」
「おつりは出ないが、それでよければ」
「人にお金を渡す時は帰ってこない事が前提だと思ってるから」
「良い心がけだ」
グットンに別れを告げて、僕たちは酒場を後にした。




