第三話 単独行動開始
「人が焼ける臭いって不快だな」
すっかり炭化しているカレアラムと御者の死体を極力視界に入れないようにしながら、僕は馬車の中を漁る。
人を殺したことに対しての不快感や良心の呵責を覚えないわけでもなかったけど、割り切れる範囲内だ。
ここは日本ではないし、この世界は僕に権利を保障しているわけでもない。だから、法律に従う義理がない。
倫理的、道徳的な話をすれば人は極力人を殺してはならないものだけれど、裏を返せば殺しても仕方がない場面というのは存在する。戦争なんてその最たる例だろう。
躊躇って自分が死んだら元も子もないし。
「ろくなものないなぁ。これ、お金かな?」
馬車の中から見つけ出した食料品と銀貨、銅貨が入っている財布らしき物を大きめの革のバッグに詰め込む。
ジッパーって偉大だったんだなぁ、と感慨にふけりつつボタンを留めてバッグを担いだ。
食料は二日分。節約して四日くらい。水の入った水筒が二つ。ありがたい事に御者とカレアラムの物らしい着替えもあったので頂いておく。下着は気持ち悪いからいらない。
できれば馬車も貰って行きたいところだけど、帝国の紋章が付いているから足が付くだろう。馬だけでも貰って行こう。
馬車の中で御者の物らしい服に着替えて、馬の手綱を取って歩き出す。
「大人しいね、お前」
手綱を引く僕に大人しく付いてくる馬はじゃれついてくるわけでも嫌がるわけでもなく粛々と歩いてくれる。この様子なら乗れるんじゃないかとも思うけれど、乗馬の経験なんてないのでやめておく。鞍もないし。
荷物くらいは肩代わりしてくれそうなのでバッグを馬の背に括り付けて歩き出した。
地図を見てみると、この森を抜けた先に町があるようだ。思い切り命を狙われた後だし、王都に引き返すのは悪手だからこのまま進んだ方がいい。
馬と歩きながら、この先の事を考える。
過程はどうあれ、クラスメイトのケダモノ共と別れる事が出来たのは幸いだった。あいつらがどうなろうとあまり興味はない。
第一の目標としては日本への帰還が挙げられる。
別に帰りたい理由があるわけでもないけど、この世界よりはよほどマシだ。それに、クラスメイト連中のいじめを暴露して罪を償わせたいという思いもある。あいつらには暴力的な復讐なんかよりも社会的な制裁の方がよほど効くだろうし、長く苦しむだろう。
この世界でクラスメイト連中が死んだらそれはそれだ。帝国の連中に利用しつくされて殺されるなら因果応報。
よし、基本方針は日本への帰還方法探し。可能ならクラスメイト連中への社会的制裁。
帰還方法を探すなら最初にこの世界の魔法について調べる必要がある。僕自身の魔力の特性や利用方法についての分析もしないといけない。
召喚の魔法陣に関してはポケットに忍ばせていた隠しカメラに録画されているみたいだし、利用できるかもしれない。
それから、当面の生活手段の確保も必要か。馬車から持ってきた銀貨や銅貨の価値も分からないのはまずい。
生活手段を確保するなら帝都周辺は危険だと思う。カレアラムはずいぶんあっさり死んじゃったけど、あれでも第二魔法なんちゃらのお偉いさんらしいし、殺した僕に追手がかかるのは至極当然の流れだ。
逃亡生活か。まぁ、他に選択肢がなかったから仕方がないね。
改めて、手元の地図を見る。
日も落ちて暗くなってきているけれど、月明りのおかげでかろうじて読める。
軍属のカレアラムが持っていた地図だけあって、街や街道などが詳しく書き込まれた地図だ。
縮尺は分からないけれど、オルガータ帝国が広大な国土を持っているのは分かる。ひとまず、次の町で食料品を買った後すぐに出発して川沿いに南西部へ向かおう。
対魔物の最前線とカレアラムが言っていたから、生粋の帝国人は少ないはずだ。人種のごった煮状態なら僕みたいな異世界人が紛れ込んでいても気付かれにくそうだし、クラスメイトもその内送り込まれてくるだろうから、監視できる。
ただ、同時に身の危険も跳ね上がる。どこかで武装を整えるなり、護衛を雇うなりした方がいい。武器の扱い方なんか知らないし、護衛を雇うお金もないけど。
先立つ物が欲しい。アルバイトの募集とかあるんだろうか。ないだろうなぁ。
ちらりと横の馬を見る。こいつを売ればまとまったお金になりそうだ。
「――って、どうしたの、いきなり立ち止まって。疲れた?」
馬が足を止めて鼻息荒く足踏みを始めている。
疲れたというより興奮している。怯えている?
馬を背に、僕は周囲の森へ目を向ける。
もう追手がかかったのだろうか。あり得ない話ではないけど、カレアラムはそれなりに腕が立つ方だったみたいだし、僕を仕留めそこなうとは誰も想定しないだろう。それはカレアラムの他に御者しかいなかった事からも窺える。
それに、僕はただ殺されかけたのではなく、暗殺されかけたのだ。勇者として召喚されたクラスメイト達へ僕が殺されたという情報は極力渡したくないはずだから、事情を知る者も少ない方がいい。
それに、見ず知らずの僕に手綱を取られて大人しく従うこの馬が追手とはいえ人間相手に怯えるだろうか?
「魔物、かな」
考えが及んだのとほぼ同時に、木々の隙間を埋める藪が僅かに揺れた。
僕が魔力を準備した瞬間、藪から何かが飛び出してきた。
小型犬くらいの大きさのそれが口を大きく開けて飛びかかってくる。
しかし、それは僕に届く前にその小さな体からパキパキと何かが折れるような音を立て「キー」と甲高い悲鳴をあげた。
かなり勢いよく飛びかかってきたけれど、身構えていた事もあって僕は左腕を大きく振ってそれを払いのける。地面を転がってぴくぴくと痙攣しているそれはイタチのような生き物だった。ただし、首回りにエリマキトカゲのようなヒダが付いている。
エリマキイタチ?
まだ息があるようなので遠目に観察する。四本の脚や背中が妙な方向に曲がっていた。
身体強化して飛びかかってきたから、どっかの御者と同じように僕の魔力で中途半端に強化魔法が解け、骨があちこち折れたらしい。
エリマキイタチは何が起きたのかも分かっていないらしい。かといって骨が複雑に折れているせいで立ち上がる事さえ物理的に不可能なため、眼だけをきょろきょろ動かしている。
まあいいや。先を急ごう。
※
早朝、防壁に囲まれた町に入ると、帝都が近いだけあって活気にあふれた喧騒が僕を出迎えた。
御者の服を着て馬の手綱を引いている僕に誰も注意を払わない。黒髪黒目はさほど珍しい特徴ではないらしく、御者の物とはいえそれなりに仕立ての良い服を着ている僕を帝国民だと思っているのかもしれない。
人の流れに沿って歩いていくと、遠くに露店の群れが見えた。市場だろうか。
「ちょっとちょっと、市場に馬なんか連れてこないでよ。糞をまき散らされたらたまらないよ」
「あぁ、すみません」
市場の入り口に立っていた兵士らしき人に追い払われて、市場から離れる。
言われてみれば、確かに馬を連れて入るのはまずい。食品を売っているらしい露店も見えたし、衛生面を考えたら動物を連れてはいるなんて大迷惑だ。
それに、露店が左右にひしめいているせいで馬を通すほど道幅もない。
こいつをどうしようかな、と僕は馬を見る。
大人しく付いてくるこの馬は多分、かなり賢いし訓練もされている。栗色の毛も良く手入れされているのか太陽の光を反射して輝いている。
もしかすると、こいつを売ったら足がつくかもしれない。
……馬肉って美味しいのかな。食べた事ないんだよね。桜肉って言うんだっけ。
町中で馬を捌いたらそれこそ大迷惑だから諦めよう。
どの道、この町に馬を連れてきた時点で捕捉されるんだし、開き直って金に換える方が後々動きやすいかな。
僕は通行人に声を掛ける。
「すみません、馬を売れる場所ってどこですか?」
「馬? さぁな。あ、西門の外で羊を売っていたはずだ。一緒に売れるんじゃねぇか」
「ありがとうございます。許可証とかっているんですかね?」
「いらねぇだろ。町の外で売ってんだから」
外はもう完全に治外法権って事なんだろうか。税金とか大丈夫なのかな。人頭税で一括管理とかもあり得るのか。
僕には関係ないからいいや。
通行人に教わった通り、西門をくぐって外に出てみると、羊飼いらしき人達がたむろしていた。羊以外にも牛や鶏、馬を売っている。
「そこの坊主、良い馬を連れてるな!」
「分かりますか?」
横合いから声を掛けられたので話を合わせる。
白髪頭の男性だ。三十歳くらいだろうか。隣には十歳くらいの男の子を連れている。
男性は僕の返答になにやら妙な物を噛んだような顔をした。
「分からないはずがないだろうが」
「ですよね。主人にこう言えと言われたんです。それで怒り出すような人には売るな、と」
口から出まかせ、つらつらと。
今日の舌はいつもより多く回っております。具体的には二枚分。
男性は「ぷっ」と小さく噴き出した。
「そいつはいい。短気な輩には売るなって事だろう。実はな、孫に乗馬の練習をさせるために大人しい馬を探してるんだ」
「お孫さんですか」
この十歳くらいの男の子の事だろうか。
男性の年齢と計算が合わない気がするんだけど、客の事情に深く突っ込んでも仕方がないね。
「それならこの馬はうってつけですよ。人に慣れているので」
「そうみたいだな。雌馬とすれ違ってもわき見一つしていない。いくらだ?」
「お孫さんが大事にしてくれるなら安くしますよ?」
「ふむ、羊三頭との交換ではだめか?」
「貨幣でお願いします。この後、主人に頼まれた物を色々と買って帰らないといけないので」
「そうか。ちなみに何を買っていくつもりだ?」
「主人に口止めされています」
「馬を売ってこいと言われるだけあって、歳の割にしっかりしているな」
豪快に笑いながら、男性が僕の肩を叩いてくる。気に入られたらしい。
「金貨二枚と銀貨七枚でどうだ?」
「うぅーん」
相場が分からない。市場をざっと見て回って把握するつもりだったのにこんなに早く声を掛けられるとは思ってなかった。
僕は孫らしき男の子に目を向ける。僕が連れている馬をじっと見つめる少年の目は新しい玩具を買ってもらう直前みたいだった。
これは断れないよね。逆もまたしかり。
僕の視線に気付いた男性が男の子を見て苦笑した後、口を開いた。
「金貨三枚でどうだ?」
「売りましょう。ただ、金貨一枚に関しては銀貨でお願いします。この後も買い物があるので」
「分かった」
男性から金貨二枚と銀貨十枚を受け取って、僕は財布の中に入れる。金貨一枚で銀貨十枚ってことね。覚えた。
手綱を男性に渡してから、男の子を見た。
「大事にしてあげてね」
「もちろん。相棒だし!」
純粋で元気だね。
でも、その馬は盗品なんだよ。
帝国民みたいだしばれても酷い事にはならないでしょう。僕の情報を帝国に提供できるだろうし。
僕は財布を手に町へと戻る。手綱を引いていた右手がなんとなく寂しかった。
すぐに慣れるだろうけど。
食料品を買って鞄に詰めて、僕は宿も取らずに再び外に出た。
この町は帝都から近い。カレアラムを殺してからすでに半日経っているし、そろそろ事態が明るみに出てもおかしくはない頃だ。
今のうちに距離を稼いでおこう。
目指すは帝国南西部にある川沿いの町ソットだ。




