第十三話 シュグラート族滅亡譚前編
カイリは弟子のユオナが寝るベッドの毛布を引っぺがした。
「ほら起きな! あたしゃ定例会議に出なきゃならねんだ。掃除と洗濯やっとけ。それと昼には帰ってくるが、魚が食いたい!」
「寒いのです! って、まだ外暗いのですよ。昨日はこんなに早起きするなんて――」
「つべこべ言わずに働きな!」
「横暴なのです!」
ぶつくさ言いながらもベッドから起き出して朝の寒気に身を震わせるユオナに、カイリは出しておいた綿入れを投げつける。
「それじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃいなのです。手袋、忘れてるですよ」
「いらねぇだろうさ。あたしゃいつも心のあったかいカイリ姉さんなんだから――寒っ!」
「言わんこっちゃないのです」
白けたような目を向けてくる生意気な弟子の寝癖頭を撫でまわしてから、手袋を受け取って身に着け、まだ暗い外へと歩き出す。
玄関先に掛けてあった携行照明の魔法具に魔力を注ぎ、明かりを確保する。吐き出したため息は白く霞む。
左右を掻き分けられた雪に挟まれた道は凍り付いていて、気を抜くとつるりと滑って尻を強打しそうな有様だ。優秀ながらどこか抜けている弟子のユオナが転ぶ姿を見られないのは残念だったが、帰宅したら鎌をかけてみるのも面白そうだ。
欠伸を噛み殺し、シュグラート族の会館の戸を潜る。
「来たか、カイリ」
「皆さんお揃いで。ご老人は朝が早くていらっしゃる」
「お前ももう若くは無かろうに、その生意気な口は相変わらずか」
「じゃかあしいよ。まだぴっちぴっちの二十七歳だ」
居並ぶ老人は皆五十の後半から六十の半ば。あまり寿命が長い方とは言えないシュグラート族で長老と呼ばれる年齢の重鎮たちだ。
もっとも、この会議に呼ばれる条件は年齢ではない。議題にふさわしい腕を認められた魔法具職人であることが絶対条件だ。
「カイリが弟子、ユオナ。魔法石同期技術の継承者足り得るか、見極めよ」
会館の最奥に座る老人が厳かに議題を告げる。
椅子に座ったカイリは自らに視線が集中するのを感じて居住まいを正した。可愛い弟子のためだ。いまくらいは普段の態度を改めるのもやぶさかではない。
老婆がカイリを見た。
「して、そのユオナはどこにいる?」
「この度の会議に招かれておらんのよ。あの娘は拾われ子でシュグラート族ではないゆえ、魔法石同期技術、つまりは秘技の存在を知らせるのはまずかろうとな」
「あぁ、そうであったな。明るく良い娘であるが」
「敬語がちと不味いが、師匠がカイリではな」
「あぁ、私が弟子に欲しかった」
「――話が逸れておる」
苦笑気味に老婆が話の軌道を修正し、カイリを見る。
「本人への設問や実技もせずに、十分な腕を持つとどう証明する?」
「こちらを」
カイリはこの会館まで道を照らしてくれた照明魔法具を机の上に置き、その設計図を並べる。
照明魔法具を分解して見せると、長老たちが笑みを浮かべた。
「これはこれは、まさしくカイリの弟子じゃ」
「このカイリの性格をまるで読み取れぬ精緻を極めた魔法陣。とはいえ、カイリよりもやや拙くはあるか」
「歳を考えれば素晴らしい才。私とて、あの年頃ではこのような魔法陣は描けなんだ」
「……まて、ユオナは義腕を持っておらぬはずだな?」
最奥に腰掛けていた老人がカイリに問いかけた瞬間、孫の作品を見て和気藹々としていた長老衆の雰囲気が一変し、真剣なモノとなる。
カイリは内心でにやりと会心の笑みを浮かべた。ユオナの才能に長老衆が真の意味で気付いた以上、秘技の継承は必ず通る。
「義腕を持たずにこうもぶれのない精緻な魔法陣を描くか……」
「弟子のユオナは努力を怠らないのはもちろん、細かな仕事のできる子です。秘技の継承権を与えて頂きたい」
「――当然よな」
カイリが頭を下げた直後、最奥の老人が意志を伝える。
長老衆も当然とばかりに頷きを返し、次々に意思を表明した。
「満場一致。ユオナを継承者と認める。朝のうちに発表を行おう」
最奥の老人が厳かに会議の終わりを告げると、空気が一気に弛緩した。長老衆は孫の成長を喜ぶような満面の笑みを浮かべて、やいのやいのと照明魔法具と設計図を回し見ては言葉を交わす。
これは、まだしばらく帰れそうもないなとカイリは苦笑して話に加わった。可愛い弟子の自慢話を遠慮なくできる機会だ。逃すはずもない。
※
朝、空が白み始めた頃になって村に看板が立てられた。
シュグラート族全体に関わる大事な決定があれば立てられるこの看板は二十三年生きてきたドナミンドもたった一度しか見たことがない。
その一度とは、近所の憧れのお姉さんカイリが齢十にして継承者と認定された時だった。どうにかして追い付こうと魔法具製作に打ち込んできたが、ついに自分も認められたのかと看板に書かれた字を読み、愕然とする。
『カイリが弟子、ユオナに秘技の継承権を認める』
長老会の決定は絶対だ。異を挟む者などいない。
看板の前にたむろしているシュグラート族の面々は口々に祝いの言葉を口にしていた。
「師匠ともども、凄い才能だね」
「義腕もないのによく認められたもんだ。よっぽど努力したんだろうな」
「これで名実ともにシュグラート族の仲間入りだ。いや、めでたい」
下唇を噛み、ドナミンドは看板の前を後にする。
ありえない、と口の中で何度も繰り返す。
魔法具の製作は二本の腕があればこなせるが、非常に複雑な魔法陣を必要とする魔法石同期技術は一切ぶれる事がない義腕の補助がなければ描けないはずだ。
継承権を持たないドナミンドが秘技に付いて知っている事は多くないが、秘技の継承権を得るための試験で出される魔法具を作るとすれば、ドナミンドは義腕の補助がなければ作れない。
それを、義腕を持たない余所者が学ぶという。
「ありえない」
一体どんな小狡い手を使ったのか、とドナミンドは不正ばかりを疑った。
本心では分かっていた。
カイリが弟子として認め、教育するような子供が不正を働くはずがないと。仮に不正に手を染めようとも、長老衆の前でそれが成功するはずもないのだと。
だが、認めるわけにはいかなかった。
同じシュグラート族で義腕を持つカイリならば分かる。だが、義腕を持たないハンデを自分の半分も生きていない子供が克服し、さらには数歩先を歩んでいる事実など、ドナミンドは認めるわけにはいかなかったのだ。
「俺に才能がないとでもいうつもりか――」
※
一カ月、二カ月と時は過ぎ、弟子のユオナの上達ぶりを長老衆に自慢して鬱陶しがられるようになり始めた頃。
カイリは長老の一人に呼び止められ、会館に赴いた。
ずらりと居並ぶのは長老衆。会議であれば事前に通達があるはずだというのに、なぜ集まっているのかと、カイリは不審に思いつつも用意された椅子に腰を下ろした。
「何の用?」
「ユオナの身が危険やもしれぬ」
「なに!?」
腰を浮かせたカイリを手で制して、最奥の老人が口を開く。
「今は信用できる者に安全を確保させておる。だが、師匠のお前にも話しておくべきであろう」
「……何が起きてんのさ」
「ユオナが秘技を継承する事に反対する者どもがおる」
「若手連中だろ。まぁ、あたしだって若手だが」
自分達の頭を跳び越えてユオナが秘技を継承する事を快く思わないグループがいる事はカイリも知っていた。
だが、それは自分の時にもあった事だ。わざわざ護衛まで付ける事態だとは思っていなかったのだが。
最奥の老人が手を組み、憤懣やるかたない様子で話す。
「余所者に秘技の継承権を与えた長老衆は耄碌した、新たな風を吹き込むべきだ。そう主張する輩もおる」
「醜い嫉妬だ」
「そうも言っておれぬ事態に、時代だ」
「……まさか、外と通じたっていうんじゃねぇだろうね?」
テーブルに身を乗り出すが、長老衆の様子から答えは分かっていた。
「反対派の何人か、昨日から姿が見えぬ」
「馬鹿が。だから継承権をおおっぴらに与えらんねぇのに」
会議の場で無作法に舌打ちするカイリを咎める者はいない。
戦争に用いれば革新的な技術だけに、継承権を与えるかどうかは腕だけでなく性格も考慮される。
シュグラート族は村一つで収まるほどの超少数部族だ。人口は三百人前後であり、戦争に巻き込まれればひとたまりもない。
だからこそ、魔法石同期技術は村の外に持ち出さず、他言無用の秘技として扱われているのだ。
「何時でも子供たちを逃がせるように準備しておくべきだろう。帝国の動きもきな臭い。場合によっては、関連資料を焼却する事になる故、各々資料を持ち寄れ。ユオナに対する教育は今後、カイリの家かわが家とする」
「こうなったら仕方がないね」
「ユオナは秘技をどこまで修めたのだ?」
「丸暗記とはいえ、理論は覚えてるよ。試作品も作らせたがまだまだ拙いね」
「二カ月であればそんなモノか。義腕が無い事を考えれば試作品を作れただけでも驚異的な才能だ」
「だろう?」
鼻高々に弟子自慢を繰り広げようとしたカイリの出鼻を挫くように、老婆が呆れたように言う。
「単純な師匠を持つ苦労性の弟子だけあって忍耐強いのだろうな」
「んだと、こら」
「――じゃれ合うな」
最奥の老人がたしなめると、カイリも矛を収めて会議に集中する。
「それで、避難先や経路はどうすんのさ」
「今、村の若手の動向を探っている。後手に回ってしまっているが、反対派の構成員もいくらかは割れている」
「他所と繋がったなら秘技も知られるはず。シュグラート族が絶滅するまで追っかけてくるかも知んないでしょうよ」
「失伝すれば話は別だ。この場にいる者は一人も生き残れぬだろうが」
「ちょっと待ちな。ユオナはどうなる!?」
確かにシュグラート族の一部しか秘技についての知識を持っていない以上、秘技を継承した者が全滅すればそれ以上シュグラート族を追う意味がなくなるのも道理だ。
しかし、継承途中のユオナの扱いはどうなるのか。
答えによってはユオナを連れて村を出奔する事も考えるカイリに、最奥の老人は当然のように告げる。
「無論、逃がす。まだ幼いあの子をむざむざ殺させるわけにはいかぬ。幸いというべきか、あの子はシュグラート族ではない。村を出奔しても他の民族に紛れて生きていくことは可能だろう。この村でのつながりは全て断ち切ってもらわねばならぬのは酷だが」
「そうか……そうなるか」
秘技を継承した時点でカイリも覚悟はできているが、ユオナを残して死ぬことになるのは気が進まない。
せめて別れが辛いものにはならないように願うが、これまでに築いた関係を思えば難しい願いだろう。
「まったく、後先を考えない馬鹿のせいで損をするのはいつだって、まともな奴だ」
恨むよ、とカイリは反対派に呪詛を呟いた。




