第十話 衛生害虫さん御一行
日が高く上ったのをカーテン越しに差し込む光の強さで確かめて、僕は欠伸を噛み殺しつつ丸まっていた背中を伸ばした。
目の前のテーブルには魔法陣が三つ。それと大きな紙が二枚あり、魔法陣の構成要素ごとに分解して意味を読み取る作業過程が描き上がっている。
紙を丸めて鞄の中に片付けた僕は水差しからコップに水を注いで飲み干した。
「コウ、ちょっといいですか?」
「ちょうど作業が一段落したところだから大丈夫だよ」
「勉強熱心で良い事なのです」
師匠面してうんうんと頷くユオナに苦笑する。
「それで、用事があるんじゃないの?」
「買い出しをお願いしたいのです。塩と食用油と、できれば貝の干物」
「貝の干物って、この辺りでも手に入るんだ」
「ちょっとお高いのです。でも、コウも魔法陣を読み解けるようになってきたですし、見習いとして認めてあげるのです。お祝いしてあげるのですよ」
「そっか。ありがとう。サラ、起きて。買い物に行くよ」
「サラがいるのです?」
不思議そうに首を傾げたユオナからはテーブルで死角になっているけれど、サラはソファーの上で丸くなって眠っている。
呼びかけるとサラの耳がピクリと動き、瞼が開いた。
「買い物……お供します」
寝起きで思考がはっきりしていないのか、サラは目を擦りつつ返事する。水の入ったコップを渡すと、一口で飲み干して目をパッチリ開いた。寝起きの良い子だ。
「それじゃあ、買い出しをお願いするですよ。これがお金なのです」
「分かった」
祝う相手を買い出しに行かせるのはどうなんだと一瞬思ったけれど、ユオナはあまり外には出たがらないから仕方がない。
僕はサラと一緒に地下工房へと赴き、デムグズの外へと続く地下通路を抜けて森に出た後、デムグズの防壁を潜って商店街へ向かう。
こんな面倒な遠回りをするのは、ユオナの家から直接出入りしているところをデムグズのチンピラに目撃されると、ユオナに対する人質にしようと絡んでくる輩が出ると懸念しての事。
「あれでも魔法具職人としてはデムグズで最上位の腕を持ってるんだよね」
「歳は私とあまり変わらないはずなのに、凄いです」
サラも感心しているらしい。
「時々思うんです。私がまともに生まれていても、あんな風になれたのかなって」
「さぁね。今までを比べて凹むより、これから追い付く方策を練る方がよほど建設的だと思うよ」
「やはりコウ様ですね」
「褒めてるの?」
「はい!」
尻尾がゆらゆらしてるって事は嘘ではないらしい。
とはいえ、勉強して分かったけれど、魔法陣はやはり僕やサラでは発動できない。別の人が魔力を込めた魔法石があれば発動は可能だったから、利用するなら魔力の供給元が必要になる。
対魔物の最前線ともなれば魔法具に魔力を供給する事を生業にしている魔法使いもいるとは思うけど、あまり頻繁に利用できるとは思えない。資金がどうしても必要になるからだ。
ただ、朗報もあった。僕の魔力は体内に留めておく分には魔法の発動や作用を阻害しないのだ。
この特徴はユオナによる僕の魔力の性質を調べる実験で判明した。ユオナ謹製の簡易版変装魔法を魔法陣で使用してみたところ、僕の魔力が体内にある間は変装魔法が作用したのだ。
教室からこの世界に召喚されたのも、僕が魔力の存在を知らずに体内に留めていたからなのだろう。これで、送還魔法で僕が日本へ帰れる可能性が出てきた。
まぁ、肝心の送還魔法が見つからないのが困り物だけど。
「……コウ様」
「サラも気付いた?」
「はい。帝国の軍人だと思います」
街中を歩き始めて三十分ほどの間にのべ十人の帝国軍人を見かけている。
「明らかに不自然です」
「理由は?」
「デムグズは反帝国の気風が強い街です」
「そうだね。だというのに、変装もしていない。何がしたいのか正直分からないね」
僕みたいに民族衣装を着て誤魔化す事すらしていないのは、任務遂行より優先されるくだらない矜持でも持っているのか。
勇者の訓練が終了し、対魔物の最前線へ送り込むにあたり、後方の憂いとなるこのデムグズに住む危険人物を洗い出して一斉検挙するための下調べ、なんて可能性も考えた。けれど、帝国の軍服に身を包んで聞き込みをしても、デムグズでまともな証言を得るのは無理だろう。
「性根腐りの帝国人は出てけ!」
生卵を投げつけられている帝国軍人が這う這うの体で店から転び出てくる。
「貴様、二等国民の分際で栄えある帝国軍――」
「うっせぇよ、腰抜け! ブンブンブンブン喚きやがって蝿あるどころか蝿そのものだろうが衛生害虫」
デムグズ仕込みの罵詈雑言は尖ってるなぁ。
それはともかく、やっぱり帝国軍で確定か。コスプレ集団という線は最初から想定していなかったけど。
僕は帽子を目深にかぶり直して、集まり始めた野次馬に紛れるようにサラと共にその場を後にする。
「なんで、帝国軍がこの街に来たのでしょうか?」
「さて、なんでだろうね。僕を追ってきた可能性もあるけど、妙な気もする」
先ほどの帝国軍人が着ていた服は帝都で見た魔法師団の制服と酷似している。今まですれ違った帝国軍人も同様の服だった。帝都で見た騎士団の制服とは作りが異なっている。
けれど、カレアラムの着ていた制服とは細部が違っていた。それが階級によるものなのか、所属によるものなのかが判別できないけれど、多分所属部隊が違うのだと思う。
僕を追いかけてくるならカレアラムの所属していた帝国第二魔法師団だと思ってたけど、所属部隊が違うならどう解釈するべきかな。
また帝国軍人とすれ違って、僕は乾物屋を覗き込む。
「また来やが――っと、客か。すまねぇ」
不機嫌な顔で怒り冷めやらぬといった様子で腰を浮かせた乾物屋の店主が僕とサラを見て椅子に座り直す。
「悪い、悪い。さっき一等下劣な国民様が訪ねてきやがってな」
「乾物屋じゃぶつける生ごみもないでしょうし、イライラが募るだけだったのは想像がつきますよ」
「ほんと、それな! お客さん、面白い事言うじゃねぇの」
膝を打って笑う乾物屋の店主に貝の干物を購入したいと告げて、商品を出してもらう。
「……コウ様の順応の早さにコツとかありますか?」
「相手の言動を学べばいいよ」
デムグズに来てから悪口に磨きがかかりはじめた自覚はある。研ぎ澄まされたキレッキレの悪口で相手の心をバッサリ出来るようになるまでそう時間はかからないかも。
「ほら、貝の干物各種だ。どれにする?」
「おすすめってあります?」
「全部おすすめに決まってんだろうがよ」
「出汁を取りたいんですよ」
「なら、こっちかこっちだな」
赤味を帯びた細長い貝と、乳白色でヒモが青紫色のホタテっぽい貝、二つを指差した店主に値段を確認して、片方をユオナからもらったお金で、もう片方は僕のポケットマネーで購入する。
「内陸のデムグズじゃなかなか貝の乾物は売れないから助かる」
「調理法とか触れ回ればいいんじゃないですか?」
「あぁ、その手もあるな」
買い物鞄に貝の干物を入れつつ、他に面白い物はないかと店の中を見回す。クラムチャウダーとか久々に食べたいけど、干物を戻しても味気ないな。
「帝国軍人は何でデムグズに来たんですかね?」
世間話の体で情報収集を試みる。
「魔法具職人を探してるらしい。最前線の方が需要もあって、優秀な職人が集まってるからな。シュグラート族の件もあって、魔法具職人は帝国への警戒心が強いだろ? 優秀な奴ほど帝国から逃げてるらしい」
「あぁ、勇者関連の動きですね」
といいつつ、色々と頭の中で点と点が繋がってとんでもない絵が浮かんでいるんだけど。
民族図鑑、もっとよく読んでおけばよかったかな。
魚の干物を追加購入し、商店街で塩や食用油も購入。帰路につく。
「サラ、追跡してくる輩がいないか注意しててね」
「はい」
デムグズを出てみると、帝国軍人が門の左に立って出入りする人を監視しようとしていた。
しようとしていた、というのはデムグズの住人に防壁の上から投げつけられたレンガを魔法で防ぐのに精一杯で監視どころではないからだ。
アウトローの街だけあって、帝国軍を排除するのに遠慮なんかない。顔はきちんと隠しているし、街道横の森から馬糞を詰めた袋を投げつけたりして嫌がらせもばっちりだ。
巻き添えを食わない内にさっさと森の中へと避難して、僕はサラと一緒に隠し通路へ向かう。
「追手は?」
「いないです」
「なら、このまま帰ろうか」
地下通路を歩きながら、思考を巡らせる。
帝国軍の魔法師団らしき者達が街中を歩いていた事はユオナにも伝えるべきだろう。
魔法具職人を探す帝国軍。森に仕掛けていたはずなのに消えたユオナの魔法具。それに使われていただろうユオナが隠している技術。
状況証拠ばかりだけど、多分、ユオナがシュグラート族の生き残りで魔法石の同期技術を持っていて、それを使用した魔法具を森で回収した帝国軍が血眼になってユオナを探している。多分、今はそういう状況だ。
ユオナが何も言わない以上は僕が関わるのもおかしな話ではあるんだけど、もしかするとデムグズに帝国軍が来た原因は僕かもしれない。
そうなると、何らかの形で責任は果たすべきなわけで。
「サラ、もしかするとデムグズで帝国軍と一戦交えることになるかも」
「分かりました」
「あいつらは帝国魔法師団だと思う。むやみに突っ込まないように気を付けてね。作戦は帰ったら練ろう」
相手が魔法師団である以上、僕の魔力の使い方次第では一瞬で無力化できる。
ただ、デムグズの街中で僕の魔力を晒すのはリスクが大きい。
どうしようかな。




