第七話 実戦訓練
メイリー族が住む町ソットにて、勇者たちは実戦訓練を行っていた。
帝国騎士による護衛が付き、勇者四人で一組とした森の中での魔物討伐訓練だ。
「騎士さんさぁ、あんたらが戦えばよくね?」
うんざりした顔で森の中を歩く桃木が背後に控えている騎士に問いかける。
「それでは訓練の意味がない」
「あったま悪いな。訓練してやる義理がないって言ってんの」
「城にて生活の面倒を見ているのは皇女殿下だ。報いようとは思わんのか!?」
「はぁ!? あんたらが無理やり拉致ったんでしょーが。拉致っておいて生活の面倒見るから感謝しろって馬鹿なの? マッチポンプじゃん!」
歯に衣着せぬ物言いで食って掛かる桃木を止める者はいない。
この場にいるのは桃木と共に訓練を受けることになった吉野、品原、田宿、そして騎士が二人だけなのだから。
騎士に喧嘩を売って足を止めている桃木に、友人の品原が声を掛ける。
「モモちー、この人たちを前にして歩かない?」
「シナ、たまには良い事言うじゃん」
「たまに言うから際立つもんでしょー」
へらへら笑いながら品原は桃木に返して、二人そろって騎士の背中側へと回り込む。
警戒した騎士が背中合わせになって桃木と品原、そして吉野と田宿に相対する。
田宿がため息を吐いて、吉野を見た。
「吉野さん、桃木さんたちと一緒に騎士の後ろを付いていこう。そうしないとこの訓練がいつまで経っても終わらない」
そう言って吉野の返事も聞かずに騎士を迂回して桃木たちと合流するべく歩き出した田宿を見て、騎士たちも警戒を緩めた。
吉野も田宿の後を追って回り込む。
桃木が舌打ちしかけた時、品原が田宿を見てケラケラ笑い出した。
「いま気付いたけど田宿君ハーレムじゃん」
「騎士もいるでしょ」
「中身が男か女かわからないっしょ、あれ」
品原は笑いながら騎士二人を指差す。どう見ても鎧の中身は男性で、先ほど話していた時の声から考えても間違いなかったのだが品原の記憶からはすっぽり抜けているらしい。
「こういうのなんだっけ、シュレッダーの猫?」
「グロい言い間違いしてるけど、それ、シュレーディンガーの猫だよ」
品原の猟奇的な言い間違いを正した田宿だったが、猟奇性はまるで損なわれていない事に気付いていない。
品原は感心したように頷くと田宿と肩を組んで顔を近づけた。
「そうそう、そのカッコいい名前の奴。田宿君オタクだから詳しいね」
「量子力学の話だからオタク関係ないよ」
「この距離でも平然としてるって、田宿君もしかして女慣れしてる?」
「してないし」
「……硬くなってる?」
「……何が?」
「確かめていい?」
即座に田宿は品原の腕を払いのけて距離を取った。
予想していたように品原は大笑いしながら田宿を指差して、呆れた顔をした桃木から頭にチョップを貰っていた。
「痛ったー。モモちーなにすんの。シュレーディンガーの股間を確かめようとしただけじゃん」
「セクハラでしょーが。なんだその語呂の良いフレーズは」
「モモちーも笑ってんじゃん」
「う、うっさい」
「モモちーってわりと下ネタ好きだよね」
「うっさいってーの。行くよ」
「はいはーい」
歩き出した桃木に笑いながらついていく品原、警戒するような距離を空けて続く田宿に、吉野も並んだ。
結局、騎士たちは後ろからついてくるだけだ。
何事もなく事態が収拾してほっと息を吐いた吉野だったが、身体強化で鋭さが増した聴覚が前方の物音を拾う。
「桃木さん、前に何かいる」
「シナ」
「スパイク・ロック」
味方に注意を促すために魔法名を口にしながら品原が魔法を発動する。
直後、前方の森に高さ二メートルほどの石が四つ出現する。どれもが一メートルほどの鋭い棘に覆われていた。攻防一体の壁として使われる魔法である。
スパイク・ロックの魔法で防壁が完成したのを見て取り、桃木が前方の森へ右手をかざす。
「追尾ヒール」
桃木が独自に作った魔法名を口にした瞬間、淡い桃色の光の塊が森の中へと二つ飛んでいく。
森の中へ吸い込まれた桃色の光は、森の奥で何かにぶつかって弾けた。弾けた桃色の光に照らされてうっすらと相手の形が浮かび上がる。
「相手は二。魔物で間違いない」
数を確認した桃木が吉野を振り返る。
吉野は震える手で剣を抜き、スパイク・ロックの横に立つ。
桃木が放った追尾ヒールで向こうも位置を特定したらしく、森の奥から鶏のような四本足で走ってくる巨大なトカゲが見えた。
数は二体。
正面からまともにぶつかれば弾き飛ばされるのは間違いないと、吉野は剣を構えたまま魔法名を口にする。
「フォールダウン!」
直後、吉野の前方十メートル先に深さ三十センチほどの穴が開いた。
トカゲのような魔物の一体が穴に足を取られて転ぶ。しかし、後続のもう一体は倒れた仲間を踏みつけて穴を越え、迫ってきていた。
「――ひっ」
「この馬鹿」
吉野が小さく悲鳴を上げた直後、横から手が伸ばされる。
ぐいっと防壁の陰に吉野を引っ張り込んだ桃木が田宿を振り返る。
「田宿君、騎士に任せてもいいよ」
「いや、大丈夫」
軽く答えた田宿は足元の地面に右手を置いた状態から、走ってくる魔物を睨み据える。
「アイスバーン。スパイク・ロック」
田宿が二つの魔法をほぼ同時に発動する。
アイスバーンの魔法で凍結した地面に足を取られた魔物が慣性のまま滑り始める。その進路上に作り出されたスパイク・ロックは品原の防壁とは異なり、一方の面だけに無数の棘が生えた剣山のような岩だった。
トカゲの魔物は急制動をかけようと鶏の鉤爪に似た足で地面を引っ掻くが、つるりとした地面は鉤爪でも捉えられない。
なすすべもなくスパイク・ロックに衝突したトカゲの魔物は頭を無数の棘に串刺しにされて即死した。
吉野が作った地面の窪みに足を取られていたもう一体の魔物は仲間の死に怒りの声を上げる。
そんな魔物に対して、防壁の横からひょっこりと顔を出した品原が人差し指を向けて魔法名を口にした。
「スパイク・ロック。フォールダウン」
魔物の足元に巨大な穴が開く。落ちたその先に待っていた棘だらけの石に全身を貫かれた魔物が断末魔の叫びをあげた。
「うっざ」
魔物の喧しさに顔をしかめた桃木が舌打ちする。
「吉野さん、他に魔物いる?」
「……いないみたい。さっきは助けてくれてありがとう」
「べっつに」
「――モモちーまじ紳士じゃん」
「うっさいぞー」
品原に揶揄されても桃木は適当に返し、かなり強い視線で騎士二人を一瞥する。
「役立たず」
騎士たちがまるで動こうとしなかった事も、吉野が反応するまで魔物の接近に気付いていなかった事も、桃木には分かっていた。
戦闘態勢を取る事もせず、護衛であるにもかかわらず戦闘力の低い桃木を庇える位置にもいなかった。それどころか、距離をおいてさえいたのだ。
「あんたらさ、身体強化もまともにできてないでしょ?」
「出来る」
「あっそ。ならずっとやっとけよ。護衛だろ。いざって時に使えねーとか護衛の意味ないっしょ」
完全に見下して騎士から視線を外した桃木が吉野の手を引いて歩き出す。
「吉野さん、索敵だけお願い。シナ、いつでも防御できるようにしといて。田宿君、いざとなったら逃げるから、アイスバーンかフォールダウンの準備しといて。この騎士ども監視役しかする気がない」
「モモちーリーダーかー。つーか、あの騎士って実戦慣れしてないっぽくない? 反応がさっきのよしのんと同じだったよ」
指示を出す桃木に異を唱える事もなく、品原が後ろから歩いてくる騎士二人を指差す。
田宿も頷いた。
「騎士も魔法使いも、帝国の軍隊は貴族とそれ以外で分けてあるらしい。貴族は箔付けのために軍属になっただけで実戦経験がないのかもな」
「はぁ、帝都に戻ったら勇者の護衛を務めましたってドヤ顔自慢するってわけ? あたしらがお守してるじゃん。死ね」
ヒートアップしている桃木たちに合わせるのもはばかられて、吉野は身体強化をした状態で耳を澄ませる。
索敵をしながら出来るだけ冷静に考える。
桃木の指摘通り、護衛役の騎士たちは魔物に反応していなかった。距離を取っていたのも吉野は目撃している。
だが、剣の柄に手をかけていただけでなく、その視線は魔物でも勇者でもなく森の中へと向けられていたのだ。
明らかな戦闘態勢を取りながら、魔物を勇者に任せて次に来ると想定される脅威に備えるような行動だった。
仮に推測が正しいのなら、護衛の騎士たちは何に備えていたのか。
――身体強化もせずに。
しかし、騎士たちの構えは身体強化を前提とした剣術の型に沿っていた。
吉野の魔力は身体強化と魔法の二つに適性を持つ器用貧乏な物であり、両方の訓練を受けている。だからこそ、その基本に忠実な型には見覚えがある。
あまりにも中途半端な行動は確かに実戦慣れしていないとも取れる。だが、吉野にはもう一つの可能性に心当たりがあった。
精霊に疎まれる魔力の持ち主故に魔法を打ち消せる可能性がある、杉原巧の存在だ。
今森の中で実戦訓練を行うためにばらけている勇者たちとその護衛。もしも杉原巧がいじめの復讐を目論んでいたなら、これほど奇襲にうってつけの状況はないだろう。
そうでなくても、杉原巧は帝国の魔法使いを殺して逃亡した疑いがある。騎士が警戒するのは当然だろう。
だが、警戒しているのなら、杉原巧が生存している可能性が高い。さらにこの森にいる可能性もある。
そして、吉野のようなイジメに加担した者は、杉原巧を殺さなければ日本に戻っても安堵できない。安穏とした生活が送れない。
殺さなければいけない相手がこの森にいるのだとすれば、訓練にかまけている場合ではない。
吉野は緊張しつつ、桃木たちを横目で見る。
意を決して、吉野はすぐ横の森へ顔を向けた。
「杉原君の声がする!」
少しわざとらしかったかもしれない、そう思ったのも束の間だった。
騎士たちが即座に剣を抜き放ち、吉野が見た森へ駆けこんだ。
騎士たちの素早い動きを見て、桃木や品原が呆気にとられたように立ち尽くす。
吉野は駆け出そうとする桃木たちを手で制して、口を開いた。
「ただの鎌掛けだったんだけど、騎士の人達が本当に警戒していたのは魔物じゃなくて、杉原君だったみたいだね」
「……そういう事か」
吉野の行動の真意に気付いた田宿が森から出てきた騎士たちを見つめる。フルフェイスの兜をかぶっている騎士たちの表情はうかがえないが、騙された事に対する苦々しさが雰囲気から読み取れた。
「この周辺で杉原の痕跡が見つかってたんだ。勇者の実戦訓練も嘘じゃないけど、俺たちと杉原が繋がっていないかとか調べるための囮でもあったんだな」
「護衛ですらない暗殺者ってか、この騎士共」
桃木が呟くと、騎士たちは吉野たちに近付かず、剣を構えたまま対峙した。
だが、桃木は小さく噴き出すと交戦の意思はないと示すように両手を上げた。
「つまりさー、帝国は杉原を殺したがってるってことっしょ。なら協力するに決まってんじゃん」
くすくす笑いながらの桃木の言葉に、騎士たちは動揺したように顔を見合わせる。兜が邪魔で互いの表情は読み取れなかっただろうが。
そんな騎士二人を見て、品原が手を叩く。
「杉原殺しだけなら協力するよね、ふつー。双方にメリットってやつ?」
笑い合う桃木と品原の隣で、吉野もほっと安堵の息をついた。
「そうだね。私が殺さないで済むかもしれないし。杉原君を殺してくれるなら嬉しいです」
三人で笑い合う女子を見て、騎士の方も本心から言っていると判断したらしく構えを解く。
そんな彼女たちを輪の外から眺めながら、田宿は小さく呟いた。
「こいつらきめぇわ――」
数日後、杉原を発見できないまま勇者たちは帝都へと帰還する。
しかし、一部の勇者は騎士たちとの協力関係を強化した。反面、少数派ながら騎士への協力に消極的な勇者が番川、田宿を中心にまとまりつつあった。




