第六話 魔法具職人
浴室にて一糸纏わぬ邂逅を経た後、場所を移してリビングにて、服を着た少女と差し向かいで面談中。
「サラーこっちきてー」
「はい、ただいま――誰ですか?」
「リオンだってさ。偽名でなおかつ変装していたみたい」
「身長も体格も、性別も変わっているように見えますけど……」
「変装用の魔法具みたいだね」
暗殺かと身構えて浴室に充満させていた僕の魔力が脱衣所へと流れ込み、魔法具の効果を打ち消したことで変装が解けたらしい。
真っ赤な顔で俯いている少女は僕より三歳くらい年下だろうか。身長が低めでサラ以上に体の凹凸も少ない。今は三つ編みにした茶髪を背中に垂らしている。ラッガン族のような獣の耳や尻尾はない、僕と同じ人種に見える。帝国人はコーカソイドのような特徴を持っていたけれど、目の前の少女はどちらかというと東南アジア系に近い。
多分、この世界で帝国が規定するところの少数民族なんだろうけど、よく分からない。
「まず、けじめとして、謝らせて。ごめんなさい」
僕は丁寧に頭を下げる。ほぼ不可抗力とはいえ、裸を見たのは事実だ。
少女は真っ赤な顔のまま横を向き、ぼそぼそと喋る。
「入っているのに気付かなかったのはこちらなのです。裸を見たのはお互い様なので、なかった事にしてほしいのです」
「では、そういうことで」
「そういうことなのです」
……予想していたけれど気まずい。
僕はサラに視線で助け舟を求める。
目があったサラはきょとんとした顔をしたものの、何が嬉しいのか尻尾を上機嫌に左右へゆらゆら。飼い主と目が合うだけで嬉しくなっちゃう系ワンコか。
元々対人スキルの低いサラに助け舟を求めても解決しないのは分かり切った事だった。僕の選択ミスである。
割と、僕も動揺しているようだ。
深呼吸をして気分を落ち着ける。どぎまぎしている場合ではないんだから。
「もうバレてしまっていると思うから話してしまうけど、僕の魔力は魔法を打ち消す力がある」
少女の変装魔法を解いた方法、庭のトラップをことごとく不発にした方法として、僕は自身の魔力の性質を限定的に説明した。
精霊を追い払う力がある事は伏せておく。何ができるかを全て予想できるような情報は与えるわけにいかない。
少女は小さく頷いた。
「それで『どっかそこらのだれかさん』を打ち消したのですか」
「『どっかそこらのだれかさん』って、リオンに化けていた変装魔法?」
「そうなのです」
ネーミングセンスさんが悶絶してそうな魔法名だ。
「トラップ魔法具が発動しないのも納得なのです。魔法使いも魔法具職人も形無しじゃないですか」
はぁ、と見た目の年齢にそぐわない苦労が窺える深いため息を吐いた少女は僕とサラに向き直る。
「改めて、ユオナと申しますです。姿を偽っていた事は謝るのです」
「いや、こんな街だし、出自を隠すのは多かれ少なかれ誰でもやってるよ。むしろ、不可抗力とはいえ暴いてしまってすみません」
「こちらこそ、コウの魔力の性質を暴く形になったのです。すみません」
互いに頭を下げ合い、交渉に入る。
「では、僕はユオナの姿や名前、変装魔法について黙秘するという事で」
「では、コウの魔力については秘密にするのです」
「交渉成立だね」
「一方的に知られなくてよかったのです」
「本当にね。弱みを握られるところだった」
僕の方はまだ全部を知られたわけではないから、気を抜くわけにもいかないけれど。
いや、ユオナも同じか。なぜあんな手の込んだ変装をしていたのか分からないんだから。
二日に一度は喧嘩騒ぎがあるアウトローの街だから少女のユオナが引き籠るのも素性を隠すのも変装するのも、大しておかしくはない。そもそも何故少女が一人暮らししているのかっていう疑問はあるけれど。
僕が今一番気にするべきは別の事だ。
「失礼でなければ聞きたいんだけど、魔法具はユオナが作ってるんだよね? リオンって魔法具職人が別にいて、今は留守にしているからユオナが成り変わって時間を稼いでいたとかではなく」
「その点は大丈夫なのですよ。リオンはあくまでも変装用に用意した姿で、元にしている人物もいないのです。素材も頂いた以上、魔法具はきちんと作るのです」
「それを聞いて安心したよ。なら、僕は部屋に戻ろうかな」
話を打ち切って椅子から立ち上がった時、ユオナが口を開いた。
「――ちょっと待ってほしいのです」
「なに?」
まだ何かあるのかとユオナを見る。
ユオナは躊躇うような、言葉を選ぶような間を開けてから意を決したように顔を上げた。
「詮索するつもりはないのです。ないのですが、コウの魔力を調べさせてほしいのです」
ユオナの頼みごとを聞いた時の僕の顔は、自分でわかるくらいに警戒心が篭っていた。
ユオナが怯えて身を竦ませたのに気付いて、僕はため息を吐く。
「理由は?」
とりあえず話を聞く姿勢だけは取り繕って、僕は椅子に座り直す。ついでに僕以上の警戒を見せているサラを押しとどめる。
身体強化まではしていないけれど、すでに腰に下げた鉈の柄を握っている。テーブルの下に隠れているからユオナは気付いていないようだ。
知らぬが仏とも言うし、わざわざ言わないけど。
「コウの魔力を調べておかないと庭のトラップに信用が置けないのです」
「あぁ、それは言えてる。僕と同じような魔力の持ち主がいないとも限らないしね」
「そうでなくても何らかの魔法具で代用できるかもしれないのです。対策を立てないと」
「でもさ、僕にはデメリットしかないよ。手の内を晒すことになるんだから」
交渉の体をなしていない事を指摘すると、ユオナも僕の返しは想定していたらしく小さく頷いて続けた。
「魔法陣について教える、というのはどうです?」
最初にこの家を訪ねた時に話したことを覚えていたのか。切り出す手間が省けた。
「こちらの目的にも合致するからありがたい申し出だけど、どれくらい詳しく教えてもらえるかにもよるね」
「コウたちがどれくらいここに滞在できるかにもよるのです。基礎ならそう時間はかからないと思うのですが」
「滞在期間か……」
あまりここに長居する事は出来ない。
クラスのケダモノ連中がソットでの実戦訓練を終えて帝都に戻ったとの噂もある。勇者に関する話題は注目されている事もあってすぐに広まるけれど、通信技術も未発達なこの世界ではどうしても噂の伝播に時間がかかる。
今この時、勇者が訓練の最終工程を終えて最前線に向けて出発している可能性だってあるのだ。
おそらく、お披露目のパレードをするはずだからその噂が広まってから動き出そうと思っていたけれど、具体的に何時とは確定できない。
「すぐに出発するかも知れないし、まだ先かもしれない。何とも言えないけど、三日は確実かな」
「コウたちの目的が何かわからないので必要な事だけを教えるというのも出来ないのです。中途半端に終わる可能性を考えると、あまり専門的なことまでは触れらないと思うのですよ」
「まぁ、そうだよね」
どうしようか。この流れなら召喚魔法陣の解析を依頼する事も出来るけど、ユオナをいまいち信用しきれない。
悩んだけれど、魔法陣についての知識があるとないとでは大違いだ。
「分かった。基礎的な魔法陣について教えて。それが終わり次第、僕の魔力の調査をしてもいいよ。基礎的な魔法陣を教わるだけ教わって姿を眩ませる事もないと保証する。僕の魔力に関しては最低三日間の調査期間を保証する」
「凄い自信なのです。基礎とはいえ、魔法陣を一から学ぶのは大変なのですよ?」
「だろうね。とりあえず、魔法陣の構造的な話を理解した上で三つの魔法陣を分解、解析、再構築できるくらいにはなりたいんだけど、どれくらいかかる?」
「簡単な魔法陣に絞ればそんなに時間はかからないのです。いくらか学んだあとで本を読めば自己学習もできるのですよ」
「じゃあ、日程としては、僕が魔法陣を三つ、理解して利用、応用できるようになったら、僕の魔力の調査を解禁、同時並行で魔法陣についての講義をさらに進めてもらう。すぐに出発することが決まったとしても、最低三日は魔力の調査に協力する。こんなところでいい?」
交渉内容をまとめると、ユオナはすぐに頷いた。
「それでいいのです。さっそく、魔法陣の講義を始めるですが、サラも学ぶのですか?」
「今回の交渉で提供するのは僕の魔力だから、サラは無関係。僕の理解度に応じて講義を進めて」
僕はともかく、学び慣れてない上に文字も読めないサラまで魔法陣を学ぼうとすれば余計に時間がかかってしまう。
サラが学びたがったら僕から教える事にしよう。
そのためにも、しっかり学んでものにしないと。
「サラもそれでいい?」
「はい。私が口を挟めることでもないようですし」
「ラッガン族は身体強化魔法の適性が高すぎて魔法陣や魔法具への適性が著しく低いのです。学んでも生かす場面がほとんどないと思うのです」
ユオナがサラを見ながら口にした言葉に引っかかりを覚えて、僕はユオナに問い返す。
「適性が低い?」
「はいです。魔法陣にしろ、魔法具にしろ、魔力を込めないと発動しないのです。魔法石に魔力を蓄積して代金を得て生活する魔法使いがいるくらい、魔法陣や魔法具は魔力の質に大きく影響を受けるのですよ。発動しない事はないと思うのですが、常人より多大な魔力が必要になって効率が悪いのは間違いないのです」
それはまた、予想以上に使い勝手が悪い。
僕の魔力では発動しないと判ってはいたけど、サラの魔力でも効率が悪いとなると、代金を払って魔力を込めてもらう以外に使用方法がないって事になる。
それでも、魔法具を使えれば戦略の幅が広がるから利用しない手はないけど。
上手くいかないものだ。
「まぁ、サラは訓練とか文字の読み書きとかに時間を使っていればいいよ。僕が居なくなっても一人で生きていけるようにしないとね」
僕の戦闘能力を考えるとどこかでぽっくり死にかねないし、そうでなくても地球に戻るのだ。
今のうちに色々と学んで、自立できるように促さないと。
「はい……」
少ししょんぼりしたように力が抜けた尻尾を垂らして、サラは返事をした。




