第十一話 十個の頭の魔物
どういう状況だろう、これは。
村に戻ってみれば、無人の畑がお出迎え。まだ日も高いこの時間、畑を放置するとは思えないのに。
「こ、コウ様!」
駆け寄ってくるサラに、僕は村の方を指差した。
「村の中にも誰もいないみたいだけど、何が起きたの?」
「そ、それが誰も何も教えてくれなくて、それで――」
「落ち着いて。村の連中がどこに向かったかを教えて」
「あっち、です」
サラが指差したのは僕が歩いてきた方角、つまりはソット方面だった。
しかし、僕はソットからここまでに村の連中とすれ違っていない。つまり、村の連中は街道を外れて移動していることになる。
僕を避けたわけではないだろう。猟師小屋を出た事は監視役のおじさんから村に伝わるとしても、僕を避けて魔物が跋扈する森の中を歩く意味が分からない。
可能な限り早くソットに向かう必要があったのかな。
わからないけれど、ここが危険なのは間違いなさそうだ。
「猟師小屋に戻って荷物を持って出発するよ。急いで」
「は、はい!」
サラと一緒に猟師小屋へ駆け戻る。
「村の連中は何か持っていたりした?」
「貴重品を持って行け、と指示を出している声がしました」
こういう時、ラッガン族の耳の良さは役に立つ。
貴重品を持って行くのならこの村にしばらく戻ってこないつもりか。もしくは貴重品が盗まれる、破損する可能性があるのか。
盗賊でも来るのか。それなら目につきやすく追手が追いつきやすい街道を避けたのは悪い選択ではない。
考えても埒が明かないと知りつつも、僕は魔物の干し肉などの荷物をまとめながら思考を巡らせ続ける。
あらゆる事態を想定して心構えを作るべきだ。
「……コウ様!」
不意に、サラがはっとしたように顔を上げて僕を呼んだ。
「何か来ます。森から、大きなモノが」
「魔物?」
「分からないです。凄く、重たい音がします」
「慎重に、物音を立てないように小屋を出るよ。残りの荷物は諦めよう」
サラを促して小屋の外へと出る。
村を囲む森へ目を向けて、ソレに気付いた。
「――なんだ、あれ」
木々が作る森の中にあって、頭一つ抜けた巨体が村へと向かってきている。
この世界で色々な魔物を見て来たけれど、ソレは一際異質だった。
木々の隙間から見える胴体らしき円筒形、まるでイソギンチャクのようだけれど、その体を支えているのは芋虫のような無数の足だ。
鈍色の鱗らしき物に覆われた胴体はイソギンチャクと同様に無数の触手のようなものが天辺から伸びている。紫色をしたその触手には茨のようにいくつもの棘が付いている。
加えて、無数にある触手の内十本には先端に目、鼻、口、耳を備えた球体が付いていた。頭なんだと思うけど、ゲシュタルト崩壊したみたいにそれが頭だと認識できない。頭のはずだ、頭だと思う、頭なんじゃないかな。
あぁ、混乱する!
僕は頭を振って一度深呼吸をした後、荷物を担ぎ直す。
「サラ、アレが何かわかる?」
「見た事ない、です」
「分かった。多分、村の連中はアレから逃げたんだと思う。僕らも逃げ――」
あ、やばい、目があった。
魔物らしきソレの頭部らしきモノの一つの目らしき――ややっこしい!
僕はすぐにサラの手を引いてソット方面の森へと駆けこむ。
魔物から視線は外さない。距離があるせいで僕の魔力が届かないけれど、十分に距離があるのだから逃げ切れるかもしれない。
ソットへ向かって移動し、あの魔物を押し付けて姿をくらませればベター。ソットに到着する前に僕らを見失ってくれればベスト。
けれど、状況は悪化の一途をたどるらしい。
「炎魔法!?」
魔物の十個の頭がそれぞれ炎の塊を準備しているのが見えて、僕は体の向きを反転させ、街道へと出る。森に延焼して火に巻かれたら対処のしようがない。
魔物が魔法を一度に放ってくる。街道左右の森に着弾した炎は青々とした木に火をつけた。
簡単に延焼はしないか。これなら森の中を逃げるのも悪い手ではなさそうだ。
そう思った瞬間、魔物がその巨体からは想像もつかない速度で向かってくる。
無理だ、逃げ切れない。僕は身体強化が使えないのだから。
サラの手を離し、僕は魔物の方を向く。
僕の魔力が届く範囲までおびき寄せれば、身体強化を強制解除させ、反動で殺せるかもしれない。向こうが使ってくる魔法が厄介だけど、僕一人の身を守る程度なら何とかなるかもしれない。
「――コウ様!?」
引き留めようとするサラの手を振り払って僕は方向を百八十度転換。魔物に向かって走り出す。
魔物は向かってくる僕の処理が優先と判断したのか、十個の頭部で複数の魔法を準備し始めた。
まとめて制御を奪ってやる。
魔力を周囲に展開し、足を止める。どんな魔法が来るのかを注意深く観察する。
さっきと同じ巨大な炎の魔法。加えて魔物の頭の上には炎の三倍近い大きさの水の塊。
それに、何か音が聞こえる。――風?
あいつ、自分の炎魔法に風をぶつけて火事を起こすつもりか。
確かにまとめて焼き払ってしまうのが手っ取り早いとはいえ、周りの被害を完全に無視するとは。
止めていた足を再び動かす。
あいつが魔法を使う前に距離を詰めて、炎魔法が森に炸裂する前に僕の魔力で消去するしかない。広範囲を焼き払われたら僕だけじゃなくサラまで巻き込まれる。
魔物の十対の目が僕の一挙手一投足を観察し、魔法を放ってくる。
間に合わない。
撃ちだされた巨大な炎の塊は追い風を受けて膨れ上がり、僕ごと周囲を焼こうと広がり始める。
僕は頭上に魔力を薄く広く展開した。範囲は五メートル四方。炎の方が大きい。
けれど、少なくとも僕と後ろのサラは守れる。
「コウ様!」
悲鳴交じりにサラが僕を呼んだとき、炎が僕の魔力に触れて消失する。
「――え?」
呆気にとられたようなサラの声が聞こえた直後、打ち消されなかった熱が風に乗って僕の全身を包み、吹き抜けた。
肌がひりつくような痛み。けれど、火傷までは負っていないのか、痛みは風が抜ける一瞬の事。
すぐに思考を切り替えて魔物を見る。
「サラ、僕の戦い方は他言無用だ。誰にも話すな。話したら、僕の敵だ。必ず殺す」
「ひっ……」
怯えたような声を出すサラを無視して、僕は魔物の次の動きを観察する。
向こうも魔法を打ち消されたのは想定外だったらしく、戸惑う気配がある。仮にブラフだったとしても、その誘いに乗って距離を詰めれば決着だ。
僕は魔物まで一気に駆ける。距離は百五十メートル。最低でも十メートルまでは距離を詰めたい。たどり着くまでに要する時間は十七秒前後、魔物が次の攻撃を仕掛けるには十分な時間。
距離を詰める僕に脅威を感じたらしい魔物が十個の頭を一か所に集める。触手の先に着いたその頭の先に形成されていくのは岩の塊。それも、赤熱して表面がドロリと溶けた、溶岩のような塊だ。
ぼこぼこと泡立つその溶岩の塊が僕を呑みこめるほどに大きくなった直後、先ほどの炎の塊を上回る速度で撃ちだされる。
すかさず魔力を正面に展開。魔力の板で溶岩の塊を右へと受け流すイメージ。
溶岩の塊が僕の魔力に触れた瞬間、ゴロゴロと斜面を転がるように魔力の板に沿って僕の右側の森へと流れていく。電車の窓ガラスに着いた水滴が後方へと流れて行くような動きだった。
カレアラムの魔法にやったように魔力で包んで流用するべきだったと、受け流してから気付く。まだまだ実戦経験が足りていない。
経験したいものではないけど、こんな世界だ。逃げられない定めだろう。
だが、どうでもいい。
「間合いだ!」
魔力で作った格子を叩きつけるイメージで魔物にぶち当てる。
ぎょろり、と魔物の目が僕を睨みつけた。
――目が死んでいない。
ぞっとして、僕は横に跳ぶ。
直後、僕がさっきまで居た場所に触手の群れが殺到した。鞭のようにしなる無数の触手が地面に数十の細かい亀裂を作りだす。
僕の魔力が効かない?
いや、違う。
身体強化をしていない!
「ちっ――」
動揺を吐きだすために舌打ちする。
魔物は全て身体強化しているんだと思っていた。事実、今までの魔物はそうだった。
例外がいる事を知れたのは嬉しいけど、このタイミングは最悪だ。
後ずさりしながら距離を取る。
身体強化をできない僕、身体強化をしていない巨大な魔物、どちらの動きが機敏かはもうわかっている。魔物の方だ。
腰の革ベルトに固定している投げナイフにそっと手を伸ばして、隙を窺う。彼我の距離は十メートル。考えてみると、あの触手ずいぶん長いな。
ゆっくりと後ずさりする僕に魔物は追撃を仕掛けてこない。警戒している?
あぁ、こいつの顔は本当に認識しにくい。常時ゲシュタルト崩壊しているせいで目があったと思うと認識が崩れていく。視線がどこに向いているのか確証が持てなくなる。
とにかく距離を取らないと――まて、距離が近くなってないか?
違和感を覚えた瞬間、魔物の身体が一気に距離を詰めてくる。
顔に注目させて認識力を崩壊させながら徐々に距離を詰めてきたんだ、こいつ!
僕を逃がすまいと長い触手を左右に大きく広げて迫ってくる魔物。僕なんかより圧倒的に速く、力強い動きだ。大型トラックが迫ってきたらこんな威圧感になるだろう。
咄嗟に投げナイフを投擲する。狙いは奴の十個ある顔の一つ。怯んでくれれば儲けもの。同時に後方に飛び退きつつ体の向きを変えて森の中に逃走する。
奴は僕の投げナイフを警戒して足を止め、身体の前に石の壁を造りだす。僕が投げたナイフは石の壁の一部に突き当たり、弾かれた。
しかし、魔物は石の壁で一時的に視界を塞いだことで森に隠れた僕を見失っている。
このまま逃げてしまえば、と考えたところでサラの方を見た。
駄目だ、完全に怯えて腰が抜けている。自力で逃げられそうもない。
僕は一直線にサラの下へと駆け戻る。
「サラ、逃げろ!」
「え? ど、どこへ?」
駄目だ、まだ自力で考えて動くことに慣れてないせいで指示待ちになってる。
「森だよ、早く!」
はっとしたようにサラは立ち上がろうとするも、魔物は見失った僕を諦めてサラへと標的を変更したらしかった。
魔物が巨大な炎の塊を形成する。僕が標的でなければ打ち消されないと踏んだか。
僕とサラとの距離は百メートル以上。完全に間に合わない。
障害物もない街道上のサラへと炎の塊が撃ちだされた。
周囲の被害など考えず周りの森ごと焼こうとするその炎を見て、逃げ場がない事を悟ったサラが足を止める。
「諦め癖は治せ!」
サラに叫びながら、僕は森から街道へと飛び出す。
ちょうど、魔物とサラの中間地点。炎の魔法が迫りくる――事はない。
「〝捕獲〟完了」
展開した魔力の膜で覆った炎の魔法の動きを完全に停止させる。
「……え、なんで?」
目の前で起きたことが理解できないのか、サラが呆然と呟いている。
けれど、答えている暇なんてない。
僕の姿を認めた魔物がすでに動き始めていた。
僕はカレアラムの時のように炎の魔法を圧縮、変形させて剣の形を作り出し、再度魔物との距離を詰めるべく地面を蹴る。
圧縮した炎の魔法が白く燃え、白光の剣となる。
魔物の対応は早かった。
魔物は十個の頭を集結させると、身体の前に水の壁を作り出す。
僕の炎の剣を真っ向から受け切って触手で仕留める算段らしく、蠢く触手がビュンビュンと空気を裂いて動きを加速させていく。
白熱した剣を正面に向け、水の壁へと突きを放つ。
魔物はきっと、僕を馬鹿だと思っただろう。
僕が魔物を馬鹿だと思っているとも知らずに。
水の壁は僕が白熱した剣を形造るために展開している魔力によりあっさりと貫かれた。
魔物の目が見開かれた気がした。
「――焼け死ね」
ゼロ距離で、白熱の剣の切っ先を解放する。僕の魔力がない場所へといち早く逃げ出そうとする精霊たちが莫大な熱量を引き連れて魔物の胴体に殺到する。
白い炎が魔物の無防備な胴体を焼き焦がし、灰となし、風穴を開けて潜り込む。魔物の内部を駆け抜けた炎が出口を求めて暴れ狂い、無数に触手が伸びる天辺から空へと吹き上がった。
蠢いていた触手が熱から逃れようと苦しみ悶えても、胴体から噴き上がる白炎は無慈悲に触手を灰にしていく。
触手の根元についた高温の炎は瞬く間に先端へと駆け昇り、十個あった頭に到達した。
苦悶の表情で転がり回ったのはほんの数秒。頭はすぐに焼け死んで、同時に魔物全体から動きが失われた。
死んだ、のだろうか。
後ろへ飛び退いて魔物を観察する。十個も頭がある事もそうだけど、何よりも見た目からして既知の生物の常識が当てはまらないやつだ。実は死んだふりなんてこともありえそうで、気を抜けない。
距離を取ってしばらく観察するも、ピクリとも動かない。眺めている間も内部からくすぶる火が胴体を焼いている以上、もう死んでいると見ていいはずだ。
「……ふぅ」
ようやく安心して、僕はサラを振り返った。
「サラ、立って。すぐに出発するよ。この魔物の話が村の連中から知らされたら討伐隊が来るはず。何を言われるか分からないからね」
僕を見つめて真っ青な顔をしていたサラは、明らかに怯えた表情で立ち上がった。
「あ、あの……」
「早くいくよ」
この魔物一体だけとは限らないし、早々に退散するべきだ。
僕はサラを促して歩き出す。
前線に向かうつもりだけど、この魔物との戦いで色々と見直したいこともある。山間の街、ヨークに一度寄ってみよう。




