第九話 入植村
ソットを出て川沿いに上流へと登っていくと、小船が何艘か係留されている場所に出た。
どうやら、向こう岸へ渡すための船着き場らしい。
渡し守はサラを見て顔をしかめた。
「この先に橋があるみたいだからこのまま行こう」
川の途中で放り出されでもしたら危ないし。
僕らが船を頼む事はないと分かったのか、渡し守は僕らから注意を逸らした。
さらに上流へと登り、大きめの岩がゴロゴロと転がる辺りに橋があった。
かなり不安定な吊り橋だ。整備がされているのかも少し不安なくらい。
川の中にある石を飛び移って渡った方がかえって安全だったりするかもしれない。
吊り橋をちょっと揺らしてみたところ、ぎしぎしと不穏な音がするだけで案外頑丈そうだった。
渡っても大丈夫だと思えるくらいには揺れもない。川幅は結構あるけれど流れも深さもさほどではないから、心構えができていれば落ちてもどうにかなりそうだ。
「サラ、渡れる?」
「だ、大丈夫です」
不安定な足場には慣れていないのか、へっぴり腰で手摺りとして渡されているロープを掴んでいるサラはゆっくりと橋を渡っている。
サラを待つ間、川へと視線を転じる。
澄みきった水が流れていて、フナのような小さな魚の影も見え隠れしている。
あれなら食べるのに違和感はないかな。
漁業権とかあると面倒だし、手は出さないでおこう。
「お待たせ、しました」
橋を渡るだけで精根尽き果てた様子のサラと川原で昼食をとる。
「このキノコと、この草が食べられます。あと、これがピリピリして面白いです。それから、これ――」
「張り切っているところ悪いけど、荷物が一杯だよ」
「あ、すみません」
「でもおかげで豪華な昼食になりそうだね」
春先だって話なのになんでしいたけみたいなキノコがあるんだろうとかはツッコまない。どうせ別種類のキノコだ。
それだけに、地球人には毒だったりするかもしれないのが怖い所だけど。
覚悟を決めて食べてみる。
「あ、おいしい」
熱したフライパンで炒めただけなのに、ギュッと閉じ込められていたキノコの旨味が広がる。
他の野草はあく抜きが必要だったけど、なかなかおいしい。ちょっと爽やかな苦味があったり、タラの芽のようだったり、個性も豊かだ。
思いのほか美味しい食事にありつけて少しテンションがあがりつつ、再び出発する。
地図で見たところ、ここはまだ前線から距離がある。帝国民の入植村が作られるのも頷けた。
少数民族の住む領域であり、魔物の脅威が多少はあるものの他ならぬ少数民族が勝手に駆除してくれる上、川沿いのソットを経由して支援物資を運び込める。加えて、魔物の駆除が終われば本格的に少数民族を追いやる橋頭堡にもなるのだろう。
ソットで歓迎されなかったのは、パッと見で帝国人に見える僕にも原因があったみたいだ。メイリー族にしてみれば、侵略者の帝国人が少数民族の拠点であるソットを偵察に来たように見えたのかもしれない。
見方を変えると、これから行く帝国民の入植村の住人もソットでは歓迎されていないと思う。僕が行っても違和感を持たれにくいだろう。
森の中で首の長い猪の魔物に襲われてこれをさくっと一方通行の旅路に送り出し、血抜きをする。
「サラ、魔物の解体もできるんだね」
「誰もやりたがらない、から、私のお仕事でした」
「汚れ仕事ではあるよね。その牙と首の骨はこっちに貸して。紐でまとめちゃうから」
この魔物の首の骨髄から取れる髄液は煮詰めると無色無臭の接着剤として使えるらしい。かなり強力な接着剤で、色々と用途があるそうだ。牙の方は毒物に反応して赤くなるらしく、長期保存可能な検査薬としての用途がある。
肉の方は血抜きをした上で村へ持って行く事に。村で売れればよし、自分たちで食べても良し。
魔物の死骸の脚を棒に括って、サラと二人で持つ。
「……一人でも、大丈夫です、よ?」
「運べるとしても楽じゃないでしょ。二人で運んだ方がいいよ」
身体強化を使っているらしいサラの方が僕よりも力持ちだとは思うけど。
森を抜けると、村が見えた。
入植者の村と聞いていたけど、かなり大きな村に見える。防壁はなく、居住区域を囲む木製の柵とその外に広がる畑をさらに囲む空掘りが防衛設備だ。
森の中で襲われたばかりという事もあって、やや防衛設備が心許なく思える。物見櫓には数人の人影があった。すでに僕らにも気付いているようだ。
けれど、歓迎ムードという雰囲気ではない。
それでも僕らの歩みを止める村人はおらず、すんなりと村の中に入る事が出来た。
「……家の数と村人の数が明らかに合ってないんだけど」
予備の家? 家人が里帰りか何かで一時的に故郷に帰っているとかそんな話だろうか。
それとも、魔物に襲われて住人が死亡したまま空家になってるとか。
「この村に何の用かな?」
体格の良いおじさんが声を掛けてくる。
村の奥の方から一直線に歩いてきたところを見ると、僕らの到着を知らされた村の顔役とかだろうか。でも、僕らみたいな見るからに若い、ともすれば子供にも見える男女二人組をわざわざ顔役が迎えるのは妙だ。
内心で警戒しつつも、表面上は愛想笑いを浮かべておじさんに挨拶する。
「こんにちは。旅の途中で路銀が尽きてしまって。しばらくの間この村に置いてもらえませんか?」
「旅人か? こんなご時世に若者が? しかも、ラッガン族を連れて?」
「はい。前線の街、ガッテブーラが最終的な目的地ですけど、少しここで路銀を蓄えたいと思っているんです。この通り、魔物も狩れますから」
サラと二人で担いできた猪の魔物を指差す。
おじさんは訝しむように僕とサラを見つめた後、僕たちに背を向けて歩き出した。
「ついてこい。村の外に猟師小屋がある。そこにしばらく住む事は許そう。だが、長居はするな。それから、用もなく村の中へは立ち入るな」
「分かりました」
明らかに何かあるけれど、根掘り葉掘り聞いても利益にはならない。猟師小屋を使わせてもらえるなら詮索はしない。
「利用料は、そうだな。五日ごとに魔物を一体村に納入しろ。種類は問わん」
「それじゃあ、この魔物の肉はお渡ししましょうか?」
「牙も頚椎もないただの肉の塊はいらん」
「分かりました」
別の魔物を仕留めて来いって事ね。
案内されたのは居住区を囲む木の柵の外側、畑を囲む空掘りのさらに外側、もう村と言うより森と言った方がいい場所にある物置のような猟師小屋だった。
屋根と壁があるだけましとはいえ、魔物一体の金額を考えるとどこかの街で宿に泊まった方がいいという結論になる掘立小屋だ。
おじさんは「どうだ、これで出ていくだろう」と言わんばかりの顔をしているけれど、こちらとしてはどこかの街に行っても宿に泊めてもらえるとは思えないため、ありがたく使わせてもらう事にした。
「使わせてもらうからにはきちんと掃除もしておきますね!」
「お、おう」
思い切り猫を被って誠実さをアピールしてみる。大丈夫、本物の猫だって自分のことしか考えてないし、僕と変わらない。
呆気にとられているサラは無視して、おじさんに余計な事を言わせないようにゴリゴリ押し込む。
最終的に、おじさんは逃げるように村へ去っていった。
「ふっ……勝った」
とまぁ、冗談はそこらに捨てて、僕はサラを振り返る。
「力は腕力だけじゃない。言葉も使い方次第って事は今見せた通りだよ。まずはどもり癖を直せるように自信をつけるところから始めようか」
「え、あ、は、はい。あ、そ、そうじゃなくて、はい!」
「慌てずにゆっくり話せばいいんだよ。とりあえず、その魔物の肉を捌いちゃおうか。この小屋、狭いけど調理スペースもちゃんとあるから、まともな料理を作れるね」
ここを拠点にしばらくの間は活動する事になる。
魔物や戦況に関する情報収集、僕の魔力の特性についての考察、クラスのケダモノ達の動向、何より、地球への帰還方法の模索。
基礎的な近接戦闘の訓練もしないといけない。現状、僕は相手が魔法を使用しない限り無力な一学生でしかない。僕が魔法を発動できない事をクラスのケダモノ連中は知っているし、僕の魔力の危険性に気付いている奴も何人かいた。
あいつらが僕の命と自分の人生を天秤にかけて前者を選べるとは到底思えない。イジメ傍観組ですら、帰還のためにクラスメイトの協力が不可欠となれば殺人に傾く可能性がある自分本位な連中だ。
勝算もなくクラスメイトの前に立つのはまずい。立たされてしまった場合は即座に逃げを打つしかないけど、僕は足が速い方でもない。運動部連中には基礎体力からして負けている。
そして、僕の前には近接戦闘が得意なラッガン族の少女がいる。訓練相手にはもってこいだと思う。
※
訓練相手は断られてしまった。
「無理、です。コウ様を殴ったりはできない、です」
泣きながら拒否されてしまっては仕方がない。
かくして、僕は丸太に向かって投げナイフを当てる練習をしつつ、サラの訓練を見て動き方を学ぶ形に予定を変更した。
ただ、これにも問題があった。サラの動きは演武でもやっているのかと目を疑うようなものだった。
どうやら、ラッガン族は五感に優れ、バランス感覚や体の柔軟性も人間を圧倒的に上回るものらしい。
訓練を受けていないサラですらこの動きなら、訓練を積んだ正規兵が身体強化魔法を併用したらどうなるのか。
人類圏で帝国だの少数民族だのって内部分裂していなければ、魔物の討伐も容易なんじゃないのかと思う。僕が魔物とまともな戦闘をしたことがないからこう思うのかもしれないけど。
一番苦戦した戦いが帝国第二魔法師団副長カレアラムとの戦いだもんね。自分の強さの本質が特殊な魔力に偏っているせいでいまいち戦闘力が分かりにくいけど。
サラの動きが参考になるとは思えなくなったので、僕は短剣での突き、防御、牽制の仕方と短剣を持った状態での受け身の取り方を練習する事に決めた。
基礎体力もつけておかないといけない。特に脚力が大事だ。敵わない相手からきっちりと逃げられる速度が欲しい。相手が追いかけるために身体強化魔法を使ってくれたらこっちのものだ。
翌朝、サラの索敵でまだ日も昇り切らない内に魔物を発見し、お亡くなりあそばしていただいた後、死骸を村へ納入する。
「きっちり血抜きもして解体しておきました」
「……おう」
昨日の今日で早速仕留めてくるとは思わなかったのだろう。おじさんは苦虫をかみつぶしたような顔で切り分けられた魔物の死骸をみた。
やっぱり、僕らに対する態度は変わらない、か。
余所者に対する反応として納得するべきか、差別感情が由来か、それとも――
僕は猟師小屋へと戻る途中、サラに声を掛ける。
「村の中の家に人の気配はあった?」
「なかった、です」
村の中をぐるっと一周したわけではないし、この時間だから畑仕事に出ている村人も多い。家が無人なのはある意味当然の話。
けれど、家の中にいないのなら住人は外に出ているわけで、明らかに目につく村人の頭数と住居の数があっていない。
村人はせいぜい二百人。結婚し同棲している者も多いようだ。にもかかわらず、家は三百近くある。
「詮索するつもりはないけど、キナ臭いのは確かだね。早めに準備を整えて拠点を移そうか」
居心地がいい村でもないから、惜しくはない。
「あ、あの」
「なに?」
「今日の朝食は何ですか?」
「どうしようか。なにか食べたいものはある?」
訊ねると、サラは虎模様の三角耳をせわしなく動かし、尻尾を小刻みに揺らし始める。
「ぽ、ポタージュが食べたい、です」
「昨日の夜に作ったあれ、気に入ったの? じゃあポタージュにしようか。今朝取ってきた野鳥の卵もあるし、スクランブルエッグも作れるね。後は野草のサラダかな」
「はい!」
尻尾の振れ幅が大きくなった。凄く分かりやすい。
胃袋掴まれている系女子っていうとぽっちゃり系っぽい。
サラは明らかに栄養が足りていない貧相な体型でほっそりをやや通り越している。消化にいいポタージュなんかは体が欲するのかもしれない。




