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またもや激しい喉の渇きと痛みで目が覚めた。
咳をしながら起き上がるとその音を聞きつけた侍女が隣の部屋から出てくる。
「おはようございます、奥様。こちらにお水を用意しておりますのでどうぞお召し上がり下さい。
ご朝食はすぐに摂られますか?」
「昨日も言ったけれども、奥様と呼ばないでアリアと呼んでちょうだい。朝ごはんは貰いたいわ」
「かしこまりました、直ぐにご用意致します」
一礼して部屋を去っていく召使いの背中を何とも言えない表情で見送る。
ケホッと咳が出る。
取り敢えず喉の痛みを何とかしないとと昨日よりは自由に動く腕を使ってサイトチェストに置かれたコップを手に取る。
一息にコップの水を飲み干したが、まだ渇きが収まらずもう一杯飲もうと水差しに手をかけるが、震える腕では満水に入った水差しを上手く持ち上げる事ができない。
これじゃあ彼女が戻って来るまで待つしかないか、とため息を吐いたアリアはふと空気の動きを感じて視線を向ける。
〔あ、お水が欲しいの? 僕が入れてあげるよ!〕
屈託のない笑顔のリョクが部屋の中央で空に浮いていた。
床から植物の蔦を生やし、それが水差しを持ってアリアが手にしているコップへと過不足無く丁度良い塩梅の量の水を注ぐ。
「……ありがとう」
言いたいことは色々あるけれど、ぐっと堪えて注いでもらった水の飲み干す。
〔まだいる?〕
「いいえ、もう良いわ。それよりリョク、何しにここに来たの?ああ、レインが居ない間の見張りかしら?」
〔……ううん、そう言う訳じゃないよ。ただ、アリアの様子が気になったから見に来ただけ、フーイは結構苦しそうだったからアリアもそうだったら大丈夫かなって〕
「は? フーイ」
フーイの名前に眉を顰めるアリアにリョクはヤバいっと口を噤む。
〔おっと、いやいや、何でも無いよ。ところで、今何かして欲しい事とかある?できることならやるよ!〕
「ここから出して」
〔それはどっちの意味で?〕
肉体から?それともこの部屋から?と視線で問いかけるリョクにアリアは呆れながらため息を吐く。
「両方に決まってるでしょう」
〔じゃあ、まあ、とりあえずは両方無理だって言っておくね〕
「でしょうね。最初から期待はしていないわ、聞いただけよ」
〔変わりに良い事を教えてあげる、ツッチー良いよ!〕
リョクの声に部屋の中に新たな精霊が姿を現す。
茶色の瞳と髪をもちがっしりとした体格を持つ男は他の精霊と同じくヴェールを身に纏っている。
その存在感と魔力の内包量から上位精霊である事がアリアには分かった。
〔俺の名前はツッチー、大地の精霊でリョクと同じくレイン様に使えている。面識はあったが、こうして話すのは初めてだな、アリア殿〕
「ええ、そうね。それで?一体何の用かしら?」
〔まずは、主の蛮行を諭しきれずに貴殿に数々のご迷惑をお掛けした上に、こう言った状況に陥らせてしまった事に謝罪を。主人を諫める力が足りず、本当に申し訳ない!!〕
「…………」
跪き、頭を下げるツッチーにアリアは無言を返す。
〔本来ならば、もっと早くに謝罪すべきであったが俺がレイン様から貴殿への接触を禁止されていたためにこのように遅くなってしまった事も重ねて謝罪する。無論、謝罪だけで済むとは到底思ってなどいない。貴殿の気が済むまで俺のヴェールを裂いてくれ〕
「なるほどね」
腰に巻いたヴェールの裾を持ち上げ、捧げるように持ち上げるツッチーに覚悟の程が伺える。
ヴェールを裂く、精霊にとってそれは最大の辱しめであり、それを相手の気がするまでさせると言うのは最上級の謝罪の様式だ。
肉体と違ってヴェールの修復は非常に遅く、一度裂くと数年はそのままになる。
格式に気を使う精霊にとってヴェールの解れはあってはならない物だ。
上位精霊であろうともそれは変わらず、むしろ上位精霊であるツッチーともなれば格段に気を使わなければならない。
それを相手の気が済むまで破いて構わないと言うのは、そこまでの過ちを犯したと周囲に宣言する様なもので、気位の高い上位精霊であるほどその屈辱は計り知れない。
人間界には土下座と呼ばれる謝罪様式があり、それの更に上に寝下座と言うものがありその際には頭を踏まれるのも良しとされていると耳にしたことがある。
今のツッチーの対応はそれに値するモノであり、精霊にとって最大限の誠意ある対応であった。
「誠意は伝わるけれども貴方のヴェールを裂いても、もう精霊には戻れない私にはなんの価値も意味もないわ」
〔……すまない〕
「それよりももっと有益なものを頂戴な。さっきリョクが言っていた良い事ってなんなのかしら?」
〔ああ、君の体についてだ〕
「……詳しく聞きましょうか」
〔人間の体は大地から作られたモノとされ、俺達大地の精霊は人間の体へある程度は干渉できる。病気のや怪我の発見や治療などでな〕
「それで、私のこの依り代となっている体は何かの病気だと?」
〔いや、その器はレイン様が吟味に吟味を重ねたモノであり、健康体そのものだ。その器の体ではなく内に居る精霊としての君の体の状態の説明をしたい。
率直に言うと、君とその器はほぼ馴染む事はあっても完全に馴染む事はない。言うなれば、君と言う具に薄い布をかけて上からパン生地で覆っている状態だ。
ほぼパンと一体化しているけれども布がある分、生地には練り込まれるが具だけで独立していると言えば伝わるだろうか?〕
「えっと……なんとなく?」
〔だから他の者であれば2、3日で倦怠感は無くなるが君の場合は倦怠感が軽くはなっても完全になくなる事はない。そして、ほぼとは言っても完全に定着する訳ではない事から、方法を見つければ君がその器を出る事ができるかもしれない〕
「!!」
〔今そんな状況になっている原因が君のその左手だ〕
「手?」
その言葉に左手の平を見つめるアリアにツッチーは反対だと手をひっくり返させた。
〔今から俺の視覚を君に共有する〕
額にツッチーの指が当てられると、アリアの視点がツッチー目線へと切り替わる。
彼の視界はアリアのモノとは違い、アリアの体の血の流れや臓腑の動きまで見る事ができた。
あまり気持ちの良い物ではないその視点は直ぐに切り替わり、器となっている女性の体に精霊体のアリアの体が被っている状態の視点となる。
アリアの精霊体は器の体と少しブレており、そしてその左手の甲が淡く榛色の光を放っていた。
受肉されてから初めて見るその色に心からの安堵を覚える。
ツッチーが手の甲の光に視線を寄せる。
アリアの左手の甲には、ヴァンが作った精霊具の姿が紋章の様に姿を変えて刻まれていた。
〔それは君の精霊としての魂に刻まれている。故に君の精霊としての魂が死ぬまでそれは君の魂を守り続け、もう二度と誰にも奪う事はできないだろう〕
光を放ち、存在を主張する左手を胸元へと抱きかかえる。
ああ、ヴァン。
貴方はそこにいたのね。
愛する者との邂逅にアリアは涙を流した。




