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今日もヴァンの元へ来たアリアは特に何かを話すでもなく、墓標に凭れて丘の上からの景色をぼうっと眺めていた
「いい景色ね」
「!」
聞き覚えのある声に振り返るとそこにはフーイが立っていた。
風にたなびく髪を軽く押さえ、微笑みを浮かべながら景色を眺めている。
何故ここに、あの女が。
息が詰まる程の衝撃とそのすぐ後に凄まじい怒りが腹の底から込み上げる。
素早く立ち上がり、身構えるアリアにフーイは肩を竦めた。
「なあに、そんなに怯えなくてもいいじゃない。
……ああ、貴女、記憶喪失だったわね、私が今ここにいるって事はレイン様の精霊では無いって理解できないのかしら? 可笑しいわね、大抵の記憶喪失は精霊界に戻ったら改善されるはずなのだけれど」
「…………」
「記憶だけでなく口を利く能力も無くなったのかしら?」
「要件は何?」
「あら、随分な言い草ね。見知った顔が見えたから折角だし同じ主人に仕えた者同士、旧友を温めようと思っただけよ」
「同じ主人? 笑わせないで、レインに仕えた事は一度だってないわ。私の主人はヴァンだけよ」
「あら、そうだったかしら? それは失礼したわね」
クスクスと笑うフーイに怒りと警戒心が高まっていく。
『落ち着いて、怒りに飲まれては冷静な判断ができなくなってしまうわ』
心の中で自分にそう言い聞かせ、一度深呼吸をして深く息を吐いてから言葉を発する。
「要件は何」
「あら? だから言ったじゃない、貴女と旧友を温めようと思っただけよ。
あちらではお互いに色々あったもの、あの短い契約期間での事が長い精霊生の中で蟠りとして残ったままだなんて悲しいじゃない?それに、精霊界と人間界は違うのよ? あちらでのいざこざをこちらに持ち込もうだなんて野暮ってものじゃないかしら?」
確かに彼女の言う通り人間界は人間界、精霊界は精霊界と切り分けて考え、例え人間界で敵同士になったとしてもその関係を精霊界には持ち込まないのが良識ある精霊としてのマナーだ。
それは知っているし相手もそう言っているのだからこちらもそう身構える事なく、然るべき態度をとるべきだと理解しているのだが、どうしてもフーイへ対する警戒を解くことができない。
「そう言えば、ここに来る途中に貴女の事を聞いたのよ。貴女の真名ってアリアデーレって言うのね、人間界に居た時の名前はあの男が付けたらしいけれども、確かに貴女にぴったりの名前だと思っていたのよね。これからはアリアデーレと読んだ方が良いかしら? それともアリアのままの方がお好み?」
「……」
「もう、少しくらい口を開いてくれてもいいのではなくて?私、貴女と仲良くしたいのよ。過去の事は水に流してこれからは友好的に新しい関係を築いていきたい、貴女はそうは思って下さらないの?ねぇ? アリアデーレ?」
過去の事?
水に流す?
それは被害を受けた側だけが口にできる言葉であって加害者側に立っていたお前が口にしていい言葉ではない。
抑えた筈の激しい怒りがアリアの胸中に噴き上がっていく。
口を開くと罵倒してしまいそうになる気持ちを抑え、唇を堅く閉ざすとフーイもこれ以上は何を言っても反応を得られないと考え、溜息を吐いた。
「ああ、とても残念なのだけれども今は貴女の方は気分が乗らない様だし、今日の所は帰らせてもらうわ。次に会う時には少し位話してくれると嬉しいわ。ではご機嫌よう、アリアデーレ」
真名を呼ぶフーイの声に怒りとは別に途轍もない怖気がアリアを襲う。
それはまるで、アリアの真名自体が不吉の象徴であるかのように錯覚を覚える程暗い予感を感じさせ、彼女の背筋を震えあがらせた。
フーイの姿がその視界から完全に見えなくなるまでまんじりともせずにアリアはその場に立ち尽くしていた。
「ご機嫌よう、アリアデーレ」
またねと言われはしたが最初の邂逅から数日後、あれからフーイから接触はなく、もう来る事は無いかも知れないと淡い期待を抱いていたアリアの前に再びフーイは現れた。
あの時と変わらずフーイを警戒するそんなアリアの様子にフーイは困った子供を見るかのように眉を下げた。
「そんなに警戒しないで頂戴、今日は謝罪に来たのよ。あれから少し考えたのだけれど、愛する人を亡くして深く傷付いている貴女に私ったら随分と無神経な事を言っていたわよね。
私には今までそこまで深く結びついた契約者がいなかったから、人間界での事はあれはあれ、精霊界ではそれはそれと言う考えでしかお話していなかったわ。貴女を傷付ける事を言ってしまって本当にごめんなさい」
ごめんなさいと謝罪をしながら頭を下げるフーイにアリアは拍子抜けし、言葉を詰まらせる。
あれから数日かけて感情を整理したものの、どうしてもフーイを見ると連鎖的にレインの事も思い出してしまうからか何か裏があるのではないかと言う考えが浮かんでしまう。
こうして謝罪に来てくれたフーイの誠実な態度に仄かな罪悪感と、僅かながら仲良くできるかもしれないと言う気持ちが湧きあがるが、それでも、どうしても、まだ信じてはいけない、心を許してはいけないと心の奥で囁きかけてくるものがある。
自分はこんなにも心が狭かったのかと自身の心の狭さに愕然とする。
「今すぐに許して欲しいなんて言わないわ、でも私の気持ちだけは伝えたかったの。いきなり謝罪をされても戸惑うだけだと思うから今日はこれで失礼するわね。
…………よかったら、次に会いに来た時にはお話してくれると嬉しいわ」
それじゃあ、ごきげんようと挨拶をして去っていくフーイの背中をアリアは無言で見送った。
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「ごきげんようアリアデーレ。今日も私とお話はしてくださらないのかしら?」
宣言したとおりに、数日経ってから再びフーイはアリアの前に姿を現した。
少し緊張した面持ちのフーイにアリアの気持ちは固まった。
「ごきげんよう、フーイ」
「!!」
目を見開き、アリアの顔を凝視するフーイに気まずくなりながらも、アリアはフーイに笑いかけた。




