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記憶と幸運

 現実とは、極稀に変わった事も起こるが、大抵は面白味もない決まりきった事の連続だ。年を重ねて、大人と呼ばれるようになればなるだけ、人はそう感じる。だからこそ人は、その先に危険が待っていると分かっていながらも、刺激を求めてしまうのだろう。


 その者達は、自分が立っている舞台から一歩でも足を踏み外せば、世界ががらりと変わるという事を、もっとよく考えてもいいのかもしれない。人が求める幸せなどという物は、童話の[青い鳥]ではないが、存外身近にある。


 今日も、また一人、誰かが足を踏み外す。


****


 使われなくなってかなりの時間が経過したらしい、廃工場。埃っぽく、金属の腐食や壁のひび割れが目立つその場所は、月明かりだけに照らされていた。


 その工場内から、荒い息遣いが聞こえてくる。追われているらしい一人の男性が、壁際まで走り、逃げ場をなくして膝をつく。


「はぁ! はぁ! はぁ! お願いだぁ! ゆっ……許してくれ……」


 今にも泣き出しそうな表情の中年男性は、自分を追いかけてきた相手に対して、必死に許しを乞うていた。肩を揺らすほどの呼吸を乱している事からだけでも、その男性の必死さは読み取れる。


「駄目だよ……。人にした事は自分に返ってくるのが……世の決まりってやつさ」


 呼吸を一切乱していない追跡者は、くつくつと笑いながら、膝を突いた男性に手を伸ばす。


「はい……タッチ」


 真っ黒い影としか表現できない追跡者に肩を叩かれた男性は、脱力して倒れ込む。まるでこの世の終わりだとでも言いたげなほど、中年男性は悲しげに顔を歪めた。


「ああ……全ておしまいだ……」


 影が立ち去った後も、倒れたまま動かなかった中年男性は、しばらくして泣き始める。恥も外聞もないほど大声で泣き叫ぶその男性が、何を背負い、何を無くしてしまったかは、彼自身にしか分からない。


****


 ある朝、平凡な男性である黒岩(くろいわ) (すすむ)は、テレビを見ながら食事をとっていた。彼が見ているのは、報道番組だ。前日亡くなった芸能人の事や、大きな会社が不渡りを出したといった情報を、テレビの中のキャスターが読み上げている。


「ふぅ……日本は、今日も平和だ」


 星座占いを見ながら準備を済ませた進は、意気揚々と家を出た。進が向かったのは、ハイキングコースのある標高がそれほど高くない山だ。


 もうすぐ二十四歳になる進は、社会人二年目。周りの者達よりも偏差値の高い大学を卒業したせいか、プライドが高い。だからと言って、それほど仕事が出来る訳ではない。不遜な物言いと謝罪を口にしない彼は、上司から説教される回数が多い人物だ。


 その社会人生活に疲れ果てた進は、学生時代からの趣味である森林浴で、ストレスを発散しようとしていた。


****


「やっちまった…………」


 進は、自分の非を認めたがらないタイプの自信家だ。本来進むはずだった道を間違えた事を、なかなか認められなかった。明らかにハイキングコースではないけもの道を、自分が間違えるはずはないという根拠のない自信で進んでしまう。


 生い茂った草をかき分けて、奥へ奥へと向かっていた進も、けもの道すらなくなった山の中でようやく立ち止まった。そんな後悔してももう遅いと言える場面に立つまで、彼は自分の行いを省みられない性格なのだろう。学生時代に出来た彼女にも、その性格のせいで振られている。


 ほとんど泣きそうになりながらも、進は山の中を歩き出す。ハイキングが趣味と言っても、遭難時の注意など心得ていない彼には、そうする事しか出来なかったのだろう。風に揺れる葉や、鳥の鳴き声にびくつきながら、恐る恐る先へと進む。


「あっ!」


 森の中で人影を見つけ、表情を明るくした進は駆け出した。


「う……そ……」


 茂みをかき分けた所で、進の顔が真っ青になる。そこには首を吊った男性の遺体が、木にぶら下がっていたからだ。


「うっ!」


 男性が自殺をしてからほとんど時間が経過しておらず、腐敗臭も漂っていなかったが、進はその場で嘔吐した。精神的なショックによる所が、大きかったのだろう。


 胃の内容物だけでなく、胃酸まで吐き出し終えた進は、その場から逃げ出した。この場合の彼の行動は、仕方ないと言っていいだろう。


「嘘だろ?」


 動転していたせいか、進の方向感覚は完全に狂ってしまっていた。かなりの距離を移動したはずだが、また自殺現場に戻ってきてしまったのだ。


 精神的にも疲れ果ててしまった進は、その場にへたり込む。その進は、ある事に気が付いた。遺体から少し離れた場所に、セカンドバッグが落ちていたのだ。座った事で視線が低くなり、気が付けたのだろう。


「なんだ? この人の物か?」


 考えるよりも先に体が動いてしまった進は、セカンドバックを拾い上げて中を覗く。そのセカンドバックの中には、見たことのない携帯電話とメモ帳だけが入っていた。


「メーカーも書いてない……。海外のかなぁ?」


 珍しい携帯を手に取った進は、色々な角度から眺める。本来、現場を維持したまま警察を呼ぶべきなのだが、進にはそれが思いつけない。遺体の身元を調べる必要があるかも知れないと、勝手にメモ帳を開く。


「なんだ? こりゃ? 遺書じゃないのか……。免許や財布もないな」


 メモ帳の中には、何かのゲームではないかと思われる概要やルールが記載されていた。


 勝者へは、幸運が与えられる。その幸運の効果は絶大で、難易度の高いゲームをクリアすれば富、名声、権力、なんでも手に入ると書かれている。


「敗者は幸運が減って……、ルール違反者からは、全ての幸運を没収。なんだこれ?」


 進が読んでいた概要が書かれたページの端には、「ルールを破ってしまった。私はおしまいだ」と走り書きがされていた。


「えっ? この人……もしかしてゲームごときで、自殺したの?」


 驚きながらも、好奇心を抑えきれなかった進は、メモ帳を読み始めた。


 一、ゲームの事を他人に喋ってはいけない。

 二、ゲームの途中棄権は出来ない。

 三、ゲーム本体及び、ルールブックを人に譲渡することは出来ない。

 四、ゲーム本体及びルールブックを紛失した際には、四十八時間以内に自力で見つけださなければならない。

 五、勝者の景品は必ず受け取らなければならない。

 六、ゲーム大会事務局には、嘘をついてはならない。


「ゲーム本体? あ、携帯の事か? ゲーム開始方法……なんだこれ?」


 メモには、あり得ないほど長い電話番号らしき数字を入力し、発信しろと書かれていた。進でなくても、その番号が繋がるとは思えないだろう。


「これで自殺まで……。何がしたかったんだ? この人は?」


 ここが、彼にとっての大きな分岐点だったのだろう。セカンドバックに入っていた携帯電話を手に取り、メモに書かれた番号を入力してしまう。彼が不用意な性格だったのもあるだろうが、不思議な力が働いていた可能性もある。


 アンテナマークすら表示されていない携帯電話のスピーカー部分に、どうせ繋がらないだろうと耳を宛てた進が目を見開く。回線接続中独特の音が、スピーカーから流れていたのだ。


「はい、こちらラッキーゲーム大会事務局です! おめでとうございます! ゲーム参加でよろしいですね?」


 電話口からは、元気過ぎるとも言える女性の声がした。


「あの……。えと……」


「ただいまキャンペーン中ですので、初回特典分の幸運が入ります!」


 驚き過ぎて目を瞬かせる事しか出来ない進を無視するかのように、女性は一方的に喋り続ける。


「ゲーム開催日と時刻は、こちらから連絡させて頂きますのでお待ちください!」


「あ、ちょ! あの……」


「では、黒岩進様! がんばってくださいね!」


 電話は一方的に切れた。訳が分からない進は、時計だけが表示された携帯電話の

画面を、焦点の合わない目で見つめる。


「俺の名前を知っていた? どう言う事だ? ドッキリ? な、訳ないか……」


 言い知れない恐怖に襲われた進は、その場を立ち去った。携帯電話とメモ帳は、ルールを読んでしまった為か怖くて手放せないらしく、セカンドバッグごと持ち去る。


「はぁ? 嘘だろ?」


 セカンドバッグを抱えた進は、今までが嘘だったかのように、いとも容易く本来のハイキングコースにたどり着く。狐につままれた顔をしたまま、進は最寄りの駅へと向かった。


 その道中、ラッキーゲーム大会事務局に何回も電話をかけたが、全く繋がらない。遭難したせいで、幻覚でも見ていたのだろうかと、進は電車の中で首をひねり続けた。


****


 夕方、進は自宅のアパートには帰りつけていた。


「一体……なんだったんだ?」


 ゲームの事を考え、進はメモを幾度も読み返しているが、何をしてどうするのか全く分からない。参加方法や禁則事項等が書かれている、先ほど読んだページ以外は白紙だった。


「あれ?」


 数え切れないほど読み直したところで、進は自殺した男性が書いたと思われる殴り書きが消えている事に気が付く。自分は本当におかしくなってしまったのではないかと、頭を掻き毟った進は、気分転換の為にとテレビの電源を入れた。


「依然、捜索を続けていますが……」



 夕方のニュースでは、不渡りを出した会社の続報が大々的に取り上げられている。どうやら、社長だった男性が行方不明になったらしい。


「うそ……」


 テレビにはあの自殺していた男性の顔写真が、表示されていた。進は自分が大変な事に首を突っ込んでしまったのではないかと、顔を青くする。そして、今まで起こった気持ちの悪い出来事を思い出し、急に怖くなってきたようだ。


「警察に電話するか? いや、なんて言うんだ? やべぇ……最悪だ……」


 アパートに一人でいるのが怖くなった進は、繁華街へと向かう。


****


 進は、出来るだけ賑やかで、人の多い場所を求めた。その結果、たどり着いたのはパチンコ屋だ。パチンコに集中すれば、多少なりとも気を紛らわせると考えたのだろう。


「俺……事件とかに巻き込まれたりしないよな……。くそ……」


 パチンコを打ちながらも、進の心は不安でいっぱいだった。そのもやもやは、すぐに霧散してしまう。


「うお! ラッキー!」


 進は、たった五百円で大当たりを引き当てたのだ。それも、その大当たりは全く終わる気配がない。店員に不信がられながらも、閉店まで玉を吐き出し続けた。


「初回特典の幸運……。いや! たまたまだ! えと……あ! そうだ! 明日も休みだし!」


 分厚くなった財布を見つめながら呟いた進だったが、都合の悪い事を忘れたかったのか、酒を求めて歩き出す。一人になりたくないという気持ちもあるようで、繁華街の出来るだけ明るい場所へと進んでいく。


****


「うぅぅぅん」


 翌日、進は昼前にホテルで目が覚めた。


「おはよう」


 進の隣では、裸の女性がうつぶせの体勢で、煙草を吸っている。


「おはよう。あの……君はよくこういうことするの?」


「ふふっ。失礼ね」


「あ……ごめん」


「今までは、絶対にしなかったの。ただ、昨日はいいかなっと思えちゃって……」


 いままで、進は女性と付き合った事もある。ただ、その手の事にあまり縁がある方ではない。成人して以降は、彼女がいなかった時期の方が長いぐらいだ。


 しかし、昨日は勢いで行った女性が接客してくれる飲み屋で、店員だった女性と意気投合し、現在に至っている。


「出来過ぎだ……」


 一人でホテルのシャワーを浴びる進の顔に、笑顔はない。


「ねぇ? 私、用事があるのよ。もう、出よう」


「あ、ああ……」


 濡れた髪をタオルでふき取りながら、進は鏡の前で化粧をする女性に笑顔を向ける。その笑顔は、かなりぎこちないものだった。


 人間は、物事がうまくいきすぎると逆に怖くなる物だ。進も例外ではない。何よりも、ゲームの事を気にしている進が、得体のしれない恐怖に襲われるのは当然だ。


 女性と携帯の連絡先を交換して別れた進は、帰り道でスクラッチの宝くじを買う。そして、顔を更に青くした。十枚ずつ買ったスクラッチくじが、五回連続で当たったのだ。


「おいおい…………一万円が当たる確率ってこんなに高いのか?」


 十分の一で当たる宝くじ。通常では考えられない。進の背筋を、冷たい汗が流れ落ちていく。


****


 セカンドバッグを拾って一週間、進には有り得ないほどの幸運が舞い込み続ける。仕事では大口の商談を幾つも受注し、様々な女性との深い縁が絶えない。


 まさにこの世の春よといわんばかりの状態に、進はゲームの事など忘れ、有頂天になっていた。


 ただ、その最高の気分は、ある着信音によって掻き消される。あの携帯電話が鳴ったのだ。


 それを無視することなど出来なかった進は、恐る恐る電話に出た。


「ただ今から、ゲームが開催されます! 黒岩様は初級での参加になります。ルールは簡単! 鬼になって、逃げる人にタッチして貰えば勝ちです!」


 携帯電話からは、受付を済ませた時と同じ、女性の明るい声が聞こえる。


「あの! 聞きたい事が!」


「では! がんばってくださいね!」


 女性は進の質問に全く反応せず、前回と同じく一方的に電話が切れた。


「どうすりゃいいんだよ……」


 顔を歪めた進は、体をびくりと反応させる。握っていた携帯電話が、再び着信音を響かせたからだ。


 ただ、その着信音は先程の物とは違う。メールが届いたのだ。進は、指を震わせながら、そのメールの内容を確認する。


[初級ゲームルール:鬼となり、半径一キロのプレイゾーン内で、逃げる人にタッチ出来れば勝ち]


 メールを読み終えた所で、進の視界が真っ白に変わる。急いで目を擦った進は、見知らぬ場所に立っていた。子供向け番組等で使われる、石切場らしき所だ。


「なんだこりゃ?」


 いきなり移動した事もそうだが、自分自身の変化にも進は驚いていた。体が、真っ黒で半透明な何かに変わっていたのだ。現在は夜であるはずだが、進にはまるで昼間であるかのように周囲が見渡せた。


 困惑して呼吸を荒くした進の脳内に、直接情報が浮かんでくる。プレイゾーンだと思われる範囲の地図と、ターゲットと思われる人物の位置が頭の中で認識できた。


 それは、先程まで間違いなくなかったはずの情報だ。それも、随時情報が更新されている。まるで、携帯端末が脳内に埋め込まれているような感覚に、進は襲われた。


「では、ゲーム開始です。制限時間は三十分。みなさん、鬼から頑張って逃げてください」


 進の脳内に、電話で話したのとは別の女性の声が届く。


「開始です」


 抑揚のない女性の声で、ゲームが開始された。


「と……取り敢えず……ターゲットは分かるし、追いかけてみるか」


 物事を深く考えられない性格が、その時の進にはいい方向に働いたようだ。よく分からないながらも、進は走り出す。


「おほっ! すげぇぇぇ!」


 走り出してすぐに変化に気が付いた進は、声を上げた。体が羽のように軽くなっており、全く疲れないのだ。走る速度自体はいつもとさほど変わらないが、ターゲットを楽に追いかける事が出来る。


 その状態で走る事が楽しくなってしまった進は、口角を上げて突き進んだ。


「はぁ! はぁ! はぁ!」


 進は、ターゲットの一人目を見つけた。息を切らした中年男性が、必死に逃げている。今の進みには、簡単すぎるターゲットだ。


 その男性に追いついた進は、背中を軽くタッチした。


「ああああああ! くそったれがっ!」


 進に背中を叩かれた男性は、大声で叫び、その場に座り込んだ。進が次のターゲットを追いかけようとした所で、その中年男性は怒声を発した。


「お前もいつか同じ目に合うんだ! 先に地獄で待っててやるよ! くそ野郎!」


 男性の発言は気になるが、怒っている相手と喋りたくなかった進は、次のターゲットへ向けて走り出す。


「どうなるんだよ?」


 男性の言葉を気にして呟いた進は、次に初老の女性に追いついた。もう走る事が出来ないらしいその女性は、胸を抑えて座り込み、泣きながら進むに訴えかける。


「お願いよぉぉ! お金ならあげるから見逃して……」


 先程の男性が発した言葉で、ゲームに負けてしまうことが恐ろしくなっていた進は、女性の肩に手で触れる。その瞬間、女性は大きな声を出して泣き崩れた。


「ああああああぁぁぁぁぁ! 鬼っ! 悪魔あああぁぁぁ!」


「負けたらどうなるんだよ…………」


 敗者達の反応を見れば見るほど、進は負けた場合どうなるのかと考え、恐怖を大きくしていく。最後の一人を追いかけ始めた頃には、背筋に鳥肌が立つほどまでになっていた。


 まったく疲れる事もなく走れる進は、ほどなくして最後の一人に追いついた。


「ひぃぃ! ひぃ! ひぃぃぃぃ!」


 進は、そのターゲットである老人を知っていた。ニュースでよく見かける政治家だ。その老人は先日新党を立ち上げた為、進の目に触れる機会も増えている。


「触るなっ! 私に触るなっ!」


 進が近づくと、老人は鬼のような形相で叫んだ。


「触ったら殺すぞ! 必ず見つけ出して、生まれてきた事を後悔させてやるからな! それでもいいんだな!」


 老人の脅しに躊躇はしたが、負けるとどうなるのかが怖かった進は、手を空いての体に接触させる。


 魂が抜けたかのように表情を無くした老人が、ぐしゃりと崩れ落ちた。


 進の頭の中で、いきなりファンファーレが鳴り響く。


「おめでとうございます。今回の勝者は黒岩様です」


 間の抜けた声を聞いていた進の視界が、真っ白になっていく。気が付くと、進は自分の部屋で倒れていた。


「何だよ、これ……」


 夢ではないと、進にも直感的に分かったらしい。ターゲットに触れた手の感触が、まだ残っているからだ。


 しばらく呆けていた進だが、思い出して携帯とメモ帳を見る。進の読み通り、メモ帳に変化があった。ルールの次のページに、文章が追加されていたのだ。


[第一ゲーム:結果:勝利 幸運:三十ポイント]


「なんなんだよ……」


 怖くなった進は、布団をかぶって夢の世界へと逃げ込む。そんな事しか、彼には出来ないのだろう。


****


 進は、翌日の昼に目を覚ました。休日だった為、目覚ましのアラームが鳴らなかった為だ。


「はぁぁぁぁ……」


 いつにもまして浮かない表情の進は、布団の中からゆっくりと起きだす。空腹で二度寝する気分ではないのだろう。


「ふぅ! はぁぁぁぁ……」


 大きな伸びをして、机の上に置きっぱなしになっていたペットボトルのお茶を飲み、テレビの電源を入れた。


「嘘……だろ……」


 進の見ていたバラエティ番組は、緊急速報で中断される。速報として流されたのは、政治家の汚職事件についてだ。進は逮捕された政治家を、よく知っている。前日、進がタッチした相手なのだ。


 実刑が確実だろうというキャスターの話を聞きながら、進は唾液を飲み込む。


「あのゲームのせいか? これって……俺のせいなのか?」


 しばらく間進は悩んだが、どうしようもないのだと理解出来た所で、シャワーを浴びる為にバスルームへと向かう。


 進が脱いだ上着から、少し前に買ってあった宝くじが落ちた。そこまでうまい話があるはずないと思いながらも、半笑いの進は携帯電話で番号を確認する。


「はっ! ははははっ!」


 自分の買った宝くじの番号が、一等と全く同じ事を確認し終えた進は、壊れた様に大きな声で笑う。自分の人生が大きく変わったのだと、進はやっとそこで気が付けたのだろう。


 それからの進は、夢のような生活を送る事になった。


 宝くじを含めたギャンブルで負ける事がなくなり、莫大な金を手にした。仕事もことごとくうまくいき、外資系の会社とはいえ異例の早さで係長に出世する。容姿に優れた異性達からは、常に言い寄られ続けた。


 そんな進が、徐々に笑わなくなっていったのは、ゲームの事を常に気にしているからだろう。


****


「おめでとうございます。今回の勝者は黒岩様です」


 その日も進は、影のような姿になり、十人のターゲットに勝った。通算八回目のゲーム成功だ。


 毎回子供の遊びとしか思えないゲームに、進は無敵に近い影となって参加している。そのターゲットとなって負けた者達の大よそは、ゲームが終わった翌日、不祥事や事故等のニュースに現れる。


 いつものように部屋で倒れていた進は、起き上がってメモ帳を確認した。


「今日は、三百二十ポイントか……」


 その日の進は女性達からのメールや着信を無視して風呂に入り、布団にもぐりこむ。体調はこれ以上ないほど良好なのだが、精神的には沈んでいた。


 彼を悩ませているのは、罪悪感と、しこりの様に心から消えてくれない違和感だ。罪悪感の原因は、言わずもがな。違和感は、サイドバッグを拾った日の事を思い出そうとすればするだけ、進の心の中で膨らんでいく。


 その違和感を、言葉で表現するなら、ど忘れをしてしまったというのが、一番近いだろう。ただ、進には何を忘れたかすら思い出せない。喉まで何かが出掛かっているが、出て来ない気持ち悪さが進を悩ませる。


 眠る事で、その気分の悪さは一時的に忘れる事が出来るが、それをしてしまうと自分が何に気付いたのかがさらにぼやけてしまう。


「えぇぇぇいっ! くそっ! もういい!」


 布団の中で違和感を振り払うように、進は叫んでいた。深く物事を考えられない進には、それが精一杯の抵抗なのだろう。どんなにいい思いをしても、その気分の悪さが拭えないのだと、勝手に自分で答えを出してしまっている。答えから自分が遠のくと分かっていながらも、進は気分の悪さから逃げるように眠りにつく。


「ちくしょう……」


****


 進は自分の中で膨らむ罪悪感と違和感に悩まされながらも、満たされ過ぎている日々を過ごしていった。彼は、もう少し人の記憶がどれほどあやふやな物なのかを、じっくり考えるべきだったのだろう。


 会社から帰宅した進を待っていたかのように、例の携帯電話がメールの着信音を鳴らす。それが、進にとって大きな分岐点となるゲームの始まりだった。その日、彼はラッキーゲームから与えられた幸運の、本当の意味を知る事になる。


[ラッキーゲーム大会事務局よりルールの説明:今回のゲームは色鬼です。鬼の指定した色を触っていない者全てにタッチすれば勝ち。色の変更後はご自身で十数えるまではタッチ出来ません。尚、今回はターゲットとの会話は出来ません:制限時間は三十分]


 メールを読み終えるといつも通り、進の視界が白一色に染まった。


 今回も無敵といえる影になった進は、難なく三人にタッチした。そして、最後にターゲットとなった、ある男性と出会ってしまう。


 その男性は運動能力に優れているらしく、移動がかなり速い。進が他の者を追いかけている間に、直径五キロのフィールドを端まで移動していた。


 残り十分。


 影になっている進は疲れを感じない為、足の速いターゲットに追いつく事が出来た。相手はすでに荒い呼吸をしているが、進にはなんの変化もない。


(あれ? こいつ……)


 壁際まで追い詰めた、その足の速いターゲットを進は知っている。最近映画やドラマの主役に抜擢され注目を浴びている、若手二枚目俳優の神崎(かんざき) 康介(こうすけ)だ。


 神崎はすでに、進の指定した赤い壁を触っていた。進は色を変えなければと、周りを見渡す。


「はぁ……はぁ……貴方はこのゲームについて、どこまで知っていますか?」


 呼吸を落ち着けた神崎が、進に喋りかける。


 残り八分。


(なんだっ? こいつ?)


 進は神崎の言葉に反応した。それを見た神崎は、言葉を続ける。


「君はゲームに何回関わった? どうやってゲームに参加した? 幸運をどれだけ手に入れた?」


 矢継ぎ早な神崎からの質問。無視すればいいだけのはずだが、ゲームの事について知りたい進は、質問に答えようとする。


 だが、声が出ない。


(なっ? え? 喋れない!)


 会話が出来ないというルールを思い出し、言葉までゲームに操作されてしまうのかと、進は狼狽える。


 残り七分。


 狼狽える進を見つめる神崎が、ゲームについて喋り始めた。


「喋れないのは知っている。このゲームは……いやゲームを運営している何かには、君が思っているよりも、かなり大きな力を持っているんだよ」


 神崎は進の狼狽え方を見て、相手が若いことを察し、優しく言い聞かせる様な口調に変化させている。


「これは幸運を集めるゲーム……と、考えているかい? 確かに間違いじゃない。手に入れた幸運ポイントで、いい思いも出来る。でも、よく考えてみてよ。こんなゲームがなくても、人間は生きているだけで幸運の連続なんだよ」


 残り六分。


「当たり前の事も、運がなければ成り立たない。例えば君が車を運転しているとして、何もなければ無事に目的地へ到着する……。それは、とても運の良い事なのかもしれない」


 神崎は俳優らしく、身振り手振りをつけた芝居がかった言葉を吐きだしていた。


「事故が発生する可能性は低くないし、警察に捕まらず、道を間違わず、車の故障や、道路工事に遭遇しない確率全てを考えてくれ。何もなく目的地につくには、間違いなく運が必要だと思わないかい?」


(確かに……)


 神崎の話に進は聞き入ってしまう。


「つまり、運は人間が普通に生活をするために最低限必要な物じゃないかな? その上でその幸運が人より多いとどうなるのか……」


 残り五分。


「金を手に入れて、異性にもてるだけなのかな? 違うんだ、自分がした事全てが報われる。自分の想像した結果を超えた結果が、舞い込む。それどころか、自分が何もしなくても、とんでもない幸運が飛び込んでくる。それが続くとどうなるか分かるかい?」


 残り四分。


「多分……。歴史に名を残せる人物になれるんじゃないかな? まあ、まだ確証はないけどね」


 進は自分がとんでもない事に巻き込まれたのだと改めて感じ、軽く身震いをする。


「これが今までゲームに参加して勝っている人間を見てきた、僕の予想だ……」


 残り三分。


「ちなみに君は負けた人間がどうなったか知っているかい? 多分、君もターゲットになった人間の不幸を何回かは見たはずだよね? 君も薄々は勘付いていたと思うけど、負けた人は幸運ポイントを奪われる。それも今まで手に入れた幸運を上回る不幸を受けている事が多い……」


 芝居がかった喋り方をする神崎は、言葉の溜めが多い。それでも進が聞き入ってしまうのは、役者として神崎がそれなりの才能を持っているからだろう。



「勝ったら幸運を貰い、負けたら不幸を貰う。本当にただそれだけなのかな? この違和感に、僕はある仮説を立てた」


 残り二分。


「これは、勝った人間が負けた人間の幸運を奪うゲームじゃないだろうか? さっき言ったように、勝ち続ける事が出来れば勝者の人生は驚くほど変わる。いい方にだ。それも、その人物が望む望まないに関係なくね」


 神崎が意味ありげに深刻な表情を作った為、進は喉をごくりと鳴らす。


「これほどのゲームを、一体誰がどうやって開催しているかは考えた事があるかい? そして、何故開催しているかの意味も……」


 完全に相手のペースにはまった進は、聞く事以外に神経が向けられていない。


「僕は、そこにある結論を出している。これは、幸せな人を作るゲームではなく。世界を動かせるほどの偉人を作る為のゲーム……じゃないだろうか」


 残り一分。


「それから……負けた人間は幸運が減るのではなく、不幸になっている。これはいくつか仮説が立てられるけど、手に入れた幸運ポイントは半強制的に浪費されるのは、君も知っているよね?」


 声の出せない進は、神崎の問いかけに頷いて見せた。


「ポイントをいくら稼いでも、次のゲームまでになくなってしまう。つまり、貯めておくことが出来ないんだ。だから、ゲームに負けて幸運を奪われたとき、運の落差によりとんでもない不幸に見舞われてしまうんだよ。命を失うレベルでね……」


 そこまで喋って所で、神崎の整った顔が歪む。真っ黒な本性を面に出したのだ。


「だから……絶対に負けちゃいけないんだ! くくく……あはははははっ!」


(しまった! 時間!)


 相手が勝利を確信して大きな笑い声を発した事で、進はやっと制限時間の事を思い出す。今まで疲れ知らずの影になっていたおかげで、時間に苦しめられた事がなく、気を付ける必要がなかった。進よりゲームに詳しい神崎は、その点を利用したのだろう。


 残り三十秒。


(青!)


 進は慌てて、色を指定する。


「青です」


 神崎の脳内に、抑揚のないアナウンスが流れた。会話をしながら周囲を確認していた神崎は、すぐさま青いポスターを触る。彼の顔には、全くと言っていいほど焦りがない。


(くそっ! 一、二、三、四、五……)


 数を数えながら、進は周りに無い色を探す。


(十! ピンク!)


「ピンクです」


 脳内にアナウンスが流れた瞬間、神崎が走り出した。残り時間を考えれば、それだけで勝てると考えていたのだろう。


(待て!)


 進は、急いで神崎の後を追う。


「はははははっ!」


 神崎は全力で走りながら、まだ笑い続けていた。もしかすると、馬鹿な進が可笑しくて笑っているのかも知れない。影になっていたおかげで、足の速い神崎においつけた進は、背中に思いきりタッチした。


 しかし、ゲームが終わらない。


(えっ? なんでだよ? あ……)


 進は、数を自分で数えなければいけないというルールを忘れていた。


(くそっ! くそっ! 一、二、三、四、五……)


「終了です」


 進にとって、最悪のアナウンスが流れた。


(あ……嘘だろ……)


 目眩を覚えた進は、その場に膝をつく。


「おめでとうございます。今回の勝者は神崎様です」


 抑揚のない声が脳内に響き、目の前が真っ白になった後、進は自室で目を覚ます。慌てて起き上がった進は、メモ帳を確認した。そこには、進の見たくない文字が増えている。


[幸運ポイント:マイナス五百]


「俺は、どうなるんだ……」


 泣き出したくなるような恐怖に、目の前が目の前が回り始めたしまった進は、布団に潜り込み、怯えながら一睡もせずに夜を明かした。幸い、その日は進になんの不幸も降りかからない。異変が始まったのは、次の日からだ。


****


「えっ?」


 会社へ出社し、ある席の前で進は間の抜けた声を出す。進の席に、彼が追い落として先月左遷されたはずの前係長が、座っていたからだ。


 呆然と立ち尽くしていた進の臀部に、鈍痛が走る。


「痛てっ!」


 いきなり尻を蹴り上げられた進は、怒りよりも驚きを表情に出して、自分を蹴った者がいるであろう後ろを振り向いた。


「お前っ!」


 進が振り向いた先には、ポケットに両手を突っ込んだ後輩がいた。その後輩は、半笑いで進に見下したような視線を送っている。


「何してんすか? 先輩?」


「なっ?」


(こいつ仕事もろくに出来ないくせに! 係長の俺になんて口をきくんだっ!)


 声にならない怒りで、進は顔が真っ赤になった。


「くすくす……惨めよねぇ」


 周囲から進を馬鹿にするようなひそひそ話が聞こえてくる。


(なんなんだ?)


 きょろきょろと周りを見回す進に、前係長が近づく。そして、怒声を浴びせかける。


「あれだけの失敗をしておいて、よくここに顔を出せたな! 君は、クビを免れる代わりに、二度と私に顔を見せない約束だったはずだ!」


「はっ?」


 唖然となる進に、係長からの罵声は続く。


「君ようなやつの持ち場はここにはない! 早く地下二階の反省室に戻れ! 君を見ていると気分が悪くなる!」


(どうなってるんだよ?)


 反省室とは進の会社にある、窓際職員を辞めさせる為の場所だ。使えない問題のある辞めて欲しい社員が送られる場所で、一日中反省文を書くだけの最悪の場所だ。


「頭がついにおかしくなったか? ばぁぁぁかっ」


 後輩の言葉に腹を立てる余裕もないほど、進は混乱していた。


(訳が分からない…………)


 前係長や他の同僚に追い出された進は、仕方なく地下二階に行くことにした。


「遅いですね。黒岩さん! 遅刻として扱わせて頂きます。早く業務を開始して下さい」


 地下には、強面の管理職らしき人物が待ち構えていた。その部屋には、なくなったはずの進の席がある。机の上に置かれた小物で、それが進にはすぐに理解できた。


 進はその日、暗い地下室で中年男性三人と意味のない反省文を書かされ、意味もなく怒られ続けた。反省文が完成するまで、残業代もつかないのに夜遅くまで居残りをさせられる。


****


 深夜、へとへとになって帰宅した進は、自分のポストを見た瞬間に血の気が引いた。借金返済の督促状が、山のように届いていたからだ。


「そんな馬鹿な……」


 宝くじが当たり今や億万長者になったはずの進は、現実が理解できなかった。急いで自分の部屋に入った進は、通帳を確認する。


「あ……あぁぁぁぁぁ…………」


 進の預金は消えていた。それどころか、宝くじが入金された履歴すら残っていない。


「これが……ゲームで負けるって事なのか? 嘘だろ?」


 進はその場にいることすら怖くなり、自分の車が置いてある駐車場に向かった。


「これも……なのかよ……」


 先月購入した進の高級外車は、動くのかも怪しいほどぼろぼろの軽自動車に変わっていた。


 壊れているのではないかと思えるような音を発する軽自動車のエンジンをかけ、進はその場から逃げ出す為にアクセルを踏んだ。


(何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ? 何なんだ?)


 行くあてもなく、混乱したまま進は車を走らせ続けた。その進が考えているのは、自分をその状況に追い込んだゲームの事だ。


(負けたから……不幸になるのは分かるが……。なんで過去すら変わってるんだよ! いったい! なんだってんだよおおおぉぉ!)


「あっ!」


 運転に集中できていなかった進は、ハンドルを切り損ね、中央分離帯を越えてしまう。その彼の乗った軽自動車へ、トラックが迫る。


 トラックが迫ってくる最中、周りがスローモーションに見えた進の脳は、走馬灯を作り出していた。


(そうか……そうだったのか)


 進はやっとそこで違和感の理由を知った。正確には思い出したのだ。


 走馬灯として蘇ってきたのは、進がセカンドバッグを手に入れた時の事だ。何故か進は、自殺した人物の持っていた物を自分が持ち逃げしたと思い込んでいたが、それは間違いだ。


 記憶の中の進は、自殺したはずの人物と知り合いで、正式に携帯電話とメモ帳を譲り受けている。


 知人男性は進にゲームの事を全て喋り、どうやっても手元に戻ってくる携帯電話を、山の中へ埋めてほしいと頼む。それを了解した進は、あの日、森林浴の為ではなく、セカンドバッグを埋める為に山に登ったのだ。そもそも、進に森林浴やハイキングの趣味などない。


(なんで……おじさんの事……忘れてたんだ? 説明も全部……聞いてたはずなのに)


 自分の記憶が改変されていたと認識出来た進は、自分に昔からよくしてくれた遠縁の親戚である男性を思い出して顔を歪める。


(俺は……まんまとはめられたんだ。あの……ゲームを作った何かに……)


 トラックのバンパーが、ハンドルを握っている進に迫る。そこで、進の意識はなくなった。トラックと正面衝突した軽自動車は、粘度の様にぐしゃりと潰れる。


****


 警察が交通整理をしている場所へ、救急車が到着した。その頃には、事故現場に大勢の野次馬が集まっていた。


「危ないんで下がって下さい! ご協力をお願いします!」


 混乱する事故現場を処理する為に、制服を着た警察官が野次馬を遠ざける。


「こりゃ即死だな……」


 警察による現場の処理は、夜遅くまで続く。進の乗っていた軽自動車は全損しており、レッカー車両により廃棄工場へと直接運ばれていった。


 道路脇に転がったセカンドバックを、ある男性が拾い、持ち去った事は誰も気が付かなかったようだ。


****


「はい、こちらラッキーゲーム大会事務局です! おめでとうございます! ゲーム参加でよろしいですね?」


 数日後、男性が握った携帯電話から、元気過ぎるとも言える女性の声が聞こえていた。

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