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私の隣にアリューゼ卿が腰を下ろし、肩がかすかに触れそうな距離で、私のデザイン画を一緒に覗き込んだ。真剣な眼差しが紙面を追う。
「髪と瞳の色に合わせて、深い焦げ茶の生地を基調にします。燕尾服の裾にだけ細く金糸を走らせれば、騎士らしい威厳を保ちつつ、目に留まる後ろ姿になります」
「なるほど……それは良い考えですね」
「それから……背中のラインを少し緩やかにして、腰骨のあたりを引き締めて見えるように裁ちます。アリューゼ卿は立ち姿が綺麗ですから、それを際立たせられるように……」
「つっ……立ち姿が綺麗だなんて……初めて女性から言われましたよ。気恥ずかしいような……とても嬉しい気分です」
不意打ちの褒め言葉に戸惑ったのか、彼は視線を逸らしながらも、耳までほんのり色づかせていた。声がかすかに震えていて、本当に女性慣れしていない剣一筋の方なのだとわかる。
(こういう純朴さは、きっと女性受けするわよね)
「コホン! マリア、ちょっとその……距離が近すぎないか? アリューゼ卿、君はもう少しマリアから離れなさい」
低く混じる咎めの響きに思わず顔を上げると、サンテリオ侯爵様がこちらをじっと見つめていた。眉間に皺を寄せて、どこかイライラした印象だった。
「あっ、申し訳ありません。話に夢中になっていたものですから……それに、燕尾服のデザインを考えるペンの動きが鮮やかで、すっかり見とれてしまって」
アリューゼ卿が恐縮したように頭を下げる。真面目な人柄がそのまま声色に滲んでいた。
「謝ることなんてありませんよ、アリューゼ卿。だって、こうして近くに座って覗き込まなければ、一緒にデザインを詰めていくことなんてできませんもの」
私は柔らかく微笑みながら言い、サンテリオ侯爵様にも視線を向けた。
「こうして並んで座って、顧客の方々とデザインを相談するのは、いつものことですよ? サンテリオ侯爵様ったら、今日はどうされたんですか?」
首を傾げて問いかけると、サンテリオ侯爵様は一瞬だけ言葉を失ったように目を伏せ、無言のまま扉近くに置かれた椅子へと移動し腰を下ろした。
サンテリオ侯爵様の鋭い視線を背中に感じながらも、私は手を止めることなく作業を進めていった。
「では、採寸をさせていただきますね。まっすぐお立ちになって、こちらを向いてください」
肩幅から測ろうとして、私は小さな踏み台に上がる。アリューゼ卿の背が高すぎて、手が届かないのだ。肩幅、胸囲と順にメジャーを当てていくうちに、ふいにバランスを崩してしまい――
落ちかけたところを、アリューゼ卿の腕が支えてくれた。抱きしめられた形になり、心臓が跳ねる。慌てて私たちは離れた。
「まあ……申し訳ありませんわ。つい夢中になってしまって……」
「いえ。マリア嬢にお怪我がなくて、何よりです」
私が焦りながらも謝っていると、途端に背後からサンテリオ侯爵様の声が……
「マリア! 寸法を測るのは君じゃなくてもいいだろう? そんなことは仕立て職人を呼べば済む話だ。第一、君は不注意すぎる! もし踏み台から落ちていたら、骨を折っていたかもしれないんだぞ」
「えっ! それはさすがに大袈裟です。それより、サンテリオ侯爵様にはほかにお仕事がおありでしょう? 早く執務室にお戻りになったほうが良いですわ。きっと今ごろ、秘書の方々が必死に探していると思いますよ」
(どうして、私のアトリエにずっといるのかしら?)
「いや、そんなことはない。今はわりと暇だから……」
サンテリオ侯爵様がぼそりと呟いた直後、勢いよく扉が開き、数人の秘書たちが顔をのぞかせた。
「やっぱりマリアさんのアトリエでしたか! 困るんですよ、仕事がたくさん溜まってるんですから。早く執務室に戻ってください」
筆頭秘書に促され、渋りながら連れて行かれる侯爵様の背中を、私は軽くため息をつきつつ見送った。今日の侯爵様はおかしい、と首を傾げながら……
◆◇◆
その後、私はアリューゼ卿と一緒にランチをとることになった。初めは少し緊張していた彼も、徐々にリラックスしてくると、とても気さくにお話をしてくださる方だと知り思わず驚いてしまう。騎士として各地を遠征した際の出来事を、身振り手振りを交えながら面白おかしく語ってくださる。それだけでなく、土地ごとに好まれる服のデザインや料理の傾向なども教えてくださり――気づけば、私は声を出して何度も笑っていた。話題の豊富さでは、むしろ私ではなくアリューゼ卿のほうが圧倒的だった。
やがて彼は、少し照れながらも自分の悩みを打ち明けてくれた。女性を前にすると打ち解けるまで時間がかかり、緊張のあまり頬が赤くなったり、手が震えてしまうのだとか。どもったりすることもあるので、治したい癖だとため息をついた。
「それは、誠実で真面目な証だと思いますわ。むしろ、馴れ馴れしくすぐに距離を詰めてくる男性より、ずっと好感を持たれますよ」
私はしっかりと励ましてあげた。アリューゼ卿はどこまでも穏やかで、誠実で、真面目そのものだ。この方なら、きっと素敵な伴侶に出会えるだろう。
気がつけば、私はまるで弟を応援するような気持ちになっていた。




