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※途中からレオナード視点があります。
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「マリアさん、水くさいじゃないのよぉーー。まさかサンテリオ侯爵様とそんな仲だったなんて。どうして言ってくれなかったのよぉ? いつから付き合ってるの?」
カエリンさんが、私のアトリエで不満そうな声を上げた。どうしてこんなことを言ってくるのかというと、今朝、私とサンテリオ侯爵様が一緒に魔導馬車で出勤するところを偶然見られてしまったからだ。そして退勤時間になった今、一緒に帰ろうと声をかけてきたカエリンさんに、しばらくは帰る先がサンテリオ侯爵様のお屋敷になると伝えたのが理由だった。
「……付き合ってはいないわよ。お屋敷に泊めていただいているだけなの。実は昨日カエリンさんと別れたあの後、カフェレストランで……」
今までのことをざっとカエリンさんに話すと、途端にニヤニヤと笑いながら、私の腕をツンツンとつつき始める。
「あらあら、そういうことだったのね。どうりでサンテリオ侯爵様に浮いた噂がないわけだわ。それにしても、マリアさんの家族は、ある意味いい働きをしたかもしれないわね」
「え、どういう意味? いい働きって?」
私がカエリンさんに聞き返していると、扉をノックする音が響き、サンテリオ侯爵様の声がした。
「マリア! そろそろ帰るぞ。続きの仕事はまた明日にしなさい」
そう言いながら扉を開け、カエリンさんがいるのを見て、「お疲れ様」と声をかける。
「サンテリオ侯爵様。マリアさんをお願いしますね。大親友なんで、泣かせたら承知しませんよ」
「え? 何言ってるの? サンテリオ侯爵様は素晴らしい上司よ。泣くわけないじゃない」
「ははっ。まだこんな調子なんだよ。泣かされているのは、むしろ私かな」
「……ああ……なにか……私の親友がすみません」
カエリンさんは残念なものを見るような眼差しで私を見た後、ペコリとサンテリオ侯爵様に頭を下げた。状況がよく呑み込めず、私はただ首を傾げるばかりだった。
エスコートされて、エントランスに横付けされたピカピカの魔導馬車に乗り込む。
「今日は魚介類が美味しいレストランに行こうか。執事に『夕食はいらない』と言ってあるんだ。ちょっといい店を見つけてね。前からマリアを連れて行きたいと思っていたのさ」
「嬉しいですけれど、少し緊張します……私は平民ですから」
「何を言ってるんだい。むしろ、長子以外で爵位を継げない貴族よりも、君は自分の腕一本で成功して、ここまでの地位を築き上げた。それは誰よりも自慢していいと思うよ」
◆◇◆
サンテリオ侯爵様に連れていかれたのは、街外れの静かなレストランだった。顧客たちとの長い打ち合わせを終え、少し緊張がほどけた心を抱えながら席につくと、店内は温かな灯りに包まれ、テーブルの上のろうそくがゆらゆらと揺れていた。柔らかい光が私たちの顔をそっと照らし、窓の外には夜の街灯が淡く反射している。外の喧騒も遠く、ここだけにゆったりとした時間が流れているように感じた。
「ここは魚介が本当に美味しいんだよ」
サンテリオ侯爵様は、にこにこしながら私の席の向かいに座った。その笑顔に、胸の奥がきゅんと締め付けられる。こんなに優しい表情をされると、ただの従業員にしか思われていないはずなのに、どうしても心が揺れた。
今日はサンテリオ侯爵様が食べたい順番でコースを進めるらしい。最初に帆立のグリルが出てきたのもそのためだった。黄金色に香ばしく焼かれた帆立の上に、ほんの少しハーブが散らされている。サンテリオ侯爵様は嬉しそうに私を見つめながら、ひとくち分の帆立を刺したフォークを私の口元まで運んでくれた。
「一番お勧めの物から食べてほしいと思ってね。さあ、食べてみて」
思わず身を少し引き、首を横に振った。
「え? あ、ありがとうございます……でも、自分で食べられますし、人目もあって恥ずかしいです」
サンテリオ侯爵様はにこりと微笑み、なおもフォークを持ち続け、食べるように促す。私は恐縮しながらも、その香り高い帆立を、もぐっと口に入れた。柔らかく甘みのある味が広がり、思わず目を細めた。
「おいしい……」
小さな声で呟くと、侯爵様は満足そうにうなずいた。
「だろう? マリアのためなら、何でもしてあげたいんだ」
頬が熱を帯びる。どうしてここまでしてくれるのかという疑問は消えず、私は胸の奥で恐縮しながらも、仕事で恩返ししなければという気持ちが強くなる。
「これほど大事にしていただき……私、申し訳なくて……。これからも一層、サンテリオ服飾工房のためにいい仕事をして、ご恩返しします」
サンテリオ侯爵様は肩をすくめて軽く笑った。
「君が喜んでくれるなら、それだけで私は幸せなんだよ」
次に運ばれてきたのは、海老と白身魚のクリーム煮。香りも見た目も豪華で、思わず「わあ」と声が漏れる。サンテリオ侯爵様は自分のスプーンを取り、そっと一口分をすくって私に差し出す。またしても私に食べさせてくれるつもりらしい。私は頭の中で「なぜ……?」と疑問符が並ぶ。
ろうそくの揺らめきの中でサンテリオ侯爵様の笑顔が一層優しく見え、窓越しの街灯の淡い光も重なり、ロマンチックな気分に満たされた。頬を赤くし、テーブルの下で手をぎゅっと握りしめた。彼は私を見つめ、それはまるで恋人を見つめるかのようだった。
異性としての好意や愛情を、はっきりと口にされたことはない。だからこれはきっと、稼ぎ頭としての私に向けられた敬意や評価の一部なのだろう、と自分に言い聞かせる。
サンテリオ侯爵様は私の好みに合わせて次々と料理をすすめ、私の笑顔に目を細めた。私は恐縮しながらも、胸の鼓動の高まりや心のときめきを感じ、こんな風に甘やかされることが嬉しいと感じつつも、勘違いしてはいけないと固く自分を戒めたのだった。
※ちょこっとレオナード視点
翌朝、留置場から出された僕は、すっかりマリアに振られて落ち込んでいた。もはやここにいる意味もない。オッキーニ男爵領に戻るため、乗合馬車の乗降場に並んでいると、ソフィアたちが通りの向こうからやってきて、僕に手を振った。
「ちょうど良かったわ。一緒に帰れるわね。レオナード様が、お姉ちゃんとよりを戻そうとしたことは許してあげるわ。実はね、とても良いものを入手できたの。これよ」
ソフィアが僕に見せたのは、素晴らしいドレスのデザイン画だった。
「こ、……これは? いったい、どこから手に入れた?」
「ふふっ。お姉ちゃんの鞄ごと、もらってきちゃった。お姉ちゃんはこれからいくらでもこんなものを描けるんだから、5枚ぐらいもらったって、なんてことないわよね。多分これ、発表前のデザイン画だと思うの。これをさ――」
「ははっ! いいね。マリアは成功していい気になってるんだよ! 僕たちにあんなに冷たくして。ソフィアの言う通り、これを――」
僕はブロック服飾工房が爆発的に売り上げを伸ばす様子を想像した。それは、目の前に光が差し込むかのように、鮮やかで希望に満ちた未来だった。
「マリア……僕に恥をかかせた君を、思いっきり利用させてもらうよ」




