目覚めと説得
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今回はツヴォルフ視点です。
パイシーズ・異獣研究所所長室。
まだ事後処理の喧騒がうるさいコミュニティの中で、この部屋だけが酷く静かだ。
部屋の中には、四人。
オレと所長とシャドウ、そしてまだ目を覚まさない坊主。
所長のギフトでバイタルチェックをしてみたが、坊主の身体には特に異常はなかったらしい。
多分、戦争や例の赤髪との戦いの負担がデカかったんだろう。
自分から目を覚ますまでは無理に起こさず眠らせておくことにした。
……破れた服の代わりに着せている服がアレだが、きっとなにか理由があるんだろう。うん。そうに違いない。
所長が嗜好品の茶を淹れた後に、オレに向かって頭を下げながら口を開いた。
「ツヴォルフさん、このたびはパイシーズの危機を救っていただき、誠にありがとうございます。あのままではこのコミュニティはどうなっていたことか……」
「……オレはなにもしていませんよ。戦力の大半はアリエス頼み、ヤバそうなギフト持ちの相手はロナとナナがしていましたし、アクエリアスの兵士たちに対処するにはリベルタの力が無ければ無理でした」
「御謙遜を。アリエスとの交渉のために、陰で情報収集をしながら少しでも有利に話をもっていけるように立ち回っていたのでしょう?」
「といっても、あまり大した材料は集められず、結局はシャドウからの情報とロナの持っていた救荒作物の芋がここで栽培されているという話くらいしか出せませんでしたけどね」
「それでも、アリエスが動いたのは事実です。……もっとも、どうやら彼らが動いた主な動機はそれらとは別にあるようですが」
アリエスの連中、というよりはアリエスの監督官『ヴォルト』によって、アリエスは今回の戦争を起こすことを決定した。
戦争を起こすこと自体はいい。問題は、ロナを確保しようとしていたことだ。
アリエスがロナにこだわる理由はなんだ?
「……あの赤い、ロナちゃんにそっくりな子はいったいなんだったのかしら」
「ステータスには『ゲブラー』と表示されていました。アリエスの連中はヤツを『蛇』と呼んでいて、ヤツについてなにか知っているように見えましたが」
「聞き覚えのない名前ですね。『蛇』、というのもなにかの暗喩でしょうか? ……すみません、私にはよく分かりません」
困ったような顔で答える所長。
嘘を吐いているようには見えないし、ゲブラーや蛇という言葉にも反応が薄い。
……所長も知らないのか。
パイシーズの監督官ならなにか知っているかもしれないが、アリエスの連中が保護という名目で身柄を確保してやがるから接触できねぇ。
くそ、情報が足りねぇ。この件に関しては手詰まりか。
……まあいい。分からねぇことに関していつまでも悩んでても仕方ねぇ。
それより、今後のことについて話をまとめるべきだろう。
まずはアクエリアスに攫われたロナとナナの奪還。これが最優先事項だ。
あのクソ野郎。絶妙なタイミングで攫われたことに腹を立てるべきか、アリエスに捕らえられなかっただけマシとみるべきか。
「ロナたちの救出に関しては、シャドウをお借りしたい」
「ええ、もちろん。……いいわよね?」
「はい。元はと言えば、私が引き起こした事態ですので」
「まあスコーピオスの連中が飼ってた異獣を、なるべく穏便に排除したかったのは分かるがな。……だが、ロナたちになにかあって手遅れになっていたりしたら、それなりの覚悟はしてもらうぞ」
「……はい」
シャドウが申し訳なさそうな声で返事しているが、こっちは内心はらわた煮えくり返ってる。
パイシーズとロナを天秤にかけた末の選択だったのは理解できるが、それとこれとは話が別だ。
「ギフト・ソルジャーたちはNo.1以外全員確保してある。今ならギフト持ちの戦力はほぼいねぇはずだ。お前のギフトとフィールドワーク用の車があれば、すぐにロナたちの救出に向かえるだろう」
「ええ。片道なら半日程度で着くはずです。燃料の補給と積み込みが終われば、今日にでも向かうことが可能です」
「ならさっさと準備を済ませていくとすっか。所長、オレたちがいない間、その坊主をお願いします」
「ええ、もちろん。……元の鞘に戻ったようなものですし」
さて、アクエリアスまでの道はシャドウの車で手早く比較的安全に移動できるとして、問題はアクエリアス内部の侵入ルートだな。
今のうちに頭ん中の地図を紙に写して、どこをどう通ってどういう段取りを組むべきか考えねぇと。
「僕も行く」
「えっ……」
……起きたか。いや、起きていたのか。
声のほうを向くと、寝台の上で寝ていたリベルタが上半身を起こして、オレのほうを向いているのが見えた。
「おはようさん。いつから起きてた?」
「話の初めくらいから。ここに寝かされた後に所長やツヴォルフの声が聞こえて目が覚めた」
「そうか」
「ま、まだ起きちゃダメよ! あなた、少しの間だけとはいえ、下半身が丸ごと無くなっていたらしいのよ!? どんな悪影響が残ってるか分からないから、安静にしてて!」
慌てて所長がリベルタを寝台に戻そうとするが、構わず起き上がり足を進めて歩き出した。
その視線の先は、オレでも所長でもなくシャドウのほうを真っ直ぐ向いている。
「ロナを助けに行くんでしょ? なら僕が乗れるように車のスペースを空けておいて」
「……無理です。帰りの分の燃料を積みこんだうえでロナさんを乗せることを考えると、あなたを乗せられるだけのスペースは――――」
「嘘。アクエリアスよりも遠い、『僕の眠っていた場所』からパイシーズに帰る時には5人は乗れるくらいスペースが空いてた。僕が乗っても充分に余裕はあるはず」
「っ……」
なんとか誤魔化してここに残るように説得するが、すぐに嘘を看破されてやがる。
顔をしかめるシャドウを睨みながら、リベルタが言葉を続けた。
「もしも連れて行かないっていうのなら、一人で歩いてでもアクエリアスに向かう」
「無理ですよ。『外』の環境の過酷さはあなたも知っているでしょう。膂力の低いあなたではたちまち異獣に襲われて死んでしまいます」
「なら僕も一緒に連れて行って、ってさっきから言ってる。それが嫌なら外で僕が異獣に喰い殺されることを前提で置いていけばいい」
……なんつーこと言いやがる。覚悟決まりすぎだろ。
所長もそれを聞いて、ショックを受けた様子で口を手で覆っている。
「今すぐ会いたい気持ちは分かりますが、危険すぎます。ロナさんを連れ戻したらすぐに帰ってきますから、それまで我慢してください」
「それも嘘。アリエスが狙っている限りはロナを救出してもパイシーズには戻れない。そのまま他のコミュニティに向かうつもりなんでしょ? そうなったら、もう僕はロナと会えなくなる」
「そんなことは……」
「ないわけがない。もうアリエスはロナの味方じゃない。ここへ戻って彼らにロナを預けるのはダメだよ」
そこまで読んでいたか。地頭がいいとロクに隠し事もできねぇから厄介なもんだな。
どうしたもんかと坊主を眺めながら無精髭を撫でていると、所長が坊主のほうへ近付いていくのが見えた。
その顔は、穏やかな笑みを浮かべている。
「あなたは、ロナちゃんたちとこれまで一緒に旅をしたりして生活してきたのよね」
「うん」
「楽しかった?」
「……うん。決して楽なことばかりじゃなかったけれど、すごく、『生きてる』ことを実感できた、気がする」
「あなたは、……また、ロナちゃんと一緒に旅がしたいのね?」
「うん」
「そう……」
それだけ聞いて、屈んで目線を合わせてからリベルタを抱き寄せた。
……リベルタから見えないように、頬を寄せている顔は、申し訳なさそうな、複雑な心境を露わにしたような苦笑を浮かべている。
「ごめんなさい」
「えっ……」
抱き寄せながら、左手に隠し持っていた注射器をリベルタの背中に打ち込んだ。
それと同時にか細い声を漏らし、リベルタが目を閉じて力なく所長に身体を預けた。
なかなかの演技力だったな。
「麻酔、ですか」
「ええ。こうでもしないと、この子は本当に行ってしまいそうだったから。随分と逞しくなったようだけど、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないでしょう?」
「目が覚めたら、酷く怒るでしょうね」
「……この子が危険にさらされるのに比べたら、私が嫌われるくらいなにも問題ないわ。それより、早く準備を整えて出発して。この子が起きた後の対応は私がなんとかするから――――」
甘い、甘すぎる。
所長、あなたが知っているか弱い少年と、今の坊主は違う。
「やっぱり、所長は僕を守ろうとするんだね」
「えっ……?」
「大丈夫。僕はそう簡単に死んだりしない。だから、僕も出ていくことを許してほしい」
いつの間にか、所長の後ろにリベルタがもう一人立っている。
所長が抱えている眠ったままの坊主の身体は、声が聞こえた直後に消えてなくなった。
『幻惑操作』か。
どこで入れ替わったのかまったく分からなかったな。器用なもんだ。
眠ったように見せかける幻の演技も、ほとんど不自然さはなかったしな。
「い、いつの、間に……」
「所長は僕を心配してくれているから、そうやって引き留めてるのは分かる。でも、僕は行く。ここで安楽に暮らすことが僕のしたいことじゃないから」
「なんで、そこまで……?」
「分からない。ただ、ロナがいない今の状況がすごく不安……いや、違う。単純に嫌なんだ。ロナがいないっていうことが、嫌で嫌でたまらない」
珍しく不快そうに顔をしかめながら、拳を握る坊主。
……ロナ。お前、幸せもんだな。
このクソみたいな時代に、ここまで誰かに大事に思ってもらえるってのはなかなかないと思うぜ。
「…………あと、僕が今着てる服も嫌だ。幻を見せる時に気付いたけど、なんで女の子用のスカートを穿いてるの……?」
「え、ええと……」
………そりゃ嫌だわな。
所長は『男の子用の服を切らしてて仕方なく』って言ってたけど、多分嘘だ。絶対この人の趣味だろ。
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