所長の前準備
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行軍四日目。今日も車に揺られてお尻が痛い。
ツヴォルフやリベルタもよく平気な顔して座ってられるもんだわ。
次に異獣が襲ってきたら、皮を剝いで即席クッションでも作ってみるべきかしら。
「いてて……」
「なんだ、尻がいてぇのか?」
「ちげーよ、道中で襲ってきた異獣にやられた傷が痛むんだっての」
「あー、お前モロに突進くらってたもんな。大丈夫なのか?」
「内臓は無事だと思うが、アバラが痛い。多分、肋骨にヒビ入ってるなこりゃ……」
筋肉ダルマの一人が痛そうに胸のあたりを手で押さえている。
見た目かなり頑丈そうな身体してるけど、さすがに異獣の攻撃を喰らったら無傷じゃ済まないか。
「こんな状態でドンパチやりにいくのかよ、ったくハードな仕事だねぇ……」
「パイシーズに着いたら、多分治せるわよ」
「ん? どういうことだ?」
「スコーピオスに捕まってる中に、多分だけど治癒のギフトを使える子が混じってると思う。私と一緒に実験体にされた子だけど、かなり深い傷でも治せてたわよ」
「へぇ、そりゃ頼もしいな。ならさっさとパイシーズに辿り着いて、寝息をかくたびにズキズキ痛むのを治してもらいたいもんだぜ」
……あの子、No.77は無事なのかしら。
スコーピオスに捕まった人間は奴隷扱いされて馬車馬のように働かされるって話だけど、私たちが着く前に力尽きてたりしないか心配だわ。
あんな華奢ななりじゃ、力仕事なんてロクにできないだろうし。
「はっ、じゃあその仲のいい実験体ってのをお前は見捨てて逃げ出したってのかよ。友達甲斐のねぇガキだな」
そしてこの眼帯ハゲである。
話に割り込んできて、なんかもう鬱陶しいのを通り越して逆にちょっと面白いわコイツ。
「だから、助けにいくのよ。……置いて逃げたことは、自分でも悪いと思ってるわ」
「オレだったらぜってぇ許さねぇけどな」
「許されるために行くわけじゃないわ。単に義理を果たしたいだけよ」
「どこまでも自分勝手な言い分だな」
「私は自分が一番かわいいのよ。アンタは違うの?」
「テメェと一緒にすんな。オレにゃあ美人の嫁とそりゃもう可愛いガキが二人もいるんだ。あいつらのためならこんなクソみてぇな任務に行くのも我慢できるってもんだ」
「え、アンタ既婚者? 大丈夫? 現実見てる?」
「見てるわ! マジで結婚してるわ! ……おい、なに可哀そうな人を見るような目ぇしてんだゴルァ!!」
……えー、こんなシャーペンの先に付いてる消しゴムみたいな頭してるヤツでも結婚できるのー……?
地味にここ最近で一番驚いたわ。こんなのと結婚してあげるなんて、きっと聖人みたいな奥さんなんでしょうね。
あ、なんか眼帯ハゲが睨み殺す勢いでガン見してきてるからこのへんにしときましょうか。
……結婚かぁ。
私、恋とか愛とかよく分かんないけど、夫婦になるのってなんかメリットがあるのかしら。
誰かと運命共同体になるような生きかたなんて窮屈なだけな気がするんだけど、どうなんだろうか。
~~~~~潜入ミスったナナ視点~~~~~
ど、どどどどうしようどうしようどうしよう!
廊下で誰かと鉢合わせになりそうだったから慌てて近くの部屋に入っちゃったけど、中に人がいた!
も、もうダメかも……!
頭の中が大混乱に陥っているところに、優しそうで綺麗な金髪の女の人と一緒にいる人相の悪い男の人が声をかけてきた。
「お前は、確か特等民に選ばれたギフト持ちの小娘ではないか。なぜ研究所にいるぅ?」
「あ、あの、その、え、ええと……」
「なんだ、口籠ってばかりではなにも分からんぞぉ」
「あ、あうぅ……」
ご、誤魔化そうにも、上手い言い訳が出てこない……。
言葉に詰まる私を見て、胡散臭そうな顔がさらに訝し気な表情に変わっていく。
も、もうこうなったらこの人たちを殴って気絶させるしか……!
「その子を呼んだのは私です」
「……えっ?」
この場を切り抜けるため、我ながら物騒な強硬手段に走りそうになったところで、金髪の女の人が口を開いた。
この人が、私を呼んだ? え、どういうこと……?
「んん? 所長がですかぁ?」
「ええ。この子は異獣の血液を接種した結果ギフトに目覚めています。近々控えている集団接種の前に、少しでも安定させるデータがとれないかと思いまして」
「ならなぜすぐにそう答えないぃ、私に話せない理由でもあったのかぁ?」
「い、いえ、あの……」
「そういうふうに高圧的な言いかたをするからですよ。この子は元々『アクエリアス』で実験体として扱われていたんですよ?」
「なに……?」
「奴隷以下の、まるでモルモットのような扱いされていたんですから、きっと少しの口答えが大きな折檻となって返ってくるような環境だったのでしょう。口籠るのも無理はありません」
「ふん、ガキめ。情報の伝達もロクにできんのかぁ」
所長と呼ばれた女の人が私を庇うように理由を並べると、男の人がこちらに向けていた疑いの視線が幾分か和らいだ。
私を見る視線は見下したように冷たいままだけど、きっとこの人は自分以外の人間全員を見下しているのかもしれない。
「まあいい。それよりもきたるべき長距離遠征に向けて、食料品の生産・加工の段取りのほうも進めておいてくださいねぇ。では、私はそろそろ食事に向かいますので、失礼しますねぇ」
「ええ、お疲れ様です」
そう言って、人相の悪い男の人が退室してどこかへ行ってしまった。
部屋の中に残されたのは私と、所長と呼ばれていた女の人だけ。
男の人が去っていく足音も聞こえなくなったくらいに、所長さんがため息をついてから呟いた。
「下劣な男ね、声を聞いているだけで虫唾が走るわ」
「ひっ……!?」
さっきまでの穏やかな口調と優し気な顔はどこへいったのか、冷たい表情で低い声を漏らしている。
こ、怖い……この人、さっきの男の人よりも怖いかも……。
そう思いながら内心半泣きで佇んでいると、所長さんがハッとした顔でこちらを見てから、また穏やかな顔に戻った。
「あらら、ごめんなさいね。ここのところ、ことあるごとにあの下衆から小言を言われているものだから、つい本音が出ちゃったわ」
「は、はあ……」
……本音なんだ……。
「あ、あの、なんで私を庇ってくれたんですか? 呼ばれてなんかいないはずなのに」
「うふふ、こちらにも色々と事情があるのよ、No.77、いえ、今はナナちゃんだったかしら」
「私のことを、知っているんですか?」
「ええ。手の甲に77と書いてある可愛らしい桃髪の女の子だっていったら、あなたしかいないでしょ? あなた、ここ最近じゃ結構な有名人なのよ?」
「ゆ、有名って、私が? なんで……?」
「特等民に選ばれたのに誰にも分け隔てなく接して、一部スコーピオスの連中ですらあなたを慕って従っていて、そのうえ異獣のお肉を毎日何体分も供給するほどの強さだっていうんだから、有名になるのも無理ないでしょ」
あ、あう……そう言われると、本当に自分のことを言われているのか分からないくらい色々とやってるなぁ。
ほんの一月前までは、その日に食べるものすら事欠くような弱虫だったのに。
「それに、あなたに用があるということ自体は嘘じゃないしね」
「? 私に、なにか?」
「近いうちに、このコミュニティの住民たちにギフト発現のための接種を行うことは、知っているかしら?」
「! ……はい」
やっぱり、例の注射をここの人たちにも接種させるっていう情報は正しかったんだ。
まさか、この人があの注射を作る担当者なの……!?
「そ、その、あ、あの注射は危険です! 私の前に接種を受けた人が、何人も死んだり、気がおかしくなってしまったりして……! う、うぅっ……!」
「分かっているわ。……怖い思いをしてきたのね、可哀そうに」
あの時の記憶が蘇って涙目になる私を、屈んで視線を合わせながら優しく撫でてくれた。
それだけで、悲しい気持ちが幾分か和らいでいくのが感じられた。
「大丈夫よ、このコミュニティでは、もうそんなことは繰り返させないわ」
「じゃ、じゃあ、例の注射を止めていただけるんですか?」
「いいえ、接種は予定通り、むしろ前倒しで少し早く行う予定よ。後は最後の微調整だけだから、明日には接種が開始されるわ」
「え!? そ、そんな! あんなことは、もう繰り返させないって言ったじゃないですか……!」
「落ち着いて。繰り返させないためにも、あなたの協力が必要なのよ」
「え……?」
……どういうこと?
「こっちについてきて。今から、例の注射の最終調整のためのデータ、つまりあなたの身体を調べる作業に入るから」
「あ、あの……」
「大丈夫、私を信じて」
そう優しく微笑みながら言う所長さんの顔を見ていると、なぜか安心感を覚えた。
なにをするつもりなんだろう。……私に、なにができるんだろう。
「うっ……」
所長さんに案内された部屋には、寝台と物々しい機械が並んでいた。
まるでアクエリアスで記憶を書き込む時に訪れた部屋のようで、思わず身構えてしまう。
「大丈夫よ。これから行うことは痛くも苦しくもないし、危ないことも一切ないのよ」
「ほ、本当ですか……?」
「ええ、約束するわ」
正直まだ不安は抜けないけれど、ここは言う通りにしておこう。
……もしも、この人が私を騙して例の注射を作ってここの人たちに接種させるつもりなら、力ずくで止めよう。
「じゃあ、まず服を脱いで」
「……え?」
「服を脱いで。上も下も下着も全部」
「え、えええ……!?」
「心配しないで、女同士なんだから恥ずかしがることないわ。……おっと、鼻血が」
ならなんで鼻から血が出てるの!? どう見ても危ない人の目をしてるんだけど!
や、やっぱり今すぐ逃げるべきなのかな……!?
ど、どうしよう、優しそうな所長さんの目が今になってすごく怖くなってきた……!
お読みいただきありがとうございます。




